【openDemocracy特約】過去15年間にわたるソマリアでの戦争と内戦で、ソマリアを観察してきたソマリ人も外国人も、この国の問題の解決はソマリ人自身の間で合意ができて初めて可能であると理解した。実際、1995年に国連部隊がソマリアを撤退して以来、国際社会はいつもソマリ人にソマリアの持続可能な未来は「彼ら自身の手の中にある」と言ってきた。確かに、外国はソマリアに関する競合する利益を追求したし、多くの和平会議が国外で開かれた。だが、世界の外交官はいつも、ソマリアだけに圧力を掛けて解決策を見いだそうとした。これが今や、潜在的危険性が伴うような形で変わった。
2ヶ月前はまったく違った。6月にはソマリアの政治情勢は、慎重な楽観論に根拠を与えたかのように見えた。イスラム法廷連合(訳注1)は大きな民衆の支持を背景に、首都のモガディシオを含む国土の広い地域から軍閥とその民兵を追い出しつつあった。無政府状態と混乱が何年も続いて、イスラム法廷連合は表面的にはシャリア(訳注:イスラム法)の穏健的解釈に基づいた統治モデルを示した。安全と秩序に餓えた人々は、それを受け入れる用意があったのかもしれない。
一方、バイドアを本拠にした弱体なソマリアの暫定政府は、イスラム法廷の増しつつある支配権を認めざるをえず、新しい勢力と対話に応じる用意がある姿勢を示した。暫定政府は、ケニアでの2年間にわたる困難な協議の末に結ばれた和平協定の結果生まれた連合政権である。
武力、戦争に疲れたソマリ人の支持、この国が必要としているもの理解していること、そうしたことが組み合わさって、そのような対話が、長く求められてきた政治解決の基礎になるかもしれないと一瞬、思えた。そうにはならず、ふたつの権力の中心は、それぞれが異なったイデオロギーの方向を持ち、ソマリア人の本物の声として第一義的な正統性を主張し、モガディシオとバイドアで立場を固めた。
つい最近、ソマリアのふたつの隣国が国内混乱に積極的に関与するようになって、新たな要素がその混乱に加わった。それぞれが台頭しつつある側を強化しようとした。ソマリアの大きな歴史的対立者であるエチオピアはバイドアにある正式政府を支持し、エチオピアが過去30年間に2回戦争をしたエリトリアはイスラム法廷を支持している。
地域問題
ソマリアをめぐるこの戦略的対立関係は、エチオピア部隊が暫定政府を支援するためソマリアへ侵入したことが報道されて初めて、明らかになった。エチオピアは公式にはソマリアに軍隊を送ったことを認めていないが、国連も独立ジャーナリストも政府の臨時本拠のバイドアともうひとつの拠点、ワジドでその駐留を確認している。エチオピアはいずれにせよ、ソマリア政府を軍事的・政治的に支持し、イスラム法廷勢力の壊滅を助ける意図を宣言している。
イスラム法廷の反応ははっきりしている。エチオピアに対して「聖戦」を訴え、そのために民兵を動員した。モガディシオでの反エチオピア集会でイスラム法廷の指導者、シャリフ・シェイク・アフメドは、エチオピアの介入はソマリアの主権の侵害で、断固として反対しなければならないと言った。「エチオピアは、これを必ず後悔することになる」と言った。
しかし、イスラム法廷は。それ自身にも外国の支援者がいる。武器と見られる詳細不明の荷物を積んだ飛行機がモガディシオ空港に2回にわたって密かに着陸したことから明らかである。どこからきたかははっきり確認されていないが、すべての兆候から、それはエリトリアである(訳注2)。
米国の立場は、エリトリアがソマリアの国内紛争に実際に関与しているという暫定政府の見解と同じである。ジェンダイ・フレイザー米国務次官補(アフリカ担当)はコンゴ民主共和国の選挙を監視している際に、エチオピアとエルトリアに対してこの危機に手出しをしないように警告した。しかしフレイザーは、国際社会は暫定政府が自立できるよう援助すべきであると言って、米国政府がどちらを支持しているか明確にした。
これら外国の介入の論理は、ソマリの危機はもはやソマリ人に任せていられないというものである。しかし、地域のその他の国からのこの「支援」は、主要なソマリ勢力の間の対立を短縮するのかそれとも長引かせるのであろうか。
これまでの兆候では、それは後者に向かっている。エチオピアの駐留は、ハルツームで開かれるイスラム法廷と政府との間の会談の開始を遅らせる要素である(訳注3)。イスラム法廷の指導者は、外国軍隊がソマリアにいる限り政府と交渉しないとしており、バイドアにあるソマリ議会もエチオピアの駐留に反対している。
アフリカ連合の解決策
イスラム法廷の言っていることは、エチオピア問題に関することよりももっと幅広い関連がある。アフリカ連合の政府間開発機構(IGAD)によるイニシアチブも検討されている。エチオピア、エリトリア、ソマリアもIGADの一員である。もし実行されれば、これは大陸の他の地域から平和維持部隊がソマリアに入ることになる。
その提案はまだ初期の段階にある。アフリカ連合は派遣される部隊の期間、権能、数を承認していない。アフリカ連合はまず、国連がソマリアに対する武器禁輸を解除することを望んでいる。一方、アフリカ連合の2ヶ国が介入することよって禁輸を既に破っているようだ。
IGADへの参加とは関係なく、エリトリアとエチオピアがソマリアで一方的行動を取り、伝えられるような介入していることは、アフリカ連合に対する強いな挑戦である。アフリカ連合は近年、特にスーダン西部のダルフールでの作戦のように、野心と指導力をますます見せている。とにかく、アフリカ連合の提案には3つの障害物がある。
第一に、IGADの2カ国のメンバー、エリトリアとジブチがそれに反対している。もう2カ国のスーダンとウガンダは、ソマリアのすべての当事者が展開に同意し、休戦を宣言すれば兵を派遣すると言っている。これはエチオピアを再び、台風の目におく。エチオピアがアフリカ連合軍に参加する意思を表明した場合、エチオピアがソマリア国内での分裂に既に拍車を掛けている時に、地域の国々の対立を招くかもしれない。
第二に、最近米国によってつくられた米国、英国、ノルウェー、タンザニア、スウェーデン、イタリアで構成されるソマリア連絡調整グループは、ソマリアに部隊を派遣することに反対している。
第三に、その提案は地上の状況が大きく違った時になされた。アフリカ連合の考えに強く反対しているイスラム法廷は当時、事実上、ソマリアのどの部分も支配していなかった。現在彼らは、米国が支援する軍閥を破って、ソマリア南部の10の地域のうち5つを支配している。
これは、アフリカ連合にとって重要な試練である。ソマリア内部での権力のバランスの変化に照らして、元の案に固執すべきか、それとも柔軟性を示すべきか。一方的な決断を下した加盟国の影響力を抑制しようとすべきか、それともソマリアの国内の混乱のなか、どちらの側につくべきか。
これまでのところ、アフリカ連合はソマリアへのエチオピアとエリトリアの介入に沈黙を守っている。だが、もし部隊をソマリアに派遣するという案を追求するなら、いつまでもそうしていられない。
その問題を考えるのに際しアフリカ連合は、米国が主導したソマリアでの国際軍事介入の憂鬱な歴史を思い起こすかもしれない。その平和維持ないし平和構築の任務は、その権能がどうであったにしろ、失敗した。ナイジェリア、ボツワナ、ジンバブエなどアフリカの数カ国は、1990年代初めの国連が実施した任務に参加した。地元の人々との関係はよかったが、その実験は辛い失敗に終わった。新しいアフリカ連合の派遣部隊は、10年前の2万2000人の部隊よりうまくやれるであろうか。
もうひとつ非常に警戒すべき要素がある。ソマリアの暫定政府はその主な敵対者たちよりも少ない領土しか支配しておらず、全土の主要な対立グループと和解できないできた。外国部隊の展開は、外交を通じたソマリアの対立している当事者との調停それに当事者同士の和解の後で、成功するであろう。そでなければ、エチオピアの介入のように一方的な押し付けのように見えるかもしれない。アフリカ連合がどのようにこの問題に対処するかは、部隊の生命とともに、その信頼性にきわめて重大になる。
オガデン問題
一方、エチオピアとエリトリアはソマリアについてどのような考えでいるのか。エリトリアがイスラム法廷を支持するのは主に、エチオピアの地域における地位に挑戦することのようだ。エチオピア自身は、この3ヶ国の中で最大で地域の主役であり、ソマリアにかかわる野望からその戦略が非常に重要なものになっている。
エチオピアとソマリアは数世紀にわたって、宗教によって分けられていた。エチオピアはキリスト教国、ソマリアはイスラム教国。両国は、地域での英帝国の遺産のひとつである領土紛争をめぐって争ってきた。英国は1948年、ソマリ人が住むオガデンを保護地域としてエチオピアに与えた。両国はこの土地の領有権を主張しており、その領有をめぐり1964年と1977年の2回戦った。
ソマリアは常に、エチオピアに対してオガデンの返還を要求してきた。その地域のソマリ人居住者に対して、将来について彼ら自身の意見を表明するように求めてきた。エチオピアは常にそれを拒否してきた。気候による原因とこの紛争のために、オガデンはエチオピアで最も未開発の地域のままになっている。
エチオピアがソマリアの政府が友好的であるよう気遣うのは、この歴史が説明している。ソマリアで強力なイスラム教の政府が出現するのは、この枠に収まらない。イスラム法廷はオガデンがソマリアに属すると固く信じている。
加えてエチオピアは、ソマリアのイスラム勢力がエチオピアのメレス・ゼナウィ首相の政府と戦っているオガデン民族解放戦線とオモロ解放戦線のふたつの反政府グループを支援するのではないかと恐れている。
いばらの道
ソマリア政府は最近、多くの閣僚の辞任に見舞われている。辞任している閣僚のほとんどは、アリ・モハメド・ゲディ首相がイスラム法廷と交渉しないことを非難している。政府は、バイドアにある議会が7月30日、内閣不信任決議を13票のわずかの差で否決したことで信任された。ソマリア政府が部隊の派遣など国際社会からの援助を求めているのは明らかであるが、アブドゥラヒ・ユスフ大統領は議会の中からイスラム法廷と交渉するよう圧力を受けている。
その結果として少なくとも現在は、こう着状態になっている。重要な問題は、新しいソマリア国家の基礎である。イスラム法廷は、憲法の枠組みを完全に見直さないのであれば、新しい政府を支持しないかもしれない。彼らは政治的イスラムが唯一の道であると信じている。
これはイスラム法廷の指導者のひとり、ハッサン・ダヒル・アウェイス(訳注4)の言葉に浮き彫りにされている。非イスラムの憲法とイスラムの憲法のどちらかを選ぶことになったら、「この点においてはっきりしている。よって、“中間にしよう”と言うことはない」
アブドゥラヒ・ユスフ大統領は、イスラム組織と政治的イスラムを断固拒否する非宗教的な政治家である。同時に、イスラム法廷の指導者に閣僚ポストを提示しながら、政治に干渉しないように求めるかもしれない。
ソマリア内部で分極化した立場の間では、妥協の余地はないようだ。それらは外部の介入で複雑化するだけである。両者が最終的に会談したとしても、ソマリアの前途はいばらの道である。ソマリア人は新たな流血を避ける道を見つけ出さなければならない。アフリカの近隣諸国からの自己本位の干渉ではなく、建設的な援助と支持が必要かもしれない。しかし最終的には、ソマリ人が自分たちのためにそれをしなければならない。
*ハルン・ハッサン AP通信、BBCソマリア語サービスで働いた後、フリーランスになる。
訳注1 6月に首都を制圧後、「イスラム法廷会議」に改名したと伝えられるが、原文に従った。
訳注2
http://english.aljazeera.net/NR/exeres/685153D7-BCCB-4699-BF45-0F639F0383D1.htm
訳注3 8月上旬に再開の予定であったが、イスラム法廷は延期を要請した。
訳注4 アウェイス師は1990年代に同国で活発に活動していた原理主義組織「アル・イティハド」の創設者。米政府は2001年の中枢同時テロ以降、アルカイダと関係のあるテロリストとみなして非難してきたが、本人は関係を否定している(共同通信)。
参考 ソマリア内戦 ウィキペディア
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BD%E3%83%9E%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%86%85%E6%88%A6
ソマリランド http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Lake/2917/hikounin/somaliland.html
本稿は独立オンライン雑誌www.opendemocracy.netにクリエイティブ・コモンのライセンスのもとで発表された。
原文
http://www.opendemocracy.net/democracy-africa_democracy/somalia_3789.jsp
(翻訳 鳥居英晴)
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