企業の不祥事が相次いでいる。最近耳目を集めたのは、創業300年の歴史を誇る餅菓子の老舗「赤福」(本社・三重県伊勢市)が売れ残り商品の製造日偽装問題で本社工場の無期限営業禁止処分(07年10月19日)となった不祥事である。回収品の再使用などのルール違反をつづけていたもので、社長は「もったいない」をその理由に挙げている。 しかしこれは「もったいない」精神の無理解のうえに立った誤用である。本来の正しい「もったいない」精神は、どういう意味かを改めて考えさせる不祥事といえよう。
▽「もったいない」で営業禁止処分に
老舗の有名「赤福餅」の無期限営業禁止処分であるだけにメディアも詳しく報道し、ついに社説でも取り上げた。例えば『朝日新聞』社説(10月20日付)は「赤福 老舗よ、お前もか」と題してつぎのように指摘した。
まず農林水産省が12日に、製造日の偽装を発表した。いったん包装して製造日まで印刷しておきながら、工場や配送車内に残った製品を再包装し、製造日を印刷し直して出荷していた。 さらに18日深夜になって、じつは店頭で売れ残った製品も再使用していた、と前言をひるがえした。製造日を印刷し直すだけでなく、一部は餅とあんに分け、生産ラインに戻したり、原料として子会社に販売したりしていた。
赤福餅包装には「生ものですからお早めにお召し上がり下さい」とある。製造日後1~2日での消費を求め、新鮮さを売り物にしている。その裏で「製造日の印刷し直しは2週間以内」という社内規定を設け、そのうえ店頭に並べたものまで再使用するとは、あきれるばかりだ。 これは表示の不正にとどまらず、食品衛生上の問題である。三重県が無期限の営業禁止処分にしたのは、当然だ。
製造日の印刷し直しは少なくとも34年前から、回収品の再使用は7年前から行われていた。社長は「もったいないと思った現場の判断」と説明したが、ではいったいだれが指示したのか。 製造日の再印刷は生産量の2割もあった。回収品も本来、処分するしかないものだった。こんな方法など、神宮の前でだけ客の顔を見ながら製造販売していた時代には思いつかなかっただろう。 ご当地名物を急成長させたことに無理があったのではないか。大阪、名古屋へ販路を拡大すれば、在庫が必要になり、売れ残りも生じる。
以上の社説の中で私が注目したのは、次の2点である。 *社長は「もったいないと思った現場の判断」と説明した。 *ご当地名物を急成長させたことに無理があったのではないか。
このような社長の言い訳ともいうべき「もったいない」感覚は、本来の正しい「もったいない」精神からみてふさわしいのだろうか。
▽自転車走行のライフスタイルと「もったいない」精神
ここでもう一つの「もったいない」精神の重要性を強調している記事を紹介したい。これはエコライフコンサルタントの中瀬勝義さん(E-mail:k.nakase@ka.baynet.ne.jp)が私(安原)宛にE-メールで送ってきた記事(10月19日付)で、その内容はつぎの通り。
仲間が江戸川と利根川間に人々の交流を求めて江戸川・利根川を自転車で北上中です。(10月20日までの)3日間の予定です。 安心安全まちづくり 「言うは易し 行うは難し」でしょうか。 自動車による道路走行の機械的な時代から歩いたり、自転車で走ったりの人のスケールでのライフスタイルを石油が少なくなり、ガソリンが高くなった今こそ根本的に見直す時が来たのではないでしょうか。
自動車を造る金属やプラスチック資源も(地球)人口70億人時代には人々に平等には配分できません。自国の土地に依存した資源で生きる生態的な生き方を抜本的に研究する時代ではないでしょうか。 日本中の環境研究所や大学や企業の研究者が集中的に「もったいない」を研究すると嬉しいのですが。
この記事中の江戸川・利根川を自転車で北上中の仲間、とはNPO「地域交流センター」(交流サロンSHU)の浜田靖彦さんら 江戸川利根川交流実行委員会の面々である。3日間かけて120キロを走破した。環境汚染のCO2を排出する自動車依存症を脱して環境保全型の自転車を愛用し、それによって友だちの輪を広げようという試みである。 「自国の土地に依存した資源で生きる生態的な生き方」とは資源エネルギー節約型・環境保全型の「もったいない」精神の実践でもある。さらに中瀬さんは「もったいない」精神の集中的な研究のすすめを説いている。
▽ノーベル平和賞受賞者、マータイ女史の「もったいない」
ノーベル平和賞(04年)受賞者のケニアの環境保護活動家、ワンガリ・マータイ女史は05年2月初めて来日した時、「もったいない」という日本語に出会って、感激し、「日本文化に根ざした〈もったいない〉という言葉を世界語にしたい」と考えるようになった。
それ以来国連を始め世界各地で「MOTTAINAI(もったいない)」の普及行脚に精力的に取り組んでいる。「もったいない」精神を地球規模で広げていくその功績には計り知れない価値がある。 翌06年2月に再来日したときには日本の各地でつぎのように語りかけた。 「小さなことでよいのです。皆さんのMOTTAINAIを見つけて最善を尽くして下さい。それが地球を守ることになるのです」と。
本来なら日本人がお互いに語り合い、世界に向かっても説くべきところを日本人ならぬケニアのマータイ女史が「日本文化のもったいない」を説いてくれているのである。感謝しなければ、罰が当たるだろう。
▽勘違いに陥った赤福の「もったいない」感覚
さて本来の「もったいない」(勿体無い)とはどういう含意なのか。つぎの4つに大別できる。(松村明編『大辞林』・三省堂から) ①(有用な人間や物事が)粗末に扱われて惜しい。有効に生かされず残念だ。用例:まだ使えるのに捨ててしまうとはもったいない。 ②(神聖なものが)おかされて恐れ多い。用例:神前をけがすとはもったいない。 ③(目上の人の好意が)分にすぎて恐縮だ。用例:御心づかいもったいなく存じます。 ④ (あるべき状態からはずれて)不都合だ。不届きだ。用例:帯紐解き広げて思ふことなくおはすることもったいなし/『源平盛衰記』。
いいかえれば、それぞれの存在の尊さ、ねうち、いのちなどの価値を無駄にすることの意である。最近では主として資源エネルギーの節約、地球・自然環境の保全に関連して使われることが多い。大量生産―大量流通―大量消費―大量廃棄という近代工業文明の経済構造の中で大量の廃棄物(ごみ)の山を築いて、それを豊かさと錯覚したり、平然と自然環境を破壊したりしているのは、まことに「もったいない」仕業といわなければならない。
以上のように理解すれば、赤福の「もったいない」感覚には勘違いがあったといえる。上記の①の用例:まだ使えるのに捨ててしまうとはもったいない―を応用したつもりだろうが、売れ残りを偽って売りつけるのは「もったいない」精神を悪用し、客を欺く利益第一主義であり、望ましい商人道にも反する。
本当に「もったいない」と考えるのであれば、販路を広げ、成長をめざすための大量生産―大量流通―大量販売―大量廃棄の悪しき構造からの脱却をめざして、売れ残りが出ないようにすべきであった。そういう悪しき構造の落とし穴が分かっているからこそ、地方の特産品では売れ残りを出さないように限定販売を心掛けている店舗も少なくないのである。
私自身、京都駅で赤福餅を買い求めた経験がある。朝日新聞社説が示唆しているように「(伊勢)神宮の前でだけ客の顔を見ながら製造販売していた時代」を守り通していれば、こういう破綻とは無縁であっただろう。過大な成長を期待せず、むしろお伊勢様にお参りしなければ、手に入らないという商法の方が赤福の価値を高めたに違いない。 昨今、「売らんかな」の曲がった商法が横行している現実があるとしても、それに目がくらみ、改革精神を忘れ、一種の悪徳商法の惰性に流れたのは、歴史と伝統を誇る老舗としてはまことに「もったいない」話である。
*本稿は「安原和雄の仏教経済塾」からの転載です。
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