イスラエルのレバノン攻撃は、ヒズボラが2名のイスラエル兵士をイスラエル領内で捕虜にしたことが発端とされているが、それでは、イスラエルはレバノンの主権を尊重してきたのだろうか?イスラエルによるレバノンの主権蹂躙はこれまで数え切れないほど発生しているが、ここでは領空侵犯の問題を取り上げよう。イスラエルによる領空侵犯を記録していた国連の国境監視員たちは、10回以上も、イスラエル側に爆撃を止めるようにと電話し、「止める」という答えを得ていたにも関わらず、精密誘導弾で殺されてしまった。それは何のためだったのか。イスラエルの大学で教鞭とるラン・ハッコヘンが、同国内部でこの事件がどのように説明されているか、その雰囲気を伝えるとともに、国連監視員たちが残したイスラエルによる領空侵犯の記録を紹介する。(TUP速報)
原題: イスラエルはレバノンの主権を尊重したか? −国連監視員はなぜ殺された
ラン・ハッコヘン(オランダ生まれのイスラエル育ち。現在、 イスラエルの大学で教鞭とり、日刊紙Yedioth Achronothで文芸 評論家として活躍中)
イスラエルからの手紙(2006年7月31日付け) http://antiwar.com/hacohen/
オープンで独立的かつ多元的という点で、戦時下イスラエルのメディアに比肩できるものなどない。土曜日のイスラエル公共テレビ(チャネル1)では、名誉棄損防止組合*全国理事長アブラハム・フォックスマンが、ことのほか不愉快なホラー・ショーで視聴者を堪能させてくれた。フォックスマンは、国連事務総長コフィー・アナンの 「4名の国連監視員は、明らかに、イスラエルによって故意に殺害された」という発言の解説者として出演したのである。この高名な海外ニュース報道番組による「インタビュー」は、この件の「専門家」として彼を選んだ奇妙さから、そのインタビューのスタイルと内容に至るまで、最悪の暗黒政権からのプロパガンダによく似ていた。司会者のヤコブ・アーキマイヤーは、監視員の殺害は「事故だった」ので、そうでないと主張するアナン個人の精神病理こそ調査すべきだと、再三再四、当然のごとく繰り返した。
注* ユダヤ人差別に反対して1913年に結成され、今日では、あらゆる差別撤廃 を目標とし、全米30州に支部をもつ世界最大の NGO。
フォックスマンも、アーキマイヤーに熱烈に同調した。アナンは、最近まで、ホロコーストを世界的に記念させた功績により、非常に尊敬を集めていたのだが、フォックスマンは、民衆扇動家の汚いトリックを使い、その評判を貶めることに成功した。つまり、国連事務総長は(フォックスマンは、繰り返し「国務長官」と誤称)、死んだユダヤ人だけが好きで、生きているユダヤ人は嫌いなのだと中傷したのである。さらに、アナンには「ホロコーストによる罪悪感」があると非難したが、それでは、まるで、ヒトラーのユダヤ人根絶部隊の大部分が当時のアナンのようなガーナの黒い子供たちで編成されていたかのようではないか。
この頭に血の上った扇動家は、反語を使って、「ユダヤ民族が意図的に国連監視員を殺すなど、誰が想像できるだろうか?」と主張した。なんと、フォックスマンは、実際に、「ユダヤ民族」という言葉を殺人の下手人という意味で使ったのである。つまり、個々のユダヤ人の行為・非行為のすべてに対して「ユダヤ民族」全体を非難するという、伝統的反ユダヤ主義と悪名高い血の中傷*の先例に倣ったのだ。
注*ユダヤ人がキリスト教徒の子供を殺して、その血を過ぎ越し祭りに使うという中傷。
この気狂いじみた段階で、司会者は、一度ならず二度までも、国連はイスラエルを世界地図から抹消したいのだと「示唆」して、さらに火に油を注ごうとした。残念ながら、フォックスマンは、そこまで舞い上がるつもりはなかった。フォックスマンは、国連はイスラエルに「出生証明書」を与えたが、それ以来、イスラエルとは「愛と憎しみの関係」にあると示唆するにとどめた。しかし、その理由は、やはり、キリスト教徒は死んで埋葬されたユダヤ人だけを愛し、「自らを防衛する」強いユダヤ人を愛さないからなのだそうだ。
インタビュー開始前、司会者のアーキマイヤーは、フォックスマンをアナンの友達として紹介し、このインタビューの後で二人が互いに口をきくことがあるだろうかと危ぶんでいた。私としては、フォックスマンの精神状態に感染性がないと医師が保証しない限り、彼のような「友達」には近づかないよう、心からアナンに忠告したい。
監視員たちが見たこと:
先週、イスラエルによって殺された4人の国連監視員たちは、10回も、イスラエルの連絡将校に電話し、爆撃の停止を強く要請した。イスラエル軍は爆撃停止を約束した。そして、実際に停止したが、それは、監視員たちが殺された後だった。下記のクロニクルは、国連レバノン暫定軍(UNIFIL)の公式記録から転写したものだ。これを、この紛争で死んだ者たちの代表として、平和的使命を遂行していたにすぎない4名の非武装の国連監視員たち(中国、フィンランド、オーストリア、カナダ出身)に捧げる。生きている者たちの代表としては、イスラエルが、22年間のレバノン占領を終結した2000年以来、レバノンの主権を尊重してきたと唱え続けるすべての人々と、ヒズボラによるイスラエルの主権侵害が、豊かな国土全体を徹底的に破壊する十分な口実になると見なす人々に、この記録を献呈するものである。
国連クロニクル(抜粋)
国連レバノン暫定軍に関する事務総長の中間報告 2001年4月30日: 「国連決議案の履行*以来、状況は基本的に変らないが、シャアバ農場をめぐる紛争はさらに発展した。相変わらず、地上でのブルーライン**の軽微な侵犯も頻発した。さらに、ほぼ連日、イスラエル機によるブルーラインの侵犯があり、それらはレバノン領空深く侵入した。私は当事者やその他の関係当局と接触して、ブルーラインの遵守を強く要請し、事態の深刻化の回避に努めた」
注* 2000年のイスラエルのレバノン撤退を指す。 注** 国連がイスラエル/レバノン間に設定した境界線。イスラエル軍撤退ライン とも呼ぶ。
2000年7月18日〜2001年1月18日: 「イスラエルによるレバノン領空侵犯は、11月7日のヒズボラからの攻撃後に再開され、ほとんど連日遂行された」
2001年1月23日〜2001年7月20日: 「4月に報告したように、イスラエル機は、ほぼ連日、ブルーラインを侵犯し、レバノン領空深く侵入した。それらの中でも、低空を飛行し、人口稠密地域の上で音速の壁を破るイスラエル機は、特に挑発的であり、一般市民に大きな不安を与えた。イスラエル当局への再三の抗議にも関わらず、領空侵犯は続行している 」
2001年7月21日〜2002年1月16日: 「しかし、イスラエルによる空からのブルーライン侵犯は、連日のように遂行され、レバノン領空を深く侵犯している。これらの侵犯は正当化されないものであり、一般市民に大きな不安を与えている。特に、人口稠密地域で音速の壁を破る低空飛行は害が大きい。私やその他の国連高官および多数の関係政府は...イスラエル当局に対して抗議を繰り返しているが、領空侵犯は続いている」
2002年1月17日〜2002年7月12日: 「不当なイスラエルのレバノン領空侵犯は、この調査報告期間中、連日のように続行し、しばしばレバノン領内に深く侵入して、衝撃波を頻繁に発生させた。4月後半には、海上にいったん飛び去って、UNIFIL戦域北方でレバノン領空に侵入することによって、UNIFILによる直接の観察と確認を避けるという侵犯パターンが出現した。1月には、ヒズボラがこれらの領空侵犯に対空砲火で応じ始めた。これは現在まで続いている。多くの場合...砲弾はブルーラインを横切った。領空侵犯の停止を求め、イスラエルに電話連絡を...」
2002年7月13日〜2003年1月14日: 「イスラエルによるレバノン領空侵犯は散発的だが、定期的な休止期間は急激な侵犯件数の増加で破られ、その状態が数日に渡る。11月に2回、2000年5月のイスラエルの南レバノン撤退以来記録されたどの侵犯件数も上回るイスラエルの領空侵犯が観察された。これらの侵犯機の多くは、レバノン領空深く侵入し、しばしば、人口稠密地域で衝撃波を発生させた。前の調査報告で特定したように、いったん海上に飛び去ってから、UNIFIL戦域北方でレバノン領空に侵入することで、UNIFILによる直接の観察や確認を避けるというパターンが続いている」
2003年1月15日〜2003年7月23日: 「もっとも重大な緊張の源は、イスラエルによる執拗なレバノン領空侵犯と、イスラエルの村落の方向にブルーラインを超えるヒズボラの対空砲火であった...7月初旬以来、侵犯数は減少しているが、この調査報告期間を通じ、全体として、イスラエル機のレバノン領空侵犯は増加した。UNIFILによって、ほぼ連日、ブルーラインの侵犯が記録された週もある。以前同様、イスラエル機はレバノン領空に深く侵入し、しばしば、人口稠密地域で衝撃波を生成した」
2003年7月24日〜2004年1月19日: 「イスラエルによるレバノン領空侵犯が引き続き頻発した。領空侵犯は、時たま減少したが、少ないか全くない期間の後、また激化した...ヒズボラの応酬も続行した...」
2004年1月21日〜2004年7月21日: 「ブルーラインを侵犯する破壊と戦闘のサイクルが、5月5日に始まった。イスラエル空軍は、レバノン上空に20回以上も出撃し、その多くが衝撃波を生成した。それに対し、ヒズボラは数回の対空砲火で応じ...」 「イスラエルによる領空侵犯の回数は、全体として、前期間より減少したが、その激しさと機体数の多さは注目に値する。イスラエル当局は、イスラエルが必要と見なす場合はいつでも領空侵犯を行うと言明した。以前同様、イスラエル機は、しばしば、深く侵入し...人口稠密地域で衝撃波...海上に飛び去り...直接観察されることを避け...」
2004年7月21日〜2005年1月20日: 「この調査報告期間を通じ、イスラエルによるレバノン領空侵犯は続行した。イスラエル当局は、イスラエルが必要と見なす場合はいつでも領空侵犯を行うと言明した...相変わらず...」
2005年1月21日〜2005年7月20日: 「過去6か月に渡り、ブルーラインの侵犯は続行した。これらの侵犯は、多くの場合、イスラエルのジェット、ヘリコプター、および無人偵察機によって繰り返される領空侵犯と、レバノン側(主に、レバノン人羊飼い)による地上での侵犯であった...イスラエル空軍は領空侵犯を続行し...レバノン領空深く...衝撃波...イスラエルが...と見なす場合はいつでも...」
2005年7月22日〜2006年1月20日: 「この調査報告期間中、何回も、イスラエル空軍はレバノン領空を侵犯し、ブルーラインに沿った比較的静かな環境をかき乱した...11月には、ジェット機、ヘリコプター、無人偵察機による無数の領空侵犯があり、とりわけ騒がしく挑発的であった...ヒズボラが対空砲火でブルーラインを侵犯した事例はなかった...」
2006年1月21日〜2006年7月18日: 「執拗で挑発的なイスラエルによる領空侵犯は...引き続き深刻な懸念の源だった...4月の侵犯件数減少は、ブルーライン沿いに相対的な静けさもたらしたが、この流れは5月に反転した」
監視員たちがもはや監視できないこと:
6年前のイスラエルのレバノン撤退以来、イスラエルは、一日たりとも、北方の隣人に穏やかな日を与えたことがない。国連が同じ報告を繰り返せば繰り返すほど、メディアの注目は少なくなっていく。そして、イスラエルがヒズボラの目的に疑惑を抱くのと全く同様に、レバノンも、イスラエル機による何千回もの領空侵犯と衝撃波の目的をいぶかることができるし、われわれすべても、そうすべきなのだ。あのような侵犯行為は、イスラエルの衛星では入手できない情報収集のためだったのだろうか。むしろ、「イスラエルが必要と見なす場合はいつでも」レバノンの主権を侵害できると見せつけて、レバノン国民を威嚇することが目的だったとする方がはるかに的を射ているのではないか。
そして、国連監視員の殺害については、イスラエルが監視員たちに監視させたくなかったことを推測するしかない。それはクラスター弾だったのか?他の犯罪だったのか?もはや知るよしもないのだ。 (翻訳 丸田由紀子/TUP)
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