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橋本勝21世紀風刺絵日記
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2006年04月23日11時35分掲載
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日中・広報文化交流最前線
再有一千年。賞花同在玉淵譚 井出敬二(在中国日本大使館広報文化センター長)
●各地の花祭り
中国では春は各地で花祭りが行われる。筆者もこの春、いろいろな花祭りを覗く機会があった。北京の玉淵譚公園は梅と桜が有名だが、この春も相当な賑わいだった。花見を楽しむ人が増えたというのは、生活に余裕が出てきたことの現れでもあろう。
●武漢大学桜祭り 〜桜の思い出〜
日本では桜は入学式の思い出や花見を連想させる。中国では、桜は日本を連想させるようである。中国人が日本に行く時は、「桜の咲く季節に行きたい」という人が多い。 では中国人は桜を見て日本の何を連想するのだろうか?桜をめぐって、湖北省武漢市ではちょっとした論争が起き、日本の新聞でも報道されたが、紹介したい。
『国際先駆導報』(4月7日〜13日号)紙記事「武漢大学の桜が『国恥』の争いに巻き込まれる」によれば、3月下旬から「武漢大学桜祭」が開催された。この祭りには、例年100万人もの人たちが繰り出すそうである。同大学の桜の始まりは、戦争中、日本軍の兵士が駐屯し、その際、桜の木が30株足らず持ち込まれた。そのような桜を愛でることが良いのかという批判(?)があるらしい。実際には、当時の桜の木は既に枯れてしまい、現在同大学にある千本もの桜は、1972年の国交正常化の際に田中角栄総理から寄贈されたもの(50株)、その後正常化10周年、20周年などの節目に日本の友好団体等から寄贈されたもの、その他同大学が自ら育てたものだそうである。 「桜論争」は1947年からあったそうで、当時の同大学の学生を前にある教授は、「これ(桜)は中国人にとって恥辱だが、日本人は敗走した。この桜は戦利品に、そして日本の中国侵略という歴史的罪の証拠となった」と述べたそうである。『新京報』(4月7日付)紙社説記事「桜の花にレッテルを貼ることは歴史に対する自信を傷付ける」も武漢大学の桜論争を取り上げており、日本が残したものでも東北地区の工業施設等役立つものもあると主張している。結局、これらの記事の結論は、「桜をけなすのはお門違い」という、至極当たり前のことのようである。
武漢市で働く日本の企業関係者、湖北省政府勤務の中国人、日本語を教えている大学の教師達とは筆者も親しくお付き合いさせて頂いている。武漢市では武漢大学以外にも桜が咲く場所があるが日本人と中国人は楽しく一緒に花見をしたりしているそうである。筆者が次回武漢市を訪問する時には友人達と一緒に花見をしたいと思う。中国人が桜の花を見て、友人と楽しいひとときを過ごした事を思い出してもらえるよう、付き合いと交流を積み重ねていきたい。
●南京梅祭り 〜歴史の地で交流を深める〜
南京の梅祭りは、紫金山一帯で行われる。この一帯には、三国志の孫権、明初代皇帝朱元璋(洪武帝)、革命の父孫文の墓などがある。梅の花のデザインをあしらった中華民国時代の建物も残っている。汪兆銘(精衛)の墓もこの梅が咲く山の頂にある。正確には「あった」と言うべきかもしれない。汪兆銘は1944年に亡くなり、この地に葬られたが、「漢奸(=裏切り者)」と呼ばれ、戦後南京を取り戻した国民党によりその墓は破壊され、跡には東屋(あずま屋)が立っている。筆者も本年春、梅祭り期間中、この山を訪れたが、梅の木を前に中国人家族達が写真を撮ったりして楽しんでいた。 昨年春には、筆者の同僚の日本大使館員が南京梅祭りに賓客として招かれ、また華道、香道など日本文化を紹介するイベントも行われ、日中の関係者が梅の花見を一緒に楽しんだようである。南京には姉妹交流をしている日本の地方自治体から送られた桜園もある。
●桜と梅〜漢俳に詠む〜
2005年3月23日、北京で「漢俳学会」が成立し、筆者も参加し挨拶した。「漢俳」というのは、中国語で「5・7・5」の俳句のような詩を作るものである。この学会成立大会の模様については、雑誌『国文学』(学燈社)(2005年9月号)に、東聖子・十文字学園女子大学短期大学部教授が記事を書かれている。東教授は、この成立大会で筆者が披露した拙い漢俳を紹介してくれているので、記事から以下の通り引用する。 「井出公使は、祝辞の中で(自ら作った)漢俳を披露し、これからの一千年も梅花と桜花の艶やかさで共に栄えていこうと語った。 再有一千年。賞花同在玉淵譚、梅花桜花艶。 (=これからの一千年も。玉淵譚公園で一緒に花を観賞しましょう。梅の花も桜の花も艶やか。)」
●牡丹も桃も花盛り
桜、梅という花を見ると、どうしてもいろいろな思い出がわいてくるようだ。では牡丹、桃などの花見はいかがであろうか。 河南省洛陽市の牡丹祭りも有名であるが、以前同市を訪問した筆者に対して現地の観光ガイドは「牡丹祭り期間中は人出がすごく、ホテル代も高い」と教えてくれた。 筆者は、北京郊外の平谷区、四川省成都で行われた桃花祭りに参加する機会があった。共に「国際桃花祭り」と銘打って、外国人観光客や投資者の訪問もこの機会に大歓迎している。中国語では「桃花運」という言葉があり、これは異性から好かれることを意味すると、桃花祭り会場で教えてもらった。異なる国の人との関係でも、桃は良い運をもたらしてくれるかもしれない。前者の開会式では、筆者からは、「さくらんぼ、梅干しはすっぱいかもしれないので、甘い桃を楽しみましょう」と挨拶させてもらった。(つづく)
(本稿中の意見は、筆者の個人的意見であり、筆者の所属する組織の意見を代表するものではない。)
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転載について
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南京梅祭り(2006年2月)。
北京郊外平谷区の桃花祭り(2006年4月)開会式に参加した筆者。





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