中村敦夫著『ごみを喰う男』(徳間書店、2007年1月刊)を読んだ。エリート警察官僚出身の僧侶が探偵として犯人捜しに知恵を傾ける。モデルとなっているのは東京都西多摩郡のごみ問題である。そのごみ処理にからんで犯罪が行われるという筋書きで、書名の『ごみを喰う男』はそこから来ている。 「環境ミステリ−」と銘打ってあり、ミステリーの展開もおもしろいが、私が興味を抱いたのは、本書が仏教思想と緑の政治思想とをつなげて物語を創作し、そこに脱「経済成長」の考えを織り込んでいる点である。これは経済成長の旗を掲げる安倍晋三政権に対し暗に異議を申し立てている作品と読みたい。この種の小説は初めての試みだろう。そのさわりを私(安原)のコメントつきで紹介したい。
中村氏はもう30年以上も前にテレビ・ドラマ「木枯らし紋次郎」のブームを巻き起こした。その後参議院議員になり、「みどりの会議」代表として環境問題を中心に活躍した。その頃私(安原)は、「みどりの会議」の政策構想について意見交換する立場にあった。同氏は04年政界を引退し、現在日本ペンクラブの環境委員会に籍を置いている。
▽地球規模の環境破壊を加速する「経済成長」信仰
本書のあとがきに環境問題に関する次の一文がみられる。ここには環境破壊を加速する「経済成長」信仰とそのアンチ・テーゼとしての仏教思想とが簡潔に描かれている。
環境破壊は、今や地球規模で加速している。 地球温暖化は異常気象を促進し、将来的に農業を不可能にするだろう。工業的大量生産は、有害化学物質の乱用を是認し、大気、水、土壌の汚染を促進している。その他にも、日常生活で飛び交う電磁波、食品に注入される数百種類の化学物質など、生命環境はますます悪化している。
これは、無限の「経済成長」を神と崇め、その目的にそぐわない一切の人間的なものを斬り捨ててきた近代史に原因がある。この信仰はさらに、大量破壊兵器のとめどない開発競争、そして終わりなき戦争へと突き進んでいる。 しかし、無限の「経済成長」という目標は、それ自身大いなる虚妄である。なぜなら、それに必要な資源も、それを利用する個の生命環境も「有限」だからである。 人間はたかが動物の一種であり、生態系の一部にすぎない。限度を超えた暴挙には、必ず報いがあるだろう。
さて以下に仏教と緑の政治思想がらみの記述を作品の中からいくつか列記したい。これら仏教的な考え方、それをめぐる会話の展開が本書を仏教小説としてユニークな作品に仕立てているし、その上、環境政党「緑の党」が顔をのぞかせ、そこに脱「経済成長」を勧める姿勢が鮮明に浮かび上がってくる。
▽欲望の輪廻、そして足るを知る
*無常 「無常という言葉の意味をご存じかな。生命あるものも無いものも、生も死も、すべては連関して影響しあっている。そして、絶えず変化し、進行している。人間社会の営みなんぞは、その運動の中で微粒子にも充たないケチなもんだ」 「それを知ることが悟りですか」
*自然と共に 「仏教は自然と共にある。その自然を破壊するのは、仏道に背くことだ」
*貪欲は最後には破裂する 「欲望の輪廻とでも言いますかな」 「何です、それ?」 「小欲知足という言葉をご存じかな。人は生きてゆくのに必要な小さな欲望を持っている。それが充たされれば、満足して幸せを感じる。つまり足るを知るということです。しかしその欲望に貪欲という病原菌が入ると、欲望は汚れを増殖しながら急激に脹れ上がる。膨張するだけではなく、人から人へ伝染しましてな。しかし最後には破裂する。粉々になって地獄へ墜ちる。そしてまたどこかで、新たに欲望が脹らみ始める。この繰り返しには際限がない」
〈コメント〉 「無常」、「足るを知る=知足」はどちらも仏教のキーワードである。知足の対極にあるのが貪欲というむさぼりである。「欲望に貪欲という病原菌が入ると、欲望は汚れを増殖しながら脹れ上がり、最後には破裂し、粉々になって地獄へ堕ちる」というこの道理は多くの人々が分かっていると思いながら、それを自制することができない。 気がついてみれば、企業トップにせよ、政治家にせよ、裁きを受けるために高い屏の中に放り込まれて、臍(ほぞ)を噛む、という事例は昨今、数限りない。 「小欲知足」という表現か? それとも「少欲知足」なのか? 「小欲」よりも「少欲」の表現が多いと思うが、作品中の前者の説明を読むと、なるほど、と理解できる。
▽わたしの願いは、日本に緑の勢力を作ること
*新しい緑の政治思想 「ヨーロッパを中心に世界各国で新しい緑の政治思想が芽生えています。自由主義や社会主義ではもう人類はもたない。行く先は核戦争と環境破壊の拡大しかないからです。ドイツでは緑の党が政権に入り、強い影響力を持っています。いちばん遅れているのが、経済大国であるアメリカと日本なんです。わたしの願いは、日本に緑の勢力を作ることなんです」 「やりたいけど、まだまだ少数派なんだなあ・・・」 「最初は何だって少数派から始まるのよ。ああだ、こうだと言ってないで、まず動くことが先だと思うな」
〈コメント〉 「最初は何だって少数派から始まるのよ」というセリフも、当然の歴史認識であるにもかかわらず、そのことを多くの人が必ずしも自覚していないだけに効果的なセリフになっている。歴史は少数派が突破口を切り開き、参加型民主主義に支えられながら、新しい歴史がつくられていく。 「ドイツでは緑の党が政権に入り、(中略)いちばん遅れているのが経済大国のアメリカと日本」という指摘は噛みしめてみる必要がある。なぜ日米が遅れているのか。経済大国であるためなのか、それとも経済大国にもかかわらず、なのか。 恐らく前者のためではないか。経済大国としての体裁を取りつくろうための日米安保=軍事同盟を背景に、もはや有効性を失った軍事力に執着する軍事力神話の呪縛から自らを解放できないからであろう。激変とともに前方へ疾走する歴史の最後尾に、しかも後ろ向きに日米はついていて、その日米の足元がもつれているという印象がある。
▽持続できる循環型経済に転換を
*欲望という厄介な代物 「欲望というやつは厄介な代物でな、一度たがが外れると、際限なく脹らみ続ける。結局は自分ばかりでなく、周囲の人々も奈落へ突き落とす」 「それは、社会や国家についても言えることですね。バブルもそうだし、環境破壊や戦争への道にも当てはまります」
*ありえない無限の経済成長 「大本の問題は経済のかたちにあるんです」 「経済のかたち?」 「一般にごみ問題の解決策は3Rといわれています」 「3R?」 「リデュース(減量)、リユース(再使用)、リサイクル(資源再利用)です。(中略)最も重要なのは最初のリデュースです。ごみの量が減らない限りは、手の打ちようがありません。ところが社会全体は、無限の経済成長を求めて、大量生産に向かっています。必要なものが揃ってしまうと、今度は無駄な浪費を奨励します。それが大量のごみを生み出すのです」
「貪欲がふくらめば、それに比例してごみも増えるという構図か。しかしそれを止めれば、経済成長も止まりますな」 「人間を追いつめるだけの成長は無意味ですね。それに無限の経済成長などというのはありえません。資源も生命環境も有限だからです。(中略)これからは過激な競争を止め、もっとゆったりと持続できる循環型経済に転換すべきだと思います。それには自分が住んでいる地域が重要なんです」
「(略)できるだけ自給自足のライフスタイルを作ることです。農林業を重視し、ローテク技術を大切にする人間的経済を復興させることです。要らないものは作らない。要らないものは運ばない。そうすれば、ごみなんて自然になくなります」 「すると、拙僧が唱える小欲知足も満更じゃありませんな」
〈コメント〉 ここには二つの重要な認識が示されている。 一つは「資源も生命環境も有限だから、無限の経済成長はありえない」であり、もう一つは「要らないものは作らない。要らないものは運ばない。そうすればごみは自然になくなる」である。その認識から導き出される経済の方向は「持続型循環経済」への転換しかあり得ない。 歴代の保守政権はもちろん、現在の安倍政権も、経済成長を錦の御旗として振り回している。安倍首相の通常国会冒頭の施政方針演説(1月26日)に「成長」という文言が10回、一方、「美しい国」は7回出てくる。首相のうたい文句「美しい国・日本」づくりのためにはともかく「経済成長」が不可欠だという発想である。
しかし経済成長、すなわち経済の量的膨張は、同時に大量の多種多様な汚染物質、廃棄物を排出する。ごみの山が美しい国づくりにどのようにして貢献できるというのか。首相らの「経済成長」信仰は、成長できなければ、経済は破綻するという思い込みに基づいている。そういう思い込み、思考停止病こそが環境問題を含めて経済や社会を混乱させつつあることに一体いつ気づくのか。
▽愚者たちの巣窟? いや、希望がないわけではない
*無明と希望 消費社会の物欲の果てが、大量のごみを生み出す。そしてこのごみを喰いものにする者たちが、ごみ捨て場を舞台に醜悪な暗闘をくり返す。
〈無明〉という文字が脳裏をよぎった。深い智慧や真実に触れることなく、薄汚い貪欲の中で蠢(うごめ)く畜生の世界を意味する。この美しい森林地帯は果たして〈無明の里〉なのか。人間社会は所詮(しょせん)、救い難い愚者たちの巣窟にすぎないのか。 (中略) 〈いや・・・〉 希望がないわけではない。(中略) この人々は自然と共生し、ゆったりとした社会をつくろうと努力している。 彼らは宗教者ではないが、仏道と並行した道を歩んでいる。彼らがいる限り、未来は薔薇(ばら)色と言えないまでも、決して暗黒ではない。
〈コメント〉 「いや・・・、希望がないわけではない」に読者は未来への希望と意欲と活力を見出すのではないだろうか。このまま日本を沈没させてしまうわけにはいかない。そのことを読者の胸に問いかけ、考えさせる作品になっている。
*安原和雄の仏教経済塾
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