【openDemocracy特約】米国に住むイラン人の学者、ハレ・エスファンディアリが拘束され、イラン・イスラム共和国の動機について政治アナリストの関心が再び集まった。彼女は年老いた母親に面会するためと、愛する国の心のふるさとに触れるためにイランに戻っていた。相次ぐ逮捕(エスファンディアリの逮捕はその中のひとつに過ぎない)について説明するのに、西側の一部には、米国のイラン政策自体に責任があるという陳腐な議論を繰り返す者がいる。
こうした考え方は、米国国務省が2006年2月にイランの民主主義を促進するために7500万ドルを要求したことがイランのさまざまなグループの活動家や知識人に対する弾圧の引き金になっているとする。こうした分析についての問題はふたつの要素がある。第一に、それがテヘラン自身ではなく主にワシントンに焦点を合わせている(必ずしもそれについて納得させられるものではない)。第二に、それはイラン政府はそのような侵害行為を犯すのに、ブッシュ政権からの体制変換の脅しを必要としているとする。
より強力な議論は、(3月に15人の英国海軍兵士を逮捕した時のように)イランの治安部隊がよくやる報復をしているのであり、この場合は、イラクで米軍がイランの工作員ないし外交官を拘束したことに対して、対抗策を持とうとしているのだという。この見方では、エスファンディアリの逮捕は交換のための取引材料を得ようとする工作の一部として見なされるかもしれない。
さらに踏み込んだ議論は、イラン政府に対して警告しようとしている人たちがしているものである。そうした行動はイランの国益とイメージ(特に米国での)を損ない、ひいてはブッシュ政権内ないしそれに近い頑迷派を助けることになるかもしれないという議論である。そうした人々は、エスファンディアリはどちらかといえば、イランとの対話と両国間の対立の終結を一貫として訴えてきたと主張する。どうしてイランはエスファンディアリのような有能なイラン系米国人を疎んじて、強硬派がイランに害を及ぼすような機会を増やすようなことをしなくてはならいないのか。
こうしたふたつの見方の問題は、イランの外交政策を基本変数としてみて、イラン国内の政治的力学にほとんど注意を払わないことである。エスファンディアリの逮捕をそのように評価することは、アハマディネジャド大統領とその支持者は、彼らの行動の結果について無知であると想定している。これは間違っている。彼らはそれらの結果をよく承知しており、無関心なのである。
だが、アハマディネジャドとその一派は、そのような挑発からの危機を歓迎しているという議論は間違いではない。イラン大統領は2005年6月に就任して以来、日常的に国内、国際的な危機をつくりだしてきた。政権のねじ曲った論理では、エスファンディアリは処罰する適切な対象に見えたのかもしれない。ウッドロー・ウィルソン国際センターの中東部長としての立場で、彼女はイランからの若い学者(彼らは当然、改革と民主主義に傾いている)にフェローシップを提供した。これはテヘランの強硬派にとって、エスファンディアリの逮捕をたくらむのに十分であり、彼女を奇怪なスパイの容疑にかけ、イランの彼らのライバルを彼女と関係づけて、おとしめることを可能にする。
抑圧の文脈
アハマディネジャドの挑発して危機を引き起こそうとする姿勢、抑圧を強めようとする傾向は、この間、明白であった。ムスタファ・ポールモハマディを内務相、ゴラムホセイン・モホセニ・エジェイを情報相に任命したことは、偏執的な世界観にとらわれている排外主義的な守旧派が復讐心を持って戻ってきたという警告であった。1990年代末、情報省内での殺し屋は、DariushやParvaneh Forouharなどの指導的知識人や政治活動家の恐ろしい殺害(婉曲的に「連鎖殺人」と呼ばれている)の責任者であった。多くのイラン人はいま、彼らが指導部に戻ってきたことを心配している。
アハマディネジャドはイランの複雑な権力構造の中で権力を完成していないのかもしてないが、かなりの支持を次のような勢力から当てにすることができる。革命防衛隊の中の派閥の連合体、バシジ(革命防衛隊に管理された民兵)、マッダ(宗教的指導者)に代表される都市の低い階層の狂信的支持者のグループ、アンサール・ヒズボラ(政治的反体制派を抑圧し、デモ隊をこん棒で殴る役目のイスラム共和国の自警団)。こうした勢力にとって、彼らのイスラム国家の主要な敵は、幅広く、(彼らにとっては)脅威となる社会的自由を持った都市のイラン文化である。
アハマディネジャドの治安部隊は、彼らがアハマディネジャドの後に続いて権力を握って以来、組織的に文化交流を弾圧し、政治的・知的な言説を抑圧しようとしてきた。こうした強硬派のイスラム主義者にとって大きなジレンマは、イランのディアスポラ(祖国を離れた人々)の自由な動きである。彼らの多くは高い教育を受け、自立した考えを持ち、批判的な考え方の訓練を受け、イランに新しい考えと違った見方を持ち込む。
その結果がイランでの新たな検閲の波である。先駆的な女流詩人、フォルーグ・ファッロフザードやインドの精神的指導者、クリシュナムルティなどの著名な作家の作品の再版が禁止された。エスファンディアリの逮捕は、この観点から理解できる。それはすべての人々に対する強力な警告である。西側諸国の郷愁の思いでいる若い第2世代から、彼らの両親の世代(イランに財産を持っているであろう)、ディアスポラの学者にいたるまでの海外にいるイラン人を含んでいる。すなわち、イランと世界の間を行き来するのは、危険な活動であるということである。
こうした姿勢は、政権のものの考え方の弱さと強さを示している。時間を止め、改革時代の前に戻し、イラン人に(よく知られたペルシャのことわざのように)、「ドアは同じ古いちょうつがいの周りを回っている」と示そうと必死になっている。同時に、粗野な残忍性は多くのアナリストの忘れっぽさを暴露する。イスラム共和国のもとでは、暗黒勢力が存在し続ける。
モハマド・ハタミの改革の時代(1989年―97年)の間は、国家の新しい方向とイメージをつくる努力により、イランは革命後の抑圧の時代を超えて動きつつあるという感覚が生まれた。不幸な副産物は、アハマディネジャドの傲慢と行き過ぎた行為が多くの人々の虚を突いたということである。
しかし、後者は彼の前任者よりこの国を真に表しているものであり、例外というより常態なのである。ハタミの政策とやり方には議論の余地がある。しかし、明確なことがひとつある。彼の改革主義の大統領時代は、イラン・イスラム共和国が与えうる最良の統治形態であったということである。エスファンディアリの苦しみは、この国家の中の抑圧的で狂信的な傾向を明らかにしている。さらに悪いことが起きるかもしれない。
*ラソール・ナフィシ バージニア州ストレイヤー大学で開発社会学を教える。Voice of America, BBC, and Radio France Internationalなどに寄稿。サイトは
http://www.rnafisi.com/
ウッドロー・ウィルソン国際センター
http://www.wilsoncenter.org/
本稿は独立オンライン雑誌www.opendemocracy.netにクリエイティブ・コモンのライセンスのもとで発表された。
原文
http://www.opendemocracy.net/democracy-irandemocracy/haleh_mind_4625.jsp#
(翻訳 鳥居英晴)
翻訳者注
ウッドロー・ウィルソン国際センターの声明によると、エスファンディアリ(67)は米国とイランの二重国籍者で、昨年12月末、母親(93)に面会するためにテヘランを訪れた。12月30日、米国に戻るため空港に行く途中、彼女が乗ったタクシーはマスクをし、ナイフを持った3人の男に止められた。男たちは彼女のイランと米国のパスポートが入ったバッグとスーツケースを奪った。4日後にパスポートの再発行を求めにパスポート交付所に行くと、情報省の当局者による尋問が始まった。尋問は6週間続いた。5月8日、拘束され、エビン刑務所に収監された。5月16日のテヘラン発AFP電によると、イラン国内紙はイランに「ベルベット革命」をもたらそうとした「イスラエル情報機関のスパイ」であると非難しているという。 エスファンディアリは、改革派のラフサンジャニ前大統領の娘と親しいといわれる。ウッドロー・ウィルソン国際センターの所長は、リー・ハミルトン。ジェイムズ・ベーカーとともに、イランとの関与を提唱したイラク研究グループの共同代表を務めた。
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