【openDemocracy特約】4月27日にテヘラン空港で逮捕されて以来、4ヶ月以上にわたって拘束されていたイランの知識人、ラミン・ジャハンベグローが8月30日、保釈された。当局は最初、菓子折りを持って(イランでの祝い事の習慣)彼を連れて行った。それから彼は、イランの学生通信社(Isna)を訪れ、「インタビュー」を受けて、逮捕された理由を説明した。
インタビューでラミン(イランの国籍とカナダの国籍を持っている)は、彼がイランについて述べたイラン国外でのセミナーに敵対的な国の情報部員が出席し、彼らが彼と彼の学者としての知識を利用した、と説明した。彼はまた、東欧・中欧の市民社会形成とイランの比較研究がイラン・イスラム共和国の転覆に利用されかねなかったと述べた。
また、彼の著作が掲載されている外国のウェブ・サイトは「治安当局」によって運営されていたと語った。そう述べて、これらのサイトがイランに敵対的な国に属するということを示唆した。(openDemocracyはラミン・ジャハンベグローのふたつの著作を掲載しており、彼の逮捕に関する記事と彼の釈放を求める要請書を掲載している)
自分をおとしめるインタビューはIsnaの記者を驚かせた。ラミンは、彼の作品が外国人によって操作される可能性を含んでいたことを残念だとした。彼は、イラン人は外国に行かずに、国内でセミナーや会議を開いて、そのような悪用を防ぐべきであるとした。
ラミンの逮捕の直接の原因は、ドイツ・マーシャル財団のために彼が起草した提案であった。彼はそこで、イランと東欧の知識人を比較し、市民社会の力と政体の打倒の間のバランスを検討したとされる。それは自分の間違いであった、と彼は言った。
彼はそれは知的な仕事であると思ったが、だまされたのだと言った。実際には、その文書はイランの国益に反するものであったが、意図してものではなかったと言った。彼は今、インドについての研究を続けるためにインドに行く予定で、政治から身を引くと語った。
彼は「米国式民主主義」を非難し、エビン刑務所での待遇はよく、アブグレイブやグアンタナモで起きていることとは比べものにならないと述べた。刑務所では、読んだり、書いたり、テレビを見たり、専門の医者に見てもらうことができた。(彼の妻によれば、数回面会した際には虐待をうかがわせるものはなく、「非常に疲れている」ようであった)。彼はまた、他の囚人たちの待遇はいいと語った。
ラミンの拘束とその後のインタビューは、イランの知識人に向けたメッセージであった。政治は避けよ。西側の国でセミナーや会議に出席するな。西側で発行されている雑誌に原稿を書くな。こうした方針は、イラン人がイラン国外の放送にインタビューに応じることを禁じたイスラム指導省の最近の命令に沿っている。
ほとんどが軍出身者からなるイランの新しい政権は、学問や思想の普及(宗教を除いて)に真の理解を持っていないようだ。この文脈において、ジャハンベグローの扱いは、ハタミ(大統領1997−2005)のもとでの改革派により、部分的に広がった知的空間を閉じようという試みの中での新たな措置である。
そのインタビューは、市民社会を強化したり、民主主義への平和的移行のための社会を準備することは、知的追及ではなく、犯罪であると、国家が宣言しているものと見なすことができる。専門家会議の議長、メシュキーニー師が「神聖な」で「世界で最も完全なもの」と形容された政権を変えることを願うことは、受け入れられないもので、国家当局により罰せられるものなのだ。
規制の強化
しかし、そのインタビューはまた、自主的で自由な思想に対する政権の対策での新たな策を示している。拷問や街中の暗殺ではなく、もっと巧妙なものである。イランの知識人の信用を傷つけ、抑えつけ、国を退去せざるを得なくさせるような、これまでのやり方とともに、その戦術は恣意的拘束と資金的な圧力を組み合わせている。
そのやり方は、もし拘束者が保釈されても、当局の命令に従わなかった場合、厳しい金銭的な報復が伴う。別のケースでは、ラジオのアナリストが病気の母親を見舞うためにイランを訪れたところ、1ヵ月にわたって尋問された。条件付で出国を許された。彼女は保釈金として、彼女の母親の家を提供するよう求められた。もしイランの関係省から帰国の召喚状に従わなかった場合は、その家は没収される。
この新しい策は、昔のテレビの前の自白よりずっと効果的にみえる。保釈された後、ほとんどが自白を翻し、そのような公でのパーフォーマンスを無駄な努力にしていたからである。イランの家族における強いきずなと、ほとんどの場合、家は都市の家族が所有している唯一の財産であるという事実は、資金的な圧力だけでなく大きな心理的圧力が使われているということを意味する。特に高齢の家族がいる場合、家がなくなるということは、ひどく心配なことである。
ラミン・ジャハンベグローの場合は、「彼が選んだ通信社」にインタビューに応じ、「尋問中に自白したこと」を話すことを条件に、彼は自由とパスポートを約束されたようだ。その提案には癖があった。ラミンが確実に取引を守らせるために、彼は保釈金のためにふたつの家、彼自身と母親の家を提供しなければならなかった。学生通信社とのインタビューはその結果であった。
*ラソール・ナフィシ バージニア州ストレイヤー大学で開発社会学を教える。Voice of America, BBC, and Radio France Internationalなどに寄稿。サイトはhttp://www.rnafisi.com/
本稿は独立オンライン雑誌www.opendemocracy.netにクリエイティブ・コモンのライセンスのもとで発表された。
原文
http://www.opendemocracy.net/democracy-irandemocracy/jahanbegloo_3867.jsp
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