【openDemocracy特約】国連創設の60周年の2005年9月に開かれた国連総会首脳会合で、世界の指導者は国際的な「保護する責任」を承認した。それは、一般市民が戦争犯罪やジェノサイドに直面し、そこの政府自身がそうした行為を実行したり、止められない場合、そうした市民を守るために行動することを義務付けている。
スーダン西部のダルフールでの危機が続き、国際的な対応が恐ろしく不十分なことで、この約束がまがい物になっている。ダルフールについて、国連の廊下や国際的な外交官の間で話し合いはされているが、具体的な行動になっていない。国際社会はダルフールが炎上しているのに、言い逃れを続けている。
2003年以来、この地域では20万人以上が殺され、200万人以上が家を追われた。いろいろな反政府グループのうちいくつかが、重大な人権侵害の行為を犯しており、外交的にこの紛争を解決しようとほとんどしていないが、この人道上の悲劇の主要な責任はスーダン政府と政府に支援されたジャンジャウィード民兵にある。
過去3年の人道上の状況は口にはいえないほどひどいものであったが、それはさらにもっと確実に悪くなりそうだ。7月から8月だけで、国連の人道支援者の報告によると、さらに5万人が家を追われ、200人の女性が強姦された。援助活動家への日常的な攻撃があり、過去3ヶ月で12人が殺害された。
8月28日、国連のヤン・イゲランド事務次長(人道援助担当)は、国連安全保障理事会が直ちに行動を起こさないと、ダルフールで数週間のうちに「前例のない規模の人工的な破滅」が迫っていると警告した。アントニオ・グテーレス国連難民高等弁務官やコフィ・アナン国連事務総長も同じような警告をしている。
地獄への道
ふたつの関連した要素がこの地域を新たな奈落の淵に追い込んだ。ひとつは、スーダンにいるアフリカ連合の派遣部隊の撤収が迫っていることである。過去2年間、果敢な努力は、この卑劣な戦争の最悪事態から限定的な救済をもたらしたが、それ以上ではなかった。
わずか7000人の部隊で、装備も貧弱で、権能がはっきりしなかった。同派遣軍はダルフールの人々を効果的に守ることができなかった。財政的危機とスーダン政府との関係がまずくなって、9月末までに撤退する。安全上の真空地帯ができ、スーダン政府がそれを埋めようとしている。
ふたつめは、5月5日にナイジェリアで調印されたダルフール和平協定である。これは戦闘の終結と永続的な平和につながることを期待されていた。だが、それとは反対に分裂と各反政府グルーブ間での衝突、新しいグループ(the Group of Nineteen and the National Redemption Front)の出現、それらのグループと政府軍との衝突を生んだ。
スーダン政府の反応は、この紛争をきっぱりと決着しようとして、大規模な軍事的動員であった。暴力がエスカレートすると、実際そのようになりそうだが、国際的な援助機関は撤退し、数十万人のダルフールの人々への基本的なライフラインが断たれ、難民が再び隣国のチャドに押し寄せるであろう。
3年は遅すぎた。国連安全保障会議は8月31日、決議1706を採択した。アフリカ連合の派遣部隊に代わって、2万人の国連平和維持軍の配置を決めた。しかしながら、ニューヨークにいる誰も、あるいは主要な国際都市にいる誰も、スーダン政府の同意なしに国連部隊を配置しようとしているようにはみられない。
スーダンは同意を与えることに興味を示していない。アフリカ連合の部隊が撤退して、交替する部隊がいないという懸念から、国連では、アフリカ連合にもう少し長く駐留してもらうという案がある。しかし、現在のかたちでは、ほとんどメリットはないであろう。
簡単な選択は残されていない。しかしそれは、できることは何もないということでは決してない。国連安全保理の9月11日の会議は、さらなる破滅を防ぐために行動する最後の国際的な機会であったということになるかもしれない。安保理はスーダンに対して、ダルフールに国連部隊を受け入れさせるために大規模な、外交的、政治的、法的、さらに経済的圧力を掛ける必要がある。
1999年、この種の国際的圧力が同じように抵抗していたインドネシアに、当時まだ占領していた東チモールに外国の平和維持部隊を受け入れることを認めさせた。しかし、そのような国際的な圧力を最大にさせるためには、断固とした国際的行動を以前に妨害した中国、ロシア、アラブ諸国の協力が必要になる。
ロシアと中国は、国連部隊を承認する安保理での投票を棄権した。しかし両国は、これは実質よりタイミングの問題であると言っている。ここに運動の余地がある。中国の役割は、スーダンの石油産業での大きな投資額からして、特に重要である。中国の温家玉首相がロンドンを訪問した9月13日、ブレアー首相と会った。ダルフールは英国の首相の一番の議題になるべきである。
二度と繰り返してはいけない
アフリカにも大きな責任がある。アフリカ連合の平和・安全保障会議も危機を討議するためにニューヨークで会合をもつ準備をしている。アフリカ連合は、戦争犯罪が行われている時には介入の権利を認められているが、ほとんどのアフリカ諸国はスーダンに圧力をかけることには消極的である。
しかし、もしダルフールの危機がさらに悪化した場合、アフリカ諸国が失うものは最も大きく、アフリカ連合が重大な人権侵害を糾弾し、罪を犯している政府に責任をとらせる意思を示せれば、得るものは最も大きい。
アフリカ連合は、すべての当事者に受け入れられる包括的な政治解決についての交渉を再開するよう働きかけるべきである。和平協定は失敗したが、それは政治的・和平交渉を再活性化するための論拠であって、放棄するものではない。
最後に、国連は直ちに市民の保護を提供できる緊急軍事反応軍を集結させることを始めるべきである。スーダンの同意を得ることなしに軍隊を配置することは、非常に危険が伴う。同意のない部隊の配置は避けるのが好ましいのは明白である。
しかし、この選択はまったく排除されるべきなのか、あるいはスーダンは国際的介入に拒否権を与えられるのか。もし土壇場の外交交渉が失敗した場合、さらなる市民の死を防ぐために、ある種の強固な軍事展開が必要となるかもしれない。
強固な国際的行動がないまま、長期に苦しんでいるダルフールの人々にとって、事態はさらに悪くなろうとしている。1994年のルワンダのジェノサイド以後、2005年の国連の宣言で世界の指導者は「二度と繰り返さない」と言った。彼らは本気であったのだろうか。
*デビット・メファム 公共政策調査研究所http://www.ippr.org.uk/ の国際計画担当。
本稿は独立オンライン雑誌www.opendemocracy.netにクリエイティブ・コモンのライセンスのもとで発表された。
原文
http://www.opendemocracy.net/globalization-institutions_government/darfur_responsibility_3897.jsp
(翻訳 鳥居英晴)
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