自転車による歩行者の事故が最近増えている。私はマイカーは持っていないし、自分で運転する気もない。どちらかというと、歩行派で、「歩け、歩け」の方である。だから自転車には、人一倍理解があるつもりだが、歩道での乱暴な自転車には黙っていられない。 どうするか。「歩道は歩行者の聖域」という観念を育てたい。そのためには道路づくりの改革を含めて脱「クルマ依存社会」に着手しなければならない。
最近、自転車通行についての批判、注文が相次いでいる。 まず「自転車、法改正よりマナー徹底を」という新聞投書(07年1月23日付毎日新聞)が目についた。
「自転車に乗る人たちのマナーの悪さが目立つ。(中略)狭い路地をわがもの顔で走る大人や2人乗り、携帯電話で話しながら自転車に乗る若者が多く、小さい子どもやお年寄りは安心して歩けない。道交法改正試案では〈児童・幼児が運転する場合など、場合により歩道通行を認める〉とあるが、一般の人たちの自転車運転時の交通ルールやマナーの習得を徹底すべきだと思う。(中略)社会の誰もが安全に自転車に乗り、安心して歩ける街でありたい」(会社員、44歳、東京・世田谷区)
▽歩道は歩行者の聖域である。だが、その現実は?
さらに毎日新聞(07年1月21日付東京版)「発言席」に掲載された疋田智氏(自転車活用推進研究会理事)の「なぜ今〈自転車は歩道通行〉」という主張(要旨)を以下に紹介したい。
*自転車対歩行者の事故がこの10年間に4.6倍に激増した。それも歩道上の事故が増えており、自転車は「歩道上の凶器」となった。 *そもそも自転車は車道通行が当たり前だった。ところが30年前の1978年、道路交通法改正で条件付きの「歩道走行可能」に変えた。さらに06年11月警察庁の「自転車対策検討懇談会」がまとめた提言は実質上「自転車の車道締め出し」をめざしている。
*本来、自転車は環境に優しく、健康的で、渋滞を起こさない。自転車は自動車に代替してはじめて環境に貢献する。だから欧米各国はこぞって都市内交通を自転車に転換し、過度のクルマ依存社会から抜け出そうとしている。 *注目すべきは、それらの国々では例外なく自転車は必ず車道、もしくは車道側に作られた自転車レーンを走っていることだ。自転車の歩道通行が認められているのは、先進国では日本だけである。わが国でも車道に自転車レーンを整備するなど自転車にとって安全な走行空間にする必要がある。
*弱者優先の大原則がある以上、歩道は歩行者の聖域である。これからの高齢化社会ではどうしても歩道の安全が確保されなければならない。
以上は、筋の通った主張であり、賛成したい。 わが国の交通のあり方がかつての鉄道中心からクルマ(マイカー)中心に転換してからもう40年にもなる。「過度のクルマ依存社会」が定着してしまった。その裏でトヨタなど自動車メーカーの利益は膨らむ一方である。その挙げ句の果てが歩道の歩行者の安全度の顕著な低下である。
▽警鐘鳴らした著作『自動車の社会的費用』
クルマ依存社会は弊害が多すぎる。宇沢弘文著『自動車の社会的費用』(岩波新書、1974年)は「クルマ社会の弊害と社会的費用」について次のように論じた。
「社会的費用、つまりがクルマが社会、公共機関などに転嫁しているコストは1台当たり年間約200万円で、具体的には巨額の道路整備費、交通事故、健康被害、犯罪、公害、環境破壊などの弊害として現れる。自動車の便益を受けるクルマ所有者がこの社会的費用のほとんどを負担しなくて済むメカニズムによってクルマの異常な普及を可能にした。その結果、市民の健康、安全などの基本的権利が著しく侵害されている。だから所有者は社会的費用を負担すべきだ」と。
同書がクルマ社会に警鐘を鳴らしてからすでに30年以上も経った。しかし有効な打開策はとられず、現実はむしろ悪化している。都市では車道にはクルマがあふれ、車道から自転車が閉め出され、その自転車が歩道で暴走し、主人公であるはずの人間様が恐縮しながら歩いている。 クルマによる事故死は若干減ってはいるが、負傷者を含めれば、わが国全体としてむしろ増えて、年間100万人を超えている。
▽脱「クルマ依存社会」をめざして―高率環境税導入を
今こそ脱「クルマ依存社会」を本気でめざすときである。そのためには思い切った手を打つ以外にない。
(1)まず高率環境税をクルマ所有者に課すこと 現行の道路特定財源の主役、揮発油(ガソリン)税(06年度予算額29,600億円)を一般財源化し、これを環境税に振り替えて、もっと税率を高くする。それによって車利用の抑制効果を期待する。
交通手段の中でもクルマはエネルギー多消費型であることを理解したい。環境省のデータによると、旅客輸送の場合、1人を1キロ輸送するのに鉄道1、バス1.8に対し自家用車は6.0のエネルギーを浪費する。このようなエネルギー効率の悪い自家用車を乗り回す時代ではもはやない。
自動車の排ガス(二酸化炭素・CO2)は、地球温暖化に伴う異常気象(大型台風による死者など被害の頻発)、感染症の拡大、さらに将来懸念される食料・水不足などの元凶でもある。無造作に自動車を乗り回すことは、実は自分のいのちと暮らしを無意識のうちに損ねていることに気づくときである。
(2)大都市中心部へのマイカー乗り入れを禁止すること 東京、横浜、大阪など大都市では鉄道やバス網が発達しており、特に中心部ではマイカーに頼る必要はない。その代わり地下鉄やバスの運賃を割安にし、マイカーから公共交通機関への乗り換えを促進する。この方式はヨーロッパではすでに実施されている。
私の住まいは東京郊外で、マイカーは持っていないが、それを不便と感じたことはない。 むしろ持つこと自体がわずらわしいと思っている。旅をするとき、私はまず鉄道で、その先はバスか徒歩で移動し、できるだけ他人様のマイカーのお世話にならないように心掛けている。
▽将来の石油枯渇に備えて、自転車、徒歩中心の道路づくりを
(3)歩道を整備し、車道に自転車専用路をつくること 最近の石油高騰が示唆しているように、石油などエネルギー資源が枯渇し、車に自由に乗れなくなるときが来るのはそれほど遠い将来のことではない。そのときに備えて、今の自動車中心の道路づくりから自転車、歩行重視の道路づくりへの転換を急ぐ必要がある。
地方都市では歩道もろくに整備されていないところが少なくない。安全な歩道の確保が急務である。一方、大都市では車道に自転車専用路を付設することに着手したい。それに自動車専用の高速道路に自転車専用路を併設することも検討できないか。そうすれば中長距離移動に自転車を楽しむことができる。この狭い国土で高速道路を自動車専用に閉じこめておくのは、国土の有効活用上、もったいない話である。
(4)地方都市でコミュニティ・バスを多用すること 私は郷里(広島県)へ帰省すると、自転車で移動することが多いが、違和感を覚える。というのは地方都市ではクルマなしには生活できないクルマ依存型が定着しているからである。マイカーの洪水によって地方鉄道や民営バスが大幅に縮小された。だからますますマイカーに依存するという悪循環に陥っており、多くの人はそれに慣らされている。
このクルマ依存型から抜け出すのは容易ではない。地方の実情に合わせて小回りの利くコミュニティ・バス(市営、町営)をもっと多用することから変化のきっかけをつかめないだろうか。さらに脱クルマへの模索と平行して、現在1時間に1〜2便しかない地方鉄道便をもっと増やしていく努力も必要だろう。
*安原和雄の仏教経済塾
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