【openDemocracy特約】24人のイラク市民が米国の海兵隊部隊によって虐殺されたと見られる2005年11月19日のハディーサでの事件は、米軍当局がまだ捜査中である。事件は部隊のひとりが爆弾で死亡した直後に起きた。市民への銃撃も事件をもみ消そうとしたことも、十分な証拠が確かにあるようだ。
ハディーサでの一連の出来事の影響は、現時点では予測するの難しい。が、イラクと中東全域では比較的小さく、西欧と米国でずっと大きいという対照的なものになるであろう。
これはアブグレイブ刑務所での虐待事件の時もそうであった。理由はほとんど同じである。アルジャジーラやアルアラビアなど中東のテレビ局で何度も報じれられ、武装勢力筋による宣伝ビデオ、DVD、ウェブサイトの幅広い宣伝で、中東の人々は囚人の虐待が日常化しているといううわさは正しいとずっと前から信じていた。事実、虐待を確認する多くの短期拘束者の報告によると、米国警備兵によるそのような行動は当然のことと見なされていた。
このように、アブグレイブでの事件を2004年に西側メディアが報道した時には、それは中東の数百万という人々が既に信じていたことをさらに補強したにすぎなかった。同じことがハディーサにも、ほとんど間違いなく当てはまるであろう。
中東と西側のメディアの間の報道の不均衡は、イラク戦争の最も著しい特徴のひとつである。後者はイラク市民の殺害を報じることに消極的であった。これはイラク戦争の他の多くの地域での報道で繰り返されたパターンである。バクバ近くで6月7日、武装勢力の指導者アブムサブ・ザルカウィが殺害されたことに対する反応でも既に明らかである。
このコラムでは、イラク人の扱いについていくつかの例に触れてきた。初期の例は、サダム・フセイン政権が2003年4月に終末を迎える直前、ナシリヤのフェダイン民兵を米軍が数日間爆撃し、約230人の民間人が殺されたものである。
そのコラムは次のように書いている。「インターナショナル・ヘラルド・トリビューンは、バグダッド中心へ米軍が入って数時間内に起きた月曜日の事件についてこう報じている。『AP通信の記者の身の毛もよだつような報告によれば、十字砲火の巻き添えになって、多くの歩行者が混乱したようだった。その中のつえを持ったひとりの老人は海兵隊が発射した3発の警告射撃に気がつかなかった。海兵隊はその老人を射殺した。赤いバンと黄色と白のタクシーも警告射撃に気がつかず、銃弾が浴びせられた』」
つい最近では、ナイトリッダーの経験豊かな記者で、第82空挺師団に従軍したトム・ラセッターは、サマーラで同じような事件を目撃した。彼によれば、交戦の後、2人の武装勢力の遺体を部隊が回収すると、米国人軍曹は部隊の車のボンネットにシカのように固定するよう命令した。「兵士は二つの遺体をハンビーのボンネットの上に持ち上げ、ひもで結んだ。ハンビーが揺れるたびに、遺体の手足が宙に舞った。イラク人の家族は周囲の家の前で立っていた。彼らは遺体が進んで行くのを見守り、米国人をにらみつけた」
キリングフィールド
これらは、多くのイラク人市民が死んだ、過去3年間の間の無数の出来事のうちの3つの例である。同時に、明らかに報復として市民を組織的に殺害したハディーサのような殺人は、無差別射撃事件よりはずっと少ないかもしれない。ハディーサのような事件がどうして起きるのか、また加害者の行動を理解するためには、3つの要素が特に関連しているように見える。
第一に、米国海兵隊は米軍の中でエリート軍のようなものに見なされている。が、その歴史の特殊な側面が、現在の文化に深く根づいている。それは、1983年10月、ベイルート国際空港にあった海兵隊兵舎が大量の爆弾を積んだトラックによって破壊されたことである。その事件は、1982年にイスラエルがレバノンに侵入し、西ベイルートを制圧した後、米軍がレバノンに駐留している時に起きた。241人の米国人が死亡し、うち220人が海兵隊員であった。これは、その39年前の太平洋戦争の末期、日本が占領していた硫黄島に侵攻したとき以来、ひとつの事件としては海兵隊の最大の損失であった。ベイルート爆破事件の記憶は、いまだに強く残っており、少なくとも、海兵隊の中東との関係は不安定なままでいる。
第二に、海兵隊はイラクの全米軍の中で最も大きな損害を受けている。とりわけ、2004年4月と10月のファルージャに対する2回の攻撃の際は、そうであった。個人の防御の質とイラクでの米軍を支える野戦医学の高い水準のおかげで、重傷を負った海兵隊員の多くが助かるが、しばしば一生影響を与えるひどい負傷を抱えることになる。
瀕死のこれらの戦闘のけがは、彼らの行動に影響を及ぼしている。仲間に何が起こったか、攻撃の結果がどのようなものであるかという自覚があるため、イラクの海兵隊員や陸軍軍人はより攻撃的になり、武装勢力との戦闘で、より頻繁に強大な射撃能力を使おうとするようになるのかもしれない。これが、必然的に民間人に大きな損害をもたらすことにつながっている。海兵隊は対武装勢力作戦の最前線にいることが多いので、特にそうである。
第三に、ハディーサの事件にかかわった部隊は3度目のイラクでの任務で、2004年末のファルージャにもかかわったようだ。ひとつの結果として、麻薬とアルコールの乱用の高い使用例が伝えられている。これは、ベトナムを思い起こさせる事態である。イラク戦争の皮肉のひとつだが、イラク各地で広がっている不安定と混乱で、イラクはヘロインと大麻の主要な取引ルートになっている。
主要な出所はアフガニスタンで、パキスタンとイランを通ってくる。麻薬取引の多くは、イラクからシリア、トルコにまで行く。(さらに欧州に行くものもある)ヨルダンとサウジアラビアにも市場がある。加えて、イラクの一部で麻薬の使用が著しく増えている。ヘロインとその関係の麻薬がイラクの米地上軍にとって、3年前より、ずっと手に入れやすくなっていることはほとんど確実である。事実、供給ルートのひとつはバグダッドを通っていると伝えられる。
これら3つの要素はハディーサで起きたことを軽くするものでは決してないが、総合すれば、ある説明にはなる。事件が裁判にかけられれば、残虐行為に関与した個人は法的・道義的責任を逃れることはできないであろう。同時に、アブグレイブで実際に軍法会議にかけられた人たちはみな、指揮系統の一番下かその近くにいる人たちであったことは注目に値する。
ハディーサの海兵隊員の行動は、彼らの使命と遂行される方法の性質から起こっている。政権が倒れた後、占領と対武装勢力対策が続き、それに直面して米国はいまだ、イラクでの支配を維持する決意でいる。関与と野心のこのサイクルのために支払う代価として、米国の兵士、特に海兵隊は極めて強い圧力を受けることになる。関与した個々人の罪の問題は確かにあるが、イラク政策の起案者は大きな責任を負うし、指揮系統を通じて、国防総省、ホワイトハウスも責任を免れない。
*ポール・ロジャーズ 英ブラッドフォード大学平和学部教授。OpenDemocracy国際安全保障担当編集長、オックスフォード・リサーチ・グループのコンサルタント。著書「暴走するアメリカの世紀―平和学は提言する」(法律文化社)
本稿は独立オンライン雑誌www.opendemocracy.netに発表された。 原文
http://www.opendemocracy.net/conflict/haditha_3622.jsp
(翻訳 鳥居英晴)
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