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橋本勝21世紀風刺絵日記
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2006年09月07日22時32分掲載
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テロの傷跡もなお残るダバブ 相次ぎ標的となるシナイ半島観光地
アラビア語で「黄金」を意味するエジプトシナイ半島南部の小さな町ダハブ。ほのぼのとした個人経営の小売店が立ち並び、透き通った海と色とりどりの珊瑚礁に囲まれる小さなこの町は、外国人ダイバーに最も人気のあるスポットのひとつ。5つ星ホテルが立ち並ぶシャルム・エルシェイクに比べ物価もそれほど高くないこの町は、外国人学生やエジプト人が長期滞在することでも有名だ。そんな「庶民のダハブ」が連続爆破テロに襲われたのは今年4月24日現地時間19時15分。死者23人、けが人80人以上を出したこの惨事から4カ月あまり経過したダハブを訪れた。人々は明るい笑顔を見せていたが、テロの傷あとも残っていた。(ダハブ=吉田智賀子)
エジプトシナイ半島に面する紅海リゾート地で最初の爆破テロが起きたのは2004年10月4日。ターバーとラス・シタンの小さな町で死者34人、けが人100人以上を出した。死者の多くはイスラエル人観光客であったことから「イスラエルに対する攻撃」であると報じられた。
そして翌年2005年、ナギブ初代大統領とナセル前大統領が1952年にクーデターを指揮した記念日に当たる7月22日に、高級ホテルが立ち並ぶシャルム・エルシェイクで爆破テロが起きた。自爆テロは爆弾を仕掛けた車に乗り込みオールド・マーケット地域で爆破し、もう一台はガザーラガーデンホテルのロビーへ突っ込んだ。袋に入れられていたと思われる三つ目の爆弾はビーチサイドの歩道で爆破した。少なくとも死者88名、けが人200名以上に上る犠牲者を出したこの惨事だが、犠牲者の多くはエジプト人だった。
ダハブはちょうどターバーとシャルム・エルシェイクの間に位置する小さな町だ。4月に起きた自爆テロの後、ちょうど4ヶ月が経過したわけだが、既に欧米からの観光客の姿も見え、エジプト人労働者はいつものように笑顔で接客していた。町は一瞬平和そのものに見えた。まるで何事も無かったかのようだ。しかし、町の中央に立てられた小さな桟橋の前には、犠牲者の慰霊碑が悲しげに建てられていた。
▼緊張が高まるチェックポイント
ダハブへの道のりは、カイロ市内にあるトルゴマーン・バスターミナルから長距離バスで約9時間。今年2月にダハブに訪れた時と同様、24時15分に出発する深夜バスで移動することにした。車内は私を含む外国人が9人のみで、あとはエジプト人で満席になった。この日はたまたまかも知れないが、前回よりも外国人の比率が低い。音量の大きすぎるエジプト映画の車内放映を見ながら徐々にうとうとする。
6―7時間ほど車に揺られると、シナイ半島で最初のチェックポイントに訪れる。すっかり眠りについていた私を治安部隊が揺り起こしパスポートの提示を求めた。辺りの様子を伺っていると、エジプト人男性4人が治安部隊となにやらもめている。彼らは車外に連れられていき手荷物検査を受けていた。15分ほどして中年男性ひとりが戻ってきたが、あとの20代から30代と思われるエジプト人男性3人はそのまま戻ってこなかった。その後3度のチェックポイントで、やはり若いエジプト人男性2人が治安部隊に連れられていったまま、車内に戻ってくることはなかった。
シナイ半島へ訪れるエジプト人への警戒が高まっている。特に若いエジプト人男性は目に付くようで、取り分け証拠がなくてもそのまま治安部隊に連行され、1〜2日間留置所に収容されることもしばしばだ。エジプトでは、前サダト大統領が1981年10月6日に暗殺されたことを受け、それ以降国家非常事態法が施行されている。これにより警察および治安部隊には、特に容疑や証拠がなくても不審人物であると判断した場合、国民をその場で拘束できる権利が与えられている。
今回は、治安部隊による調査時間が長かったのと、そして運転手が道を間違えたようで、ダハブに到着したのは翌日午前10時30分。リクライニングもさほどない狭いひとつの座席に10時間以上座っていたので、さすがに疲れたどっと出た。車外に出ると観光客や友人を迎えにきた少数のエジプト人が周りを取り囲んでいた。
真っ青な空と燦々と輝く太陽がまぶしかった。空気が澄んでいる。カイロから来たため余計にそう感じたのだろう。
▼「平和そのもの」のダハブ
地元タクシーの荷台に乗り、アサーラと呼ばれるベドウィン村まで直行する。今回泊まったホテルはアサーラの南部に位置するこぢんまりとした民宿のようなホテルで、町の中心までは徒歩で10分のところだ。
シャワー・トイレ付のツイン部屋を一泊50エジプトポンド(約1000円)で泊まることにした。荷物を部屋に置き、さっそく海岸線に面したホテルの目の前にあるオープンエアーのカフェに行く。真っ黒に日焼けしたエジプト人ウェイターが人懐っこい笑顔でメニューを運んでくる。目の前に広がる真っ青な海を眺めながら遅い朝食を取るっていると、ホテルのマネージャーのモハメドさんが挨拶に来てくれた。軽い会話を交わしたあと、自爆テロについて尋ねてみた。
「何もなかったかのようだよ。今では観光客の数も戻ってきているし」
中途半端な時間だったこともあり、オープンカフェにはフランス人の家族とドイツ人のカップル、そして私がいるだけで閑散としている。モハメドさんは「確かに去年よりも観光客は少ない。でも今年はワールドカップがあったからね。みんなお金を使ってしまったのだろう」と笑顔で説明した。
彼は話題を変え、ダイビングについて話し始めた。少しすると彼はほかのスタッフに呼ばれ仕事に戻ることになった。そして去り際に「今では平和そのものだよ」と付け加えた。
食事を終え、ホテルとカフェが隣接する海岸線を歩いてみた。建設中のホテルや、新しくオープンしたカフェが目に付く。店の前を歩くたびに客引きの声がかかる。どのカフェを見ても閑散としていて少し寂しい感じだ。モハメドさんによると、今はハイシーズンではないらしい。欧米人が好んで訪れるのはクリスマスから年明けだ。今年2月に来た時よりも人気のなさを感じたが、村の中心から北部へ向かって歩いていると子供連れの家族やカップルなどがカフェでくつろぎ、海ではシュノーケリングやダイビングをする観光客で賑わっていた。日焼けをした金髪の男の子が上半身裸でマウンテンバイクに乗り、町の中央にある桟橋の上に立つ私の横を通り過ぎた。
確かに平和そのものにも見えた。自爆テロの痕跡が残るのは、この桟橋の脇に建てられた慰霊碑と、爆破のあったレストランが白い大きなテントで覆われているほかは、以前と同じようにも思える。
桟橋を渡り海岸線をもう少し北へ進むと、日本と韓国の国旗が目に飛び込んでくる。アジア人びいきのオーナーが経営するレストランだ。
▼テロで地元の結束が固まる
レストランの前を通ると、真っ黒に日焼けをした坊主頭の男性が笑いながら冗談を言ってきた。
「あなたはエジプト人ですか?」
経営者のアリさんは、トルコ人の父とエジプト人の母を持つハーフ。4年前に初めてアジア人の友人が出来て以来アジア人が大好きになったという。そこでダハブで最も多いアジア人観光客である日本人と韓国人の憩いの場として、2年前に同レストランを開店した。
「あの晩のことは忘れられないよ」と、爆破テロが起きた晩のことを思い出して話してくれた。ものすごい爆破音がしたあと煙が立ちこもった。走って現場に行くと建物は崩壊し、テーブルや椅子、食器の破片や飛び散った血液、そして血まみれになった人びとが倒れていた。アリさんはその場で既に死んでしまった見覚えのある顔、生きているのか分からない意識の無い友人、そしてケガをした観光客を次々に車に運び込み、病院への運搬を買って出た。救急車が到着するまで待っている時間などなかった。
その後丸まる2週間は、店に出ることが出来なかったアリさん。徐々に店に出るようになったものの生々しい光景が目に焼きつき、いても絶ってもいられない感情が湧き出る。「一か月くらい経った頃からかな。生命のある限り、自分が出来ることをしなければと思い直した」と彼は笑顔を見せたが、4カ月経った今でも心の傷は癒えないと言う。「ただし、一度テロが起きた場所は、当分起こらないという法則がある」とアリさんは笑いながら話題を変えた。
カイロからの夜行バスで、数人のエジプト人男性が連行されたことを伝えると「当然だし、そうあるべき」と、シナイ半島内での警備強化にも賛成の態度を示した。
「テロの後エジプトは変わった。以前よりももっと強い国家になったと思う。ムバラク大統領は大好きだ。彼がいなければ、エジプトはテロリストに乗っ取られているかも知れない」と、アリさんは愛国心を見せた。ムバラク大統領の非難が絶えないエジプト国内では珍しい意見だった。
「ここはシャルムなどとは違い、個人経営の店が軒並み連ねている。テロが起きたあとは、ここに住むエジプト人や外国人が協力し合い、この愛するダハブを復興させていこうという士気が更に高まった」とダハブの再興に関してとても誇らしげだ。「おまけに、あのテロでダハブが世界で有名になった。これからもっと日本から観光客が来ると期待しているよ」と彼は冗談紛れに言ってみせた。
夕暮れになった。私はアリさんがご馳走してくれたレモンのフレッシュジュースを飲み干し、礼をした。私の去り際に「こうして話している間にも時は過ぎてゆく。今自分が出来ることは、後回しにしてはいけない。そうだろ?」と、最後に真剣な眼差しをしたアリさんの日焼けした顔が深く印象に残っている。
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インタビューに応じた親日韓レストランを経営するアリさん
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