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橋本勝21世紀風刺絵日記
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2007年01月05日18時07分掲載
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沖縄“密約”は明らか 「西山太吉・国家賠償訴訟」結審、3月27日に判決 池田龍夫(ジャーナリスト)
沖縄返還交渉をめぐる“密約”問題は、35年経ってもベールに閉ざされたままだ。佐藤栄作・ニクソン日米両国首脳が交わした“密約”の存在が、米外交文書公開などで明らかになってきたのに、日本政府はいぜん隠蔽し続けている。この問題は、元毎日新聞記者・西山太吉氏(75)が1971年5月から6月にかけて入手した極秘電信文に、「米側が支払うべき軍用地復元補償費400万ドルを、日本側が密かに肩代わりする」と記載されていた事実を暴露したのが発端。佐藤政権は、密約を隠蔽するため“国策捜査”ともいえる姿勢で臨み、「沖縄返還密約事件」を「外務省機密漏洩事件」にすり替えて、西山氏と外交資料提供の女性事務官を逮捕、有罪にしたのである。その後、2000年の米外交文書公開を突破口に、“日米密約”を裏書きする新証拠が続々出てきた。
西山氏は2005年4月25日、「密約を知りながら違法に起訴したうえ、密約の存在を否定し続けたことで著しく名誉を傷つけられた」と、国に謝罪と約3300万円の損害賠償を求める訴訟を東京地裁に起こした。同年7月の第1回口頭弁論から1年半、9回の弁論を重ねてきた。
第9回口頭弁論は2006年12月26日、東京地裁で開かれ、加藤謙一裁判長が冒頭「今回で弁論を終結する」と申し渡し、最終審理に入った。原告・被告双方の提出文書を確認したあと、原告代理人・藤森克美弁護士が10分余にわたって最終弁論を行なったが、裁判所に[甲70号書]として提出済みの澤地久枝著『密約──外務省機密漏洩事件』」の主要個所を紹介しながら、「密約の本質は明らか」と訴えた。淡々とした語り口に説得力があり、加藤裁判長が身を乗り出すようにして耳を傾けていた姿が印象に残った。藤森弁護士が法廷で読み上げた、澤地氏の鋭い指摘の一端を再録し、参考に供したい。
<blockquote> 「昭和46(1971)年6月17日の沖縄返還協定までの外交交渉において、佐藤栄作内閣ならびに外務省中枢の主務者たちによって米国政府との間に《密約》が結ばれた。相手国あっての外交であれば、限られた期間、守られるべき秘密があることは当然ともいえる。しかし、代理民主制を建前とするこの国で、国民にも知らせることのできないような国家機密は、きわめて限定されるべきであろう。譲歩につぐ譲歩、妥協につぐ妥協によって、基地の島沖縄をそのまま買いとったのが返還交渉の実情であり、蓮見→西山の連繋によって辛うじて公けになった基地復元補償400万ドル肩代わりは、いわばかくされた《密約》の氷山の一角に過ぎない。真実の全容は闇から闇へである」
「アメリカが議会に対する約束を楯として、沖縄返還にあたり1ドルの支出もできないことを強く主張して『国益』と議会に対する信義を守ったのであれば、日本側は、国会(ならびに主権者)に対して、妥協譲歩しつつ沖縄返還の実をとらざるを得ない歴史状況・政治力学を明らかにする義務があったと私は思う。しかし、『密約なし』と国会で強弁をくりかえした佐藤首相は、日米間の電信文という動かぬ証拠をつきつけられて、あたかも政治責任をとるかのような意思表明をしながら責任を回避、検察当局は《密約》暴露に一役買った男女を告発し、いわゆる『下半身問題』を表面化させることで世論の矛先をそらさせると同時に、問題の本質を比較もならない卑小で低次元なものにすりかえてしまった」
「『情通問題』の目つぶしをくらって世論が流れを変え後退する中で、昭和47(1972)年5月15日、傷だらけの沖縄はともかく27年ぶりに本土に復帰し、6月17日、佐藤首相は7年8ヵ月という首相としての最長不倒記録を確立して、引退の花道を去っていった。佐藤首相としては、最長不倒の記録の最後の花が、沖縄本土復帰の実現であり、その内幕について誰からもうしろ指をさされたくない心境であったことは推測できる。しかし、主権者の投票によって選ばれた政治家であり、与党であり、さらに政権担当者であることを考えれば、肩代わり400万ドルの損出を生じ、余分な税金を使った責任は、タックス・ペイヤーである国民に対して明らかにするべきものであったはずである。だいたい、基地復元補償の一点に限ってでも、ともかく日本の主張が通ったという見せかけをつくるために、わざわざ肩代わりの財源を提供する姑息な面子とはなんだったのだろうか。それが国家公務員法でいうところの『国家秘密』とよび得るものであったかどうか。ごく平静に常識的に判断をすれば、結論は『否』でしかない。だが、政治家たちや外務高級官僚たちの政治責任は問われることなく、裁きの場に一組の男女が被告人として残された。そして控訴審では西山氏一人になった」
「法律の世界とは、奇妙な世界である。事柄の本質からみれば枝葉の部分にいる人間を国家公務員法違反の罪に問う。そして、西山氏は『国家秘密の取材』にかかわって法廷で裁かれる最初の新聞記者であった。『国家秘密』を取材した新聞記者が罪に問われる法律があるなら、国会と主権者に対し欺瞞と背任をおこなった政治家を告発する法律があってもよさそうなものである。しかし、『国民の知る権利』という正統的で受身な主張はなされたが、主権者の側からの法律上の告発はなかった。選挙がそれにかわるものとして存在するわけだが、投票する側の意識にはその因果関係の自覚は希薄であったように思える。『国家秘密』とはなにか。報道の自由とはなにか。西山氏の蓮見さんに対する言動が国公法の『そそのかし』に該当するか否か。法廷の争点はここへ絞られて、沖縄返還の内実も佐藤内閣の本質すりかえの責任も法廷では問われない。起訴状にそった検察対弁護側の応酬がくりかえされるのが裁判である。それが常識・常道であるとはいえ、事件の本質の質量に比べてきわめて限定されたたたかい──。それが裁判というものに約束された世界であった」</blockquote>
「沖縄返還密約事件」裁判を熱心に傍聴、最高裁判決に至る経過を検証し問題点を探り続けた作家・澤地久枝氏の分析力・洞察力に改めて敬服した。30余年前に書かれたものだが、視点の鋭さはさすがだ。「西山国賠訴訟」の最終弁論に立った藤森弁護士が、その内容の一部を引用しながら、「密約の存在」を暴く補強材料に使った意図が分かる。
藤森弁護士は、最高決定後に発掘された「2000年・2002年の米外交文書」のほか、「(1)柏木・ジューリック合意(2)吉野・シュナイダー密約(3)米国の『ケーススタディ』」、さらに「吉野元外務省アメリカ局長の爆弾発言」などの新証拠をあげて、原告側主張の正当性を主張。再度、澤地氏の「この事件の本質を見すえるところから私たちは歩きはじめるべきなのであろう」という下りを引用し、「その歩き始めが今回の国賠訴訟である。……真実を洞察し、歴史(の審判)に耐える判決を期待する」と述べ、最終弁論を締め括った。
閉廷後に藤森弁護士は「2005年4月25日の提訴から1年8ヶ月、ついに弁論は終結した。当初入手できた資料は、米公文書と吉野・井川両尋問調書、刑事1〜3審判決のみという手探りの状態でスタートした裁判だったが、各方面の協力を得て密約の事実および刑事判決・決定の誤判性について立証できたと思う。国側は最後まで実質的な認否・反論はせず、本質的な争いを避け、あくまでも形式論で逃げる戦術を取り続けた。裁判所においては、形式的な判断に依らず、証拠に基づく公正で厳密な事実判断と問題の本質を踏まえた実質的判断がなされるよう、裁判官の良心と勇気に期待して、2007年3月27日の判決言い渡しを待ちたいと思う」と述べ、傍聴人へ謝意を表した。
[注]澤地久枝著『「密約──外務省機密漏洩事件」』。中公文庫版は絶版になったが、2006年「岩波現代文庫」で復刊。『第13章 新たな出発』からの引用。
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