自由と人権を擁護するために活動している個人または団体に贈られる「多田謡子反権力人権賞」の今年の受賞者に、「日の丸、君が代」強制に反対して東京都教委から停職処分を受けた根津公子教諭(東京・鶴川二中)ら3氏・団体が決まった。同教諭のほかは狭山差別裁判「被告人」の石川一雄氏と反弾圧救援活動の「救援連絡センター」。根津教諭の処分にたいする都教委とのたたかいの報告は、日刊ベリタにも掲載され大きな反響をよんだ。その記録は本サイト左側の特集「根津教諭の『君が代』拒否」でお読みください。(ベリタ通信)
「多田謡子反権力人権賞」は、あらゆる差別、抑圧、国家権力の弾圧と闘う活動を行いながら1986年12月に29歳の若さで急逝した弁護士、多田謡子さんの活動を引き継ぐために設けられた。1989年に設立された「多田謡子反権力人権基金」が受賞者の選考にあたり、18回目の今年は16にのぼる推薦侯補者の中から上記の方々が選ばれた。
*多田謡子反権力人権賞
http://www.ne.jp/asahi/hinodenomori/tokyo/Tadayoko-shuisho.htm
受賞者には賞金10万円と多田謡子の著作『私の敵が見えてきた』が贈呈され、12月16日(土)の受賞発表会において受賞者が講演する。発表会は午後2時から5時まで東京・総評会館(千代田区神田駿河台3−2−11、電話03−3253−1771、JR御茶ノ水駅より徒歩7分)で行なわれる。
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《受賞理由》
● 石川一雄氏
1963年5月1日、埼玉県狭山市で県立高校1年の女子生徒が下校途中行方不明 になり、現金20万円を要求する脅迫状が自宅に届く中、同月4日、女子生徒は 遺体で発見されました。埼玉県警は杜撰な捜査から犯人を取り逃すという失態を取りつくろうため、現場近くに住んでいた24歳の部落出身の青年である石川一雄さんを別件逮捕し、代用監獄における自白強要の連日の取調べにより、虚偽の自白を引き出したのです。石川さんは全く身に覚えのない殺人事件によって無期懲役とされ、1994年に仮釈放されるまで服役を余儀なくされました。 石川さんに対する確定判決が証拠に基かない予断に満ちたものであり、筆跡、筆記能力、万年筆の発見状況等非科学的で杜撰極まりないことは、2次にわた る再審請求の中で明らかになっており、石川さんに対する捜査、裁判は、被差別部落出身者を狙い撃ちにした差別に基くものに他なりません。 当運営委員会は、石川一雄さんの狭山差別裁判に対する43年間の闘いに心から敬意を表し、本年5月23日になされた第3次再審請求に基いて事実調べ・再審開始決定を実現し、一日も早く無実無罪を勝ち取る闘いに連帯の意を込めて、石川一雄さんを受賞者として選考しました。
● 根津公子氏
国旗国歌法が制定されるにあたって、政府がしめした「国旗の掲揚等に関し義務付けをおこなうことは考えておらず・・・」という見解にもかかわらず、学校で日の丸掲揚、君が代斉唱を強制する動きは全国で強まり、東京都教育委員会は「卒業式、入学式等の学校行事において、教職員に対し、国旗に向かって起立し、国家を斉唱することを命じ、それに違反した場合は、懲戒処分を科す」という、いわゆる10.23通達を出し、処分の脅しを背景にして教員への不当な締め付けを強めています。 根津公子さんは、1994年に勤めていた八王子市立石川中学で、職員会議を無視して校長が掲揚した日の丸を降ろして処分されて以来、9回におよぶ処分に も屈せず、入学式・卒業式での日の丸・君が代の強制と闘い続け、2006年3月 には最も重い停職3ケ月の処分を受けましたが、停職中も中学校の校門に出勤 し続けました。本年9月、東京地裁は10.23通達を、教育基本法で禁止された 「不当な支配」にあたるとして、「国歌斉唱時の起立、斉唱、伴奏の義務はない」などとする判決を出しましたが、東京都が控訴したため闘いは続いています。 当運営委員会は、教員としての良心にしたがって日の丸・君が代の強制と闘うすべての教育労働者に心から敬意を表し、今後も続く闘いへの連帯の意思を込めて、その代表として根津公子さんを受賞者として選考しました。
● 救援連絡センター
反権力運動へは弾圧があります。たたかい方はさまざまに変わってきましたが、弾圧の先鋒は警察であり、検察であり、裁判所であることに変わりありません。かつてのように逮捕者が多数出るわけではありませんが、ビラ入れや反戦落書き、有印文書不実記載など、微罪による逮捕、起訴、有罪判決など、表現の自由を侵し個人の内面にまで踏み込むところまで、弾圧は広がっています。 救援連絡センターは、1968年、三里家、王子野戦病院、10・8羽田、10・21 闘争などに対して膨大な逮捕者が出たときに、それぞれの救援会が集まったことを契機に、1969年に発足しました。それ以降、いかなる運動への弾圧にも平等に対処することをモットーに、逮捕者への弁護士選任、面会・差し入れ、弾圧立法への反対運動、死刑廃止、獄中者への支援、月刊でのニュース発行など、 37年間にわたって活動を続けてきました。不幸にして逮捕された者にとっては、いまは頭に3が付きますが「591−1301 獄入り意味多い」という電話での弁選は唯一の光明であり、弁護士接見は孤立した被疑者にとって大きな心の支えになっています。 又、多田謡子は弁護士になった当初から救援連絡センターを通じた弁護活動に積極的に関わり、その関わりの中から弁護士としての方向性を見出し成長していったことも事実です。 当運営委員会は、救援連絡センターの長期にわたる反弾圧救援活動に心から敏意を表し、多田謡子が心からその活動に共感を抱いていたことを確認して、同センターを受賞者として選考しました。
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