マレーシア政府は独立50周年を迎える2007年を「マレーシア訪問年」に指定、訪問者2010万人を目標に掲げ観光客の誘致に力を入れている(*1)。その陣頭指揮をとるのは、今年2月の内閣改造で新たに観光相に就任したアドナン・マンソル観光相だ。同相にマレーシア訪問年を控えての目標と展望、日本人客誘致に向けての戦略などについてきいてみた。(クアラルンプール=和田等)
(*編注1)マレーシア訪問者数は05年が1450万人で、06年の目標は1760万人。07年の誘致2010万人は野心的な目標といえる。
──まず、観光相としての抱負を聞かせて下さい
「新任の観光相として私は、2006年からの5カ年国家開発計画である第9次マレーシア計画で打ち出された観光業に対する目標の実施に力を注いでいくつもりだ」
「このほかに2007年のマレーシア訪問年をPRしていく任務がある。来年はマレーシアの独立50周年を迎える節目の年でもあり、多文化、多宗教、多民族社会の中で平和を保っているマレーシアの歴史の歩みを示す重要な一里塚を印す年でもある」
──マレーシアの観光業の将来像に関する具体的な目標や方針は
「観光業の振興戦略は、観光業が外貨獲得や起業家精神の開拓、雇用の創出などの面で重要な成長のエンジンになるとの認識に基づいて策定することになる。観光業が持っている潜在力を全面的に開拓することで、世界的にも秀でた旅行先としてのマレーシアの地位を強化していく試みとして次のような戦略を採択していく考えだ」
■持続可能な観光開発の実行 ■革新的な観光製品やサービスの開発強化 ■国内観光の促進 ■マーケティングとPR活動の強化 ■人的資源開発の推進 ■訪問者の快適さや安全、福利の保証
──マレーシアの観光業を売り出していくうえでもっとも重要な点は何か
「私たちは“マレーシア、本当のアジア”というキャッチフレーズを掲げ、多文化、多民族の住民の影響を内包する集合体としての好例を世界に提示している。マレーシアの人々の温かさと友好的な姿勢は典型的なアジア様式のホスピタリティーを反映したものだ」
「アジアの多様性はマレーシアの住民に見られるだけでなく、各種の食べ物や豊かな建築物、美しい自然の魅力にも見出すことができる」
──日本人にマレーシアをPRするため、どのような方策を採っているのか
「日本にあるマレーシア政府観光局の事務所は次のような策を実施してる」
■各種展示会や博覧会、消費者PR展、セミナー、ワークショップへの参加 ■各種印刷媒体・電子メディアへの広報 ■マレーシア政府観光庁のウェブサイトを通じたPR ■メディアや観光業界関係者に対する啓発・ファミリアリゼーション・ツアーを企画し、マレーシアに対する認識や評判をさらに高める
「また昨年には北東アジア市場向けにマレーシアをPRするため、日本のアニメ・キャラクター、“シティ・マレーシア”(*2)を使っての新たな広告キャンペーンを始めた。シティ・マレーシアは頭が良くて美しいマレーシア人女性をイメージしたもの。友好と文化交流、教育を通じて日本とマレーシアの2つの世界を結びつけることが役割だ。シティ・マレーシアを使ったPRを今後2年間にわたって展開する」
(*編注2)マレーシア政府観光局のウェブサイト(http://www.tourismmalaysia.or.jp/ )参照
──シンガポール、タイ、ベトナムなどの近隣国との違いは
「ASEAN(東南アジア諸国連合)の一員として、タイ、シンガポール、ベトナムは本来、マレーシアと似通った文化や自然を基礎にした観光の魅力をもっている。その一方でこれらの国との間には食べ物や歴史、文化の面ではっきりした違いがあるのも事実だ」
「そのため、それぞれの国が訪問者に異なった観光面での体験を提供できると言っていい。たとえば、タイには美しい島やビーチがあり、辛い料理を訪問者に提供している。シンガポールはすばらしいショッピング体験や刺激的な都市のライフスタイルを提供し、ベトナムは豊かな歴史や建築物、フランスの植民地時代の面影で有名だ」
「一方でマレーシアは幸運にもこれらのアジアの影響の交差点となる位置にあり、世界でも類を見ない独特な観光の資産を受け継いでいると言える。しかし、お互いが競争しあうのではなく、近隣国は観光客の間にASEAN間旅行を推進することで、お互いが補完しあえるような観光の体験を享受できる可能性を秘めている」
──マレーシア訪問年を推進するにあたりどんな戦略を練っているのか
「貿易展やセミナー、展示会。販促ミッションへの積極的な参加を通じてマレーシア訪問年の売り込み・PR活動を実施している。現在、私たちはマレーシア訪問年をPRするための巡回説明会を展開している。訪問年に対する認識を高めていく一環としてさまざまな国で記者会見を開いたり、一般向けの文化ショーを実施したり、トラベルマートやビジネス・ネットワーキング会合などを開催している」
「日本に関しては、日本人訪問者のそれぞれの要望に見合うような特別旅行パッケージを作りだし販売促進しているところだ。たとえば、クアラルンプールを日本の市場では“シティー・リゾート”と位置づけて売り込み、マレーシアの玄関口としてのKLを強調していく作戦を展開している。日本の旅行業界もKLを日本人にPRしていく作戦に非常に協力的な姿勢をとってくれている。またマレーシア訪問年のPR努力を成功に導くため、PRを管轄する専門チームを設置した」
──日本の退職者向けに「マレーシア・マイ・セカンド・ホーム・プログラム」(*3)を推進していくうえでどんな戦略を描いているのか (*編注3)このプログラムでは、50歳以上の人で15万リンギット(約450万円)をマレーシア国内の銀行に定期預金した人に10年間の滞在ビザを発給する。滞在1年後以降に、定期預金額のうち9万リンギット(約270万円)までを住宅購入や子どものマレーシアでの教育費用、自身の医療費目的で使用することができ、滞在1年目以降は6万リンギット(約180万円)を預金しておくだけで済む。
「プログラムには日本から肯定的な反応が寄せられている。実際、マレーシアは日本人の間でアジアの中でナンバー1のロングステイ先にあげられている(*4)。記録のうえでも日本人はマレーシアの政治的・経済的な安定を評価してマレーシアに居住することを望ましく思っていることが裏づけられている」
「このプログラムがシルバーヘアー・プログラムと呼ばれていた1996年から2006年5月までに、世界各地から参加したのは9642人。このうち426人が日本からだった。また現時点の記録によれば、1万2000人以上の日本人がマレーシアで働き暮らしている」
「推定1260万人といわれる、団塊の世代と呼ばれる55〜60歳の層が今後5年間に定年退職の年に達することを考慮して、私たちは今後も日本市場を開拓するための努力を続けていく。9月にドナルド・リム副観光相を団長とする訪問団を日本に派遣し、プログラムの売り込みを図るのもその一環だ」
「マレーシア人の生活様式やホスピタリティーを肌で実感してもらうため、まずはホームステイを体験してもらうことを考えている。ホームステイをプログラムの入り口として利用してもらうことが可能だと考えるからだ」
(*編注4)旅行代理店大手のJTBが東京日本橋に設置した海外ロングステイ・プラザの調べによれば、ロングステイの人気滞在先は最近、オーストラリアを抜いてマレーシアがナンバー1になった。
──シンガポールではカジノリゾートの建設を進めているが、マレーシアにどんな影響をおよぼすと考えているのか
「私が理解している限りでは、シンガポールにはマリナ・ベイとセントーサ島の2か所に総合リゾートが建設される。前者については国際入札の結果、米国のカジノリゾート業者ラスベガス・サンズが落札し、プロジェクトがスタートした。後者のプロジェクトは現在、入札の審査過程にある」
「長期的な視点から見れば、マレーシア、シンガポール両国の観光製品はお互いに補完しあっていけるものだと信じている。つまり“1つの行き先、2つの国”というコンセプトを推進することで、訪問者をこの地域に呼び込み、両国を訪問してもらってより興味深く充実した観光の体験を味わってもらえるのではないかと考えている」
「またマレーシアはシンガポールにはない熱帯雨林や美しい島、海岸があることから、シンガポール人を引きつけてきている事実もある。その意味で2国は観光面で補完関係にある」
──UEMワールドがシンガポールに隣接するジョホール州にディズニーランド型テーマパークの建設構想を打ち上げているが
「現時点では政府はこのプロジェクトに対して具体的な承認を与えたわけではない。私が知る限りでは、ディズニーランドに似たテーマパークを設立するのは単なるアイデア、あるいは非公式な提案の段階にとどまっている」
──最後に日本人訪問者やマレーシア在住日本人に対するメッセージをお願いします
「マレーシアは安全で平和な国で、アジア的価値観と文化を共有する人々が住んでいる。マレーシアを訪れた日本人はその自然の魅力や人々、ショッピングの場所、都市の生活様式、美しい島々、海岸や熱帯雨林に魅せられると確信している。とくに独立50周年を迎える来年にマレーシアを訪問してもらえるよう望んでいる」
「また友人や家族にマレーシアとマレーシア訪問年について紹介し、PRしていくうえで、マレーシアに在住する日本人の方々の支援をいただければ幸いだ。私は常々“口コミ”による宣伝がもっとも効果的な宣伝方法だと思っているので」
■アドナン・マンソル観光相の略歴 ・1950年12月、マラッカ生まれ ・南カリフォルニア大学でビジネス運営の学位取得 ・2000〜03年に上院議員を務める ・2001年に副首相府相に任命され、02年に首相府相に昇格 ・06年2月に観光相に就任
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