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橋本勝21世紀風刺絵日記
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2008年01月19日11時24分掲載
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山は泣いている
17・毛勝三山縦走記 名山から外れた「不遇な山」こそ自然には幸運 山川陽一
生涯のうちにどうしても登らなければならないと心にきめている山がある。わたしにとってそんな山のひとつが毛勝三山であった。わたしが最初にこの山をまじかに見たのは、学生時代、雪の剣岳早月尾根を登ったときである。なんの変哲もないこの地味な山塊が、なぜか心から離れなくなってしまったのだが、わたしの山仲間達の間でも気にかかる山として評価が高いことを考え併せると、毛勝山には何かしら登山家達の心を引き付ける魔力が宿っているのだろうか。
剣岳の前衛を形造る2400㍍のこの山域には、登山道がなく、ほとんど積雪期の一時期しか登山の対象にならない。しかも、背後に聳える剣岳の存在があまりにも偉大な故に、地元の人々も、この山を、剣岳の手前のこぶ程度にしか認識していないらしい。登山道が通じている僧が岳(1855㍍)の方がはるかによく知られている。日本百名山に入っていないこともこの山をマイナーな存在に押しやっている理由のひとつであろう。
深田久弥氏は日本百名山の後記の中で、選考過程ではこの毛勝山も百名山の有力候補のひとつとしてあげながら、日本アルプスにあまりに名山が集中しすぎるため絞らざる得なかった苦衷を開示しておられる。今となってみると、深田百名山の選から逃れたために、今日ただいままで、登山道もつくられず、開発の毒牙から免れているのは、そして、押し寄せる人波から完全に隔離された存在になっているのは、なんとも皮肉である。 人々はこのような山を登山客や観光行政から見放された「不遇な山」と呼ぶが、私は最高に「幸運な山」と呼びたいと思う。
私がY電機山岳部の仲間から今回の毛勝三山縦走計画を知らされたのは、5月の連休に入る1ヶ月前であった。たとえどんなに自分に登山願望があっても、それなりの経験をもったメンバーが揃わなければ実現できない山行というのがある。それ以前に、自分自身の問題として、多少ハードな山登りにも耐えられる身体的能力を維持していなくては、こんな時声すらかからなくなってしまう。もう若くない私にとっては、この機会を逃したら夢が夢で終わってしまうかもしれない、そう思うと、何としても都合をつけて参加しなければと考えるのは当然であった。
一行は5名。例の如くJR豊田駅に集合してM君の車で出発。中央高速を使って豊科で下り、大町経由姫川にそって北上する。途中から雨が本降りになる。夜半過ぎ、大糸線北小谷駅の駅舎を使わせてもらって仮眠する。
4月29日。屋根をたたく雨音で目が覚める。食事をせずに出発。天気予報では29日から連休前半は全国的に晴マーク。信じよう。糸魚川から北陸自動車道に乗って魚津で下りる。魚津から片貝川にそって落着いた山村の田園風景の中を直進する。道中、田んぼには既に水が引かれ、もう田植えの季節である。突き当たりが山岳地帯であるためか、コンビニなどの店がないのも秀逸だ。
どうやら雨も上がったようだ。雲間から雪山の裾が垣間見られるようになった頃、南又谷と東又谷の分岐に着く。既に先着の車があって、双眼鏡などを持った人が数名、何やらあわただしい。その中の少し腹が出っ張ったボス風のおやじ殿が話しかけてくる。 親子連れの熊がでたので、地元の猟友会の仲間が集合して八時から熊狩が始まるのだという。今日は天気も悪いし、山はみぞれが降っているから登山などはやめろ、おまえ達の倍くらいあるデッカイ熊だぞと脅しをかけてくるが、無視することにする。 大体、こんな山奥はもともと熊のテリトリーなのだから、熊がいるのが当り前、人を襲ったわけでもないのに、なぜ大騒ぎして撃たなければいけないのか理解に苦しむ。
南又谷をやり過ごして東又谷を少し進むと片貝第四発電所がある。今年は積雪が多いためこの上部までしか車が入れない。ここで身支度をしていよいよ登山開始。約一キロ歩くと右に阿部木谷をわける。明治43年8月、田部重治氏がこの阿部木谷を詰めて毛勝の頂上に立ったのが最初の登攀記録である。道がなくやぶが多い毛勝山へのアプローチは、概ね、残雪期の沢を詰めるのが相場のようだ。
毛勝山頂から北西に派生する尾根が阿部木谷にそって下降して、その末端が東又谷に至っている。今回、われわれは、この尾根を辿って山頂に至る計画である。取付き点をどこにするかが問題だったが、われわれは、阿部木谷を少し登り左岸から宗次郎谷が合流する対岸の小尾根(主稜線上の1274㍍ピークから派生している枝尾根)を取付き点に選んだ。地図上では主稜線の末端から取付くのと大差ない勾配に感じられたのだが、これが大きな誤算で、あとから地図を見直してみると、主稜線末端からのルートの方が、われわれがとったルートと比べると1274㍍のピークに至る距離が二倍近くあることから、やはり、主稜線末端から取付くのが正解であったようだ。
おかげで、カモシカしか通らないような急峻な尾根を、上にぬけるまで木登りさながらの2時間を越えるアルバイトを強いられることになってしまった。途中、いくつかの赤布が見られたから、われわれの他にも登られていることは確かで、全くのルートファインデイングミスとも言い難いのだが、いずれにせよ、読地図の未熟さは大きな反省点である。普段、ガイドブックを片手の山登りばかりしているツケが回ってきたということだろうか。毛勝山は、われわれに、いきなり山登りの原点を教えてくれた。
主稜線の上に出たときは、天気はすっかり回復して、雲ひとつない快晴である。稜線上には、多分前日登ったであろうパーテイのトレースが続いている。山猿さながらの登攀を強いられた後だったので、アイゼンの効く雪稜歩きがとりわけうれしい。そうはいっても、比較の問題で、稜線上も十分な積雪があるわけではないので、まだまだ半分木登りのような急な尾根筋で、この日一日悪戦苦闘しなければならなかった。
午後4時30分、1450㍍地点に天幕を設営する。眼下に富山湾を見下ろし、その向こうに能登半島がシルエットを造っている。光り輝いている陸地は、丁度田植えどきで、水田いっぱいに引水された水が鏡のように反射した状態なのだろう。阿部木谷をはさんで対岸に聳えている雪嶺は大明神山である。
4月30日。無風快晴。5時55分出発。適度な低温でアイゼンが快適に雪面を刻む。前踏者のトレースは稜線に出たり樹林帯をくぐったり、クレバスを避けたりしながら上部へと続き、時に大きく雪面を踏み抜いて、高温と雨中の難渋した登攀を物語っているが、われわれは一日違いで快適なステップを刻んで効率よく高度を稼ぎ、午前10時、憧れの毛勝山に立つことができた。
メンバー全員と固い握手。ここまでロートルの私を引き上げてくれた部員全員に感謝、感謝。いつの日に誰が担ぎ上げたのか山頂に鎮座している地蔵尊と、正面に全貌を現した剣岳がわれわれを大歓迎してくれる。山頂で今山行はじめての登山者と出合う。
いつまでも山頂に留まりたい誘惑を振り切って先を急がなければならない。この後は、釜谷山を越えて猫又山まで、快適な雪嶺歩きが続く。午後になって気温が上がり、アイゼンに雪が付着してダンゴになったり、腐った雪を踏み抜いたりする頻度が多くなった。釜谷山を越えて行くと、猫又山の間のコルに猫又谷の末端左又がつきあげている。下山路として使えないかどうか覗いてみるが、かなりの斜度で安全とは言い難い。コルから先は猫又山の頂上までワンピッチだ。途中、ちょっとした悪場があり、ピッケルでステップを切りながら慎重に切り抜けると、あとは、頂上は指呼の間である。
猫又の山頂にも地蔵尊が鎮座している。神の宿る峰々。仰ぎ見る剣岳はあくまで崇高で、だれしもが合掌せずにはいられない気持ちに駆られる。われわれは、猫又山を越えて、南側のコルまで下ってテントを張った。明日は、ここから猫又谷右又をいっきに下るだけだ。この谷のルートは毛勝猫又へのアプローチとして一番使われているようで、毛勝山頂で会った登山者を含め合計3パーテイに会う。
天気は今日も一日快晴であった。夕暮れとともに、徐々に赤味を増し山肌に濃い陰を刻んで行く剣岳、西の富山湾に沈む真っ赤な夕日、残照の鹿島槍にかかる月。こんな時、人間は生を受けて今日まで生きてきてよかったと素直に喜び、この世に生を授けてくれた両親に感謝し、ここまで連れてきてくれた仲間達に感謝する。神や仏が本当にいるのかどうかわからないけれど、難しいことは何も考えないで、ただ呆然と立ちつくし、自然と両の手を合わせている自分がそこにあった。(つづく)
*本稿は2000年5月号「岳人」に掲載。
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浅間山。





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