2007年8月6日の広島平和宣言、同月9日の長崎平和宣言に盛り込まれた悲願は「核廃絶」の一語に尽きる。広島市長は「市民の力で核廃絶」を強調、一方、長崎市長は「米国など核保有国は自国の核廃絶を」と指摘し、あくまでも核廃絶をめざすことを誓った。 安倍首相もまた「核廃絶に全力で取り組む」と答えた。しかし歴代首相は毎年のようにこの発言を繰り返しており、果たしてどこまで信頼できるのか。広島・長崎の平和宣言をバネにして核兵器のない世界をつくる条件を探る。
▽「広島平和宣言」― 21世紀は市民の力で解決できる時代
まず秋葉忠利・広島市長が07年8月6日の平和記念式典で述べた「広島平和宣言」を紹介しよう。その要点は以下の通り。
*被爆者の努力にもかかわらず、核即応態勢はそのまま膨大な量の核兵器が備蓄・配備され、核拡散も加速する等、人類は今なお滅亡の危機に瀕(ひん)しています。時代に遅れた少数の指導者たちが、いまだに、力の支配を奉ずる20世紀前半の世界観にしがみつき、地球規模の民主主義を否定するだけでなく、被爆の実相や被爆者のメッセージに背を向けているからです。
*しかし21世紀は、市民の力で問題を解決できる時代です。(中略)世界の1698都市が加盟する平和市長会議は、「戦争で最大の被害を受けるのは都市だ」という事実を元に、2020年までに核兵器廃絶を目指して積極的に活動しています。 世界の市長たちが市民と共に先導的な取組を展開しています。今年10月には地球人口の過半数を擁する自治体組織、「都市・自治体連合」総会で、私たちは人類の意志として核兵器廃絶を呼び掛けます。
*唯一の被爆国である日本国政府には、まず謙虚に被爆の実相と被爆者の哲学を学び、それを世界に広める責任があります。同時に国際法により核兵器廃絶のため誠実に努力する義務を負う日本国政府は、世界に誇るべき平和憲法をあるがままに遵守(じゅんしゅ)し、米国の時代遅れで誤った政策にははっきり「ノー」と言うべきです。
秋葉広島市長は昨年の広島平和宣言で「核兵器廃絶をめざして私たちが目覚め起つ時が来た」と宣言した。それから1年後、核兵器廃絶をめざす世界の動きは「市民の力」によって一段と具体化してきた。 その一つは世界の平和市長会議が「2020年までに」という期限を区切って核廃絶をめざす活動に取り組んでいること、もう一つは地球人口の過半数を擁する自治体組織、「都市・自治体連合」が今年(07年)10月の総会で「人類の意志として核兵器廃絶を呼び掛ける」こと―などである。
▽広島こども代表「平和への誓い」―原爆によっても失われなかった「生きる希望」
こども代表として森展哉君(広島市立五日市観音西小学校6年)と山崎菜緒さん(広島市立東浄小学校6年)が「平和への誓い」を読み上げた。その趣旨はつぎの通り。
*原子爆弾によっても失われなかったものがあります。それは生きる希望です。祖父母たちは、廃墟(はいきょ)の中、心と体がぼろぼろになっても、どんなに苦しくつらい時でも、生きる希望を持ち続けました。
*テレビや新聞は、絶えることない戦争が、世界中で多くの命を奪い、今日一日生きていけるか、一日一食食べられるか、そんな状況の子どもたちをつくり出していることを伝えています。そして私たちの身近なところでは、いじめや争いが多くの人の心や体をこわしています。
*嫌なことをされたら相手に仕返しをしたい、そんな気持ちは誰にでもあります。でも、自分の受けた苦しみや悲しみを他人にまたぶつけても、何も生まれません。同じことがいつまでも続くだけです。 平和な世界をつくるためには、「憎しみ」や「悲しみ」の連鎖を、自分のところで断ち切る強さと優しさが必要です。そして文化や歴史の違いを超えて、お互いを認め合い、相手の気持ちや考えを「知ること」が大切です。
*私たちは、あの日苦しんでいた人たちを助けることはできませんが、未来の人たちを助けることはできるのです。 私たちは、「戦争を止めよう、核兵器を捨てよう」と訴え続けていきます。
▽釈尊が説いた平和の理念―「怨みは、怨みをすててこそやむ」
上記のこども代表の「平和の誓い」の中で目を引くのは、つぎの一節である。 平和な世界をつくるためには、「憎しみ」や「悲しみ」の連鎖を、自分のところで断ち切る強さと優しさが必要です―と。
私は、この一節に法句経にある釈尊の次の言葉を連想する。 「この世においては、怨(うら)みに報いるに怨みをもってしたならば、ついに怨みの息(や)むことがない。怨みをすててこそ息む。これは永遠の真理である」と。 英文は Hatreds never cease by hatreds in this world. By love alone they cease. This is an ancient law.
この文言は、スリランカの大統領がサンフランシスコ対日講和会議(1951年)で対日賠償請求の放棄を宣言した演説に引用したことで知られ、鎌倉大仏脇の庭園にあるスリランカ大統領の顕彰碑に日本語と英語で刻まれている。 私は米国での「9.11テロ」(2001年の同時多発テロ)とそれにつづくアフガニスタンへの米国のいわゆる報復戦争が始まった直後、顕彰碑を訪ねたことがある。怨みと怨みの連鎖から抜け出す道はないのかと考えていたからである。 付近には沢山の日本人観光客がいたが、この顕彰碑にだれ一人関心を示さなかった。お仕着せの観光ルートに乗って、大仏の周囲で記念写真を撮って駆け足で去っていった。わずかに外国人の男女2人が私のそばに来て、顕彰碑の英文を目で追っていたのを昨日のことのように記憶している。
上記の法句経に込められた精神は、非暴力主義を貫いたマハトマ・ガンジー(インドの政治家・民族運動指導者)の「人類は、非暴力によってのみ暴力から脱出しなければならない。憎悪は愛によってのみ克服される」と共通している。
▽「長崎平和宣言」―全面的核廃絶と「北東アジア非核兵器地帯構想」の実現を
田上富久・長崎市長が8月9日の平和記念式典で述べた「長崎平和宣言」の骨子はつぎの通り。
*本年4月、伊藤一長・前長崎市長が暴漢の凶弾にたおれました。「核兵器と人類は共存できない」と、被爆者とともに訴えてきた前市長の核兵器廃絶の願いを、私たちは受け継いでいきます。
*「核兵器による威嚇と使用は一般的に国際法に違反する」という、1996年の国際司法裁判所の勧告的意見は、人類への大いなる警鐘でした。2000年の核不拡散条約(NPT)再検討会議では、核保有国は、全面的核廃絶を明確に約束したはずです。 米国をはじめとして、すべての核保有国は、核の不拡散を主張するだけではなく、まず自らが保有する核兵器の廃絶に誠実に取り組んでいくべきです。科学者や技術者が核開発への協力を拒むことも、核兵器廃絶への大きな力となるはずです。
*日本政府は、被爆国の政府として、日本国憲法の平和と不戦の理念にもとづき、国際社会において、核兵器廃絶に向けて、強いリーダーシップを発揮してください。 すでに非核兵器地帯となっているカザフスタンなどの中央アジア諸国や、モンゴルに連なる「北東アジア非核兵器地帯構想」の実現を目指すとともに、北朝鮮の核廃棄に向けて、6か国協議の場で粘り強い努力を続けてください。
*今日、被爆国のわが国においてさえも、原爆投下への誤った認識や核兵器保有の可能性が語られるなか、単に非核三原則を国是とするだけではなく、その法制化こそが必要です。 長年にわたり放射線障害や心の不安に苦しんでいる国内外の被爆者の実情に目を向け、援護施策のさらなる充実に早急に取り組んでください。被爆者の体験を核兵器廃絶の原点として、その非人道性と残虐性を世界に伝え、核兵器の使用はいかなる理由があっても許されないことを訴えてください。
田上長崎市長が訴えたことは、秋葉広島市長と同様に「全面的な核廃絶」である。そこにはあくまでも「核廃絶」をめざしていく熱い思いを読み取ることができる。米国をはじめとする核保有国はまず自国の核兵器の廃絶に取り組むこと、「北東アジア非核兵器地帯構想」の実現をめざすこと、さらに国是である非核三原則の法制化をすすめること―を訴えている。
▽ 安倍首相のあいさつ(1)―改憲への執着をまだ捨てていないのか
以上のような「平和宣言」やこども代表の「平和の誓い」に対し、安倍首相はどう答えたか。広島、長崎での首相あいさつの中でつぎのように述べた。趣旨は以下の通り。
「私は、犠牲者の御霊と市民の皆様の前で、広島、長崎の悲劇を再び繰り返してはならないとの決意をより一層強固なものとしました。今後とも、憲法の規定を遵守し、国際平和を誠実に希求し、非核三原則を堅持していくことを改めてお誓い申し上げます。 また、国連総会への核軍縮決議案の提出などを通じて、国際社会の先頭に立ち、核兵器の廃絶と恒久平和の実現に向け、全力で取り組んでまいります」と。
参考までに昨年の小泉首相の挨拶を以下に紹介する。要旨はつぎの通り。 「犠牲者の御霊と市民の皆様の前で、今後とも、憲法の平和条項を順守し、非核三原則を堅持し、核兵器の廃絶と恒久平和の実現に向けて、国際社会の先頭に立ち続けることをお誓い申し上げます」と。
一読して分かるように同じ調子で、同じ文言を散りばめたあいさつである。 「非核三原則の堅持」、「核兵器の廃絶と恒久平和の実現」は同じで、変わっていない。若干異なっているのが憲法問題である。昨年は「憲法の平和条項を順守」であったが、今年は「憲法の規定を遵守」となっている。
昨年の「憲法の平和条項」を削除し、今年は単に「憲法の規定」に置き換えた理由は何か。私はそこに安倍首相の改憲の意志を読み取りたい。つまり憲法前文の「平和的生存権」と9条第2項の「軍備及び交戦権の否認」を削除し、正式の軍隊を保有するという改憲(自民党の新憲法草案=05年11月公表)へのこだわりである。 7月末の参院選で惨敗し、参院で憲法改正の発議に必要な3分の2以上の与党勢力の確保が難しくなっているにもかかわらず、安倍首相は依然として改憲に執着している、そのハラを読みとることができるだろう。そのしがみつく貪欲さは、やがて歴史の舞台から転落していく悲劇につながっているだろうことに気づいていないらしい。
▽安倍首相のあいさつ(2) ― 世界が「核廃絶」に向かう条件
首相あいさつは「国際社会の先頭に立ち、核兵器の廃絶に向け、全力で取り組む」とも指摘した。しかしどこまで本気で核廃絶に取り組むのだろうか。
日米安保=軍事同盟下で米国のいわゆる核抑止力に依存しているのが、わが国防衛政策の基本原則である。いいかえれば、核廃絶を唱えながら、米国の「核の傘」を容認する立場を崩さず、非核三原則(核兵器をつくらず、持たず、持ち込ませず―の三原則)も一部を事実上ないがしろにしているのが現実である。 これでは内容空疎な首相の「核廃絶」発言というほかないだろう。しかし折角の「核廃絶」発言を生かす条件は何か。
世界が核廃絶に向けて歩み出すためには少なくとも以下の3つの条件が必要である。
1)米国の時代遅れの誤った政策に「ノー」と言うとき 秋葉広島市長は、つぎのように力説した。 「時代に遅れた少数の指導者たちが、いまだに、力の支配を奉ずる20世紀前半の世界観にしがみつき、地球規模の民主主義を否定するだけでなく、被爆の実相や被爆者のメッセージに背を向けている」と。 さらにこうも強調した。 「日本国政府は、世界に誇るべき平和憲法をあるがままに遵守(じゅんしゅ)し、米国の時代遅れで誤った政策にははっきり「ノー」と言うべきです」と。
見逃せないのは「時代遅れ」という文言を2度繰り返していることである。それが米国の指導者であり、核保有国の一握りの指導者たちを指していることはいうまでもない。「核の力による支配」を万能視し、その呪縛から逃れられない人びとである。「核の奴隷」と化した哀れな、しかし危険きわまりない群れ、と言ってもいいだろう。その群れには明確な「ノー」を突きつける必要がある。
2)核大国の核軍縮を最優先にすること 核不拡散はもちろん重要である。しかし核大国の核軍縮こそ優先すべきである。大量の核兵器を保有する核5大国(米、ロシア、英、仏、中国)が、正当性を欠く身勝手な「核覇権主義」に執着したまま、核大国以外への核拡散を非難するのは公平とはいえない。 核不拡散条約(NPT)は、その名称から誤解されやすいが、核不拡散だけでなく、核保有国の核軍縮の重要性もうたっていることを忘れてはならない。
3)日米安保=軍事同盟を解体し、「非核兵器地帯」結成に努力すること 核抑止力に依存する日米安保=軍事同盟が存在する限り、アジアにおける核廃絶は困難であろう。 日米安保=軍事同盟のお陰で平和が保たれていると思うのは錯覚である。例えば米軍によるイラク攻撃のための出撃基地として機能しているのが、実は日米安保=軍事同盟下での在日米軍基地である。いいかえれば日米安保=軍事同盟はアジアに限らず中東までも含む広大な地域の平和への脅威となっている。そういう日米安保=軍事同盟は長期展望として解体するほかない。
一方、田上長崎市長が訴えているように、「北東アジア非核兵器地帯構想」の実現を目指すことが重要である。これには北朝鮮の核廃棄を含む朝鮮半島の非核化が必要である。 念のため指摘すれば、東南アジア諸国連合(ASEAN)加盟の10カ国(ブルネイ、カンボジア、インドネシア、ラオス、マレーシア、ミャンマー、フィリピン、シンガポール、タイ、ベトナム)は、すでに1997年に東南アジア非核兵器地帯条約に調印している。
日本が核廃絶に本気で取り組むためには、こうした非核地帯条約を正当に評価し、日本を含む非核地帯へと拡大していくことが不可欠といえよう。
*本稿は「安原和雄の仏教経済塾」からの転載です。
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