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橋本勝21世紀風刺絵日記
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2008年01月01日19時12分掲載
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検証・メディア
<王室と国民をつなぐ英メディア(下)>過熱報道続く中、品位維持に苦心
英王室はイングランド王の歴史から数えると千年近くの伝統を持つ。「君臨すれども統治せず」の原則に従う立憲君主制を持つ現在の英国で、王室は国民に愛され、支持されるために開かれた存在であることを目指す。しかし、開かれた存在であるために情報公開を進めるほど、神秘性が薄れ、特別な存在ではなくなってしまう可能性もある。在位50年を超えた女王エリザベス二世は、情報公開の度合いと一定の神秘性の維持とのバランスに苦心しているようだ。英王室報道の最近の例を、日本の皇室との比較を少々交えながら分析してみる。(在英ジャーナリスト、小林恭子)
▽王室は「腫れ物」ではない
昨年7月、米政治スキャンダル、ウオーターゲート事件をもじって「クラウンゲート(クラウン=王冠)」と呼ばれる事件が起きた。BBCの秋の新番組の1つに、女王の1年間を追ったドキュメンタリー作品があった。放映開始を前に、BBCは番組の予告編を報道陣に公開した。この中で、バッキンガム宮殿の一室で、女流写真家が女王の写真を撮影する場面があった。写真家は女王に「王冠を取ったほうがいいのでは」と声をかける。女王はむっとした様子を見せ、その後、宮殿内を急ぎ足で歩く場面につながっていた。写真家の指示に怒った女王が、部屋を飛び出して行ったかに見えた。しかし、この二つの場面は時系列が逆に編集されていた。
BBCの担当者は、逆編集であったことを知らないまま、「女王が怒って部屋を出た」点を番組の目玉として報道陣に紹介していた。予告編は、番組を撮影した独立制作会社RDFが自社を海外顧客向けにアピールする目的で作ったビデオだった。
逆編集であったことが発覚し、BBCは女王に謝罪した。謝罪は事実とは異なる編集であったことを詫びるのが趣旨で、権威に屈服したのではなかった。関係者への処罰も、当初問題外とされた。もし日本で皇室に関わる同様の事態が発生した場合、関係者の降格はもちろんのこと、報道機関のトップの首も危うくなったのではないだろうか。
英国では、「一国の君主に関わる番組制作では、事実確認を複数回繰り返すべきだった」という意見が表明された(テレグラフ紙)が、これはほんの一部で、「インパクトを高めるために、故意に事実とは異なる編集をした」、「制作会社が逆編集をした事実を、何故BBC側は察知できなかったのか」など、ジャーナリズムの品位やメディア側の管理責任を問う声が圧倒的だった。王室は重要だがあくまでも1つのトピックであり、「触ってはいけない腫れ物」とは考えられていない。この点が日本の皇室とは決定的に違う点かもしれない。
秋になって、BBCの担当者は辞任した。失態が王室に関わることだったからではなく、逆編集であったことを掌握しておらず、その後の対応も遅れたなど、管理能力の欠如が問題となった。BBCでは、複数の視聴者参加型番組での不正事件が年頭から明るみに出ており、クラウンゲート事件の発覚で、誰かが責任を取らざるを得ない状態になっていた。経営陣が辞任するべきところを、代わりにスケープゴートになったとする見方も強い。
▽常に関心の高いトピック
王室は常に国民の関心の高いトピックの1つだが、特に近年過熱報道の対象になったのは、10年前の夏、パリで交通事故で亡くなったダイアナ元皇太子妃だった。現在でも報道の頻度は高く、ゴシップ雑誌「ハロー」によると、元妃の記事を掲載すると販売部数が20%以上伸びると言う。
昨年10月上旬からは元妃の死因審問がロンドンの高等法院で本格的に開始され、「新事実」の数々が紙面を飾った。報道フィーバーをよそに、高等法院に足を運んで審理を見学する人はまれだ。インディペンデント紙(10月22日付け)はこれを「観客のいないサーカス」と呼んだ。元妃の記事が部数増加に結びつくとしても、事故直後、英国全体が悲しみに暮れた時に見聞された、一種の熱狂はさめているのかもしれない。当時は、国民の多くが死の知らせに涙を流し、元妃が住んでいたケンジントン宮殿やバッキンガム宮殿前に献花を行う長い行列が続いたものだった。
現在、メディアの論調は大きく二手に分かれている。大衆紙は、悲劇のプリンセスを愛情を持って振り返ったが、高級紙には過去の感情の吐露を一種の恥、あるいは狂気であったとする記事が複数出た。ウーマンズリブの旗手として人気が高い、学者ジャーマイン・グリアー氏は、8月末エジンバラで開催されたイベントで、元妃を「頭の回転が遅く、神経質で、心の曲がった、馬鹿者」と定義した。過去の興奮状態を恥じ、元妃を知的高みからバッシングするのが、一種の流行となった。
タイムズのコラムニスト、マシュー・パリス氏は元妃の評価が二手に分かれるのは、階級の問題だと指摘した(9月1日付け)。 確かに、元妃の死を未だに自分の友人や家族の死のように悼み、ダイアナ・グッズを集めることに熱中する人は大衆紙やゴシップ雑誌の読者、つまり労働者階級やローワー・ミドル・クラスに属する場合が多い。パリス氏は、英国全体がかつて元妃の死を悲しんだことに対し知識人が「恐怖感を感じる」のは、自分たちの階級の存在が脅かされると思う不安感ではないか、と分析している。
▽「一時代の終わり」?
昨年夏の死後10年追悼式典で、元妃の二男ヘンリー王子は、「メディアではいろいろ言われたが」、元妃は「最高の母親だった」と述べた。これを機に事故死を巡る陰謀説や元妃に関する様々な憶測報道を終息させたいという思いが伝わった。翌日の各紙は「一時代の終わり」(タイムズなど)とする見出しをつけた。
しかし、同年秋から始まった死因審理では元妃が妊娠していたかどうかも死因判定の要素となったため、腹部の線をあらわにした元妃の水着姿が新聞各紙に掲載され、「一時代の終わり」どころではなくなった。
ヘンリー王子と兄のウイリアム王子は、母親をパパラッチに追跡された後に遭遇した事故で失った。今さら水着姿の写真は目にするのもつらいだろうが、王室側にはこうした報道を止める手立てはない。
婚約時代のダイアナ元妃に対する過熱報道をほうふつとさせたのが、ウイリアム王子の恋人、ケイト・ミドルトンさんの登場だった。王子は、ミドルトンさんが頻繁にパパラッチに付け回され、嫌がらせ行為に達しているとして、昨年、王室の弁護士を通じて英報道苦情委員会を通し、メディアに報道自粛を何度か申し出ている。これに対し、王子の思いを汲んだと言うよりも、王室に愛着を持つ読者からそっぽを向かれることを嫌った新聞数紙が「パパラッチの撮った写真は使わない」と宣言した。しかし、外国メディアのパパラッチの行動には報道苦情委員会の手は及ばず、メディア側の需要が高いこともあって、いつの間にか、ミドルトンさんを付け回して撮ったと見られる写真が掲載され、自粛はなし崩し状態になっている。
これより先の2006年11月には、スクープ記事を多発していた日曜大衆紙ニューズ・オブ・ザ・ワールドの王室記者がウイリアム王子の携帯電話の会話を違法傍受し、有罪となっている。
王室はあらゆる手を使ってスクープを得ようとするメディアに、常時執拗に追われている。
過度の報道を避けたいと思っても王室が出来ることは少ない。せいぜいの対抗策としては、広報を通じてメディア各社に報道自粛願いを出す、あるいはもし事実と異なる報道がなされた場合はこれを正すよう各社に直接連絡するなどだが、自粛依頼には正当な理由(例えば王子2人が勉学中の取材自粛依頼など)が必要となる。
王室は決して報道の聖域ではないことを王室側も、メディアや国民も承知しており、テレビのコメディー番組などでも王室は頻繁に諷刺の対象になり、謝罪するあるいは訂正を出す状況にまでは発展しない。先のクラウンゲート事件で女王への謝罪にまで発展するのはまれだ。王室側がこうした風刺や批判に表立って抗議をすれば、「表現の自由の侵害」として大きな非難にあうのは必須だ。王室に限らず、政府、企業、非営利団体などは表現の自由への干渉ととられかねない行動をしないよう、かなり神経を使うのが現状だ。
▽「プリンセス・マサコ」と英王室
オーストラリアの作家ベン・ヒルズ氏が雅子妃の生涯を描いた「プリンセス・マサコ」(原文英語)を、2006年に出版した。この邦訳版の出版を巡り、日本で表現・言論の自由に関わる問題が起きた。
講談社から出版予定だったが、「事実の間違いがある」とする書簡を宮内庁側が出版者側に提出し、出版は中止された。理由は、「著者との信頼関係を持てなくなった」(講談社担当者、日刊ベリタ07年4月30日付け)だ。
同年8月下旬、第三書館から邦訳版が出版された。講談社用の邦訳から削除された雅子妃の鬱病、愛子内親王誕生の経緯など149カ所を入れ直し、事実の間違いを訂正し、「完訳プリンセス・マサコ」として出た。発売時、全国紙や地方紙の一部が本の広告掲載をしないという事態も起きた。
「完訳」が出るまでの経緯をつづった「『プリンセス・マサコ』の真実」を同じ出版社から出した野田峯雄氏は、「宮内庁や外務省の圧力」が広告不掲載の背後にあったとし、ベリタ(9月8日付け)紙上で、「戦後の紙誌を舞台とする言論出版史においては、いわゆる前代未聞の出来事が発生している」と評した。
英国の作家が書いた、ダイアナ元妃の生涯に関する本だけでも数十冊ある英国の状況からすると、「プリンセス・マサコ」の日本での出版に関わる事態は異様である。しかし、「言論の自由の度合いが違う」として、締めくくってしまう前に、日英の状況の違いを見てみたい。
本稿(上)で見てきたように、メディアを通じ、長い年月をかけて英王室は国民とつながってきた。王室は常に諷刺や批判の対象になってきた歴史があり、国民は王室を笑いながらも愛情を持ち続けてきた。王室を批判するコメンテーターの出演をBBCが拒否したのは1950年代半ばだったが、民放局の開始でBBCの独占状態が崩れると、こうしたコメンテーターを民放が出演させ、視聴率率を稼いだ。エリザベス女王の教師だった女性が、1950年、退職後に体験談を米雑誌に語った時、女王はこれを快く思わず、当初、英国では内容は公開されなかったが、時代の変化とともに、王室批判の書籍、雑誌、テレビ番組、映画を、女王自身も国民も受け入れるようになった。
1960年代以降、社会全体も大きく変容した。堅苦しさを嫌う風潮が広まり、表現・言論の自由の度合いも拡大した。これに伴い、王室に関する報道の規制緩和や情報公開の度合いが進んだ。
「プリンセス・マサコ」の邦訳版に関わる経緯には、これまで外国の作家による本格的な著作がなかったことや雅子妃の生涯にまつわる困惑するような要素が入っていた、つまりは、様々な面で初めての動きであったがための過剰反応という要素があったのではないか。また、皇室に関する批判や諷刺が英国ほどは一般的でない状態での出版だったことも一因であろう。
▽議会が王に優先
英王室報道と日本の皇室報道の違いの根本的な要素として、王室、あるいは皇室の日英での位置づけの違いがあるだろう。
英国では13世紀以降、国家大権を拡大しようとする国王と王の権限を狭めようとする議会との間で闘いが続いてきた。17世紀の「権利の章典」は王位に対する議会の優位を認め、国王といえども法の支配下にあり。議会が最終的な決定権を持つことになった。近年の具体例は1936年のエドワード八世の王冠放棄だった。国民が選ぶ下院議員の支持しない、離婚経験を持つ米国人女性との結婚を選ぶなら、王位を放棄するしかないと首相は王に迫っていた。
立憲君主制国家英国のエリザベス女王は、自分を国民に「仕える存在」として見る。自分の1年を追うドキュメンタリー作品の制作を承諾したのも、開かれた王室としての1面をアピールし、国民からの継続した支持を得るためだ。政治問題に関する言及は一切せず、表現の自由を侵犯したと言われないよう、細心の注意を払っているようだ。メディアの巨大な影響力におびえているかにも見える。王室を自由に報道、批判できる英メディアを日本のメディアはうらやましく思うかもしれないが、10年前に亡くなった母親の水着姿の写真を高級紙で目にしなければならない王子2人の気持ちは相当つらいのではないか。また、携帯電話を盗聴されるほどメディアに追い掛け回される状態は、果たして望ましいことだろうか?
かつてメディアに対し自分の不倫を告白したチャールズ皇太子が国王になった時、王室報道が一気に低俗化するのではと私は危惧している。
*本稿は「新聞通信調査会報」2008年1月号に掲載された記事の転載です。
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