【openDemocracy特約】ガザのハマス民兵とレバノン南部のヒズボラ・ゲリラの動機と意図は、中東での現在の紛争の方向に影響を与える上で、明らかに重要な要素になるであろう。方向に影響を与える上で同じように重要なのは、7月16日から17日のハイファへのミサイル攻撃に対するイスラエル国防軍(IDF)の反応である。攻撃では、8人の鉄道作業員が死亡、数十人が負傷し、18日にはさまざまな標的に対する集中攻撃があった。
イスラエルのエフド・オルメルト首相と、アーミル・ペレツ国防相は最初の攻撃の後、「大規模な事態」を警告し、イスラエルが関与した「現実を転換させる」と明言した。しかし、イスラエルがここ数時間と数日の間に決定することは、最近の軍事経験だけできめられるのではなく、レバノンでの以前の介入の長い記憶にも頼るであろう。
組織に蓄積された記憶は重要である。なぜならIDFが1980年代に経験した大きな挫折が、現在は幹部指揮官になっているIDFの若い将校に影響を及ぼしたからである。文民のオルメルト首相を含めたイスラエル内閣は、軍事経験を持った人物が比較的少ない。そのような時に、彼らはそうした地位を占めている。その結果、政治指導部は通常より、現在の軍事司令部により強く影響を受けやすくなっている。
司令部にとって、1982年から1985年にかけてのレバノン南部でのIDFの経験の記憶は、いまだ新しい。1982年6月6日に始まったシャロンの「ガリラヤ平和作戦」は恐らく、パレスチナ民兵がイスラエル北部に向けカチューウシャロケットを発射するのを阻止するめのものであった。だが、パレスチナ解放機構の本部を破壊するためにベイルートに向け北に移動する前に、レバノン南部の大部分を占領する試みになってしまった。
国際的圧力でIDFは結局、西ベイルートから撤退させられた。それまでに、包囲された1万人以上の民間人が殺された。1982年9月には、サブラとシャティーラのパレスチナ難民キャンプでのファランジストによる虐殺(訳注1)があった。ベイルートからの撤退後、IDFはレバノン南部の大部分を占領し続けた。そこではIDFは、新しい反占領グループ、ヒズボラからの抵抗にあった。彼らは、レバノン南部とベイルートの大部分に住む少数派シーア派社会の中で幅広い支持を獲得した。
1982年から1985年の3年間は、ゲリラは待ち伏せ攻撃と自爆攻撃に熟達して、ますます自信をつけ、IDFには激しく、鍛えられる経験となった。1985年までに、IDFはレバノンの最南部を除いて全面的に撤退することを迫られ、その過程で500人の兵士の命が失われた。40年近い国家としての存在の中で、イスラエル軍にとって最も明白な敗北となった。
この前例は、今日の紛争と極めて関連している。これに比較される例がある。1956年のスエズをめぐる英国の屈辱は、英国の若い海軍将校が育つ上での影響を与え、彼らが幹部将校として1982年にアルゼンチンとフォークランド戦争を戦った際に、彼らの展望を深く特徴づけた。米国の軍事指導部は、クウェートをめぐる1991年の湾岸戦争をベトナムでの経験を清算するものと見なした。同じように、現在のIDFの指導者は、ヒズボラによる以前の経験の影響を強く受けている。
イスラエルの新しい脆弱性
同時に、イスラエル人の肩にかかる歴史の重みは、必然的に現在の文脈のごく一部である。近年、イスラエルは単独主義の立場を展開させた。それは、ガザからの撤退とヨルダン川西岸からの部分的な撤退を基にしている。イスラエルを安全に保つため、巨大な壁と電流の通った防壁で囲まれた、まったく自立できないパレスチナという存在を残した。ガザから発射される低性能のロケットとレバノン南部から発射される高性能なロケットは、イスラエル人にとって、この政策が役に立たないことを示す最初のしるしである。
最初の危機は、ハマスの民兵が国境の地下深くトンネルをイスラエルまで掘り、イスラエルの兵士、ジラード・シャリートを6月29日に拉致したことによって引き起こされた。これだけでも厄介な問題だったが、7月12日のヒズボラの越境侵入は、ハマスと呼応したかどうかは別にして、もっと厄介であった。ジラート近くのイスラエル・パトロール隊への攻撃があったため、イスラエル軍が襲撃者を追跡した。世界で最も強力な戦車のひとつである重装備のメルカバ戦車が1300キログラムの爆弾で破壊され、5人のイスラエル兵士が死んだ。
直後の拡大で、イスラエルはレバノンへの数次の空襲を行い、ヒズボラはイスラエル北部へ、イスラエルの内部奥深く到達可能な新しいタイプのカチューシャ・ロケットを含む無誘導ロケットを打ち込んだ。最も目立ったのは、イスラエル海軍のサール5級ミサイル艦コルベットへの攻撃で、4人の乗組員が死亡し、同艦は大破した。
Ahi―ハニトは同級の3隻のうちひとつである。すべてイスラエルで設計され、米国で建造された。イスラエル海軍で最大で、最も防備が固い戦艦である。西側の水準では小型であるが、東部地中海での制海のため、“ステルス”の機能を持ち、巡航ミサイルに対して地点防空システムも備えている。Ahi―ハニトがベイルート国際空港を攻撃している時に、ヒズボラの部隊が発射したふたつのミサイルのうちひとつが当たった模様だ。ひとつのミサイルはそれたが、別のがヘリコプター・デッキ地域に当り、大きな損害を与え、4人の水兵が死亡、同船は沈没しかかった。
イスラエルからの未確認の報道では、そのミサイルはC−802対艦巡航ミサイルで、中国製のシルクウォーム・グループとよく呼ばれるものの変種であった。IDFがそのようなミサイルがレバノンに配備されていたことを知っていたか、明らかでない。そのミサイルはレーダーで制御され、十分な「対妨害電波」能力を持っているが、サール5級コルベットは、そのような攻撃に対して、特に設計され、装備されていた。
それによる不気味な側面のひとつは、そのミサイルがレバノンでヒズボラと行動をともにしているイラン革命防衛隊の特別部隊によって発射された、というIDF筋からの話である。これが正しいかどうか別にして、このことは、現在の拡大にはシリアとイランの影響が見えるため、米国の介入が必ず必要になるというワシントンでの声高な議論に拍車を掛けている。(ネオコン雑誌Weekly Standard参照 訳注2)
ヒズボラの侵入、Ahi―ハニトへの攻撃、ハイファへのミサイル攻撃とすべてが立て続けに起き、IDFは国際的な反感から休止を強いられる前に、即時、大規模行動をとるという以前のパターンで応じている。レバノンでの現在の爆撃作戦は、ふたつの目的がある。さらなるミサイルとロケットの発射を阻止するために、輸送体制とヒズボラの兵站ネットワークに損害を与えることと、レバノン人に懲罰を加え、レバノン軍にヒズボラを抑えさせるために、レバノン経済を大規模に標的にすることである。
どちらもうまくいくという見通しは、ほとんどない。ヒズボラは1万2000以上のロケットとミサイルを保持していると伝えられる。そのほとんどが107ミリと122ミリの無誘導カチューシャ・ロケットで、後者は最大30キロメートルの射程を持っている。だが、ハイファへの攻撃は、40キロメートルの射程を持つ、より強力な240ミリのファジル3を使用した可能性を示していそうだ。さらに、7月16日のずっと内部のガリラヤのアフラへのミサイル攻撃は、70キロメートルの射程を持つ、333ミリのファジル5が実戦配備されているのかもしれないことを示している。
ヒズボラの膨大なミサイルの備蓄は何年もかかって築かれ、レバノン南部で複雑に分散されて、配備された。このことは、もしヒズボラが武装闘争を続けていく気なら、レバノン南部に全面的な侵入だけが、さらなる攻撃の実行を阻止することができる。
ヒズボラに損害と懲罰を与えて、レバノンがヒズボラを抑制するようにさせるというイスラエルの意図については、7月17日のレバノン陸軍と海軍部隊へのイスラエルの攻撃は、そのような政策の存在自体に疑義が生じる。もし、レバノンがヒズボラを統治するよう「促される」なら、レバノン軍を攻撃することは意味がない。
このことは、大規模爆撃の継続は、IDFが数日内に大規模な地上攻撃を起こす準備ではないかと言うことを示唆する。イスラエルが空襲を、ヒズボラへの武器と装備の輸送に使われている空軍基地などシリアの特定の標的に拡大する可能性もある。実際、IDFがヒズボラへの支持を抑制するようイランへの警告として、イランのミサイル工場のひとつかそれ以上への長距離空襲をすることも考えられないことではない。
レバノンの施設への攻撃を続けることと、シリアとイランの特定の場所を標的にすることは、ヒズボラにはほとんどか、まったく影響を与えないであろうし、地域全体に反イスラエル、反米ムードを大いに増すことになるであろう。それでもイスラエルを止めさせることはできないであろう。7月16日のサンクトペテルブルクでの先進8カ国首脳会議で出された声明で減じることはない、ワシントンからの強力な支持があるからである。
イスラエル社会は、ある程度まで、ここ数日の経験で精神的なショックを与えられた。この意味において、イスラエルの政治指導者がハイファへの攻撃はすべてを変ると言っているのは正しい。イスラエル人は、軍事力とパレスチナ地域の圧倒的な支配を通じて高度の安全保障を得たと思っている。しかし、それが期待できなくなったいま、脆弱になった。
戦争挑発か和平か
外部からの介入だけが、数日内の大幅な拡大を阻止するであろうが、米国や英国からそのような介入がくる兆しはない。トニー・ブレア政府も、シリアとイランのせいにした。欧州連合がその影響力を行使する機会であったかもしれないが、その筋からの指導力の兆しはない。国際平和維持軍をレバノン南部に派遣するというコフィ・アナン国連事務総長とトニー・ブレアからの提案は、イスラエルが断固として拒否した。
ヒズボラが、イスラエルの脆弱性を実証して十分な政治的進展を達成したと判断しない限り、ヒズボラは引き下がりそうにない。仮にヒズボラがそうしても、IDFは自制しないであろう。1980年代の敗北の記憶は、イスラエルの軍幹部将校の心に重く、苦い重荷になっている。それが現在の危機が非常に危険で、地域全体に拡大する可能性のあるひとつの理由である。
*ポール・ロジャーズ 英ブラッドフォード大学平和学部教授。openDemocracy国際安全保障担当編集長、オックスフォード・リサーチ・グループのコンサルタント。著書「暴走するアメリカの世紀―平和学は提言する」(法律文化社)
本稿は独立オンライン雑誌www.opendemocracy.netに発表された。 原文
http://www.opendemocracy.net/themes/article.jsp?id=2&articleId=3743
訳注1 パレスチナ難民虐殺事件
http://www.mainichi-msn.co.jp/yougo/archive/news/2006/01/20060112ddm007030112000c.htm
訳注2 It's our war
http://www.weeklystandard.com/Content/Public/Articles/000/000/012/433fwbvs.asp
(翻訳 鳥居英晴)
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