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橋本勝21世紀風刺絵日記
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2007年05月18日15時43分掲載
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元CIA長官の回想録めぐり批判の声も 意見対立に沈黙した長官像も露呈
米国の諜報機関である中央情報局(CIA)長官だったジョージ・テネット氏(54)の回想録「嵐の真っ只中で」(仮約)が、米国でベストセラーになっている。執筆料は400万ドル(約4億8000万円)といわれ、500ページを超える分厚い本になっている。テネット氏はこの中で、対イラク、テロ戦争で、ホワイトハウスの一部強硬派と常に対立関係があったことを明らかにしている。しかし、明らかにCIAの見解とブッシュ政権の方針に食い違いがあったにもかかわらず、テネット氏がCIA長官を長く辞めようともせず、唯々諾々と従っていたことについて、テネット氏に対し批判の声も上がっている。(ベリタ通信=戸田邦信)
テネット氏は、1997年7月に民主党のクリントン大統領の下で、CIA長官に就任。2001年に政党の異なる共和党のブッシュ大統領が誕生してからもCIA長官を続投し、04年7月に辞任した。この間、01年に9・11米同時多発テロが発生し、その後のアフガニスタン、イラク戦争など、米国の対テロ戦争という激動の中で諜報機関のトップを務めた。
▽7月にテロ攻撃を警告
テネット氏は、9・11同時多発テロが起きる直前の7月に、現在国務長官で当時大統領補佐官(国家安全保障問題担当)だったコンドリーザ・ライス氏に対し、国際テロ組織アルカイダによるテロ攻撃が迫っていると警告。対テロ掃討の先制攻撃を要請したが、受け入れられなかったことを後悔の念をにじませながら明らかにしている。
またイラク戦争に関しては、開戦前にイラクが生物・化学兵器という大量破壊兵器(WMD)や核開発計画を持っていることは、当時の政権内では、了解事項になっていたと指摘。CIAもイラクは、大量破壊兵器を持っていると信じていたと述べている。
しかし、イラク戦争については、自分の知る限り、いつ開戦の決定がなされたのか知らないと述べ、ホワイトハウスの強硬派から、重要決定をめぐり蚊帳の外に置かれていたことを示唆している。
▽イラクとアルカイダの関係否定
テネット氏は、対イラク開戦のもう一つの口実であったイラクのフセイン元大統領と国際テロ組織アルカイダとつながりについては、これを否定し、チェイニー副大統領やその一派が、不確かな情報を基に、一方的に主張したと述べている。
テネット氏をめぐっては、思い出されるのが、バスケット用語の「スラム・ダンク」発言だ。米「ワシントン・ポスト」紙の大物記者ボブ・ウッドワード氏の最新ノンフィクション本「State of Denial」の中で、テネット氏が、ブッシュ大統領に対し、イラクが大量破壊兵器(WMD)を持っているのは「スラム・ダンク(間違いない)」と発言したと記している。
ブッシュ大統領もその後、この発言でイラク開戦が決定的なものになった旨の発言をしている。
しかし、テネット氏は、「スラム・ダンク」発言は、イラク開戦を決定付けるものでもなければ、大量破壊兵器の存在を保証したようのものでもないと反論する。
▽「スラム・ダンク」発言の真意
米国は03年3月のイラク開戦後、4月のバグダッド陥落を受け、必死で大量破壊兵器を探索したが、見つからなかった。このため、これはCIAの情報ミスのためだったとの批判の声が、ホワイトハウスの強硬派から上がった。CIAがこれに反発したため、ホワイトハウスとCIAの間で緊張が走ったといわれる。
テネット氏によると、チェイニー氏やライス氏はその後も、メディアに対し、「テネット氏が、スラム・ダンクと言っていた」と、CIAに責任を負わせる発言を続けた。このため、テネット氏は、不名誉なそしりを受けたと両氏への反発を強めたと書いている。
よほど悔しかったのか、今回の本の執筆の動機もこの真意を正すのが目的だったと述べ、第19章で「スラム・ダンク」との表題で、359ページから9ページをさき、反論を加えている。
テネット氏によると、02年12月21日、大統領執務室で、ブッシュ大統領やチェイニー副大統領ら政権中枢との間で、イラク問題を協議していた。その際、米国民に対しイラクの大量破壊兵器の脅威を印象づけるような別の補強証拠ないかとの話になり、その過程でテネット氏は、CIAが、そうした材料を提供することは「スラム・ダンクだ」と、太鼓判を押す意味で話したものだという。
▽開戦決定は既に行なわれていた
テネット氏は、12月までには、イラク開戦の決定は事実上行なわれており、自分の「スラム・ダンク」発言が、開戦決定の決め手になるように受け取られること自体、おかしいと主張している。テネット氏は、「スラム・ダンク」発言が、メディアにホワイトハウスの一部の者から意図的にリークされ、またブッシュ大統領も、その者から、後日“洗脳”され、発言があったかのように思い込んだのではとの見方をしている。
これに対し、ウッドワード氏はテネット氏の弁明を拒否、テネット発言については、少なくとも4人から直接その話を聞いていると反論している。
ウッドワード氏は、退任後のテネット氏に回想録の執筆を呼びかけるなど、両者にはそれなりの関係があった。事実、テネット氏が回想録の中で明らかにしているように、テネット氏は、ホワイトハウスの指示で、ウッドワード氏が出版している「ブッシュの戦争」シリーズの本の情報源になっていたことを打ち明けている。
▽回想録序文で手痛いミス
ウッドワード氏は、テネット氏の回想録を書評し、チェイニー副大統領や国家安全保障会議(NSC)のメンバーとの間で、対イラク、テロ戦争で意見の食い違いがありながら、なぜ大統領に直接、苦情を述べたり、進言せず、沈黙していたのかと批判している。
また4月末の回想録の出版直後に、元CIAの部下らがテネット氏に書簡を送り、イラク戦争をめぐってテネット氏は、まるで自分が犠牲者のように書いていると批判。テネット氏も、イラク戦争では同罪であり、イラク戦争に加担するル前に抗議のために辞任すべきだったと指摘している。
一方、テネット氏は、回想録の序文で手痛いミスを犯している。回想録によると、テネット氏は9・11同時多発テロの翌日の12日、ホワイトハウスでラムズフェルド国防長官(当時)の諮問機関、国防政策委員会のリチャード・パール委員長(当時)と顔を合わせ、パール氏から「イラクは昨日(11日)起きたことへの代償を払わなければならない」と告げられたと書いている。
これは、各種の書籍や記事で指摘されているように、ホワイトハウスの周辺では、強硬派の間で、テロ攻撃の余燼がさめやまない中で、イラクを叩くべしとの意見が噴出していたことを浮き彫りにしている。つまり、9・11を契機に、先制攻撃を柱とするブッシュ・ドクトリンが前面に躍り出、イラク開戦を前提に、その後開戦の口実つくりが進んでいったことを暗示している。
しかし、この発言をしたパール氏は当日はフランスにいたことが、間もなくわかった。テネット氏は、日付の記憶違いがあったかもしれないと語ったが、発言を引用した重要な部分だけに、テネット氏は脇の甘さをみせつけた。
テネット氏は、このミスについて、数日後に顔を交わせ、パール氏が発言したようなことがあったのは事実と主張し、訂正する姿勢はみせていない。これに対し、強硬派主導の対イラク戦争をお膳立てしたことで知られるファイス元国防次官は早速、ウォールストリート・ジャーナル紙で、テネット氏は都合のいい解釈をしていると皮肉った。
テネット氏は、ファイス氏が、国防総省主導の一方的な情報収集活動を行なったことを不快に思っていたことを、回想録の中で露骨に書き記しており、両氏の関係はその後も険悪化したままだ。そのファイス氏も、今年中に本を出版する計画だという。
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