安倍首相が突如、辞任した。政局の焦点は首相の後継者選びに移っている。しかし誰が新首相に選出されるか、よりも今後の日本の針路をどう設定するかが重要な課題であろう。 安倍首相の退陣は、日米同盟を基軸とする自民・公明路線の破綻を意味しており、ここは根本から出直す以外に良策はない。その中心テーマは日米同盟をどう見直すかである。日米同盟の呪縛から自らを解放する作業に取りかかるときである
▽安倍首相辞任の記者会見
安倍首相は9月12日午後2時からの緊急記者会見で辞任とその理由について次のように述べた(9月13日付毎日新聞を参照)。
本日、首相の職を辞するべく決意した。7月29日、参院選の結果は大変厳しい結果だった。(しかし)この改革を止めてはならない、また戦後レジームからの脱却、その方向性を変えてはならないと続投を決意し、今日まで全力で取り組んできた。
(インド洋での海上自衛隊の給油)活動を中断することがあってはならない、なんとしても継続していかなければならない。これが私の「主張する外交」の中核だ。 本日、小沢(一郎民主党)党首に党首会談を申し入れ、私の率直な思いと考えを伝えようと(した)。残念ながら党首会談については実質的に断られてしまった。今後、このテロとの戦いを継続させる上において私はどうすべきか。むしろ局面を転換しなければならない。新たな首相の下でテロとの戦いを継続していく、それを目指すべきではないか。
改革を進めていく、その決意で続投し、そして内閣改造を行ったわけだが、今の状況で国民の支持、信頼の上において力強く政策を前に進めていくことは困難だ。ここは自らがけじめをつけることによって局面を打開しなければならない、そう判断するに至った。
▽祖父、岸信介元首相と日米安保
以上のような安倍首相の心境の吐露をテレビで聴きながら、私は安倍首相の祖父、岸信介元首相と日米安保のことを考えていた。岸元首相は、いうまでもなく60年(昭和35年)安保改定当時の首相で、現行の日米安保条約を強行採決などの手法を使って成立させた人物である。 安倍首相は著作『美しい国へ』でその祖父と安保条約のことに詳しく触れている。興味深いのは、以下の描写である。
安保条約が自然成立する前日の1960年6月18日、国会と官邸は33万人に及ぶデモ隊に囲まれた。官邸に閉じ込められた祖父は、大叔父(佐藤栄作・当時大蔵大臣)と2人でワインを飲みながら「私は決して間違ってはいない。殺されるなら本望だ」と死を意識したという。
「アンポ、ハンターイ!」という遠くからのデモ隊の声を聞きながら、まだ6歳、小学校に入る前の子どもだった私は祖父に「アンポって、なあに」と聞いた。 すると祖父が、「安保条約というのは、日本をアメリカに守ってもらうための条約だ。なんでみんな反対するのかわからないよ」 そう答えたのをかすかに覚えている。
祖父は、幼いころから私の目には、国の将来をどうすべきか、そればかり考えていた真摯(しんし)な政治家としか映っていない。それどころか世間のごうごうたる非難を向こうに回して、その泰然とした態度には、身内ながら誇らしく思うようになっていった。間違っているのは、安保反対を叫ぶ彼らの方ではないか。長じるに従って、私はそう思うようになった。 安保条約をすべて読み込んでみて、日本の将来にとって、死活的な条約だ、と確信をもつことになるのは、大学に入ってからである。
▽悲劇の根因は日米安保=日米同盟路線
辞任の記者会見に臨んだ安倍首相自身が60年安保争乱当時の光景を思い出していたかどうかは知らない。当時私は新聞社の東京本社社会部駆け出し記者として安保争乱の一端を取材するのが仕事であった。その渦中にまだ幼い頃の安倍首相が居たとは、もちろん知る由もなかった。 それはともかく私が言いたいのは、安倍首相は祖父、岸元首相の政治家としてのDNA(遺伝子の本体)をそのまま受け継いだ、骨の髄までの日米安保すなわち日米同盟の積極的推進者だということである。著作『美しい国へ』で指摘している「安保条約は日本の将来にとって死活的な条約だ」という確信は尋常ではない。宗教的信仰ともいえるのではないか。しかし彼の「異常にして唐突な辞任」という悲劇の根因は実はそこに伏在していた。
悲劇の根因としてあげるべきは、信仰の対象である日米安保=日米同盟が彼の思い描くようには機能しなくなったことである。「テロとの戦いを継続させる上において局面を転換しなければならない」という記者会見での発言は、そういう意味であろう。 自らの信仰が破綻したと思いこんだとき、―それが仮に錯覚であるとしても、その信者はどういう行動を取るだろうか。まして彼は一国の首相である。突然、政権を投げ出すほかなかったともいえるのではないか。 ああ、そこまで日米安保=日米同盟に束縛されているのか、お気の毒に、と私はむしろ同情を禁じ得ない。
しかし率直に言って、日米安保=日米同盟路線にこれほど固執するのは時代感覚がいかにもずれている。21世紀の今日、日米同盟路線は破綻しつつあり、その路線は世界の中でむしろ孤立しつつあるというのが私の基本的な時代認識である。従って安倍首相の退陣は単なる首相の辞任というひとつの政治的事件、というよりも日米安保=日米同盟路線を土台とする自民・公明路線そのものの破綻と受け止めたい。
だから今後の日本の針路を設定する場合、日米同盟をどう見直すかが最重要な課題となるべきである。この一点を軽視すれば、ポスト安倍政権もしょせん時代の要請に応えられない、苦悩から抜け出せない政権となるほかないだろう。
▽大手メディアは首相辞任をどう論じたか
以上のような時代感覚に立って、安倍首相の辞任を大手6紙(9月13日付)はどのように論じたかを考えてみる。社説(主張)の見出しは以下の通り。
*朝日新聞=安倍首相辞任 あきれた政権放り出し 解散で政権選択を問え *毎日新聞=安倍首相辞任 国民不在の政権放り投げだ 早期解散で混乱の収拾を *読売新聞=安倍首相退陣 安定した政治体制を構築せよ 大連立も視野に入れては *東京新聞=安倍首相、退陣へ 下野か衆院解散か、だ *産経新聞=首相辞任表明 国際公約を果たす態勢を 稚拙な政権運営をただせ *日本経済新聞=突然の首相退陣、政局の混迷を憂慮する
6紙の社説(産経のみ「主張」)を通読して、まず印象に残ったのは、異例、異常、唐突、無責任、前代未聞、職場放棄、政権運営の行き詰まり、リーダーとして未熟―などの表現の氾濫(はんらん)である。たしかにその通りで、それぞれが事態の一面をついているが、現象面の指摘にすぎない。
臨時国会最大の焦点であるインド洋での海上自衛隊による給油活動の継続問題についてはどのように論評しているか。給油継続に積極的賛成を主張しているのは、どうやら読売と産経のようである。この2紙以外は含みの多い論評となっている。給油継続に明確に反対の立場を打ち出しているのは皆無である。
*朝日=それほど給油活動が大事だというなら、方法はほかにも考えられたろう。辞任で道を開くという理屈は理解に苦しむ。 *毎日=インド洋派遣が中断したとしても、(解散による)衆院選でテロ対策全般について自民、民主両党が競い合い、国民がどちらかを選択する方が賢明なやり方である。 *読売=「テロとの戦い」である海自の給油活動継続は、与野党を超えた幅広い合意で決めることが望ましい。小沢民主党代表も「局面の転換」を図る努力をしてもらいたい。 *東京=ともにテロと戦う国際社会への貢献のあり方は、急ぎ結論を得ねばならない逆転国会の重大テーマだ。首相の退陣が招いた政治空白を長引かせるわけにはいかない。 *産経=首相はブッシュ大統領らに対し、インド洋での給油活動の継続方針を説明してきた。この国際公約を何としても果たせる態勢の構築が急務となる。 *日経=国会は休会状態になり、給油継続問題も宙に浮く形となった。安倍首相に強い気持ちがあれば、一時中断はあっても国際公約である給油継続は可能だったはずである。
「安倍路線の破綻」に言及したのは朝日新聞のみである。いくつか拾い出すと、「基本的な安倍政治の路線は幾重にも破綻(はたん)をきたしていた」とした上で、次のような事例をあげている。
・小泉改革の継承をうたいながら、郵政造反議員を続々と復党させた。 ・参院選で大敗すると「改革の影に光をあてる」と路線転換の構えを見せるしかなかった。・首相の一枚看板だった対北朝鮮の強硬路線も、米国が北朝鮮との対話路線にハンドルを切り、行き詰まった。 ・宿願だった憲法改正が有権者にほとんど見向きもされず、実現の見通しも立たなくなった。 ・選挙後、「美しい国」「戦後レジームからの脱却」という安倍カラーが影をひそめざるを得なかったところに、安倍政治の破綻が象徴されていた。もはや、それは繕いきれなくなったということだろう。
しかしこの朝日新聞の破綻論も日米安保=日米同盟路線の破綻を意味しているわけではない。もちろん個々の指摘が間違っているわけではないが、安倍政治の行き詰まりの事例をあげているにすぎない。
▽なぜ日米安保=日米同盟路線の見直しが必要なのか
まず日米安保=日米同盟路線の2つの柱を指摘したい。それは経済同盟と軍事同盟である。日米安保条約は次のように定めている。 *第2条(経済的協力の促進)締約国は、その自由な諸制度を強化することにより、(中略)国際経済政策におけるくい違いを除くことに努め、また両国の間の経済的協力を促進する。 *第3条(自衛力の維持発展)締約国は、個別的に及び相互に協力して、(中略)武力攻撃に抵抗するそれぞれの能力を、憲法上の規定に従うことを条件として、維持し発展させる。
第2条が日米経済同盟の根拠規定であり、ここから新自由主義(=自由市場原理主義、新保守主義)路線が1980年代の中曽根政権時代に導入され、小泉・安倍政権下で横行し、最高潮に達した。 この2条の「自由な諸制度の強化」の「自由」、さらに新自由主義の「自由」の意味するところが曲者(くせもの)であり、市民レベルの自由・人権というよりも資本、企業の自由な利益極大化の追求を容認することにほかならない。 そのために自由化、民営化を広げ、弱肉強食をすすめ、競争と効率を旗印に格差拡大をもたらした。昨今の自殺、犯罪、カネにからむ不正などの増大、さらに労働条件の悪化(非正規労働の増加、低賃金など)の多くはこの新自由主義路線の悪しき産物である。それに対する国民の反撃が参院選での自民党の惨敗であった。
一方、第3条が日米軍事同盟の根拠規定であり、これを第5条(共同防衛)、第6条(基地の許与)などの規定が支えている。特に見逃せないのは、1990年代後半以降、「安保の再定義」によって従来の「極東の日米同盟」から「世界の中の日米同盟」へと安保の対象地域が変質したことである。 安倍政権が憲法9条(戦争放棄、非武装、交戦権の否認)の改悪を意図し、「米国と共に戦争のできる国」への仕上げを急ごうとしたのも、また安倍首相が辞任会見で強調した「テロとの戦い」、「インド洋での給油の継続」も、この「世界の中の日米同盟」路線への忠誠にほかならない。
しかしこの「テロとの戦い」ひとつをみても、すでに行き詰まっており、破綻している。こういう日米同盟路線に国民の多くは疑問を抱いている。米国主導の「テロとの戦い」に日本が事実上の参戦を続行する大義はすでに失われている。 (その理由などは、「安原和雄の仏教経済塾」と「日刊ベリタ」に9月12日付で掲載した「給油継続に執着するのは愚策」を参照)
さてではこれにどう対応するか。中長期的には日米安保=日米同盟路線の解体を視野に収めるほかないが、当面は情勢に応じて見直すときではないか。具体的には「テロとの戦い」から離脱することである。今臨時国会での焦点である給油継続のための法的措置を断念すれば、それでよい。政治的決断と大仰に考えるほどのテーマではないだろう。
日米同盟だからといって、安倍首相のように「同盟の呪縛」に硬直状態になる必要はない。対等の日米関係であるはずだから、「今回は失礼」といえるのではないか。 すでに離脱している国は多いのであり、日本が先頭を切るわけではない。船が難破して、さてどうするかというとき、日本人向けの有名なジョークがあるではないか。「他の国の方々はすでに飛び込みましたよ、日本の皆さんもいかがですか」と。日本人お得意の横並び行動様式を皮肉ったものだが、これを日常感覚で実践するときではないか。
*本稿は「安原和雄の仏教経済塾」からの転載です。
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