企業の不祥事、不始末が後を絶たない。なぜ企業体質を思い切って変えられないのか。
ペコちゃん、ポコちゃん人形で知られる大手洋菓子メーカー、不二家が品質管理の不始末から消費者離れに見舞われている。すでにペコちゃん、ポコちゃんの人形は店頭から消えた。先日東京・銀座を散策していたら、「ペコちゃん、さようならー」という小学生らしい女の子の声が聞こえてきた。声の方角に目をやると、不二家銀座店の店頭に寂しそうな表情で立っている。
店頭のお詫び文に「皆様から不二家の企業体質が問われている」とある。問われているのは不二家に限らない。怒りや不信の矢を浴びている企業は「今日もまたか」というほど続発している。その背景に何があるのか。分かりやすくいえば、「ブレーキの壊れた企業経営」の姿ではないか。 いずれにしても日本社会の未来を支える子どもたちを悲しませるような企業に未来はない。
▽新聞投書にみる不二家への要望と励まし
毎日新聞掲載の不二家関連の3つの投書(要旨)を紹介しよう。
*捨てるべき物まで捨てずに使っていたのか(07年2月4日付) 不二家の工場で去年12月、クリスマスケーキ製造のアルバイトをしたとき、感心したのは、廃棄物がほとんど出なかったこと。廃棄物を出さいことに単純に感激し、家族や友達にも機会ある度に話していた。そこに今回の不祥事の発覚。開いた口がふさがらない。消費期限切れの原料で捨てるべき物まで捨てずに使っていたのですね。(主婦、50歳、栃木県)
*品質管理は企業の良心(同年1月28日付) 人の健康、大げさに言えば命まで預かっているのだから、品質管理にはどんなに注意しても注意しすぎることはない。それが企業の良心だ。利益追求よりも安全な製品を作ることを第一に考えてくれるといいな、と思う。(高校生、16歳、大阪府箕面市)
*初心に戻ってペコちゃん守れ(同上) 経営者は創立者の初心を忘れてはならない。不二家のマーク、「ペコちゃん」は、全国のファンが熱い思いを込めて応募した中から選ばれたと記憶している。ペコちゃん人形が消えないよう、初心に戻って復活してもらいたい。(無職、71歳、静岡県)
以上の投書からもうかがえるように厳しい企業批判ばかりではない。励ましの声も寄せられているのである。だからといって、それに甘えてはならない。
▽本田宗一郎のユニークな発想
企業の不始末、そして望ましい企業経営のあり方が話題になる度に私が思い出すのは、本田技研の経営トップで、人を食ったそのユニークな言動で知られていた本田宗一郎(1906〜1991年)の存在である。 常識を超えた発想をひとつ紹介したい。彼は次の質問を得意としていた。 問い:車のブレーキは何のためについているか?
私は大学での「生きた経済」の講義でこの質問を学生たちによく試みた。決まって「いざというときに車を止めるため」という答えが返ってくる。これが常識だろう。しかしこの答えは間違いではないが、正解ではない。
さて本田の考える正解は? 「順調に車を走らせるため」である。マイナス思考ではなく、プラス思考の見本といってもよい。こう言われてハッと気づかないようでは経営者失格というべきだろう。 ブレーキが壊れていると知った上で車に乗る人はいない。逆にいえば、車を自由に乗り回すためにはブレーキがちゃんと利くことが前提である。こう考えれば、ブレーキは「順調に車を走らせるため」にあることが納得できよう。
企業経営も同じである。順調な企業経営を続けるためにはブレーキ機能が企業体質の根幹に組み込まれていなければならない。不祥事や事故が起こってから「企業体質が問われている」などと暢気(のんき)なことを言って、壊れたブレーキ機能をあわてて点検しても遅すぎる。
▽望ましい企業のブレーキ機能は何か。
企業が備えるべきブレーキ機能の第一は「利益よりも安全重視」を厳守すること。 紹介した新聞投書で高校生が言っているではないか。「利益追求よりも安全な製品を作ること、それが企業の良心だ」と。「利益、利益」とコストダウンや売り上げ増に血眼になると、肝心の安全確保がお留守になる。その事例は数知れない。企業外部の有識者なる種族を集めて「○×委員会」をつくるよりも、時には高校生からも教わった方がよい
第二は自由市場原理主義を疑問視すること。 企業の効率・利益第一主義を奨励し、弱肉強食、格差拡大(一部の勝ち組と大多数の負け組)を招く自由市場原理主義が昨今、まかり通っている。成長戦略を掲げる安倍政権も根本ではこの自由市場原理主義に立っている。
この主義にこだわる限り、人間は効率、利益、経済成長のための機械的な手段になるほかない。労働者は「利益を産む機械」、いいかえれば企業の奴隷であり、消費者は「商品を浪費する機械」、いいかえれば商品の奴隷にされる。だから柳沢伯夫厚生労働相の「女性は子どもを産む機械」という発言は、自由市場原理主義者としての本音をしゃべったのであり、口がすべったのではない。 この立場では暴走するほかなく、ブレーキの壊れた企業経営しか期待できない。堅実な企業経営を望むのであれば、企業経営者は、自由市場原理主義そのものを疑問視し、それにブレーキをかけながら対応する以外に妙手はないだろう。
▽渋沢栄一の先見性に学び、実践すること
第三は渋沢栄一の「論語と算盤」、「論語講義」に学ぶこと。 日本資本主義の父ともいうべき存在だった渋沢栄一(明治・大正時代の実業家、1840〜1931年)の経済・経営観の基本が「論語と算盤」説、つまり「片手に論語、片手に算盤」の思想で、利益追求のみに走るのではなく、企業活動の成果の社会還元こそ重要だと説いた。 一方、著作『論語講義』(講談社学術文庫)では論語の「君子は義に喩(さと)り、小人(しょうじん)は利に喩る」(大意=君子、つまり立派な人物は何が正しいかを中心に考え行動するが、小人、つまりつまらない輩は私欲を中心に行動する)を引用して、「君子の経営」の重要性を力説している。
渋沢の主張は、今日の「企業の社会的責任論」の源流であり、自由市場原理主義の貪欲な欠陥を半世紀以上も前に洞察していたともいえるのではないか。利益に目がくらんでいる企業経営者たちは、渋沢の先見性に学び、実践する必要がある。これを怠れば、ブレーキの壊れた企業経営は、今日もそして明日も後を絶たない―と断言できる。
*安原和雄の仏教経済塾
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