60年以上も昔の1945年8月、日本の敗戦で終結したあの侵略戦争にかかわる「だます人、だまされる人」の話である。戦争が終わってから、多くの民衆は「だまされていた」と感じた。 では一体誰がだましたのかというと、東条英機(開戦時の1941年=昭和16年12月当時の首相)ら処刑されたA級戦犯だというのが一つの答えである。それでは彼ら以外はすべてだまされたのかというと、そうではなく、だます人に手を貸した多くの人がいたのではないか、そうでなければ戦争は遂行できないという問題が浮上してくる。
重要なことは、これは単なる過去の物語ではなく、実は目下同じ過ちを繰り返しつつあるのではないかという容易ならざる話である。あの大悲劇を繰り返さぬためにはどうしたらよいのか。 「みどりのテーブル」(環境・平和の「緑の政党」結成をめざす組織で、私もその一会員。共同代表は小林一朗、稲村和美の両氏)の情報交換MLに最近掲載されたメールを紹介しながら、考えたい。
▽ 映画監督、伊丹万作のエッセイ「戦争責任者の問題」から
以下は「みどりのテーブル」会員のT.K.さんがMLに載せた映画監督、伊丹万作さん(1900〜46年、「無法松の一生」などの脚本もある)の敗戦直後のエッセイ「戦争責任者の問題」(『映画春秋』1946年8月号所収)の一部である。
さて、多くの人が、今度の戦争でだまされていたという。みながみな口を揃えてだまされていたという。 私の知っている範囲では おれがだましたのだといった人間は まだ一人もいない。ここらあたりから、もうぼつぼつ分からなくなってくる。 多くの人は だましたものとだまされたものとの区別は、はっきりしていると思っているようであるが、それがじつは錯覚らしいのである。 たとえば 民間のものは軍や官にだまされたと思っているが、軍や官の中にはいれば、みな上のほうをさして、上からだまされたというだろう。上のほうへ行けば、さらにもっと上のほうからだまされたというにきまっている。 すると、最後にはたった一人か二人の人間が残る勘定になるが、いくら何でも、わずか一人や二人の知恵で一億の人間がだませるわけのものではない。
(中略) つまり日本人全体が夢中になって互いにだましたり、だまされたりしていたのだと思う。 つまりだますものだけでは戦争は起こらない。 だますものとだまされるものとがそろわなければ、戦争は起こらないということになると、戦争の責任もまた(たとえ軽重の差はあるにしても)当然両方にあるものと考えるほかはないのである。 そしてだまされたものの罪は、ただ単にだまされたという事実そのものの中にあるのではなく、あんなにも造作なくだまされるほど批判力を失い、思考力を失い、信念を失い、家畜的な盲従に自己をゆだねるようになってしまっていた国民全体の文化的無気力、無自覚、無反省、無責任などが悪の本体なのである。
〈安原のコメント〉―批判力を失い、無自覚、無責任になってはいないか
ここでの主眼は、だまされた者の側に責任はないのかである。伊丹万作さんは「あんなにも造作なくだまされるほど批判力を失い、思考力を失い、信念を失い、家畜的な盲従に自己をゆだねた国民全体の文化的無気力、無自覚、無反省、無責任が悪の本体」と指摘している。 問題は、これを今日、どう受け止めるかである。いま再び「批判力を失い、家畜的な盲従に自己をゆだね、無自覚、無責任」となってはいないかを民衆である我々一人ひとりが反省してみなければならないだろう。
戦争には敵が、その手前の脅威論には仮想敵がそれぞれ必要不可欠である。例えば「北朝鮮は脅威だ」とメディアの多くは無造作に書き続けている。拉致問題があるから、感情的反発も理解できる。しかし北朝鮮のミサイル発射や核実験―もちろん歓迎すべきことではないし、容認もできないが―を理由に脅威をはやすのは、いかがなものか。北朝鮮の脅威を言うなら、大量のミサイルや核兵器を保有している米国など核保有大国こそが脅威ではないのか。
こういうバランスのとれた視点を欠落させた北朝鮮脅威説には、だます人が存在していて、それに手を貸すお人好し―あるいは確信犯か?―が批判力を失い、無責任にはやし立てるという構図がみえてくる。60年以上も前のあの歴史的悲劇・大失敗もこれと同じ構図ではなかっただろうか。
▽日本は一貫して戦争責任を曖昧にしてきた
次は「みどりのテーブル」会員のY.K.さんが、伊丹万作さんの主張について情報交換MLに載せた感想である。
戦後(1945年に日本が負けた戦争の「戦後」です。日本はその後もいろいろな形で参戦し、今や公然とイラク戦争に参戦しているので、「戦後」という言葉は、注釈抜きには使いがたい)間もなく、「映画人○○」というような団体が、積極的に戦争宣伝映画を制作した映画人を告発する運動をしようとしたとき、伊丹万作さんは告発運動する側に名を連ねることを拒否したそうです。
その関連の文章で「日常的に戦争に協力的でない言動が抑圧されたのは、決して官憲の取り締まりが厳しかった、というようなことだけではない。『病気がちだとかいって町内会の訓練に出てこない。戦地の兵隊さんのことを考えたら、少しくらい体調が悪くても出てくるのが当たり前だ』と非難し、『あの家の××は、外出時にゲートルを巻いて居なかった』『派手な着物を着ていた』等々日常的に監視し、抑圧していたのは、普通に暮らす、普通の善い人、庶民だった」という趣旨のことを、伊丹万作さんは、書いておられました。
戦争は、多くの「国民」が「騙される」という受動的な状態であるだけでは遂行できない。積極的に協力してこそ、遂行できるのです。・・・・日本は一貫して、戦争(1945年に日本が負けた戦争)責任を曖昧にしてきました。天皇の責任、侵略した先で非人道的な戦争犯罪を繰り返した事実、強制連行・強制労働の事実、「慰安婦」問題、沖縄での真実・・・・それらに蓋をしようとしたのは、実は、「普通に暮らしながら、積極的に戦争協力した庶民達」だったのではないか、と、背筋の寒くなる思いで感じています。
その類の陰口を恐れて無理をし、結核を重くして亡くなった人も居る。私の祖母がそうでした。
〈安原のコメント〉― 戦争と権力と大きな嘘
ここでは普通に暮らしながら、隣人たちを日常的に監視し、抑圧し、戦争に協力してしまう善良な庶民たち―というイメージが浮かび上がってくる。悪意に満ちているならともかく、そうではなく善良な人々なのだから、事は厄介である。いいかえれば自己主張に制約のある世間という名の呪縛の中に自らを閉じこめ、そこから脱出しようという自覚も努力もない善人たち―といえば誇張にすぎるだろうか。
こういう話になると、私自身の過去を振り返らないわけにはゆかない。あの戦争終結の1945年、小学5年生だった。戦争中には「チャンコロをやっつけろ!」などと、叫んでいた。「チャンコロ」は中国人の蔑称であった。叫ぶ行為によって無邪気にして善良な一人の小学生として侵略戦争を間接支援していたことは間違いない。
もう一つ、思い出すのは大本営(戦時の天皇直属の最高統帥機関)発表なるものを無邪気に信じていたことである。小学校の朝礼で校長先生が大本営発表そのままの新聞報道を読んで聞かせてくれた。「敵艦5隻撃沈」、「敵機30機撃墜」「我が皇軍の被害は軽微」―などと。 こういう戦果が毎日、新聞やラジオ(当時はまだテレビはなかった:若い人のために注釈)で報道され、「こんなに日本は勝っているのに、なぜアメリカは降伏しないのか」と子ども心に不思議に思った記憶もある。このような大本営発表が真っ赤な嘘と知ったのは戦後もずっと後のことである。
侵略戦争は常に大きな嘘の上に成り立っている。米国のイラク攻撃は「イラクの大量破壊兵器保有」が口実だったが、これはやがて嘘と判明した。今は「中東の民主化」がスローガンである。しかしこういうスローガンが正当化されるのであれば、ホワイトハウス自身も例えば国連軍?に攻撃されなければならないだろう。嘘をつく権力が唱える「民主化」を信頼するわけにはゆかないし、「ホワイトハウスの民主化」が必要だからである。 嘘をつく権力とその周辺に群がる追随者たちに安易にだまされる人になることだけは、しっかり返上しよう!
▽季刊誌『ひとりから』の編集後記から
以下は「みどりのテーブル」会員のS.S.さんがMLに流した季刊誌『ひとりから』の編集後記の内容である。
「主権者が主権者意識を喪失して精神の奴隷状態にされていることに気づかず、これまで平和や人権を求める闘いを六十年間やってきても、欺瞞的ではない真の民主主義を創造することを真剣に模索して来なかったのではないかと思う」
またいわゆる「護憲運動」について高畑通敏「市民政治再考」で書いておられるのも同じ姿勢だと思う。 「現在平和憲法があるという既成事実に『寄りかかり』、保守勢力に対抗するスローガンとして護憲を唱えるだけで、平和憲法を前進させ具体化するために何をなすべきかという積極的な姿勢も、なくなってきたのが、この半世紀の現実だった」ことが2003年の総選挙での護憲勢力の瓦解の理由だ、と。 こころしてかかりたいと思っている。合掌 鞍田東
〈安原のコメント〉―憲法の「非武装の理念」をどう取り戻すか
私が重視したいのは次の文言である。 一つは「主権者が主権者意識を喪失して精神の奴隷状態にされていることに気づかず・・・」、もう一つは「平和憲法があるという既成事実に寄りかかり、保守勢力に対抗するスローガンとして護憲を唱えるだけ・・・」である。
双方に共通しているのは、一種の精神的拘束状態に慣らされていることであろう。 端的に言って、現在サラリーマンのうち少なからぬ人々が精神的な奴隷状態に陥っているという印象がある。バブル崩壊による混乱、さらに小泉政権以来の自由市場原理主義による弱肉強食、成果主義、格差の拡大、労働時間の延長とサービス残業の強化、自由時間の喪失―などを背景に抵抗力を磨滅させ、異議申し立ての意志力を衰微させている。このままではだまされる人が続出しかねないのではないか。
もう一つの「スローガンとして護憲を唱えるだけ・・・」という指摘はどう受け止めたらいいだろうか。結論から言えば、この指摘は的を射ていると思う。 なるほど護憲、つまり憲法9条(戦争放棄、非武装、交戦権の否認)の条文を改悪させないことは重要である。しかしそれだけで事足れりと考えているとすれば、お人好しに過ぎるのではないか。なぜそういえるのか。
憲法9条は事実上すっかり空洞化しているからである。第一、日本は強大な軍事力を持っている。第二、平和憲法下で日本は何度も事実上参戦している。日本は平和憲法のお陰で、自衛隊が参戦して人殺しをしたという事実はないと思っている人は多い。
しかし日本は米軍支援で米軍の大量殺戮に手を貸してきた事実は歴然としている。最近の具体例ではイラク攻撃への支援がそうである。米軍の沖縄基地からの出撃への全面支援、さらにイラク攻撃に対する自衛隊の「人道支援」(陸上自衛隊のイラクへの派兵、ただし06年に撤退)、「後方支援」(海上自衛隊による米艦船への石油供給、航空自衛隊による輸送協力などは継続中)―という日本の役割分担が事実上の参戦である。後方支援なしには前線での戦闘も不可能であることは軍事問題の常識である。
第三、今や「世界の中の軍事同盟」へと日米軍事同盟は変質している。重要なのは、9条を変えなくとも、「テロとの戦い」を名目に地球規模で自衛隊を派兵し、米軍の戦争を支援する態勢(防衛庁の防衛省への格上げ)になりつつあることで、その第一歩の実績をイラクへの自衛隊派兵でつくった。
以上のような強大な軍事力保有、事実上の参戦、世界規模での派兵計画―の背景に平和憲法体制(=非武装が理念)と相反する日米安保=軍事同盟体制(=自衛力の維持発展が目標)が存在していることは明らかである。だから護憲を貫くためには日米安保=軍事同盟体制の解体を視野に収めておくことが不可欠である。いいかえれば護憲は平和憲法の「非武装の理念」をどう取り戻すかが核心となる。 そういう意味では「平和は守る」ものではなく、「平和はつくる」ものである。「憲法9条を守れ」ではなく、「9条を取り戻せ」あるいは「9条を生かそう」でなければならない。
*安原和雄の仏教経済塾
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