朝日新聞(永田稔記者、2007年4月18日付)は経済小説の分野で異色の直木賞作家であった城山三郎氏(3月79歳で逝去)を悼んで、財界人らの回想記を織り込んだ特集記事を組んだ。その趣旨は、真の財界人なら「人間の幸せ」のために行動すべきだが、昨今の企業人は「景気動向」しか視野にない、本来あるべき「経営者の志」はどこへ行ったのか、が城山氏の問いかけであった。同じ経営者でも、財界人として評価されるためには、器量(その地位にふさわしい能力や人徳)が備わっていなければならない。ところが、目先の小状況しかみえず、器量が乏しいのは、ただの企業人にすぎない―が城山文学の基調ではなかったか。
▽今こそ「人間本位」の時代―城山文学の遺産
朝日新聞特集記事の見出しは以下のようである。
城山文学 遺産は 経済は人のために 「野放し資本主義」に反発 「経営者の志」問いただす
この見出しをみただけで特集の狙いは読みとれるが、もう少し紹介したい。 城山文学の経済思想を知るためのお薦めの作品がいくつか挙げられており、トップに『粗にして野だが卑ではない』がある。これは三井物産の経営者を経て国鉄総裁になった石田礼助を描いた作品で、私(安原)も感銘深く読んだ記憶がある。「卑ではない」ところに重点があり、目先の利益しか念頭にない昨今の卑しい企業人との器量の差を感じさせる人物像となっている。
業界利益に縛られず、天下国家の視点から提言することに存在価値があった財界団体の一つ、経済同友会の近況はどうか。城山氏は次のように語った。 「景気をよくするかの議論はあっても、資本主義そのものを健全なものにするか、人間にとって幸福なものにするかという根源的な問いかけをしない。目先の小状況だけをみている」と。
また城山氏は一橋大学の後輩でもある前日本経団連会長の奥田碩・トヨタ自動車相談役が「人間の顔をした市場経済」を掲げたとき、「あれはいい」とほめた。
特集は〈視点〉で〈今こそ「人間本位」〉と題して次のように書いている。同感である。
城山さんの経済思想は「どうしたら人間が幸せになれるか」に尽きる。「どうしたら景気がよくなるか」ではない。 大企業の業績は好調だ。しかし正社員を低賃金の派遣や請負に置き換え、コスト競争力を高めている面がある。下請けの中小企業の悲鳴は、今も続く。 リストラで築いた景気回復。幸せを実感できるはずもない。(中略)城山作品を貫く「人間本位」の思想は、今こそ重視されなければならない。
▽器量をめぐる一つのエピソード
以上の〈視点〉の指摘は適切である。 たしかに最近の企業人は規制排除による企業利益の最大化を追求する自由市場原理主義(=新自由主義)への便乗、悪用の傾向が強い。これでは企業人であっても、器量豊かな財界人とは言いにくい。
器量といえば、想い出がある。 日本の貿易黒字が膨らんで、円の切り上げ(実施は1971年)がささやかれはじめた頃(1969〜70年頃)、私は日銀担当の経済記者であった。公定歩合変更の取材が主要な仕事であったが、公定歩合担当理事S氏の自宅へ夜押し掛け、聞いたことがある。 「公定歩合の変更を決める際、その責任者として大事なことは何か」と。しばらく考えた後、こう答えた。「それは器量だね」と。
予想もしていなかった返答に一瞬とまどった。私は当時、まだ30歳代で若かった。しかしやがて「なるほど」と納得できるところもあった。景気動向や国際収支の数字やデータをいくら眺め検討しても、そこから直ちに答えが発見できるものではない。発想の飛躍をも含む総合的判断力だよ、と言いたかったのではないか。あるいは政界、経済界さらに米国あたりからの「雑音」も黙殺できない、察してくれよ、という思いもあっただろう。
▽企業批判に苦悩した財界首脳たち―石油危機と狂乱物価の中で
さて昨今の経営者には自由市場原理主義に振り回されて、器量の乏しい企業人が多いとすれば、かつての経営者はどうだったのか。「安原和雄の仏教経済塾」に「財界人の器量度を採点する」と題する一文を掲載(07年4月6日)したところ、「一昔前の財界人の行動様式はどうだったのか。知りたい」というコメントをいただいた。 その回答も兼ねて、参考までに「企業批判に苦悩した財界首脳たち―石油危機と狂乱物価の中で」と題する私の記事(2002年12月10日発行の「日本記者クラブ会報」に掲載)をここに紹介する。
30年近くも前の1974年当時、私は経済記者として財界を担当していた。73年10月の第一次石油危機の直後で、物価が異常に急騰した狂乱物価の最中でもあり、企業批判の嵐が吹き荒れていた。74年暮れには金脈問題で田中角栄首相が辞任し、三木武夫首相の登場となった頃である。 当時の財界首脳は土光敏夫経団連会長、永野重雄日商会頭(東商会頭)、木川田一隆経済同友会代表幹事、桜田武日経連会長という布陣であった。 4氏に共通していたのは、単なる企業人、業界人の枠を超えた広い視野と行動半径を持っていたことである。ともにすでに幽明境を異にしている。もし今健在ならば、昨今の経済界にどういう苦言を呈するかを時折考えてみないわけにはいかない。 当時の財界も決して一枚岩ではなかった。例えば狂乱物価を背景に国民の財界批判が高まったのに対応して、財界4団体が出した値上げ自粛宣言(74年1月)の始末記である。
▽値上げ自粛宣言の舞台裏―土光経団連会長と木川田経済同友会代表幹事
土光氏が経団連会長に就任(同年5月)すると、直ちに「原材料コストが上がれば、値上げせざるをえない。今後は一切自粛声明は出さんよ」と自粛宣言を反古にした。後に私の質問に「あの自粛声明を出すことに僕は反対だった。ところが僕が居ない間に出してしまった」と舞台裏を語ってくれた。土光氏は「私はどこまでも自由主義者だ」が口癖だったが、その自由主義哲学とは、反統制であり、民間企業優先主義である。
土光氏の言動に対し木川田氏はこう語った。 「あの自粛声明を出すことを呼びかけたのは、実は私である。現代が大きな転換期にあることを本当に理解しているのかどうか、その認識に厚薄があるのではないか。自由主義経済は大きなルネサンスに直面している。従来型の思考、政策、行動は時代の転換に即応して転換しなければならない。そうでなければ、我々の行動自体が進歩と福祉にチャレンジできない。私は、企業経営の社会的主体性の必要を長い間呼びかけてきたが、今日のような混乱を招いて失望している」と。
この発言の中の木川田哲学ともいうべき「企業経営の社会的主体性」とは、人間価値の尊重、企業の社会性の増大、競争と協調の調和に集約される。そういう立場から土光氏の自粛宣言破棄を明確に批判したのである。これは現実派と理念派との対立でもあった。
しかし自由主義者を自任する現実派の土光氏も、弱肉強食を是認する今日の単純な市場原理主義者とは隔たりがあった。「企業の社会的責任をどう考えているのか」という私の質問に次のように答えたことがある。「良い製品を適正な価格で提供することがまず第一である。それに従業員の生活を保証する責任、株主への責任、地域社会への責任もある」と。 この発想は今日のステークホールダー重視論(従業員も含めて企業の利害関係者すべてを配慮すること)のはしりともいえよう。
▽「会社よりも国家を」という桜田日経連会長の発想
桜田氏とは初対面のとき、いきなり「現下の国際情勢のポイントを説明してみたまえ」と高飛車にいわれたことがある。当時の米ソ対立を軸に説明したところ、「まあいいだろう」と何とか合格点をもらった記憶がある。要するに昨今の多くの企業経営者のように一私企業の業績にのみ関心を見せるようなことはなかった。 同氏の言によると、「我々は会社よりも国家というように、とにかく会社と国家を一体に考えざるを得ないぞ、という発想だった」のである。値上げ自粛宣言の直前、「今年は、自由日本がその将来をかけた試練の年だと思う」と語りもした。「自由日本の試練」という語り口はいかにも「憂国の士」桜田氏らしい。
財界人との個人的な想い出にはきりがない。特に永野氏とは夜の懇談の席で何度か碁を打ったが、一度も勝てなかったことが忘れられない。早打ちでしかも急所を外さなかった。その後私の腕も多少上がったが、これも永野氏に鍛えられたお陰と感謝している。
▽渋沢栄一の「道徳経済合一論」と永野日商会頭
さてその永野氏を先頭に東京商工会議所首脳の面々が石油危機と狂乱物価の最中にくず籠を背負って上野の山へ繰り出し、空き缶などを拾って歩いたことがある。日本国土のクリーンと資源リサイクルの一石二鳥を狙った「クリーン・ジャパン」運動である。 当時、永野氏は初代東商会頭の渋沢栄一の道徳経済合一論、つまり資本の論理と社会の倫理とが両立しないところに企業の発展は望み得ないという説を引用し、企業の社会的責任をしきりに強調していた。くず籠スタイルは、その実践版だったのである。
もう一つ、触れておきたいのは、死去の直前にまとめた事実上の遺言であり、永野哲学の集大成ともいえる「永野宣言」である。この内容はほとんど報道されなかったように思うが、例えばその一節に「いずれの国の人々も貧困を追放して豊かさを、(中略)戦争の相克を打ち負かして調和ある平和を希求している。人類に共通するこの心がある限り、いずれの日にか『世界は一つ』になると信じている」とある。
永野氏は財界風見鶏とも評され、機を見るに敏な行動派であったが、永野宣言にみられるように地球規模の視野に立った理想主義者でもあったことをいま改めて強調しておきたい。土光氏はかつて造船疑獄に連座した苦い体験を経て、晩年は政財界の夜の酒席にはかかわらず、清廉を心掛けた。木川田氏は企業哲学の先駆的唱道者として哲人の風格が備わっていた。桜田氏は自己責任を前提とする自由経済信奉者としてときに頑固一徹の趣があった。
このようにそれぞれが強烈な個性の持ち主であった。アメリカ主導のグローバル・スタンダード、弱肉強食の市場原理さらに株式市場などの「市場の声」なるものに振り回され、とかく倫理性を見失う昨今の企業人とは異質であった。企業の枠に囚われない最後の財界首脳たちではなかったかという思いが消えない。
*「安原和雄の仏教経済塾」より転載
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