【openDemocracy特約】ダルフールに駐留するアフリカ連合の平和維持軍の兵士5人が3月31日、攻撃を受けて殺された。これは、2004年にスーダン西部に同部隊が到着して以来、最悪の攻撃であった。この原稿を書いている時点で、アフリカ連合の広報官によると、誰が攻撃したのか分からない。これがダルフールでのなぞである。数ある武装組織のどれであってもおかしくない。もっとも、ほとんどの報道は、反政府勢力のひとつを示唆しているが。
ダルフールで誰を非難し、誰を支持すべきか。この同じなぞがここ2週間、フランスの知識人の関心を大統領選挙からそらせている。フランスの主要な新聞の論壇ページで、フランス知識人の間の争いが巻き起こった。それは時に、死にかけているダルフールの人々にとっては、崇高な意味合いを持つというより、うわべの心配をしているような議論であった。それはまた、世界的行動のすべてのレベルでつきまとう問題を提起した。西側世界では他の人々の生活について理解し、心配する人たちが増えているが、行動の質は量を伴っていない。
フランスの論争
その議論は3月20日に始まった。100以上の組織からなるUrgence Darfour http://www.urgencedarfour.info/ がパリのミュチュアリテ・ホールで集会を開いた。そこでは、12人の大統領候補のうち主要候補が、個人的にないし代理を通じて、当選したらダルフールでの殺りくを止めさせるためにその立場を使うことで一致した。シラク大統領でさえ支持の手紙を送った。
集会を主導したのは次のような人たちであった。「国境なき医師団」の創立者のひとり、ベルナール・クシュネル。彼は同組織から離れ、現在はいろいろな国内、国際事務所を(公式、非公式に)代表している。「世界の医療団」の前会長、ジャッキー・ママドゥ。「世界の医療団」はクシュネルが「国境なき医師団」を離れた後、創設した。それにジャーナリストで哲学者のベルナール・アンリ・レヴィ。彼はスーダンとチャドの難民キャンプを最近訪れて、ル・モンド紙に長い記事を書いた。
Urgence Darfourは国連と欧州連合に対し、ダルフールに直ちに国際部隊を送り、市民を保護し、援助団体が活動できる安全地帯を創設し、殺りく者を国際法廷の前に立たせるように要求した。
3日後の3月23日、パリの左派系の日刊紙、リベラシオンは「国境なき医師団」のふたりの代表が書いた反論を掲載した。彼らは、Urgence Darfourが無知に基づいているとして強く反発した。違ったアプローチが必要だとして、スーダンでの20年間にわたる経験を訴えた。
「国境なき医師団」のフランス支部長のジャン・エルベ・ブラドルと調査部長のファブリス・ワイスマンによると、ダルフールでの最悪の虐殺は2003年から2004年にかけて起きた。確かに、一時期鎮静化していた暴力が最近、再び活発化している。しかし、市民の被害はそれほど増えていない。市民の多くが戦闘地域をすでに放棄しているためもある。
リベラシオンの記事は、市民の保護という修辞での政治的勧告を示してはいるものの、政治的戦略を訴えないという「国境なき医師団」の伝統的役割から逸脱しているように見えた。ブラドルとワイスマンは、小規模の国連部隊ではスーダンのように広大な地域を管理することはできないし、スーダン政府の抵抗でより多くの市民が死ぬであろうと警告した。
もっと良い選択肢は、合意に達するためにすべての武装勢力と協力することである。「国境なき医師団」はUrgence Darfourと大統領候補者の双方に失望した、と彼らは結んだ。Urgence Darfourは有名であることを利用して、無分別で見込みのない介入を要求し、大統領候補者は派手にかつ盲目的にそれに同意したことに対してである。
翌、3月24日、ベルリンで50周年の首脳会議が開かれる前日に、欧州連合の指導者あての著名な作家グループが署名した手紙が、欧州連合加盟27ヶ国の新聞に掲載された。そのグループはボブ・ゲルドフ(訳注:アイルランドのミュージシャン)が集めたもので、ダルフールで虐殺が続いている中、誕生日を祝っていると欧州連合を激しく非難した。
署名者の中には欧州の最も有名な知識人の多くが含まれていた。ウンベルト・エーコ(訳注:イタリアの哲学者)、ダリオ・フォ(同:イタリアの劇作家)、ギュンター・グラス(同:ドイツの小説家)、ユルゲン・ハーバーマス(同:ドイツの社会学者)、バツラフ・バベル(同:チェコの劇作家、前大統領)、シェイマス・ヒーニー(同:北アイルランド出身の詩人)、ハロルド・ピンター(同:英国の劇作家)、フランカ・ラーメ(イタリアの女優、ダリオ・フォの妻)、トム・ストッパー(同:チェコ出身の英国の劇作家)、それにベルナール・アンリ・レヴィ。
リベラシオンは3月27日、この作家たちのアピールを掲載した。同じページには、「国境なき医師団」の前事務局長のリチャード・ロッシーニの原稿が載っていた。彼はUrgence Darfourに対する昔の仲間による批判に反論した。ロッシーニは「国境なき医師団」の現在の指導部を非難し、統計の後ろの隠れ、支援キャンプにいる比較的安全なスーダン人を助けるだけの立場を擁護し、スーダン政府を怒らせるのを恐れてそれを懐柔しようとしていると批判した。
彼は、政府側も反政府側も援助団体に対する攻撃に責任があるとするブラドルとワイスマンの立場は公平でないと主張した。なぜなら、実際には反政府勢力は政府と和平を望んでおり、統一スーダンを求めているからである。ロッシーニは、コフィ・アナン(訳注:前国連事務総長)の代表を追放し、支援スタッフを逮捕し、嫌がらせをし、拉致し、時には殺害し、ジャーナリストの入国を拒否しているのはスーダン政府である、と主張した。「殺人者は判明している。われわれは何もしていない」とロッシーニは書いた。
論争はフランスで最も広く読まれている一般全国紙であるル・モンドに広がった。そこでは、さらにジャーナリストでアフリカの専門家、スティーブ・スミスと「国境なき記者団」の代表、ロベール・メナードが参戦した。彼らは、ダルフールでの暴力を止めさせるためのUrgence Darfourの処方せんは不完全で、複雑な状況を単純に二元論的に単純化していると論じた。
単に「ジェノサイドを止めろ」と叫ぶだけでは役に立たない、と彼らは述べた。報道も活動家もキャンプしか知らないので、ダルフールについて西側で広まっている情報には限界がある。そうしたものに基づいて評価を下すのは、フランスの病院を訪れてブランスを評価するようなものである、と彼らは主張した。
「スーダンには政府があり、反政府勢力があり、市民社会がある。と畜場だけではない」。「南」の世界からの国連平和維持部隊の介入を求める人たちは、外部の軍事介入が必要だと強く信じるなら、スペイン内戦の時の国際部隊のように自分自身で行くべきだ。「どんな権利があって、これらのジャーナリストは第3世界からの国連部隊に対し、彼ら自身の代わりに死んでくれと求めなければならないのか」と彼らは問い掛ける。
この一連の記事での議論を集約するとこうなる。スーダンの状況は耐えがたいものである。純粋に良い勢力は存在しない。しかし、より悪い勢力は存在する。簡単な解決策も、市民を危険にさらさないような解決策もない。しかし、議論を読んでいると、シニカルだが一見、正しい推論に立ち至る。ダルフールは流行の大義になった。記事のひとつが指摘しているように、この3年間、ワシントンのホロコースト博物館はスーダンの犠牲者の衝撃的な写真を展示している。彼らの悲劇は続いているのに、アートになっている。
それでも、コンゴ民主共和国での長期の戦争(ダルフールとコンゴの両者の直接の経験を持つ人々によると、コンゴはよりひどく悲惨な危機になっている)のような状況がほとんど顧みられない時に、俳優や大学生など多くの人々が心地よい空想ではなく、ダルフールに関心を寄せるのはなぜなのか。多分、コンゴ民主共和国のような場所が無視されるのは、ダルフールでは状況をジェノサイドとするのが容易であるからだ。もっとも、状況を経験し、研究した人たちは、黒い肌のアフリカ人がアラブ人に殺されているという枠組みが一定の関連性と歴史的根拠を持っているとしても、状況はずっと複雑であると警告している。
openDemocracyでジェラール・プリュニエが書いているように、http://www.opendemocracy.net/democracy-africa_democracy/darfur_conflict_3909.jsp 殺りくを止めさせることはダルフールにかかわる西側の問題ではないというのが真実である。「現実世界では、選択はぞっとするものだ。事態を自然の成り行きに任せ、民族浄化でさらに何千人が死ぬ可能性がある。国際社会が国連部隊の派遣を求めること以上のことを考えられないことからすると(派遣されても、効果的でないであろうが)、これが一番ありそうなことである」。
中傷ではなく、フランスの知識人の議論に参加したひとりがわたしに、「結局わたしたちはみな、ダルフールの人たちにとって、事態が良くなることを願っている」と言ったが、その考え方には、何十年も戦争に引き裂かれた国での紛争は、西側のわずかな武器と父性的プレゼンスが少しあればすぐに納まってしまうという相手をやや見下したところがある。われわれの伝統的な援助がしばしば惨めに失敗しており、何をしなければならないかが、最も専門的で精通したアナリストでさえも悩ます質問である。
スーダンやコンゴ共和国、その他のアフリカで医療援助活動を10年以上してきた友人は、書こうとしている本のことを述べたことがある。「題名は平和、開発と調整、隠れた殺人者たち」。2005年末、リベリアが崩壊した時に、リベリアに向かった彼は、「多分、それを私は書くべきなのだ。それがいつも考えていることだ」と書き送ってきた。
フランスの知識人は、互いに競争的で戦闘的なことで有名である。ダルフールをめぐる議論はある意味で長いパーフォーマンスのひとつの行動のように感じられた。これは互いの嫌悪ばかりで、本当の心配や献身、情熱がないと言っているのではない。たとえば、「国境なき医師団」の人々は世界の最悪の場所で生命を危険にさらしている。しかし、議論の内容は真剣でも、フランスの左翼インテリゲンチャのエリートたちは、ダルフールの犠牲者をだしにして互いに批判しあったように、議論はナルシシズムが漂っていた。
一月にわたしは、今年は新しい見方がもたらされ、悲劇について知らないでいることはもはやできないと書いた。耐えがたいことは、われわれを証言させる現代性(modernity)を受け入れながら(訳注:ネットなどの技術革新を指しているとみられる)、いまだに解決策をしばしば模索していることである。これは、フランスの知識人にとって、ダルフールを隠れみのに古めかしい争いを公然としている時に、特に受け入れ難いことであった。
*KA・ディルデイ 2005年秋まで、ニューヨーク・タイムズ紙のオピニオン欄を担当。the Institute of Current World Affairsのフェローシップで、北アフリカとフランスを旅行中。
本稿は独立オンライン雑誌www.opendemocracy.netにクリエイティブ・コモンのライセンスのもとで発表された。 原文
http://www.opendemocracy.net/globalization-village/dafur_conundrum_4496.jsp#
(翻訳 鳥居英晴)
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