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橋本勝21世紀風刺絵日記
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2007年12月15日17時31分掲載
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山は泣いている
13・人それぞれの「山」 視覚障害者とのすがすがしい平ケ岳山行 山川陽一
第4章 わたしと山・1
▽「山高きがゆえに貴からず」
未踏の山 原生の山 たおやかな山 新緑の山 花の山 紅葉の山 雪山 スキーで行く山 車窓から見る山 絵に描く山 写真に撮る山 鍛錬の山 仲間と行く山 ひとりで歩く山 静寂の山 思索する山…。
「山高きがゆえに貴からず」という。高さが山の価値をきめる絶対的基準とすれば、エベレストがいちばん山として価値が高いわけで、そこに最初に登った人が一番偉いということになる。しかし、必ずしもそうでないところに山登りの面白さがある。どの山が美しいかという規準で言えばエベレストよりもっともっと魅惑的な山はいくらもあるし、困難の度合いから言っても同じヒマラヤの8千メートル峰14座のなかでエベレストが一番というわけではない。
同じ山、同じ頂上でも、夏もあれば冬もある。一般登山道もあれば、岩壁の直登ルートもある。山について考えるとき、山国の人たちの生活と文化も忘れることはできない。
「山」という対象物のどの側面に価値を見つけるかは、ひとそれぞれの価値観に基づくもので、そこに普遍的規準があるわけではない。
ここでわたし自身の「山」について少し話そう。私立の中学に入学してすぐに山岳部に属し、その春、武甲山に連れて行ってもらったのが私の最初の山行であった。編み上げの靴を履き、父から貰い受けた軍人用のゲートルを巻いて行ったこと、持っていった夏みかんが重くてバテてしまったことを今でも鮮明に覚えている。それ以来、大した山暦があるわけではないが、社会人として働き盛りの一定期間を除いて、今日まで山行を積み重ねてきた。そして50年が過ぎた。 まだまだ自分の足で頂上に立ちたい意欲は衰えていないが、やがて思ってもかなわないときが来るだろう。そうなったときは、山麓から眺める登山者に転向しようと思っている。それも出来なくなったら最後の手段として夢登山というやつがある。夢の中で、先年涙をのんだチベットのあのカルション峰の頂きに立って下界を見下ろしてやろう。さぞ気持がいいことだろう。
その時そのときで、一番自分に合った山、自分に向いた登り方をしていければいいと思う。ヒマラヤからウラヤマまで、個人の価値基準に合致したどんなメニューでも提供してくれる「山」の世界はすばらしい。
▽平ケ岳と「六つ星山の会」のこと
視覚障害の方たちと一緒に山を楽しむ「六つ星山の会」というグループがある。わたしの大学の山岳部の先輩Oさんが世話役をやっており、昨年の夏、この会の山行で平ケ岳に行くから一緒に行かないかと声をかけてくれた。平ケ岳は、自分としても、いつか登りたいと思っていた山のひとつであったが、今日まで機会に恵まれなかった。今度は、日程的にも都合がよく、是非にとお願いして同行させてももらうことになった。 この山は、通常だと、尾瀬の入り口の清四郎小屋から頂上まで片道六時間の長丁場の登りである。山中に小屋もなくキャンプも禁止なので、人気が高い割には入山者が少なく、静寂の山歩きが楽しめる。今回は、銀山平の伝之助小屋に宿泊して、宿のマイクロバスで中の岐林道をドン詰まりまで入ってから歩き始める、別名皇太子ルートを使うことが出来るというので、大幅に行程が短縮されるのも魅力のひとつだった。
朝4時に宿を出発し、登山口についたのが5時半。そこから中の岐の本流を渡って対岸の急峻な尾根に取り付く。総勢27名が5班5人編成で、各班にひとりずつ視障者の方が入り、班の中で交代でコンビを組む。わたしにとっては、はじめての体験なので、果たして目が不自由な方たちとどうやって歩くのか、コースタイムの倍の時間がかかってしまうのではないか、景色を楽しんでもらうにはどうしたらいいのか、そんな不安を抱えたまま、とりあえず一緒に歩き始める。 先導の方のザックにつけた紐を障害者のMさんがつかみ、足場や危険箇所などの状況を口で伝えながら誘導していく。後ろにもひとりサポートがついて、ポイントポイントで、足の置き場などを適切に補足指示しながら安全を確保する。目が見えないのに、Mさんの足の運びは着実で、ほとんど晴眼の登山者と同じスピードで進んでいくのにはびっくりだ。声だけでなく、足音や紐に伝わってくる体感など、われわれより数倍の五感を働かせているのだろう。まるで3人が一体になって進んでいくようだ。 3ピッチ目になって、「山川さん替わってみませんか」と突然言われて、先導を渡される。見様見まねでリードするが、Mさんはなかなかの褒め上手で、「サポートの経験よりも山歩きの経験の深い人がいいサポーターなのですよ」などとおだてて、私の不安を取り除いてくれる。道中、出来るだけ周囲の景色や咲いている花を、感情をこめて声を出して説明しながら歩き、手に届く花はそっと手に触れるよう導いてあげたりする。
やがて雲上に出ると、山名のごとく、どこが山頂かわからないほど穏やかで平らな高層湿原の中を木道が続いて、池塘が点在し、高山植物が咲き乱れている。雪渓もまだ残っている。木道から外れて、雪渓の中にルートをとるのも楽しい。水場では、手に掬って飲む水がうまい。四囲を見渡せば、燧岳や至仏岳など尾瀬の山々、越後駒ケ岳、中の岳など越後の山々が手に取るように見渡せる。 下りは、登りよりリードが難しいが、全員がほとんど遅れることなく、コースタイム通りの時間で午後2時にはマイクロバスが待つ登山口に戻ってくることができた。まるで、わたしたち一行が車に乗り終わるのを待ちかまえていたかのように、夕立が音を立てて車窓をたたき始めた。
みんな素直に山に来た喜びを表現し、感謝の気持ちを口にし、サポーターも特別のことをしているという風でなく、一体になって山旅を楽しんでいる。この日の夕立のように、何かしら、命の洗濯ができたような、すがすがしい気持ちの山行であった。こんな世界を知ることがでてよかったと思う。
たまに顔を出すことは出来るが、続けて活動されてきたメンバーの人たちの努力には頭が下がる。(つづく)
(やまかわ よういち=日本山岳会理事・自然保護委員会担当)
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