毎日新聞(06年11月10日付夕刊・東京版)の梅棹忠夫さん(京大人文科学研究所教授などを経て、現在、国立民族学博物館顧問)とのインタビュー記事にはちょっぴり驚いた。2ページ目のほぼ全面をつぶす「特集ワイド」で、真ん中に「非武装の先頭走者や」という大きな活字が躍っている。脇見出しに「米国の傘に入っとったらよろしい」とある。 一読して「いつから日本は非武装国家になったの?」、「米国の傘は本当に安全なのか」という疑問を抱いた。繰り返し読んでみると、それほど単純な話でもないらしい。これは一例にすぎないが、最近の新聞記事は、真意を理解するのに骨が折れるものが少なくない。
以下に梅棹節(ぶし)・非武装論と「核の傘」論を私なりのコメントつきで紹介したい。
▽「世界のトップランナーや。非武装国家でね」
まずこう語っている。 「今の日本は、かなりいい状態にあると見ていますよ。世界のトップランナーや。非武装国家でね」と。 これだけで判断すれば、「今、日本は非武装国家として世界のトップランナーだ」としか読みようがないだろう。そういう意味なら、事実に反する。日本は非武装どころか、すでに軍事強国の地位にある。以下に関連データ(防衛庁編『平成18年版防衛白書』から)を紹介する。
*年間の防衛費(軍事費)は約5兆円=年間の軍事費ベースでは世界の軍事費全体(約1兆ドル=110兆円超)の半分近くを占める米国は別格として、次にランクされるのが英、仏、日本などである。 *自衛隊員の定員(06年3月末現在)=約25万人(うち現員約24万人) *主な兵器保有数(同上) ・戦闘機371機、輸送機112機 ・護衛艦(軍艦)53隻、潜水艦16隻 ・戦車950台、装甲車950台、ロケット弾発射機等1,670機 *日米安保=軍事同盟下の日本列島は米国の「核の傘」の中にある。世界の核弾頭保有数約3万発のうち米国の保有数は「1万300発以下」といわれる。地球を何回も破壊できる核保有数である。
▽「国家の武装を解くことが、これからの世界の歩むべき道」
次のようにも語っている。 「自衛隊が名残としてあるが、軍はない。豊臣秀吉が刀狩りで農民の武装解除をしたように、国家の武装を解くことが、これからの世界の歩むべき道です。日本はその先頭に立っている。自信もったらええ」と。 この言い分もなかなか理解しにくい。まず「自衛隊は軍隊ではない」と言いたいらしいが、これは歴代保守政権のごまかし答弁そのままの語り口であり、心底そう思っているとしたら、梅棹先生、いささかお人好しすぎないだろうか。
次に「国家の武装を解くことが、これからの世界の歩むべき道」という主張は正論であり、諸手を挙げて賛成したい。ただこれにつづく「日本はその先頭に立っている。自信もったらええ」もまた理解するのがむずかしい。 平和憲法9条(戦争放棄、軍備及び交戦権の否認)の規定ではたしかに世界の先頭に立っている。しかし今の安倍政権はこの9条を改悪し、正式の軍隊としての自衛軍を保持しようと目論んでいるのだから、決して先頭に立っているわけではない。その反対である。後ろへ向かって走りつつあるのである。
ここはこう言い直したら、いかがなものか。 「日本は憲法改悪などはやめて、9条の理念を生かし、軍事強国の中で国家の武装を解く先頭に立ってほしいものだね。そうすれば、日本人として世界に向かって誇りと自信をもてるのではないか」と。
▽「核競争を始めたら、世界は破滅の道や」
梅棹さんは、安倍首相が憲法9条について「時代にそぐわない」と改憲を公言していることには手厳しい。次のように述べているところは教えられる。 「戦争の悲惨さちゅうもんをどう思うてるのや。60年もたつと、格好ええとこだけ思い出して、あとは忘れる。戦争体験を持たない人は、気をつけなあかん。怖さを知らんから。そんなばかげたことを考えてる人があったら、みんなで阻止せなならんな」と。 お説の通りである。100%賛意を表したい。
北朝鮮の核実験後の自民党政調会長や外務大臣から繰り返される「核保有論議」については次のように語っている。 「なにをゆうてるか。核競争を始めたら、世界は破滅の道や。今は、もし外敵が来よったら、米国に排除してもらうことになっとる。せっかくそういう恵まれた状況にあるのだから、米国の傘の中に入っとったら、よろしいがな」
「核競争を始めたら、世界は破滅の道や」という認識はその通りであり、これまた100%共有認識としたい。ただ後段の「米国の傘の中に入っとったら、よろしいがな」という認識は共有できない。「米国の傘」とは、「核の傘」以外ではありえないだろう。 「核は世界破滅への道」という正しい認識をもちながら、なぜ米国の核の傘なら、是認できるのか。米国の核だけは正義の核だ、とでも言いたいのだろうか。不思議である。広島、長崎に原爆を落としたのは、実は当のアメリカそのものであることをまさかお忘れになったわけではないだろう。
▽「外敵が来よったら、米国に排除してもらう」は本当?
「もし外敵が来よったら、米国に排除してもらうことになっとる。せっかくそういう恵まれた状況にあるのだから・・・」という認識も気にかかる。他国への依存症もここに極まる、という印象である。なぜそう言えるのか。
歴史的経緯からいって、日米安保体制は日本側の要請によって米国が自国の意志に反して引き受けたのではない。その逆である。米・中ソ対立(米国と中国・ソ連との軍事的対立)を背景に米国の世界戦略の一環として、日本はアジアにおける「反共産主義の砦」と位置づけられ、沖縄を中心に巨大な米軍基地網の配置を日本は「美しき日本列島」上に許容することになった。日米安保条約で米軍の基地を受け容れたわけで、これこそ米国の押しつけである。
しかしやがて米中は握手し、さらに米ソ冷戦時代も終わり、ソ連は崩壊し、現在では中国、ロシアは米国の敵対国ではなくなった。目下、「敵対国」とされているのはブッシュ米大統領の唱える「悪の枢軸」としてのイラク、イラン、北朝鮮である。しかも正当性を欠く米国主導のイラク攻撃に象徴されるように、飛び抜けて強力な軍事力を盾にした米国の単独覇権主義の無慈悲な振る舞いが目に余る。 その単独覇権主義のための前進基地として日本列島は、米国にとってまさに不沈空母ともいうべき機能を果たしている。米国にとってはそれほど貴重な日米安保体制といえるのである。
重要なことは、米国が日本を外敵から守ってくれるのではなく、仮に米国が北朝鮮と一戦を交えるような事態になったとき、日本が米国を軍事的に支援することになる点である。それが安倍政権になってから急速に具体化しようとしている「集団的自衛権の行使」という問題である。ここを見逃してはならないだろう。
例えば、日本海で日本の護衛艦が米艦と行動を共にしているときに、米艦が北朝鮮を挑発し、その結果、攻撃されれば、日米軍事同盟下の集団的自衛権の名のもとに日本の護衛艦もそれに反撃できるという筋書きである。 だから日本が「もし外敵が来よったら、米国に排除してもらうことになっとる。せっかくそういう恵まれた状況にあるのだから・・・」などとみるのは錯覚であろう。
▽錯覚、思いこみから解放される着眼点はなにか
安全保障論には大別して「国家の安全保障」、「人間の安全保障」、さらに「いのちの安全保障」の3つがある。 良くないのは「国家の安全保障」すなわち「国家権力中心の安全保障」で、「安全」「平和」を売り物にしながら、その実、人間やいのちを虫けら(虫たちに失礼!)のように蔑(ないがし)ろにし、世界を破壊と殺戮に追い込んでいる。なにかといえば軍事力を振り回す国家テロリスト集団とでもいえるような存在である。米国主導のイラク攻撃がその一例であろう。米国をはじめとする軍事強国はすべてこの安保論に立っている。
こういう国家安全保障を信奉する確信犯たちは別にして、多くの心美しき善良な人々が錯覚、思い込みによって陥っている国家安保論の悪しき罠から自由になるには何が必要か。
まず第一に軍事力は安全や平和のために本当に役に立っているのか、を考えてみること。 ヒントとして米国の金融、国防総省など中枢部を航空機という非武装的手段で襲撃した「9.11テロ」(2001年)を世界最強の米国軍事力をもってしても防ぐことができなかったという事実、さらに米国主導のイラク攻撃の挫折―などを挙げたい。
第二に日米安保=軍事同盟は本当に「日本のための安全と平和の砦(とりで)」なのか、と疑問符を投げかけてみること。 そうすれば、異なった視界が開けてくる。例えば米軍にとっては在日米軍基地がイラクへの出撃基地として役立っている。大事なことはイラクが日本を軍事的に攻撃したのかどうかである。事実は決してそうではない。それとも日本が米国の軍事攻撃に協力しなければ、イラクが日本を攻撃するとでもいうのだろうか。これまたそうではない。 イラクへの攻撃はもともと大義がなかったのであり、先の米国の中間選挙でブッシュ大統領の共和党が大敗したのも当然の成り行きである。
なお関連記事として、この仏教経済塾に掲載の以下の記事を参照してください。 *なぜ核廃絶を主張しないのか―北朝鮮の核実験と異常なメディア(06年10月15日掲載) *首相の「美しい国」を批判する―その時代錯誤にして危うい方向(同年10月2日掲載) *ふたたび日本を滅ぼすのか―針路誤る安倍自民党丸の船出(同年9月27日掲載) *MDでほくそ笑む「軍産複合体」―北朝鮮ミサイル「脅威」の陰で(同年7月13日掲載)
*安原和雄の仏教経済塾
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