【openDemocracy特約】2008年3月のチベット人の反乱は1959年と1987年の時と同じように、中国軍の圧倒的な力で押しつぶされるであろう。これ以上に不釣り合いな取り合わせはいない。茶色の服を着た尼や僧と世界的に台頭している国の抑圧機械という取り合わせである。ここ数カ月、人民を鎮圧するのが目的の即応機動戦術隊が、チベットの町の街頭で、現在行っていることを公然とリハーサルしていた。
反乱がほとんど確実に自殺行為同然のものであるとするなら、その意味は何なのか。
この反乱は多くのチベット独自な性格を持っている。街頭のレベルでは、中国人の店から持ち出された格好の品物は、通常では略奪者の標的にはほとんどならないトイレットペーパーであった。チベット人が数千年にわたってトイレットペーパーに大いに必要性を感じてきた訳ではない。醤油のように中華料理に基本的なものに必要性を感じていた訳でもない。チベット人がトイレットペーパーでしたことは、それを電線に投げつけることあった。そうやって、ラサやそのほかのチベットの町をただちに再びチベット的にすることであった。中国の25%が民族的に、文化的にチベットであるが、引き伸ばされたトイレットペーパーは風の馬(訳注1)、チベット人が互いにあいさつをしたり、感謝するときに使う白い絹の(カタ)スカーフのように見えるのである。チベット人が皆知っているように、それは彼らのメッセージを風に乗せて運んでくれる。神の勝利である!(訳注2)
それがこの反乱の意味である。つまり、チベットを再びチベット的にすることである。白いスカーフはチベット人の商人を攻撃から守ることにもなった。街頭は、短く、また犠牲の多い自由の瞬間であったが、移住してきた中国人商人の店を打ち壊すチベット人であふれた。
街頭を自分たちのものにすることに夢中になっているときでさえ、チベット人は常時ある監視カメラ、都市のチベット人の私生活に入り込んでいる内通者のネットワークを忘れることはできなかったはずだ。また、近代的で、ハイテクを備えた圧政の抑圧的権力が、彼らを捕え、また容赦がないことに気づいていないチベット人はいなかったはずだ。チベット人は皆、昔の友人が監獄と拷問から解放されても、昔の知人を避けることを知っている。なぜなら、彼らは拷問者から、党の路線と合わない考えを私的に話す人物の名前を言うよう常に圧力を受けているからである。こうした内通者は再び引っ張られ、さらに拷問を受け、友人を裏切る恐怖の中に暮らしている。
これが今回の反乱をチベット独特のものにしているものだ。抗議が、親族との関係を断ち切り、無条件に人類全体のために命をささげる人々によって、最初から率いられていることは偶然ではない。チベットの尼と僧は、一切衆生を心と外界の苦しみのすべての源から解放するために働くことを誓っている。ダライラマから見習い僧になったばかりの者にいたるまで、彼らは存在への執着、誰よりもまず己の存在への執着を断ち切るため、瞑想で修行する。
彼らは自分たちが死ぬことを知っており、その準備ができている。25年前のチベット人の大反乱と同じように、多くの者たちが拷問の末に秘密の独房で死ぬであろう。世界がもはや見ないか、見えなくなったとき、このオリンピックの年に世界を中国の恥に関心を寄せるために、そうした危険を冒したチベット人は死ぬであろう。
チベットの基礎にあるもの
チベット人は今日の中国について、どこに異議を唱えているのか。数千年の隣人であるチベット人と中国人が仲良くやっていけないのはなぜなのか。メディアの報道は当座の原因に焦点を当てるが、もっと根が深いものがある。チベット人と30年間仕事をし、チベットでの中国の開発計画をわたし自身で見てきた経験(短期間、拘束されたこともある)からすると、わたしはチベット人の友人がわたしに語ったことを共有する。現代の中国の資本主義的現代化は、チベット人にとって、過去の国家による暴力と抑圧と同じように問題なのである。
中国は現在、チベットにお金を注ぎ込んでいる。圧倒的な国家のお金である。鉄道に、道路に、観光施設に、管理職の多すぎる行政エリートに。ガラスの塔、ショッピングセンター、ディスコに見せかけた巨大な売春宿、高くそびえるオフィスがチベットの都市の景観を占めている。20年前のそれは、祈りの旗、寺それに瞑想の聖なる景観であった。
表面的には、それは進歩である。ラサはいま、中国の新興都市のように見える。外部の者は、それは近代化の代価であるなどと言う。しかし、チベット人は近代化の物質的恩恵から締め出されている。非チベット人の集団が建設現場やタクシーの運転など非熟練の職でさえ得ているのを、チベット人は力なく見ている。チベット人は貧しいままであり、社会的に締め出されている。国家による建設ブームの片隅に押しやられ、観光客が彼らの精神的巡礼にカメラを向けるとき、微笑まなければならない少数派にされた。聖なる都市、ラサと抗議デモが始まった大きな僧院はすべて、多数の中国人旅行者であふれていた。彼らは、悟りへの道にある人々の最も私的な宗教的情熱へむかってレンズを突きつけた。
開業して2年にならないラサへの新しい鉄道は、観光ブーム、売春宿、チベット人の疎外に拍車をかけた。ほとんどのチベット人は西欧と同じ広さのいなかに住んでいる。ヤクや羊、ヤギの群れと、中国人官僚が数十年前に厳格に配分した土地で辛うじて生計をたてている。中国人官僚は家族が増え、新しい家族ができても土地の再分割を拒否している。景気のいい都市と放置された地方をひっくるめた省全体の平均の統計は、生活水準が上がっていることを示しているが、チベット人の間の貧困はそのままである。
チベット人の生活様式をいま脅かしているものは、環境主義のイデオロギーで包まれてやってきている。中国の二つの大河、長江と黄河のチベットの上流地帯を保護するという名目で、数千人のチベット人遊牧民は土地を追われ、何もない、みじめな新しい町に定住させられている。彼らの生活手段と土地と持続可能な経営についての詳しい知識はすぐに役に立たなくなる。だが、彼らは新たな能力の訓練が与えられることはめったになく、生存のための穀物の配給以上の補償はされない。
広さではオーストラリアの牧草地に次ぐ広大な草原の劣化は、遊牧民が無知で無頓着なためであるとする誤った前提のもとで、遊牧民は環境難民になっており、そうした地域は広く急速に拡大している。遊牧民は意見が言えないようにされており、自分たちのNGOをつくることも許されていない。遊牧民は数千年にわたり、生産力と野生生物を持続させてきたが、いかに土地を大切にしてきたかを示す機会を持てないでいる。中国の都市の党のエリートは、遊牧民を愚かで、教育がなく、非科学的で、貪欲で破壊的であると見なす。当局と土地に住む人々の間には協力関係はない。なぜなら、彼らは、国民共同体、背景、経験、世界観において、まったく異なるからである。
これが反乱の基礎にあるものである。中国当局は地方のチベット人を軽蔑し、都市の教育を受けたチベット人は疑いの目で見られている。中国と党への忠誠心は極端な「愛国教育」で試され、最も尊敬される僧を非難するように強制される。
チベットでチベット人でいることは、1950年代にミシシッピーで黒人であることに比べられる。チベット内の旅行、地方から都市への移住、許される家畜の数、許される子供の数、それらはみな個人の生活に入り込んでくる役人によって厳格に抑圧的に管理されている。一方、資本主義的な利用者支払いの原則のもとで、医療と教育は都市部に集中している。前払いの金を持っていなければ、病院で玄関払いされる。
僧と尼は、心を浄化し、純化するために人生をささげており、師、師の師、最高の存在であるダライラマの模範的行動から啓示を受けている。前回のチベットの反乱の際に戒厳令をしいた胡錦濤(3月15日に5年の任期の国家主席に再選された)を含む中国の党の指導者は、僧に対しダライラマの像を踏みつけ、つばを吐くように要求することはチベット人の疎外感を深めているだけであるということを学んでいないようだ。
世界が今日、垣間見た中国の姿は、チベットでは、誰もが望むようには変わっていない中国を見せつけた。中国の支配のもとにあるチベットは、マルクス主義の反宗教宣伝、大告発キャンペーン、思想改造というタイムワープに陥っている。チベットにおける中国の政策は深く矛盾し、自己破壊的である。
武力では帝国は国にはならない、と中国は友人から教えられる必要がる。(親しい友人として、また中国語が堪能な首相がいるオーストラリアは、孤立し、恐れている党指導者に気付かせる特異な場にある。反乱者の「いい加減にしてくれ」というメッセージに耳を傾けることで得るものは多いということを。オーストラリアはまた、土地の管理と手当て、地方のコミュニティ、協力者として働きながら、長期にわたる傷みを修復すること、いかに地元の人々を尊敬し、和解する困難な方法を見出すことについて、中国に教えることができる。
ダライラマはこう言っている。「チベット人と中国人は過去において、良い関係を持ってきた。再び持つことは可能である。ただし、幸福の源について考え方が異なるに人間対する相互の尊敬があるならば」。
チベットの僧と尼はいま、その違いを保つために、冷静さとともに憎しみを募らせることなく、死につつある。
*ガブリエル・ラフィッテ チベット亡命政府の環境開発デスクの開発政策コンサルタント。オーストラリア・チベット評議会の援助開発コーディネーター。1999年、青海省のチベット人地区での世界銀行のプロジェクトについて、評価をチベット人に依頼される。その計画は、チベット人遊牧民を移住させ、数万人の非チベット人の移住者を送り込んで、貧困を減らすというものである。その世銀のプロジェクトの現場で中国の公安当局により拘束され、1週間にわたって尋問され、国外退去処分にされた。
訳注1 チベットでは風の馬(ルンタ)は風に乗って空を駆けて仏の教えを広め、願いを天に届けてくれると信じられている。家々の屋上や峠には、風の馬を刷った5色の旗、タルチョが風にはためいている。
訳注2 チベットでは、峠越えなどの儀礼において「ラ・ギャロー!」(神に勝利あれ!)と唱える習慣がある。
<A href="http://www.opendemocracy.net/article/china/democracy_power/tibet_revolt " target="_blank">原文</A>
本稿は独立オンライン雑誌www.opendemocracy.netにクリエイティブ・コモンのライセンスのもとで発表された。 .
(翻訳 鳥居英晴)
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