「美しい国創(づく)り内閣」を組織した安倍首相は臨時国会冒頭の所信表明演説で「美しい国」という言葉を8回も使った。相当なご執心ぶりといえるが、「美しい国」の意味するものは何か。 一読した限りでは相変わらず抽象的な印象を受ける。しかし批判的な目で読み解けば、「美しい国」というイメージとはおよそ異質の時代錯誤にして危うい方向がみえてくる。
●「美しい国」とは、どんな「かたち」、「姿」なのか
まず首相の所信表明演説の中から「美しい国」に関する説明を紹介しよう。 *「美しい国」のかたち 「私が目指すこの国のかたちは、活力とチャンスと優しさに満ちあふれ、自律の精神を大事にする、世界に開かれた、「美しい国、日本」である」
*「美しい国」の4つの姿 「美しい国」の姿として次の4点を挙げている。 1)文化、伝統、自然、歴史を大切にする国 2)自由な社会を基本とし、規律を知る、凛(りん)とした国 3)未来へ向かって成長するエネルギーを持ち続ける国 4)世界に信頼され、尊敬され、愛される、リーダーシップのある国
*自信と誇りの持てる「美しい国」へ 「日本を、世界の人々が憧(あこが)れと尊敬を抱き、子どもたちの世代が自信と誇りを持てる「美しい国、日本」とするため、先頭に立って、全身全霊を傾けて挑戦していく覚悟である」
以上のような「美しい国」に関する所信表明を読んで、「きれいごとにすぎない」と片づけてはならない。たしかに美辞麗句が多いが、そこに秘められた意図を軽視してはならない。ここでは主として、上述の「美しい国」の4つの姿を中心に、そこに込められている意図や方向を考えてみたい。
1)「文化、伝統、自然、歴史を大切にする国」とは
首相は所信表明で次のようにも述べている。 「日本は、世界に誇りうる美しい自然に恵まれた長い歴史、文化、伝統をもつ国である。その静かな誇りを胸に、今、新たな国創りに向けて、歩み出すときがやってきた」と。 なぜ歴史や伝統を強調しているのか。結論からいえば、天皇制を賛美し、それを軸に日本という国のあり方を考えているからである。
首相の著書『美しい国へ』は次のような認識を示している。 「日本の歴史は、天皇を縦糸にして織られてきた長大なタペストリー(つづれ織り)だ。日本の国柄をあらわす根幹が天皇制である。(中略)天皇は象徴天皇になる前から日本国の象徴だったのだ」(p101〜104)と。
この認識には首をかしげざるを得ない。 「日本の国柄をあらわす根幹が天皇制」という認識はいかがなものか。なるほど明治憲法下ではそうであった。なぜなら天皇は絶対的権力者(注)の地位にあったからである。しかし現行憲法下では天皇はそういう地位にはない。 (注)明治憲法は次のように定めていた。 第1条=大日本帝国は万世一系の天皇之を統治す。第3条=天皇は神聖にして侵すべからず。第4条=天皇は国の元首にして統治権を総覧し・・・。第11条=天皇は陸海軍を統帥す。
安倍首相は、日本という国は、現行の平和憲法下で主権在民となり、一方、天皇は「主権の存する国民の総意に基づいて」日本国の象徴として存在しているという事実をしっかりと理解しているのだろうか。
2)「自由な社会を基本とし、規律を知る、凛(りん)とした国」とは
ここでのキーワードは「自由な社会」よりもむしろ後段の「規律」であり、「凛とした国」であろう。「自由な社会」はつけ足しのような印象がある。むろん社会生活を営む以上、規律は必要である。また「りりしいさま」を表す「凛とした」という日本語は今では廃(すた)れたも同然であり、だからこそ「りりしいさま」を再生して、個人、社会、国にも備わるようにできれば、それに越したことはない。 問題は首相が規律や凛とした国に何をイメージしているのかである。その答えは首相の次の所信表明の中に見出すことができる。
「<美しい国、日本>を実現するためには、次代を背負って立つ子どもや若者の育成が不可欠である。教育の目的は、志ある国民を育て、品格ある国家、社会をつくること。家族、地域、国、そして命を大切にする、豊かな人間性と創造性を備えた規律ある人間の育成に向け、教育再生に直ちに取り組む。まず教育基本法案の早期成立を期する}と。 要するに教育の再生であり、今臨時国会で成立をめざしている教育基本法の改定である。
「教育の目的は、志ある国民を育て、品格ある国家、社会をつくること」というのは、首相の持論である。その建前には大賛成である。しかし日本社会はなぜ志も品格も捨ててしまったのか。その背景究明から着手しなければならない。なによりもまず「カネ、カネ」の世の中で右往左往している政治家や企業人が、国民にお説教を垂れる前に、自らに志と品格が果たして備わっているかどうかを問うて反省し、出直すことが先決であろう
●「いのちは大切」なのか、「国家のために死ぬ愛国心が大切」なのか
また「家族、地域、国、そして命を大切にする人間の育成」も教育の目的として掲げている。いのちの尊重は当然のことである。しかし危惧の念を覚えるのは、著書『美しい国へ』で次のように述べている点である。
「今日の豊かな日本は、彼ら(敵艦にむかって散っていった特攻隊の若者たち)がささげた尊い命のうえに成り立っている。だが戦後生まれのわたしたちは、彼らにどう向き合ってきただろうか。国家のためにすすんで身を投じた人たちにたいし、尊崇の念をあらあしてきただろうか。 たしかに自分のいのちは大切なものである。しかし、ときにはそれをなげうっても守るべき価値が存在するのだ、ということを考えたことがあるだろうか。わたしたちは、いま自由で平和な国に暮らしている。しかしこの自由や民主主義をわたしたちの手で守らなければならない」(p107〜108)と。
「いのちは大切」と言いながら、他方では「国家のためにいのちを捨てる愛国心」という「死の美学」を力説している。後者に力点があることはいうまでもなく、そのための教育の再生であり、教育基本法の改悪である。いかにも時代錯誤にすぎるのではないか。自由と民主主義は生きるために価値があるのであり、死ぬためにあるのではない。
3)「未来へ向かって成長するエネルギーを持ち続ける国」とは
首相は所信表明で「安定した経済成長が不可欠」と次のように述べた。 「わが国が21世紀において<美しい国>として繁栄を続けていくためには、安定した経済成長が続くことが不可欠である。人口減少の局面でも、経済成長は可能である。イノベーションの力とオープンな姿勢により、日本経済に新たな活力を取り入れる」と。
さらに「再チャレンジが可能な社会をめざす」と以下のように指摘した。 「新たな日本が目指すべきは、努力した人が報われ、勝ち組と負け組が固定化せず、働き方、学び方、暮らし方が多様で複線化している社会、すなわちチャンスにあふれ、誰でも再チャレンジが可能な社会である。格差を感じる人がいれば、その人に光を当てるのが政治の役割である。内閣の重要課題として、<再チャレンジ支援策>を推進する」と。
小泉政権のスローガンは「改革なくして成長なし」であった。安倍政権は「成長なくして日本の未来なし」である。このように安倍政権が経済成長路線の追求を重要な政策目標として掲げたのは小泉路線の継承である。「経済成長は当然ではないか」と受け止める人も多いと推察するが、私はここにひそむ危険な方向を指摘したい。
●経済成長が招くもの(1)―格差の拡大
まず「弱肉強食のすすめ」である自由市場原理主義のもとで経済成長を追求すれば、格差拡大を招き、勝ち組と負け組を固定化させる傾向があることは常識といってもよい。 自由市場原理主義の本場、米国で今や所得格差が深刻化し、貧困層(4人家族の場合、家族の年収が約230万円以下)が米国民8人に1人(2005年のデータ・米商務省発表)の割合となっている。かつての世界一の「富裕国」も今では格差拡大の結果、「貧困国」同然の地位に転落している。
外交・軍事面での対米追随ぶりが目に余る小泉―安倍路線は、所得格差拡大面でも米国の後追い路線を走り続けようとしている。首相の「勝ち組と負け組を固定化させない」というセリフは、一握りの勝ち組の側の言い訳にすぎない。
●経済成長が招くもの(2)―石油の確保、そして参戦への道
もう一つ強調すべきことは、経済成長の追求は、成長に必要な石油などエネルギー資源の確保が不可欠となるという点である。首相は所信表明で次の指摘を行った。
「原油など資源価格の高騰が続く中、安定的なエネルギー資源の確保に努める」と。 ごく当然の所信表明にみえるが、首相著『美しい国へ』の中の次の認識と重ね合わせて読むと、その真意が読み取れる。同書は、イラクへの自衛隊派遣の大義について人道・復興支援のほかに石油資源の確保を挙げて、次のように指摘している。
「日本はエネルギー資源である原油の85%を中東地域に依存、しかもイラクの原油埋蔵量はサウジアラビアに次いで世界第2位。この地域の平和と安定を回復することは日本の国益にかなうことなのである」(p135)と。
日本はイラクから陸上自衛隊を撤退させたが、現実には今なお米国のイラク攻撃に参戦している。一つは航空自衛隊は依然として居残っており、活動範囲をイラク全土に広げている。もう一つは海上自衛隊がアラビア湾に常時2隻の自衛艦を配置し、米軍などのイラク攻撃に不可欠の石油を国民の血税を浪費して供給している。 これはどちらも補給や輸送など、いわゆる後方支援に相当するが、この日本の後方支援と米国などの前線での戦闘とは表裏一体であり、後方支援なしには戦闘は不可能である。これは欧米の軍事作戦上の常識である。だからいまなお日本はイラク攻撃に参戦しているのであり、この事実を米国は高く評価している。
以上のような参戦は日本にとって大義であり、国益に合致する、というのが安倍首相の認識である。この一点を見逃しては、「美しい国、日本」という美名のもとに首相が意図している危険な方向が霞の彼方にぼんやりして、みえなくなるだろう。
4)「世界に信頼され、尊敬され、愛される、リーダーシップのある国」とは
抽象的な表現が並んでいるが、ここでのテーマは改憲である。所信表明をもう少し丹念に追跡してみよう。次のように述べた。
「<美しい国、日本>の魅力を世界にアピールすることも重要である。(中略)国の理想、かたちを物語るのは、憲法である。現行憲法は、日本が占領されている時代に制定され、すでに60年近くが経った。新しい時代にふさわしい憲法のあり方についての議論が積極的に行われている。与野党が議論を深め、方向性がしっかりと出てくることを願っている。まずは日本国憲法の改正手続きに関する法律案の早期成立を期待する」と。
首相の頭の中では「美しい国、日本」と「改憲」とが重なり合っている。では現行憲法のどこをどのように改憲するのか。すでに「5年をメドに」改憲したい意向を明らかにしている。問題はどういう手順で、どこを改憲するかである。
●「集団的自衛権の行使」のタブーを捨て去る意図
手順では改憲手続きに関する法案の早期成立であり 、改憲の内容は集団的自衛権の行使(日米軍事同盟下で米軍が攻撃された場合、日本は攻撃されていないにもかかわらず、武力を行使して米軍への攻撃を阻止すること)に重点が置かれている。所信表明で以下のように述べた。
「日米同盟がより効果的に機能し、平和が維持されるようにするため、いかなる場合が憲法で禁止されている集団的自衛権の行使に該当するか、個別具体的な例に即し、よく研究してまいる」と。
「研究」だからといって、軽視してはならない。これは従来の政府見解ではタブー視されてきた「集団的自衛権の行使」ができるかできないかではなく、いかにすれば行使できるようになるかに知恵を出し合おうという試みである。 有り体にいえば、いかにして「悪知恵」を絞り出すか、それに、首相のお好みの表現を使えば、チャレンジしようという魂胆である。しかも明文改憲の前にも解釈改憲、つまり解釈の改革(?)によってタブーを投げ捨てようというハラであろう。その先にあるのは「日米ともに戦う」という、世界の中で孤立してゆくほかない危険そのものの道である。
以上、「美しい国、日本」の4つの姿を中心に、安倍政権が意図している危うい方向を探った。すでに多くの人が指摘しているように、所信表明演説にはたしかにカタカナ言葉が多すぎる。戦後生まれの初の首相という感覚のゆえかもしれない。しかし強調したいことは、それは枝葉末節の話であり、そこに幻惑されてはならない。 「美辞麗句にすぎる」、「内容が乏しい」という批評も目立つ。それは安倍政権の危険な方向を察知できないお人好しの表面的な感想にすぎない。彼の背後には現在の日米安保条約成立の立役者、祖父の岸信介・元首相が控えていることを忘れないようにしたい。
*仏教経済塾のホームページ
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