世界の関心は北朝鮮の核実験、それに対する制裁に集まっている。それは当然としても、危惧の念を覚えるのは、メディアの異常ともいえる報道ぶりである。北朝鮮が世界で初めて核実験に踏み切ったかのような印象さえ与えている。核の脅威を本気で考えるのであれば、メディアはなぜ世界の核廃絶を主張しないのか、不思議である。 メディアの多くはいつのまにか核大国に都合のよい情報操作に対する抵抗力を失っているのではないのか。
▽北朝鮮の核実験は世界で2058回目
まず示唆深いデータから紹介したい。「北朝鮮が核実験してなぜ悪い」というタイトルの以下のような趣旨の記事(10月10日付インターネット新聞「日刊ベリタ」に掲載)が目についた。
1945年7月16日、アラモゴードの砂漠で米国が行った第1回核実験より地球上でなんと多くの核実験が行われてきたことか。米国は地上・地下あわせて1000回を超え、さらに旧ソ連、イギリス、フランス、中国、インド、パキスタン等の現在の核保有国が行った核実験をあわせると2057回! もちろん軍事機密に属することだから実際はもっと多くなるだろう。そのたびに死の灰を撒き散らすなど地球に深刻な核汚染をもたらしてきた。(中略)そして北朝鮮は2058回目の核実験をやってしまった。
以上のような事実を指摘する一般メディアは残念ながらまだない。米国が広島、長崎に原爆を投下したのが、1945年8月で、その前月に世界で最初の核実験が行われ、今回の北朝鮮の核実験はなんと2058回目だというのである。
▽「北の脅威」を煽るメディア
さて大手メディアの北朝鮮の核実験(10月9日)に対する最初の反応はどうであったか。以下に社説(あるいは主張・10月11日付)の見出しを紹介する。
朝日新聞=暴挙に強く抗議する―北朝鮮の核実験 毎日新聞=世界を敵に回した北朝鮮―安保理は協調し圧力強化を 読売新聞=北朝鮮核実験―『危険な新たな核の時代』だ 日経新聞=厳しい制裁で北朝鮮に核廃棄を迫れ 産経新聞=身勝手許す時期過ぎた―中韓露も政策転換のときだ 東京新聞=平和・安定への挑発だ―北朝鮮が地下核実験
以上のような各紙社説の見出しを一見しただけでも、その内容は推察できよう。「北朝鮮の核の脅威」をかき立て、その一方で米英仏露中という核保有大国の核の脅威には一言も触れていないのが特徴である。まして世界から核の脅威を取り除く究極の政策手段である核廃絶の長期展望はどこにもうかがえない。
聞くところによると、安倍首相はマスメディアの中では特に朝日新聞を嫌っているらしい。しかしその朝日新聞社説(同上)は次のように論じた。「北朝鮮に国際社会はどう対応すべきなのか。日本や韓国の安全を守るのは米国との同盟関係であり、それを基礎に外交的に事態の収拾にあたる。この原則を3国でしっかり確認することだ」と。
安倍首相は、日米安保=軍事同盟の容認論に立つ朝日新聞の主張のどこが不満なのだろうか。推察するに首相は最近の朝日新聞をしっかりと読む努力を怠っているのではないのか。それとも憲法で保障されている言論、思想の自由が十分に理解できていないのか。あるいは一国のリーダーとしての器量が狭量にすぎるのだろうか。
日頃、見識をうかがわせる東京新聞社説にも寸評を試みたい。次のように書いた。「北朝鮮の暴走は止まらない。(中略)世界、とりわけ北東アジア地域の安全保障に重大な脅威になるのは間違いない」と。珍しく冷静さを欠いた社説とはいえないか。
たしかに暴走である。しかし脅威論を強調するからには、ブッシュ米大統領の「イラン、イラク、北朝鮮は悪の枢軸」(2002年の一般教書)という認識に立つ先制攻撃戦略、そういう戦略の実戦機能を果たすための日米安保=軍事同盟が実は大量の核を含む世界最強の軍事力で武装し、北朝鮮を睨んでいる事実から目をそらすべきではないだろう。これは相手に対する巨大な脅威ではないのだろうか。
▽早くも登場した「北、自滅」の戦争シナリオ
ここで「北、自滅のシナリオ」(10月14日付毎日新聞)と題する軍事アナリストの描く戦争シナリオを紹介したい。北朝鮮に対する国連憲章第7章にもとづく制裁の重要な柱が船舶検査で、それがきっかけで戦争に発展する可能性があるというシナリオである。
北朝鮮側の抵抗で、銃撃戦にでもなれば、米国は「待ってました」とばかりに「反撃」に出る。米国はまず北朝鮮の核施設などに対する「外科手術的攻撃」(サージカル・ストライク)から始め、さらに本格的な航空攻撃に移行する。攻撃のために韓国にはすでにF117攻撃機、グアムにはB2爆撃機が展開している。長期化、泥沼化のシナリオもあるが、最短の場合、数日で北朝鮮の体制は崩壊する―これが米国のシナリオだということらしい。
この戦争シナリオは、多くの人命、日常の暮らし、さらに自然環境の破壊をもたらす現実の戦争をインターネット上のゲームと勘違いしているのではないのか。1945(昭和20)年8月、あの大戦が敗戦で終結したとき、私は小学校5年生であった。敗戦に至るまで「鬼畜米英」、「ちゃんころ(中国人の蔑称)をやっつけろ」と叫ぶ日々がつづいたように記憶している。
その挙げ句の果てが日本人だけで310万人にものぼる戦争犠牲者を生み出した。昨今の「北朝鮮の脅威」の大合唱の陰から60年以上も昔の「〇×をやっつけろ」という偏狭にして排外主義的な合唱がよみがえってくる。この道はやがてわが身に取り返しのつかない悲劇として降りかかってくる恐れが十分あることを忘れないようにしたい。
▽世界平和アピール七人委員会と「核兵器廃絶」の訴え
核の脅威にどう対応したらよいのか。その根源的な解決策は何か。それは核廃絶をどう実現させていくか、その成否にかかっている。 ここでは世界平和アピール七人委員会(委員は伏見康治 武者小路公秀 土山秀夫 大石芳野 井上ひさし 池田香代子 小沼通二の各氏)の「朝鮮民主主義人民共和国の核実験発表にたいするアピール」(06年10月11日)は、一般紙ではほとんど報道されていないので、その全文を紹介する。アピールの眼目は「核兵器の廃絶」である。
私たち世界平和アピール七人委員会は、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)政府が発表した10月9日の核兵器実験実施について、いかなる条件の下であれ、朝鮮半島と日本を含めた周辺、ひいては世界の平和と人間の安全保障の立場から、反対を表明する。核兵器によって、国の安全が保証されると考えるのは幻想に過ぎない。1945年以来、世界各地で発生している被爆の実態を思い起こせば、人類が核兵器と共に存続していくことができないのは明らかである。
私たちは、日本はじめ関係各国が、北朝鮮がこのようなかたちで自国の安全を保障しようと結論した遠因を冷静に分析すること、そして、国連において同国をいっそう孤立させて東北アジアにおける平和の実現を困難にしないことを、切に希望する。
私たちは、10月3日の北朝鮮外務省の声明第3項目に注目する。そこには、北朝鮮の最終目標が、朝鮮半島とその周辺から核の脅威を根源的に取り除く非核化である、と明言されている。北朝鮮政府は、6か国協議の場で、この最終目標に向けて共に努力すべきである。
▽東北アジア非核兵器地帯構想の実現を
この目標は、かねてから日本でも民間から提案されている東北アジア非核兵器地帯構想そのものである。私たちは、今年9月8日に調印された中央アジア非核兵器地帯の実現に向けて、日本政府が大いに協力してきたことを評価する。いまや非核兵器地帯は、南極を含む南半球から北半球に広がりつつあり、大気圏外の宇宙、海底もすでに非核兵器地帯になっている。日本政府は、核兵器廃絶に向けて重要な一歩を進めることになる日本を含む非核兵器地帯の実現に向けても、最大限の努力をするべきである。
関係諸国は、国連において国連憲章第7章に訴える措置を講じ、あるいは進める前に、韓国が進めてきた朝鮮半島の南北会談を支え、米朝、日朝の話し合いをすすめていくべきである。国際紛争は、いかなる場合であっても、戦争以外の話し合いで解決を図るべきである。武力によって安定した繁栄をもたらすことはできない。武力行使につながる動きは決してとるべきではない。
さらに根本的には 核兵器保有国が核兵器に依存する政策を続ける限り、核兵器を保有したいという誤った幻想を持つ国が続くことは確実である。核兵器保有国は、今回の北朝鮮による核兵器実験が、核拡散防止の国際的な枠組みを弱体化させ、それに拍車をかける動きであることを直視して、核兵器の不拡散に関する条約(NPT)第6条の精神に立ち戻り、核兵器廃絶に向けて速やかに真摯な行動を起こさなければならない。世界がいつまでも現状のまま続くと考えるのは間違っている。
私たちは、朝鮮民主主義人民共和国政府に対し、初心に帰って、同国声明が言うとおり、朝鮮半島とその周辺の非核化に向けての建設的な話し合いを速やかに開始することを求めるとともに、日本政府をはじめ、関係各国政府が世界の平和と人類の生存をかけて、朝鮮民主主義人民共和国政府と、前提条件をつけることなく真剣な話し合いを始めるよう求めるものである。
▽核不拡散条約第6条の「核大国の核軍縮交渉」に注目
以上のアピールに大筋では賛成したい。大事な点は核大国こそが自らの核軍縮に取り組み、最終的は核廃絶を実現するためのプログラムをつくることである。 世界の核弾頭は総計約3万発あるといわれる。その内訳は次の通り(朝日新聞10月11日付・参照)。 ロシア=16000以下 米国=10300以下 中国=410 フランス=350 英国=200 イスラエル=100〜170 インド=75〜110 パキスタン=50〜110
注意を喚起したいのは、核兵器不拡散条約(NPT)第6条が、「核軍縮交渉」について次のように定めていることである。 「各締約国は、核軍備競争の早期の停止及び核軍備の縮小に関する効果的な措置につき、並びに厳重かつ効果的な国際管理の下における全面的かつ完全な軍備縮小に関する条約について誠実に交渉を行うことを約束する」と。
このように核不拡散条約は「核大国の核軍縮の誠実な実行」を定めていることに着目する必要がある。核の脅威の根源は、米英仏露中という5大核保有国が大量の核保有に固執するエゴにあり、その核覇権主義にある。だから人類が核の脅威から解放されるためには核保有大国の核軍縮と核廃絶への意志とその実践が先決である。
▽メディアが歴史的責任を問われる日
ところが米国をはじめとする核保有大国は自国以外の非保有国への核拡散のみを阻止することに重点を置いている。「北朝鮮の核の脅威」もそういう核拡散阻止の意図に沿って喧伝されているが、その一方で米国はいわゆる「二重基準」によってイスラエルなどの核保有には寛容すぎる身勝手さをみせている。これでは核不拡散も説得力をもちえない。
多くのメディアは、なぜ核大国の核軍縮、核廃絶を棚上げするための情報操作とでもいうべき罠から自由になれないのか。核大国のエゴに対する批判力を衰微させて、現実の悪しき流れに乗せられているというほかない。「北朝鮮の核」を批判するのは当然だが、同時に「核大国の核」への批判の手をゆるめてはならない。
ジャーナリズムにいま求められていることは、特定の国の「脅威」の大合唱ではなく、核保有国すべてに対する「核批判」、そして「核廃絶」の大合唱である。この視点を忘れて、脅威を煽ることにとらわれていると、遠からずジャーナリズムの歴史的責任を問われる日が来るだろう。
*安原和雄の仏教経済塾
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