【openDemocracy特約】メキシコ市の中心にある巨大なキャンプ場で、5週間も興奮と長広舌が続いた後、大統領候補のアンドレス・マヌエル・ロペス・オブラドールは、ついにタブーを破った。メキシコの最高選挙裁判所が最終決定を下す直前に、彼と選挙の勝利者になることになるフェリペ・カルデロンの間のごくわずかな得票差を取り戻すことができずにいたこの左翼指導者は、自尊心のあるどのラテンアメリカの民主主義者も持っている蓄積した不安からの言葉で怒りをぶつけた。「われわれは、何の意味もないひん死の組織は脇にどけて、人々が決定できるよう意識革命を進めることを決めた」。
「そんな組織はまっぴらだ」とロペス・オブラドールは怒鳴った。
7月2日の大統領選挙の結果をめぐる争いで、小差で負けたとされたロペス・オブラドールが「並行政府」を設置することを決めたのは、カルデロンの合法性に挑戦し続ける決意を反映している。メキシコの民主主義への信頼を強化するような政治的結果を予想するのは難しい。しかし、一層の平等と国の介入を求めている急進的な指導者が選挙を通じて政権についているラテンアメリカの他の国では、法の支配の見通しは良いようには見えない。
ボリビアでは、エボ・モラレス大統領の社会主義運動(MAS)が、7月2日に選出された制憲議会を指導的な権力、つまり国のすべての法律の源泉とするよう迫っている。一方、東部低地の富裕層である彼の反対者たちは、議会を閉鎖し、権力を不当に奪い、布告による支配を復活させる陰謀であるとして警告している。
ベネズエラでは、現代の左翼的政治潮流の先駆けであるウゴ・チャベスの旅行代理店は、12月に選挙があると彼に警告する必要なかったようだ。大統領は最近、シリア、イラン、ベラルーシを訪問した。ベラルーシでは彼は、アレキサンドル・ルカシェンコに対して、3月の「デニム革命」を「無力化」することに成功したことを祝った。チャベスはフィデル・カストロの病床にも行った。キューバの指導者のとの3時間について、ハバナの国営新聞、グランマは「逸話と笑い、写真、贈り物とつつましいおやつの伴った感動的な交流の時間」と伝えた。
一方、ラテンアメリカの新しい標準類型学が、柔軟で市場に友好的な左翼と称賛している政権が運営している国でさえ、立憲民主主義の健全性は非常に疑問をもたれている。アルゼンチンのネストル・キルチネルの強硬な支配は貧困率の急激な低下(31.4%に低下)をもたらしたが、大統領は行政布告、批判に対する非寛容、それにポピュリストのやりかたで運営してきた。
ブラジルでは、ルイス・イナシオ・ルラ・ダシルバ大統領は10月1日の選挙に2期目の当選を目指しているが、この15ヶ月は彼の3人の側近がからんだ票の買収やその他の汚職事件に見舞われている。彼は反対派から、再配分のためのさまざまな社会プログラムを通じて、彼自身を3000万票の選挙要塞にしていると攻撃されている。
ペルーでは、アラン・ガルシア元大統領がポピュリストのオリャンタ・ウマラを僅差で押さえて当選したが、今後のエクアドルとニカラグアの選挙は左派の波を拡大し、民主主義についての疑問を拡大するかもしれない。地域の外交では脇役だが、チリとウルグアイだけが、現在、漸進的な欧州の社会民主主義のモデルを追求していると言える。
大陸での冷戦の独裁体制の中を、抵抗と異議申し立てで生きてきた多くのラテンアメリカの既存の知識人たちは、絶望で嘆いている。マリオ・バルガス・リョサ(訳注:ペルーの小説家)やウルグアイの元大統領、フリオ・マリア・サンギネッティのような者にとって、新しい急進的な指導者たちは、自国を「再創建」しているというより、マルチメディアの時代に古い独裁手法を選挙での拍手喝采でちりばめて、見栄えをよくするように変えているにすぎない。
この観点から見ると、ラテンアメリカの権威主義には3つの大きな波があった。19世紀に独立後の独裁者(パラグアイのガスパル・ロドリゲス・デ・ フランシアのような気まぐれな殺りく者を含む)、国家安全保障のドクトリンとキューバ革命後に左派が悪者扱いされたことに触発された20世紀の軍事的支配者、そして今日のモラレスとチャベスによって代表される「第3の波」である。
前者は民主主義を完全に遠ざけたが、後者は国民との協議の必要をすべて棚上げした。(アルゼンチンの1976年の軍事政権は「投票箱は安全に保管されている」と宣言した)。現在の世代を特徴づけているのは、それが「大多数による専制政治」を通して支配しているということである。長い間のうっ積した不満を利用して、すべての国の機関を制圧し、野党勢力を財閥、帝国主義者の言いなりになっているもの、貧者の敵としてらく印を押している。
米南方軍司令部によって誠意を持って提起されているこの話は、真実がないわけではない(同軍司令官のバンツ・J・クラドック将軍は「暴力的で、内向きの国家の逆流」を予測している)。レトリックのレベルで、モラレスとチャベスは大言壮語と対立の専門家である。その行動は、大衆の支持を得ようと、性急で、トップダウンになりがちである。例えば、ボリビアの5月1日の水素炭化物の国有化、チャベスの2001年における49にものぼる布告と絶え間ない軍備増強である。
国の内部では、状況や歴史の違いにもかかわらず、大統領の権限に新しい大権が生まれる。「余剰」石油収入と中央銀行の準備金からの約150億ドルが、大統領が指名する委員会によって運営される国家開発基金(FONDEN)というベネズエラの開発基金の管理の下にある。決定は167議席すべてがチャベス派によって占められている議会が形式的に行う。
「国民のポケットに手を突っ込むために、他の者がそれ(大統領の布告)を使った」とキルチネルは最近、アルゼンチンの支配の習慣を説明した。「わたしはそれを年金生活者のポケットを満たし、国民を守るために使う」。
公共権力のさまざまな手足が占領されていく。最初は行政府、そして議会、次に裁判所、公務員、軍と治安組織、国営企業、最後に報道機関と地方(これはチャベスでさえもまだ達成していない)である。権力の神秘化が深まる。優れた元ゲリラの反対者、テオドロ・ペトコフによると、チャベスは「不思議で宗教的な」人をとりこにする力を行使する。ロペス・オブラドールは「救世主的」な傾向があると非難されている。モラレスは、大統領の飾り帯をつける前の日にチワナクでコンドルの儀礼服を受け取った。
「自由に対する伝統的でよく知られた不安、陰湿で邪悪な感情がある」とチリの作家、ホルヘ・ エドワーズは、幻滅を洗練された形で大陸の「ナポレオンの模倣者」への好みについて書いている。
土地の問題
批判は正当である。だがそれ自体では、左翼の専制政治の幕開けを意味しない。キューバを除いて、すべてで野党勢力は健在で大きな声を上げている。投票の秘密、報道の自由、裁判はまだ機能している。刑務所が政治犯を受け入れようとしている兆しはまったくない。それでも、制度の活動停止が迫っている感は疑いなく強い。
ボリビアとベネズエラの中産、上流階級は、大いに称賛されているチャベスーモラレスーカストロの「善の枢軸」が何をもたらすのか不明確で、大きな不安感でハバナを見ている。ポピュリズムが大手を振っていることは耐えられるし、普通のことでさえある。それは地域全体で標準的なことであった。だが、ある国が革命的使命といわれているものを、他の国の最も深く根づいた制度、つまり私有財産に手を伸ばすことになると、それはまったく別のことである。
ラテンアメリカの豊かな社会層の恐れ、侵入してくる独裁体制の糾弾、国の所有構造を変えようとする試みがどの程度からまっているか、過小評価すべきでない。地域の社会は、何回も遠大な改革を耐えてきた。だがいつも、土地の問題が出てくると、対立抗争にはまり込んでしまった。
1973年9月のチリのクーデターの種は、改革派のキリスト教民主党政府下の1960年代に実際に始められた財産革命に対する恐れに見いだすことができる。それは。また、チャベスの非公式の最近の伝記が明らかにしているように、「大きな扇動を巻き起こした」2001年のボリバル法案の内容は、土地の法的管理と農業開発に関するものであった。チャベスはそれを「重要なもの」と言い、「わたしは自分自身でやった」と述べた。
土地改革の語彙が生み出す不快な神経症は(「収用」という言葉はラテンアメリカでは、暴力的な路上強盗と似たような含意がある)、歴史的な固い基礎からくる。侵略的な植民地支配によって形づけられて、地域の経済は何世紀にもわたって、一部の者にとっては素晴らしい生活、残りの者にとっては低賃金の農業労働を生み出した。所有権は言い換えると、富と地位を後世に残した。それは非常に保守的な形で社会的アイデンティティを規定した。また、大陸のあまり肥沃でない北部から、市場の革新、流動性、産業投資に対する能力を奪った。
基礎となる資産構造を変えようとする試みがなされる時は、民主的妥協の余裕は最小限になる。利益を得るものは、誰かの損失を犠牲にしてそれを行う。これはまさに、ゼロサム・ゲームである。
ボリビアは、この紛争の初期の状態にある。政府の当局者によると、2011年までに、約3500万エーカーの土地が250万人の人々、人口の28%に分配されることになっている。カトリック教会によると、この国では5万の家族が90%の土地を所有する。「貧しい人々の歴史的敵は、この土地革命を受け入れなければならない」とモラレスは6月に宣言した。副大統領で戦略首謀者のアルバロ・ガルシア・リネラによると、最終的な目標は、近代的工業(最初はガス生産)、都市の通商。伝統的農業からなる3階層の「アンデス資本主義」である。
農村地帯では既に撃ち合いや死者が出ている。東部のサンタクルスの低地での甲高い反対勢力は、抗議のネットワーク「ナシオン・カンバ」(訳注:ナシオンは国家、カンバはボリビア東部の人々のこと)をつくった。それは市民の指導者、ヘルマン・アンテロだけでなく、自警団員、レイシズム傾向、土地改革の中止を課題にしていることを誇っている。ヘルマン・アンテロは政府に対して、「権威主義的ファシズム」、「外国で書かれた転覆のマニュアル」を非難している。1953年と1996年に採択され、ほとんど効果がなかった法律に基づいている、土地の再分配の最も大きな部分が肥沃な東部であるのは偶然の一致ではない。
2005年12月にモラレスが大勝した選挙が、民主主義の基礎を脅かす対立をこんなに早く生み出すことは予測可能であったかもしれないが、ボリビアの大衆が大きく覚醒しているあり様には、何か不安なものがある。「この主導権争いで、民主主義は社会的変化を求める者とそれに抵抗する勢力の間の不安定なバランスでしかなくなっている」とアンナ・マリア・ロメロ・デカンペロは説明する。彼女は国を平和にするための活動をしている「ウニール・ボリビア財団」(訳注:ウニールは結び付けるという意味)を率いている。紛争はまだ拡大しており、悪化していると彼女は言う。
都市の人口密度が高い他の左翼政権の国では、農業改革を通じた同じような極端な分極化は起きていない。しかし、資産階級は朝のニュースに不安で震えている。ある人にとっては矛盾語法に見えるかもしれないが、カラカスにおける95の十分使われていないとみられる財産を没収する布告をめぐって、とてつもない騒ぎがチャベス派内部で起きている。そのうちのふたつはゴルフコースである。
アルゼンチンで昔はピケトロ(訳注:道路封鎖等を通じた抵抗運動をする人々)の指導者していて、現在は政府の住宅の当局者であるルイス・デリアは、より急進的な土地対策のために、特に外国人の所有の土地について、働きかけている。米国のビジネスマンのダグラス・トンプキンスに属する30万ヘクタールの土地から始めている。
しかしながら、これらの国では、違った形の再分配が心配の種を提供している。暴力的な犯罪は政府の方針ではなく、それが生み出しているテロである。ラテンアメリカは2003年に世界の誘拐事件の75%を占めている。最近の暴力的犯罪の急増は、富裕層が感じている自暴自虐と社会が彼らに用意している報復を拡散した形で表現しているように見える。
政府が断固とした支配を行使すべきところに、刑務所で構築された準国家が運営する領域が出現している。ブラジルでの首都第一コマンドPCC、都市の中心に野営する武装したギャングのネットワークがそれである。今年、ベネズエラのポルトガル人のビジネス社会がパニックになったのを想像することは難しくない。彼らの名前と住所のリストが街の露店で売られ、その後にインターネットに流されるたからである。 All power to the informal
すべての権力をインフォーマルへ
ポピュリスト左翼の傾向は、新しくも特別に脅威でもない。ジェトゥリオ・バルガスの下のブラジル、ペロンの下でのアルゼンチン、1952年からのボリビア、1968年からのペルー。みな同じ現象で民主主義的ではなく、合憲的でない種類のものであった。しかし、この新しい政治的環境はキューバの指導、制度的脆弱性、「彼らとわれわれ」という敵意に満ちたレトリックによって特徴づけられている。多くの人々にとって、言葉と行動において、民主的行き詰まりと全体的国家に向かっているように見える。ウゴ・チャベスは12月の選挙で負けたら、権力を手放すであろうか。
急進的な知識人は、親しみのあるが力強い議論で応じる。ラテンアメリカの革命の偉大な理論家、キューバのホセ・マルティとペルーのマルクス主義者、ホセ・カルロス・マリアテギを援用すると、彼らは、極度の貧困と戦う道徳的緊急性に由来する社会権利の優位性を強調している。フィデル・カストロはこの理由から大陸全土で大きな共感をまだ引き出している。彼の政府は2005年10月の地震の後、パキスタンに2600人の医療関係者の援助、大陸全土の600万人の貧しい人々への目の手術で、米国の自由の名のもとの戦争の輸出に対抗している。
「民主主義はラテンアメリカで脅威にさらされているが、それはボリビアとベネズエラおいてではない」とアルゼンチンの有名な社会学者のアティリオ・ボロンは言う。「大きな問題は、政府が有権者の期待に応える統治に失敗し、合法性に重大な腐食を招いているような国で見られる」。
社会福祉と市民的・政治的権利の完全割当が両立しない場合、前者を選ぶのは正しいであろう。しかし、先進西側からみると、この得失評価は疑わしくみえる。確かに1975年以降のスペインがそうだったように、ふたつが機能する方式が望ましい。確かに政治運動と政党が、権威主義者による政権奪取を阻止しながら、共通の利益に奉仕するために協調的協定を結ぶことは可能である。
しかしながら、最善の民主主義の青写真は、ある段階でラテンアメリカの国内の特殊性を認めなければならない。スペインの左右両派の政党は、立憲的取引を結び、以後30年間、成長と政権交代をもたらした。コロンビアでは1957年、ベネズエラでは1958年に、非常に似たような左右両派の協定が結ばれた。署名者は成長、人権、社会正義を約束した。しかし、コロンビアは40年間以上の内戦で消耗し、ベネズエラは1998年に行き詰まった。はびこる腐敗とよろめく国家の犠牲者である。
「われわれはどんな国にしたいのか、どのようにしたらいいのか、どのようにしたらできるのか、わからなかった」とチャベス政権の前政府の内相であったロモン・エスコバル・サロムは告白している。
一方、改革に向けて穏健な道をとりそうなそうした政党は、それらを最も必要とする国で姿を消してしまった。ベネズエラのボリバルの大義、ボリビアのMASなど新しい運動は政党制度のたそがれに台頭した。熱狂した草の根と全国的なメディアの存在を通じて極めて速いスピードで選挙区を席巻した。
そうした政党は、とって代わった政党とはまったく似たところはない。安定した党員、マニフェスト、代表者会議を捜すことは無駄な試みである。MSAは。数十の違った社会セクターと急進的な大義の中心である。MSAはそれらを管理することはない。一方、チャベスは、困惑するほどの多数のグループと地区委員会の頂点にいる。それらの組織は彼が1994年に刑務所から保釈されて以後、トヨタのサムライに乗ってベネズエラ全土を宣伝して回った時に生まれた。
これらの巨大で強力な運動の接着剤があるとしたら、それはある特徴的な社会経験である。それらは1990年代のラテンアメリカの典型的な産物である。国家が後退し、貧困が増大し、マスメディアが広がり、正式な契約雇用が衰えた。実際、この政治的変容の基盤にいるのは、ブラックマーケットの雇用で生計を立てている人たちである。地域の都市の仕事の47%がそうした雇用であり、ボリビアでは66.7%と大陸では最も高い。
限定的な労働法は別にして、彼らの生活にはセーフティネットが事実上ない。ラテンアメリカの75%の人は仕事を失うことを心配している。国は彼らのために何もしてこなかった。家は買うのではなく、建てるものである。2000年の国連の調査によると、カラカスの50%の家は非公式に建てられた。社会的に向上するという希望は事実上ない。
アルゼンチンの作家、トマス・エロイ・マルティネスは、大ブエノスアイレスのベラサテグイから来たひとりの男のケースをはっきりと記録している。シフトの仕事、極貧、抑制との戦いを簡潔に表している。時計をなくしたその工場労働者は、新しい時計を買えないため、夜間、時々起きてはバスの停留所に行き、時間を聞く。朝6時始まる仕事に遅れないためだ。
こうした有権者が全面的な変化を要求するのは驚くべきことではない。また、粗野なナショナリズムとゴールデンアワーのテレビの声明が政治的な反応であることも驚くべきことではない。大陸全土でのラティノバロメトロ社の調査によると、彼らの要求は、効率がよく、身近な政府である。財閥、石油・不動産所有者、帝国に対する、彼らの指導者の敵意は、大衆の共感を得て、高い期待をなだめている。
しかし、この性急さと戦闘態勢は、よりずっと現実的な要求で膨らんでおり、差し迫った権威主義に対する予後を複雑にしている。イデオロギーはあいまいで、気まぐれである。1990年代に革命的民兵を訓練したことで5年間、刑務所にいたアルバロ・ガルシア・リネラは、ボリビアの野党と外国投資家の主要な調停者になっているようだ。確かに、組織的革命計画も、成功させる国家体制もなく、そのような変革を支援するような冷戦の大国も存在しない。
注目すべきことは、大衆の社会的要求は、食料、医療、教育などの物質的なものである。そうしたものが将来、提供できなくなる恐れがあると、すぐに権威の指導者を弱体化させるであろう。例えば、チャベスは自由に使える膨大な運用資金を溜め込んだかもしれないが、2004年にカラカスでヒンターレイス社が行ったフォーカス・グループの調査では、その年の国民投票で彼を支持した者は、彼が公約を果たせなかった場合、いかに簡単に支持を変えるかを示している。
政権内部では、粗野でがさつな民主主義が事実上、通常の仕事上の慣行になっている。ボリビアでの頻繁な政府の混乱、特にガス田の国有化にからむものは、多くの強力な社会グループの不満の忠実な反映である。その最前線はエルアルトのスラムである。
これが、貧しい大多数による専制政治と利益誘導政治を受けている巨大な選挙区の建設を招くようであっても、犯罪、経済的安定と成長などの問題が、大衆の影響力を増すことを期待するのはもっともである。自由貿易の創造的破壊が、長期的には世界の働く貧しい人々の中から豊かな労働者を生み出すように、それらの政府は、社会の主流から取り残された人たちが野心のあるブルジョアジーになることを願っている。
物質的なものに対する声高な要求に煽られた水平的な運動は、独裁政治のさきがけではない。しかしながら、極端な分極化は、暴力的行動、独立した機関への抑圧、選挙ボイコット、自警団グループが盛んになるような環境を助長した。ポピュリスト政権の不細工な攻撃性を嘆いたり、非難することは簡単である。もっと難しいのは、それが政治と政府の腐敗の過程から生まれているということを受け止めることである。数百万の人々は、何の援助もなく生き、即席の救済策を約束するところに票を入れることになる。
特にブラジルの選挙戦が終わったら、近隣の穏健な政府は賢明な外交と協議で、これらの緊張の多くを和らげるべきである。それでも、内外のすべての関係者は、これらの新しい指導者は危険でも、使い捨て可能な操り人形でもなく、その社会の大きな高まりから押寄せてきている歴史の産物であるということを忘れてはいけない。キューバのホセ・マルティはそれを次のようにうまく言っている。「世界にわれわれの共和国の一部をつくらせよう。だが、基礎はわれわれの共和国のものでなければならない」
*イワン・ブリスコエ スペインのエルパイス紙の英語版編集長。
本稿は独立オンライン雑誌www.opendemocracy.netにクリエイティブ・コモンのライセンスのもとで発表された。
原文
http://www.opendemocracy.net/democracy-protest/latin_america_left_3947.jsp#
(翻訳 鳥居英晴)
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