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橋本勝21世紀風刺絵日記
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2006年08月30日14時54分掲載
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中東
ウォルデン・ベロのベイルート8月14日=レバノンからの報告=
爆撃は最後まで続く
8月14日月曜日午前6時17分 数分前に2度の大規模な爆撃で目が覚めた。音は非常に近く聞こえたが、じつはたぶんベイルート南部からきていたのだ。私がいるのは市中心部である。停戦発効まで1時間足らず。イスラエルの爆撃は最後の1分まで続けられる。まったく信じられない連中である。ここで、前日、8月13日のあった出来事を書いた記事を送ることになっていたのを思い出す。
「私たちもあそこにいたかもしれませんね」 今しがた聞こえた爆発が、ベイルート南域のシーア派住民の地区に落ちたイスラエルの爆弾だったことを知って、ミンダナオ島のムジヴ・ハタマン議員が、声をひそめて言う。たった2時間前に私たちのいた場所である。
ぺしゃんこに崩落した建物や、まだ煙のくすぶる廃墟や、つぶれて土ぼこりをかぶった車などの様子はなお私たちの心のなかで鮮明だ。私は、ハレット・フレイク地区【訳注 ヒズボラの拠点がある】の近所の12階建てビルの廃墟によじ登っていたとき目にしたテディベアの人形、ベビーカー、本なども思い浮かべる。
いちばん危い日
「この戦争できょうがいちばん危ない日ですよ」 幸運のおかげで昼食をとることのできた私たちが立ち寄ったレストランのマネージャーはそう言いながら、イスラエル人に対する強い怒りを込めて言う。 「あいつらは停戦が合意されたときにはこっちが警戒をゆるめると知っているのです。最後の最後まで情勢を不安定にしておこうと思っているのです」
私たち12人の市民団体議会議員使節団の視察のために調整役を引き受けてくれたレバノンの活動家、ナフラ・チャハルさんも「イスラエルはヒズボラを負かすことができなかったのに、その事実を認めることができないので、普通の市民に対する攻撃を最後までやめないのです」
この日早く南ベイルートの廃墟を歩きまわり、市中心部に戻る途中、私たちは寄り道をしてベイルート大学総合病院に赴き、わずかの時間だったが、フィラス・チャハルさんを見舞う。イスラエルがカジノ・デュ・リバンの橋を爆撃したとき、乗っていたミニバスから投げ出されて、目に見える部分だけでなく体内にも重傷を負った27歳の男性である。その近くの病室にはハリーク・マフムードさんという68歳の、孫もいる女性が、入院したまま、退院の見込みがつかずに寝たきりでいる。南レバノンの村に暮らしていた彼女は、イスラエルの戦闘機の連続射撃で崩落した家の屋根に両脚をつぶされた。「イスラエルはほんとうに横暴な国です」と彼女は言う「行って自分の目で見てきてください」
戦争の子どもたち
病院を見舞ったあと、私たちは南部レバノンの避難民66世帯、355人が一時の住まいとしているベイルート繁華街のエル・グール学校に急行する。この戦争で100万人が家を捨てて退去させられているので、私たちが会った人たちは、この国の3分の1の人たちの状況を典型的に示している。「難民をこの地域に元からいる住民と一緒に暮らさせると、それはそれで問題が起こります」と、ナフラ・シャハルさんが言う「でもヒズボラは、この学校にいる人たちを支援する社会奉仕活動に最善を尽くしてくれるんですよ」
中庭にいっぱいの子ども、若者たちが、歓呼の声をあげて私たち使節団を迎えてくれる。この大勢の笑顔に囲まれていると、しばし戦争などははるかに遠のく思いだ。幼い子どもたちは、私たちのメンバーの一人でインドで女性や子どものための仕事をしているヴィジヤ・チャウハンが手をふって話しかけると、大はしゃぎだ。そして、ヒズボラの指導者ハッサン・ナスラッラーの名の出てくる歌を歌いだす。およその意味は「ナスラッラー、ぼくらがついてるぞ、テルアヴィヴを爆撃だ」というようなものだ。
辛抱づよい人々
ベイルート南域にイスラエルの投下する爆弾の音でしばしばさえぎられながらの昼食のあと、午後には現地のNGOのひとたちに人道的、生態学的損害の規模と、停戦後の復興協力に関する希望を伺う。この話し合いも2度の大規模な爆撃に妨げられるが、レバノン人のNGOメンバーは話を続け、イスラエル海軍の艦がベイルート南部を砲撃しているのだから数マイル彼方だと請合う。
その日の夕方、レストランで夕食をとっているときも南米ルートの爆発音はやまないが、あたりのテーブルの人々は陽気に飲んで騒いでいる。イスラエル人は最後の瞬間まで爆撃を続けてレバノン人に恐怖を与えようとしているが、効果はない。レバノン人の怒りは深いが、彼らは戦争慣れしていて、自分たちの生活のペースをそれでかき乱されはしない。勇気ある、辛抱づよい人々である。
悲喜交々の日
停戦当日のベイルートの悲喜交々の感情をいちばんよく表しているのは、タクシー運転手ラフルが私に言ったひとことだろう。彼はこう言った。 「勝ったよ、だけどなんて大きな犠牲だ。こんなに大勢の者が立ち退かされて、死んで、建物が壊されて」
まだ最終的集計は出ていないが、おそらく死者は1400名を下らず、経済的損害は60億ドルに達するだろう。
午前8時に停戦が発効するが早いか、たくさんの車やヴァンやトラックが、ベイルートその他この国のあちこちに避難していた人々を載せて、南に出発した。 「帰っても家もなくなってるでしょうが、土地はあります。なんといっても我が家にまさるものなしです」 と、国会議員アンワル・エル・ハリル氏は言う。先週、市民の車の縦隊がイスラエル空軍編隊の機銃掃射を受けたマリユーン地区から選出された議員である彼自身、一刻も早く帰郷したくてたまらないのだ。家を捨てた国民は全人口の3分の1に相当する。大量の民間人の移動で向こう数日、この国じゅうの道路が大渋滞をきたすだろう。
負けたのは誰だ
この戦争の敗者は誰かについては疑いの余地がない。この全国民の誇りの日に私たちが話を聞いたどの人も、現地リベラル派の英字紙「レバノン・スター」の論説に同意している。 「イスラエル政府は信用を失墜し、米国・イスラエル関係はその深刻な欠陥を露呈し た。イスラエル人は混乱に陥った政局に取り組まなければならない。エフド・オルメルト政権の閣僚の中にすらイスラエルの敗戦だと言う者たちがいる今、ユダヤ国家は数年来最悪の政治危機に陥りつつある。おそらく今この国で支配的なこのムードをよく表しているのが日刊紙ハアレツのゼエヴ・シフの論説だ。それは『陸軍がヒズボラの仕掛けてくる種類の戦闘にもはや適切に対処できないことが明らかになったからには、軍事・戦略管理の見直しを』と要求している」。
もう一人の敗者が誰かについても疑いの余地はない。レバノンの多くの政治家やアナリストは、この戦争が、ヒズボラの7月初旬の攻勢でイスラエル兵士2名が捕虜となるよりはるか以前に米国政府によってたくらまれたものだと確信している。ラフード大統領は私たち平和使節団の短時間の訪問のとき、「イスラエルの攻勢がはるか以前に外部の力の支援を得て予め計画されていたことは我々にはわかっています」と語った。前出のエル・ハリル議員は、この戦争の本当の張本人は米国だと公言して憚らない。議員は最近の米国誌ニューヨーカーに載ったジャーナリスト、シーモア・ハーシュの記事をあげた。それには、ネオコンが早くも1996年にはイスラエルを通じて中東再編をするという基本構想をもっていたと書かれている。
ヒズボラ殲滅は、たぶんイスラエルより米国にとって大事だろう、とリーハイ大学国際関係学部長で元米国務省政策企画スタッフだったアンリ・バーキーは言う。最近の記事でバーキーは、イスラエルはヒズボラをリタニ川の北に追いやれば共存できるが、米国はそうはいかないと書いた。それはなによりも「ヒズボラ・モデル」ができてしまうからだ。「それは、民兵が装備も整いよく訓練されたものに変貌を遂げるという米国にとっての悪夢を意味する。それがレバノンでうまくいけば、世界中で模倣者が出てくる。ヒズボラはアルカイダよりはるかに高度で社会に根を下ろしている。負かそうと思ったら市民に犠牲者を出さずには済まない。そこにヒズボラの強みがある。それは外部世界が市民の犠牲者を見て同情することを計算に入れているのだ」。この見方からすれば、ヒズボラがイスラエルに勝つというのは、およそ考えられるかぎりで最悪のことなのだ。
勝利者
レバノン人には状況は非常に異なって見える。この30日の戦争では、レバノンの政治集団の大半と国民の大半が、シーア派主導の機関による対イスラエル抗戦を支持することで一致団結した。その第一はマロン派クリスチャンのエミル・ラフード大統領で、「国民的抵抗におけるヒズボラの指導性」を讃えることを躊躇しなかった。 ヒズボラの水際立った戦いぶりが、レバノン・スターの言う今のレバノン社会の「前例のない連帯」を生んだことは誰もが認めている。最初のうちは、ヒズボラが捕虜交換の目的とはいえイスラエル兵士2名を人質に取ったことを、レバノンを戦争に引きずりこむ行為と批判する声が国内にもあったが、国民が誇りに高揚した日々には聞かれなくなった。
この30日間で静まったものがあるとすれば、それは、ヒズボラはテロ組織という嘘である。イスラエルは故意に市民を標的にしたのに比べ、ヒズボラが狙ったのは戦闘中のイスラエル兵士だった。このことで両者の形勢は逆転した。事実いまや世界の市民運動から、イスラエルの政界・軍部指導者を戦争犯罪と国家テロの容疑で裁けという声が澎湃と湧き起こっているのだ。
ヒズボラは軍事での手柄ばかりを見せつけたのではない。福祉サービスにかけても並々ならぬ能力があることを、今回の場合、国内の避難民のための活動において示したのである。事実、社会福祉、とりわけ貧困層のためのそれが立ち遅れているこの国で、ヒズボラの社会的インフラストラクチャーは、効率的な近代性のひとつの模範である。たとえば、46箇所の診療所、病院を運営している。90年代に南レバノンの物質的、社会的インフラを監督してきた彼らの「建設のためのジハード」【訳注 ジハードは「アッラーの御心にかなうための精進」の意】は、いまやさらに大規模な戦後の再建をやり遂げようとしている。
これまた地域レベルと国際的場面の両方で明らかに示されたのは、ヒズボラが有能な知識人とスポークスパーソンを擁していることである。社会・経済・政治・行政上の問題に関して300点を越える報告を作成してきた「研究・資料作成諮問センター」( Consultative Center for Studies andDocumentation (CCSD)を率いるアリ・ファヤッド博士は、その一人である。
洗練された知識人のアリ博士は、ヒズボラの勝利には3つの要因があると説明する。第一は、ロケットの使用によってイスラエルの空軍を無力化し、飛行機をもたないヒズボラが空中での攻撃能力をもったこと。第二は、ゲリラ戦によって、アラブの通常の陸軍と戦うために投入されたイスラエル陸軍の裏をかいたこと。第三に、ヒズボラ戦士は独力で戦えるよう訓練されたゲリラであったばかりでなく、自分は正しいことをしているというイデオロギー的信念に満たされていたこと。
話題を変えてファヤッド博士は、ヒズボラの社会政策は「主にレバノンの国内問題によって決められることはもとよりだが、パレスチナ人の闘争と国際連帯も考慮している」と語った。この全アラブ的かつ国際的な展望があったからこそ、ヒズボラはアラブ世界はもちろん、広く全世界からも共鳴を得ることができたのだ。ヒズボラの指導者はベネスェラのウーゴ・チャベス大統領のことを賞賛をこめて語る。そしてチャベス大統領もヒズボラを賞賛していると言う。
政治局員であるファヤッドは30日戦争でヒズボラを対外的に代表する顔ぶれの一人となったため、イスラエルに特に狙われている一人だと考えられ、住む家も乗る車も毎晩のように変えざるを得なかった。.
8月14日夕刻のベイルートは悲しみと誇りにみたされた都市だったが、優勢を占めていたのは明らかに後者だ。市内いたるところでヒズボラとハッサン・ナスラッラー事務局長を讃える自動車行列が見られた。9時にナスラッラーがテレビに出たときには、誰もがチャンネルをそれに合わせ、彼が「レバノンの素晴らしい戦略的勝利」と見做すものを発表し、ヒズボラにはリタニ川の後方に兵士を撤退させる用意があると発表するのに聞き入った。
彼が語っているとき、レバノン共産党の幹部の一人がこのイスラム政界の顔となった人物をこう評したのが、おそらくレバノン世俗政界の声を代表していると言っていいだろう。 「我々のアラブのチェ・ゲバラがここにいる、ターバンを被って。」
(訳:hagitani ryo)
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