今年9月、大阪・西成区で入院していた全盲の63歳の男性患者が、病院職員によって公園に置き去りにされるという事件があった。その男性は入院費の支払いを約2年半前から滞り、病院がもてあましていた。20年以上、釜ヶ崎で野宿者(ホームレス)の救援活動をしてきた生田武志さん(43)はそのニュースに驚かなかった。起こりうることが起きたからだ。今後、毎月一度現地ルポを「日刊ベリタ」に寄稿することになった生田さんに、野宿者問題の現状を尋ねた。(李隆)
放置された男性の全盲になった原因は糖尿病。生活保護や障害者年金、そして、毎月2万〜3万円の現金を内妻から受け、約7年前から入院を続けていたが、内妻が彼を経済的に支えられなくなり、病院側が男性を公園に放置する結果になった。
バブル崩壊後、建築土木の現場で日雇労働者が不要とされ、山谷、寿町、釜ヶ崎など日本の中の“第三世界”が広がった。
生活の糧を得る手段として廃品集めがあるが、ダンボールは1キロ5円。アルミ缶1キロ150円。朝まで集めても一晩1000円以下。働いても時給100円以下。月収3万から4万円の最底辺の人々が日本各地で3万人近くあえでいるという。
大阪市では餓死、凍死、病死などでの路上死が毎年200人以上という研究結果がある。
大学在学中から、釜ヶ崎の日雇労働者や野宿者支援活動に携わる生田さんは、21世紀の世界的テーマのひとつがホームレス問題と警告する。以下は一問一答。
――大学生のときに釜ヶ崎で何に一番衝撃を受けたか。
野宿の現場を訪ねる夜回りに参加し、野宿者の死を目撃したときです。
――これからいよいよ本格的な冬だが、釜ヶ崎ではドヤにも入れない人が路上で寝ているのか。
相当います。中高年の日雇労働者で職にあぶれた人の多くは野宿になります。寒い冬にも、毛布一枚や、何もなしで寝ている人がいつもいます。先週の夜回りのときに、80歳くらいで、毛布一枚で寝ている人もいました。若者もいることはありますが、たいてい次の週には路上からいなくなっています。若いと、アルバイトなどの仕事にありつけるから、例えばネットカフェに宿泊したりして、恒常的な野宿まではいかないわけです。
――野宿者に対する世間の偏見もあると思うが。
野宿者が危険な人々と思っている人が相当に多い。20年以上釜ヶ崎とかかわってきましたが、凶暴などころか善良な人が圧倒的に多い。話してみると、本当に「普通の人たち」なんです。一方、その野宿者に対する襲撃で、花火を打ち込んだりエアガンで撃ったりする暴力が後を絶ちませんが、多くは中学生、高校生の男子グループです。
中学、高校で生徒に「家の人が野宿者について何か言っていましたか」と聞くと、例えば「ホームレスから話しかけられても無視しなさい」とか「目を合わせてはいけない」と言われた、という答えがあったりする。例えば、障害者についてそんなことを言うとは考えられませんが、野宿者についてはそういう偏見が通ってしまっています。
――不景気の影響はいつごろから顕著に出てくるようになったのか。
1998年の消費税増税の年が大きかったですね。急に景気が悪くなり、野宿者が増えました。あっという間でした。あのときは。
――どんな人が野宿者になり、どんな最後を迎えるのか。
リストラや倒産などによる失業が主要な原因です。いろんなケースがありますが、飲食店で住み込みで働いていて仕事を失い、仕事と同時に住居を失うというパターンもかなりありました。それと、離婚された人が多い。
多重債務などで経済的に家庭を支えることができなくなり、奥さんと子供さんに迷惑をかけないために故郷に戻して離婚してここにくるという例もあります。路上で亡くなっても親族が名乗り出ないケースも多い。本人が親族に「野宿をしている」といえなかったりするからです。遺族が見つかっても、遺骨の引き取りを拒否するケースもたびたびあります。
――生存権がある。憲法25条がある。それこそ弁護士や革新系の市会議員に泣きつけば、生活保護は出るのではないか。
大阪弁護士会にホームレス部会があり、法律相談や野宿者問題に関する訴訟を担当したりしています。いまぼくたちが関わっている日本橋公園のテント破壊についての裁判では、安永一郎、木原万樹子、江村智禎、康由美、大森景一弁護士が担当しています。
味方もいるのはいるのですが、「正直者は馬鹿を見る」という諺が野宿者に当てはまる。生活保護も、当然「究極の貧困」にある野宿者は受給できるはずですが、生活保護の窓口担当の職員は、野宿者に対して「住所がないと生活保護はダメ」「まだ働けるでしょう」と追い返すことがたびたびあります。野宿者側は、心理的に傷ついて生活保護をもらう前に諦めてしまう。北九州で起きた悲劇は局地的な問題ではありません。
――大阪もひどいわけですね...
餓死者が出た北九州の場合は極端でしたが、実際にはあれは「北九州方式」というより、「日本のスタンダード」のように見えます。生活保護の現場では凄いことが起きていますから。
――これから釜ヶ崎はどうなるのか。
釜ヶ崎の住人の平均年齢は現在60歳手前。5、6年すると、多くが稼動年齢を過ぎて生活保護を受給するようになるでしょう。そうなると、一時的に日本の野宿者数は減るかもしれません。しかし、20代や30代のフリーターが中年となり、アルバイトの仕事がなくなり、家族の援助がなくなったとき、その多くが野宿になる危険性があります。
――現在の一日はどんな風に過ぎていっているのか。
夜明け前から昼まで、とする55歳以上の日雇労働者のための「特別清掃事業掃」で、野宿者と一緒にガードマンや道路清掃の仕事をしています。大阪市・府で予算化された仕事です。そのあとは、夜回りで出会った人へのお見舞い、公園回り、行政との交渉、中学・高校への授業、一般向けの講演、雑誌(フリーターズフリー)の次号の準備などなどです。時間ができると原稿を書きます。
――10代の人々にホームレスについて教えたときの反応は。
中高年の野宿者の多くは、ダンボール集めやアルミ缶拾いしか収入を得る方法がありません。彼らが昼間寝ているのは廃品を集める時間帯が夜中から明け方になるからです。怠けているからではありません。多くの生徒は、話をするとかなり関心を持ってくれます。釜ヶ崎まで来てボランティアを始める生徒も時々出ます。中には、爆発的とでもいうような反応をする生徒もいます。
――小泉政権以降、格差社会というキーワードが誕生しましたが、アジアの奇跡と喧伝した人がつい10年前までジャーナリズムの世界にも経済学者にもいました。
彼らには国際労働機関(ILO)勧告を守らない若年労働者の賃金抑制と特定産業に対する若年労働力の集中動員が日本型成功の要因のひとつだったことは見えていない。この10年は非正規労働者を大量に生んで一部が儲ける政策をやっていた。さらに少子化を促進させる政策があった。
これを韓国や台湾などの新興国・地域や、東南アジア諸国連合(ASEAN)、そして中国が模倣しました。高齢化した日本社会の凋落ぶりは周辺アジア世界にも遺伝しますから、高齢者が廃棄処分される釜ヶ崎は、高度成長後のアジアの縮図となるのではないかと危惧します。
この冬から、釜ヶ崎で起きる日々の出来事を、写真入りで報告していきます。同時進行になりますが、京都新聞でも12月から10回連載の「越冬する野宿者たち」という連載があります。機会があればそちらもご併読ください。
(略歴) 生田さんは2000年にキルケゴール論で講談社の「群像」新人文学賞・評論部門優秀作を受賞。続いて、ホームレスを襲う青少年の心理を描く「〈野宿者襲撃〉論」(人文書院)を発表。この6月に、使い捨てられていくフリーターたちの自治的労働を提唱した雑誌「フリーターズフリー」を編集委員として発刊した。8月には「ルポ 最底辺 不安定就労と野宿」(ちくま新書)を出した。
生田さんのサイトはhttp://www1.odn.ne.jp/~cex38710/network.htm
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