今回は一風変わった趣向である。サル社会のサル太君からブッシュ米大統領と安倍日本首相に対する要望書が届いたので、仲介役としてここに紹介したい。 その趣旨は「人間様はサルよりも上等だと思っていたが、そうでもないらしい。その上等でないところは、米国を例に挙げるまでもなく強大な軍事力を行使して、世界を混乱と破壊に追い込んでおり、それに日本が追随していることです。米日両国首脳殿、軍隊はやはり捨てられませんか」と遺憾の意を表している。これは広く人間社会への、特に日米両国首脳への一種の告発状ともなっている。
▽毎日新聞「特集ワイド」から―モラルはどこへ
米大統領および日本首相閣下に要望書を差し上げる非礼をお許し下さい。私は日本におけるサル社会のサル太と申します。同志を集めて時折研究会を開いております。テーマは「人間社会のあり方とモラル」で、その幹事役が私であります。 かねがね人間社会のあり方が我々サル社会の存続を大きく左右すると考えておりまして、そういう感覚から人間様のモラルにも人一倍の関心を抱いております。この機会に我々の率直な意見を申し上げたいと存じます。
4月27日の日米首脳会談直後に開いた研究会で誠に興味深い資料が配付されました。毎日新聞という歴史と伝統のあるメディアが「特集ワイド」(07年4月20日付東京版夕刊、藤原章生記者)欄に載せた記事です。我々サルのことも書かれているというわけで、これは無視できないと仲間同士で読み合いました。特集記事の見出しは以下のようになっています。
モラルはどこへ 優劣つけ人間退化 ゴリラ 謙譲や和の精神を重んじる サル 強者のエゴがまかり通る
▽サルは弱肉強食、一方、ゴリラは心配りの社会
「モラルはどこへ」などの見出しからも大体の趣旨は読みとれますが、もう少し紹介しましょう。アフリカのゴリラにモラルの起源を探る、という興味深い仕事に熱心な山極寿一・京大大学院教授から取材した話が中心になっています。
「ゴリラやチンパンジーは、力の強いものが食物を弱い者に分け与える、一種の憐憫(れんびん)や心配りがあるが、ニホンザルにはそれがない」と。つまりゴリラなどの類人猿とサルの間に深い溝、越えられない違いがあるということです。
「サルは優劣社会で、ボスが強い立場を前面に出して何でも解決する。エサが目の前にあれば強い者がまず取り、弱い者は手を出さない。だからサルの場合、攻撃やストレスの対象がどんどん下がり、弱い者がさらに弱い者を攻撃する」と。これはまさに弱肉強食の世界で、いじめ社会にも通じます。今の米国や日本の人間社会にそっくりです。
だがゴリラはどうか。「ゴリラの場合、弱い者がエサをねだり、強い者が与えるという状況をきっかけに社会関係が生まれる。いわば食事は共存を確認する場だ」と。これは弱肉強食とは逆に弱者を足蹴にしないで保護する社会です。自由市場原理主義が横行する以前の日本にやや似ていないでしょうか。
▽金のある者、強い者が勝つ人間社会は、サル並み
では人間はどうか。 「人間は、食事という本来、葛藤やけんかの種をわざわざ会談や和解の場にし、それを文化にまで発展させてきた」と。そういえば「同じ釜の飯を食った仲」などともいわれます。そうすると、人間はゴリラなど類人猿より進んだ動物といえるかというと、どっこい、そうはいかないようです。 山極京大教授は言います。「今は、すべてに優劣をつけ、数や価値に換えてしまう。金のある者、強い者が勝つという図式ができてしまっている」と。これは文字通り弱肉強食そのものです。
そこで記者が質問します。「ブッシュ政権を例に挙げるまでもなく、人間は謙譲や和の精神を重んじるゴリラ的なモラルを薄め、強者のエゴが通るサルへと退化したのか」と。 ここにブッシュ大統領の名前が出てきます。 残念なことに大統領はどうも好感をもたれてはいないようですね。「ブッシュ大統領の言動からも分かるように人間は強者のエゴをごり押しするサルに退化したのか」という意味ですからね。 大統領閣下がゴリラより一段下のサルと同次元で扱われています。いや、大統領に限りません。日本首相も含む人間様がサルと同次元にまで落ちぶれたと読めます。
教授の答えはもっと明確です。「そうです。何事もボスが強さを前面に出して解決しようという方に後退している。ゴリラが胸をたたくのは威嚇ではなく、暴力を避けるコミュニケーションです。いざけんかになっても、雌や子どものゴリラに仲裁させる。あえて勝者をつくらない知恵があるが、それが今の人間にあるかどうか」と。 人間の知恵やモラルは今やゴリラ以下の水準だ、というこの指摘は手厳しいといわねばなりません。
▽強者をつくらない知恵、モラルが人間にあるかどうか?
以上のような記事を読み合って、率直な意見交換を行いました。中心テーマは「ゴリラにはあえて勝者をつくらない知恵やモラルがあるが、それが人間にあるかどうか」という教授の解説をめぐってでした。席上、日米首脳会談のニュースを伝える毎日新聞朝刊(4月28日付)が届きました。それも読んだ上で「知恵やモラルはない」派と「ある」派が意見を述べ合いました。 「ない」派の主張は、次のようです。
*米国にみる「新自由主義」という名の強者の論理 強者のための新自由主義はとくにブッシュ政権下で顕著で、2つの柱からなっています。 ひとつは外交・軍事面の単独行動主義と覇権主義で、世界最強の軍事力を振り回して世界を混乱と破壊に追い込んでいます。イラクへのアメリカの軍事攻撃と占領が目下の具体例といえます。 もうひとつは経済面の自由市場原理主義で、多国籍企業という名の巨大企業を中心に自由に企業利益の最大化を追求できる仕掛けを指しています。弱肉強食の原理の貫徹によって、一握りの富豪と数え切れないほどの貧者をつくり出しています。つまり世にいう格差拡大の再生産です。
この2本柱は表裏一体の関係にあり、一つの原理で貫かれています。「勝者の、勝者による、勝者のための自由」という原理とでもいったらよいでしょうか。これでは勝者をつくらない知恵やモラルとは180度異なっています。
*日本で仕上げを急ぐ米国追随型の新自由主義 さて「日本にも期待できない」という意見はざっと次のようです。 米国流の新自由主義を日本が導入したのは、1980年代の中曽根政権時代からです。その後小泉政権時代に本格化し、いまの安倍政権がその仕上げを急いでいます。 経済面の自由市場原理主義は弱肉強食の論理によって格差拡大が顕著になってきています。一方、戦争を是認する愛国心を育てるために教育基本法はすでに改悪されました。つづいて平和憲法の改悪です。9条のうち「戦力の不保持」と「交戦権の否認」条項を削除し、正式の軍隊を保有し、米軍と一緒になって海外で戦争をする態勢をつくりあげようと計画しています。日本版の特色は、米国追随型の新自由主義というほかありません。
▽日米首脳会談の注目点は?―解釈改憲で集団的自衛権の行使へ
安倍首相就任後初めて訪米し、4月27日行われた日米首脳会談で注目すべきことは何でしょうか。毎日新聞(4月28日付)によると、両首脳は日米関係は「かけがえのない同盟」であることを確認し、しかも「世界とアジアのための日米同盟」と位置づけたといいます。 見逃せないのは、安倍首相が次のように述べた点です。「戦後レジームからの脱却が政権の使命」であり、「集団的自衛権の憲法解釈見直しを検討する有識者会議を設置した」と。これは一体何を意味するのでしょうか。ここが今回の日米首脳会談の核心であるといってもいいでしょう。
集団的自衛権とは、日本が直接攻撃されていない場合でも、同盟国である米国への武力攻撃があった場合、それを日本の軍事力で阻止する日本国家としての権利を指しています。この権利は国連憲章や日米安全保障条約では認められていますが、日本政府は従来、「日本国憲法9条は、この権利行使を禁じている」と説明してきました。 ところが安倍政権は従来の政府説明(憲法解釈)を見直して、憲法9条を変えなくても集団的自衛権を行使できるようにするハラです。それをどう実現するかを検討するための有識者会議を訪米直前の4月25日設置しました。このあわただしい動きの背景にはブッシュ政権からの強い要請があります。
日本がこの集団的自衛権を解釈改憲で米国のために行使することは、「世界とアジアのための日米同盟」ですから、世界の至るところでの米国の武力行使につき合うことを意味します。重要な点は、憲法9条の条文を変えないまま、日本が海外で戦争に参加することは憲法9条の理念(戦争放棄、戦力の不保持、交戦権の否認)が完全に骨抜きになることです。
日本政府は、これまでも米国の意向を受けて解釈改憲という手法を使って9条の理念の骨抜きを図り、いまや強大な軍事力を持つに至っていますが、ここへきてついに解釈改憲で海外で常時戦争する国へと、質的に転換することになります。9条の条文を守ることだけに目を奪われていると、肩すかしを食わされる懸念があります。これは人間世界のこととはいえ、決して黙視できることではありません。
▽強者をつくらない国―軍隊を廃止したコスタリカ
以上のような「ない」派の主張に対し、「ある」派の意見は次のようです。 視野を日米に限定しないで、地球規模に広げれば、人間も捨てたものでもないことが分かります。具体例は中米の小国コスタリカです。ここでは日米と違って、以下のように「強者のための自由」は野放しになってはいません。
*軍隊廃止と積極的な平和中立外交の展開 その背景の第1は1949年の憲法改正によって軍隊を完全に廃止し、今日に至っていることです。しかも非武装中立、永世中立、積極中立の3本柱からなる中立宣言(1983年)を行いました。それ以降、特に周辺諸国との間で積極的な平和外交を展開して、積極中立策を実践しています。
*非武装だからこそ他国から攻撃されない 第2の特色は平和・人権教育に熱心に取り組んでいる点です。非武装ですから、軍事力で他国に睨みをきかそうなどという発想はそもそもありません。 「非武装であるため、他国を攻撃することはない。だから他国から攻撃される心配もない」という平和観が国民の間に浸透しています。ここが世界最強の軍事力を背景にした米国の先制攻撃論とはまるで異なるところです。
*軍事費が不要であるため暮らしが豊かに 第3の特色は、自然環境保護を軸に持続可能な社会づくりにも積極的である点です。国土の25%が自然保護区、国立公園に指定され、環境先進国として世界的に評価されており、毎年多くの自然観光客が訪れます。社会福祉や医療の充実にも熱心です。 このように教育や環境保全さらに社会保障の分野に積極的に取り組むことができるのも、軍事費がゼロ(ただし治安のための警察力に国家予算の約2%が充てられています)で、浮いた財政資金を振り向けることができるからです。軍事力を廃止したお陰で国や暮らしが豊かになっているともいえます。
▽米日両首脳殿、軍隊はどうしても捨てられませんか
以上の「ない」派は米日の軍事力重視路線に批判的であり、一方、「ある」派はコスタリカの非武装路線を高く評価しています。だから両派は意見を異にしているようにみえますが、実際はむしろの共同歩調がとれる立場にあります。 そこで米日両首脳に要望したいことがあります。結論を先に言いますと、強大な軍事力を捨てて下さいというお願いです。特に大統領閣下には新しい軍備のない世界秩序を形成する上で偉大なリーダーシップを期待したいのです。
一挙に軍備を全廃することが現実的でないことくらいは承知しています。ただ米国が覇権主義、単独行動主義にこだわって、世界最強の軍事力を維持し、軍事国家であり続けることは、世界にとって危険であるだけでなく、米国の財政上、巨大な浪費であり、経済を疲弊させる負の効果しかありません。 その上、軍事国家という暴力装置を持続する限り、銃乱射による大量殺人など国内の多様な暴力を誘発し続けます。社会不安は増幅される一方です。「百害あって一利なし」というほかありません。
だから日米両首脳に以下のように従来の路線を大胆に転換する勇断を求めたいのです。それが期待できないようでは実に遺憾なことと申し上げるほかありません。
(1)長期的視野に立って核兵器の廃絶と通常軍事力の大幅な軍縮へと踏み出すこと。その第一歩として東アジアにおける米中ロシアおよび北朝鮮の核保有国による核軍縮会議を開くこと (2)軍事同盟は時代遅れであることを認識すること。米国は海外軍事基地を順次撤去し、日本は在日米軍事基地の引き揚げを是認すること (3)以上の軍縮に伴う「平和の配当」によって世界に貢献すること (4)日本は米国への追随路線を返上して、日米安保体制の解体を含む路線転換をすすめる構想をもつこと
年間総額約1兆ドル(110兆円超)という世界軍事費の削減によって浮く資金を環境、教育、飢餓、疾病、貧困対策などに回す「平和の配当」は1990年代の初めにソ連邦が崩壊し、東西冷戦が終結した頃、大いに期待されました。ところが、実現されず、むしろ米国一極主義がまかり通るようになり、軍縮どころか逆に軍拡へと突き進んだという経緯があります。特に大統領閣下がこの「平和の配当」実現に粉骨砕身されるなら、歴史にその名を残すだろうことは間違いのないところです。
以上の提案を「サル知恵」と笑わないでください。米日ともにいまや知恵もモラルもゴリラ以下で、サル並みになっているわけですから、我々サルを笑う資格はないように思います。我々サル一同は、多くの人間と違って軍事力を振り回そうなどという愚劣な所業には関心がありません。ぜひ上記の提案の実現に取り組み、人間様は人間らしく、その誇り、さらに知恵とモラルを取り戻してほしいと心から願っています。
*「安原和雄の仏教経済塾」より転載
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