【openDemocracy特約】国連はジュネーブで6月19日、信頼を失った人権委員会に代わって、新しい人権理事会を発足させた。それは国連と世界的な人権の大義にとって、新しい出発を記念する歴史的で包括的、明るい瞬間となるべきである。だが、思想と行動のはざまに影は差す。この組織の発足に当たって、ふたりのイラン人の代表が出席した。彼らの人権についての経歴は、イスラム共和国の基準からしても恥ずべきものである。ジャマル・カリミラド法相とサイード・モルタザビ検事総長である。
モルタザビは、悪名高い1410法廷の裁判長を務め、ジャーナリストと自由思想家に対する悪質な判決を下したことにより、「言論の殺りく者」といわれた。彼は近年、100以上の出版物を発禁にさせ、多くの作家、活動家、弁護士、ブロガーへ嫌がらせをしたり、投獄させたとされている。弁護士でノーベル平和賞の受賞者のシリン・エバディは、モルタザビがイラン系カナダ人でフォトジャーナリストのザハラ・カゼミが2003年に拷問されて死んだ際に現場にいたと非難している。
モルタザビの国連への出席は、人権グループから当然、激しい抗議を招いた。彼は阻止されていない。彼のジュネーブでの最初の会談は、ジンバブエの悪名高いパトリック・チナマサ法相であった。
モルタザビはジュネーブでイランの通信社記者に対して、バグラム、グアンタナモ、アブグレイブでの虐待について、米国は「国連人権理事会の主要議題にのせられるべきである」と語った。彼は平和目的のための核技術は、すべての国の基本的権利であると言った。
モルタザビは「イスラム恐怖症」と「西側が人権を道具として使っていること」に憂慮して国連にきた。さらに、人権の「聖なる概念」はイスラムの感受性にもっと敏感であるべきである、と語った。
だが、イスラムの伝統に訴える政権は、いつでも反対体制派を弾圧するし、2、3の例を挙げると、Mohsen Kadivar, Abdollah Nouri、Mojtaba Lotfiなどの多くの著名なシーア派の宗教指導者を投獄してきた。イランのイスラムの歴史において、シーア派最高権威(モンタゼリ師)を自宅軟禁にしたのは極めてまれである。モンタゼリ師は2004年、イラン国民は「王位による専制支配をターバンのもとでの専制支配に取り替える」ために革命をしたわけではない、と述べた。
レトリックと現実
モルタザビの専制的手法は、特定の文化ないし宗教と関係があるのではなく、人権を軽視するジンバブエやイランのように文化的に異なる国がともに持つ共通要素と関係がある。
イランが「中東でのジャーナリストの最大の監獄」と呼ばれるのは、モルタザビのおかげである。しかし、この不吉なほめ言葉は、多数のイラン人が権利のために立ち上がり、イランの民主的な将来について議論する際に声を上げるということも示している。
そのようなベテランのジャーナリストで、最近亡命したマスード・ベノードはモルタザビに投獄されたことがある。ベノードはインターネット上で、イラン政権がモルタザビを人権理事会の第一線で宣伝させたのは、政権が現在、自信を持っていることを示しているのかもしれないと書いている。
確かに、イラン政権の最近の姿勢には、虚勢がますます高まっている感がある。これは、最高指導者ハメネイ師の米国の指導者に向けた6月4日の演説でも出ている。「もしイスラム共和国を攻撃できるなら、1分でも無駄にすべきではない」と述べた。現在、米国はイラクで動きが取れなくなっているようだ。さらなる政権交代のための確実な跳躍板をつくるにはほど遠い状態にある。むしろ、イランの支配者アヤトラたちを不気味なほどに思い起こさせる指導者に権限を与えたように見える。
イラクで最大で最も影響力があるシーア派の政党、イラク・イスラム革命最高評議会は当初、イラク生まれのアヤトラ、マハムード・ハシェミ・シャハルーディが率ていた。彼は現在、イランの司法長官である。
イラク国民は、イランが25年前に歩みだした道のりを歩き始めたばかりのように見える。しかし、イラン政府の国際的な態度とは裏腹に、支配エリートは内部抗争を抱えている。さらに、世界最大の石油の埋蔵国のひとつであることによって支えられたイランの経済は、汚職と過失によって停滞している。マムード・アフマディネジャド大統領の政権は、雇用も繁栄ももたらしていないし、政府の政策により悪化したインフレ・スパイラルで傷ついている。政府は、人口の70%を占めるイランの教育を受けた若者の要求に最終的に応えざるを得ない。
20年たったが、アヤトラやその他の革命の古参兵でさえ、彼らがつくるのに協力した体制に反旗を翻している。作家や知識人の殺害に「権力マフィア」ネットワークの存在があることを暴き出したことでモルタザビによって6年間投獄されたアクバル・ガンジは、政権に挑戦し、体制による恐怖の植え付け反対して、一貫して人権の擁護のために戦っているひとりだ。
イランの作家、活動家、ガンジのようなジャーナリストは、イランの将来のための戦いの中心である戦場の最前線にいる。彼らは民主主義への精密爆弾になろうとはしていないし、革命を始めるために資金援助をも求めていない。彼らは社会を内から変えようと、平和的ではあるが確信を持って戦っている。国連がせめてできることは、イラン国民のためというより、それ自身の正当性のために、モルタザビのような、人権と人間の自由に対する悪名高い敵対者をその中から追い出すことである。
*ナスリン・アラビ イラン生まれの英国系イラン人。英国の大学に学び、ロンドンで働いた後、イランのNGOで活動する。現在は英国在住。著書「We Are Iran: The Persian Blogs」
本稿は独立オンライン雑誌www.opendemocracy.netに発表された。
原文
http://www.opendemocracy.net/democracy-irandemocracy/human_rights_3677.jsp
(翻訳 鳥居英晴)
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