自民、公明両党の連立による安倍晋三・新政権は06年9月26日発足した。新政権の舵取りは、いうまでもなく日本の行方を大きく左右するが、気になるのは「権力の監視役」としてのジャーナリズムの批判力である。 新政権の布陣や政策を報じた9月27日付大手6紙を読んだ限りでは、批判精神の不足を感じないわけにはいかない。ジャーナリズム本来の批判精神を取り戻そう、と言いたい。そうでなければ、いわゆる小泉劇場と同様に「安倍劇場」演出にも一肌脱ぐ危惧の念を拭いきれない。
安倍首相は就任後初めての記者会見で新内閣を「美しい国づくり内閣」と名づけた。「美しい国づくり」とは日本のどこをどのように美しくするのか、この一点にジャーナリズムは切り込まなければならない。しかし翌27日付の大手6紙の紙面展開からは、切り込みの的確さと熱意が伝わってこない。
▽大手6紙の紙面展開―政策重点型と布陣重視型
まず各紙の1〜3面の主な見出しを紹介しよう。新政権の政策の方向をうかがわせる<政策重点型>と、政策よりも人事の布陣に重点を置く<布陣重視型>の2つ大別できるのではないか。もちろん双方の視点が各紙でそれぞれ混在しているが、あえて整理すれば、以下のようである。
<政策重点型> 読売=論功組閣 盟友も重用、「安保」「教育」補佐官拡充、官邸機能強化 日経=首相「改革を加速・補強」、「中韓と関係改善」、「米国型」官邸めざす 産経=集団的自衛権 解釈見直し、財政より成長重視、官邸主導 安倍カラー <布陣重視型> 朝日=論功型 強い保守色、官邸強化へ側近重用、安倍「学園祭内閣」 毎日=官邸強化 側近チーム、仲良し内閣に不安も、拉致と教育 官邸直結 東京=側近・論功を重視、「政治主導」官にアピール、「安倍ファミリー」ずらり
次に各紙の社説はどうか。主見出しのほかに、重要とみえる小見出し、さらに主張のポイントを紹介したい。ここでもあえて2つに整理すれば、新政権を激励する<激励派>と、手厳しい批判というよりも心配、懸念される事項を指摘する<心配派>に大別できる。 まず激励派からみよう。
▽社説(1)―新政権に対する<激励派>にみる「美しい国づくり」
<激励派> 〈読売〉=時代の課題にこたえられるか―新憲法へ首相の主導を 首相は「戦後レジーム」からの脱却を主張し、自らの内閣で新憲法制定を政治日程に乗せると明言している。歴史的な変化を乗り切る指針となる国家像を体現するのは新憲法だ。新憲法制定へ、首相の主導で大きく前進させねばならない。
〈日経〉=安倍内閣は官邸主導で改革実績を示せ 安倍首相は教育基本法改正案とテロ対策特措法延長案の成立を最優先する考えを示しており、憲法改正の手続きを定める国民投票法案や防衛庁昇格法案も重要案件である。安倍首相はわかりやすく所信を述べ、野党と堂々の論戦を展開して欲しい。
〈産経〉=国益守るシステム築け―期待したい官邸の機能強化 国家安全保障担当などの首相補佐官を創設した。(中略)安倍首相が掲げた「新たな国づくり」実現へ布石を打つと同時に強い意志を明確にしたものだ。安倍政権の前途は戦後体制見直しを訴えていることから平坦ではない。妥協することなく初心を大胆に貫いてほしい。
以上3紙の社説は、安倍新政権の平和憲法、教育基本法の改悪を軸とする「戦後体制からの脱却」に賛成し、妥協せずに断行せよ! と叱咤激励している。 しかも指摘すべきことは、これら<激励派>3紙の1〜3面の紙面展開では安倍政権がめざしている政策―その目玉となるのが平和憲法と教育基本法の改悪の2つ―が浮き出ていることである。社説と紙面展開の双方を注意深く読めば、実は安倍首相の唱える「美しい国づくり」の内実は、「美しい国」どころか、逆に危険な路線選択であることが読み取れる仕掛けになっている。
▽社説(2)―新政権に対する<心配派>にみる批判力不足
<心配派> 〈朝日〉=果たしてどこへ行く―アジア外交が心配だ アジア外交の立て直しは、小泉政権から引き継いだ最大の懸案だ。首相も中国などとの関係修復に意欲を示している。だが、この人事を見る限り、果たして本気なのかと疑いたくなる。安倍氏は、歴史認識や靖国神社問題であいまいな発言を続けている。私たちはこの姿勢を批判してきた。
〈毎日〉=改革の熱気が伝わらない―目立つのは「内輪の論理」 首相は「『美しい国づくり』内閣を発足させた」と強調する。だが、新内閣の布陣からは首相の若さに起因する清新なイメージも、小泉政権から引き継ぐべき改革への熱気も感じられない。(中略)「内輪の論理」が横行しすぎたといわれても致し方ない。このままでは若さが経験不足、未熟さと映りかねない危険性も出てこよう。
〈東京〉=「重し」のない危うさ―答えはいずれ参院選で 誰が「扇の要」の役回りをするのだろう。一抹の不安を感じさせつつ安倍内閣が発足した。(中略)閣僚や首相補佐官のメンバーには、安倍氏好みの右より論客も少なくない。(中略)重しのないまま突っ走るにせよ、「チームワーク」を維持できるにせよ、国を託すに足るか否か、国民の答えは来年夏の参院選で出る。
以上の3紙は、もちろん新政権をヨイショ、と持ち上げ、激励するという姿勢ではないが、批判力に欠けているという印象が否めない。問題点を総ざらい羅列した、それこそ「新鮮さ」に欠ける社説である。まさか新政権発足直後だから、「ご祝儀社説」でしのぐ、という感覚ではあるまいが、そういう皮肉ひとつも言ってみたくなるような内容である。
肝心要の「美しい国づくり」とは何かに迫る社説が見出せない。毎日新聞だけが「美しい国づくり」という表現を引用しているが、その中身についての論評がないのが不思議である。 首相の著作『美しい国へ』(文春新書)は相当な売れ行きをみせているだけに、その批判はジャーナリズムにとっても不可欠の仕事と考えるが、いかがだろうか。(同書への批判は「安原和雄の仏教経済塾」に9月21日掲載の「ふたたび日本を滅ぼすのか―針路誤る安倍自民党丸の船出」参照)
▽安倍首相への批判と学ぶべき気概―「千万人といえども吾ゆかん」
私は安倍氏の考えには大筋では賛成できない。特に次の諸点は批判しないわけにはいかない。 *「核抑止力や極東地域の安定を考えるなら、米国との同盟は不可欠であり、米国の国際社会への影響力、経済力、そして軍事力を考慮すれば、日米同盟はベストの選択である」(『美しい国へ』、p129) 批判点=新しい時代の流れからみれば、これは時代錯誤の考えである。核抑止力にしがみつくときではない。核廃絶こそが時代が求める新たな選択である。軍事力に固執するあまり、米国の国際社会への影響力、経済力ともに急低下しつつある。このことを認識するときである。また日米軍事同盟は世界の中で急速に孤立しつつあることを知らねばならない。
*「わたしたちが守るべきものとは、国家の独立、つまり国家の主権である」(同上) 批判点=日米安保条約によって沖縄をはじめ日本列島上に巨大な米軍事基地網が張りめぐらされ、それが米軍の世界への出撃基地として機能している現状は、独立国とはほど遠いといえるのではないか。こういう悪しき現状を容認しながら、「教育の目的は志ある国民を育て、品格ある国家をつくること」(同著、p207)が果たして可能だろうか。
*しかし安倍首相にも学ぶべき点があることを指摘しておきたい。次のような気概である。 「自ら反(かえり)みて縮(なお)くんば千万人といえども吾ゆかん―郷土の長州が生んだ吉田松陰先生が好んで使った孟子の言葉で、熟慮した結果、自分が間違っていないという信念を抱いたら、断固として前進すべし、という意味である」(同著、p40)
私は最近のメディアの腰が引けた姿勢には危惧の念を覚える。「千万人」とはいわなくとも、せめて「千人といえども吾ゆかん」くらいの気概をもって、もっと安倍政権の「戦後体制から戦前・戦時体制への回帰」を臭わせる危険性に批判的でなければならない。こういう視点に鈍感になっていると、演題「美しい国」という「安倍劇場」の演出に心ならずも協力し、流れ、流される結果となりかねないことを恐れる。
*仏教経済塾のホームページ
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