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橋本勝21世紀風刺絵日記
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2007年11月23日16時54分掲載
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キュー・サムファン元議長の弁護を無料で 仏の高名弁護士が名乗り
【パリ23日=飛田正夫】1970年代後半にカンボジア人を大量虐殺・餓死させた旧ポル・ポト派の最高幹部の一人、キュー・サムファン元国家幹部会議長(76)が19日に逮捕され、ポト派の犯罪を裁くカンボジア特別法廷に身柄を引き渡された。これで旧ポト派幹部の逮捕者は計5人になった。本裁判は来年行われる予定で、人道の罪などで裁かれるが、キュー・サムファン元議長の弁護人としてフランスの高名なジャック・ベルジェス弁護士(82)が、早くも名乗りを上げている。同弁護士は、元議長がフランスに留学時代に知り合ったという。無料で弁護すると意気込んでいる。
キュー・サムファン元議長はポト派指導者であるポル・ポト(元カンボジア共産党書記)の側近で、ポト派政権(1975−79年)時代に、国家元首にあたる国家幹部会議長を務めた。ポル・ポトは76年首相に就任。この間、ポト派は旧ロン・ノル政権時代の公務員のほか、教師やインテリ層らを大量に虐殺したり餓死させた。その数は200万人ともいわれている。ポト派は1978年のベトナム軍のカンボジア侵攻の後、崩壊した。ポル・ポトは98年に逃走中に死亡している。
ポル・ポトもキュー・サムファン元議長もフランス留学組だが、1950年代にフランス共産党の影響を受けたとされる。ベルジェス弁護士は、パリで、若きキュー・サムファン元議長と知り合った。反植民地主義を叫ぶ活動に一緒に参加したという。
ベルジェス弁護士は、タイのフランス領事だった父とベトナム人教師の母との間に生まれた。仏領ユニオン諸島で育ち、1945年にフランスへ渡り法律を学び弁護士になった。
反植民地主義者としてアルジェリア独立解放戦線(FLN)を支援した後は、首都アルジェに住んだが、その後1970年から1978年まで姿を消していた。フランスに帰ってからは「防御不可能な裁判を専門的に引き受ける弁護士」として有名になった。
同弁護士は、これまでにイラクのサダム・フセイン元大統領や、フランス・リヨンでナチス・ドイツに協力し、「リヨンの虐殺者」と言われたクラウス・バルビー、そしてボスニア・コソボ紛争で人道の罪に問われたミロセビィッチ元ユーゴ連邦大統領らを擁護した経験を持つ。
カンボジアの特別法廷は国連の支援を受けて設置された。キュー・サムファン元議長は、大量虐殺については、これまで終始、自分が預かり知らぬところで行われたとの主張を展開している。ベルジェス弁護士は、裁判が始まれば、この主張を改めて補強するとみられている。
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