道路特定財源の一般財源化、暫定税率を維持するか廃止するか―をめぐる国会論議は、政府・与党と野党との対立が解けないまま3月末でひと区切りとなる。しかしこの国会論議では肝心のテーマが盲点となってはいないか。それは脱「車」、脱「道路」をめざすという挑戦的な課題である。 ガソリンで走る車中心の交通のあり方には石油資源不足のため限界がみえてきた。車のための際限のない道路づくりも過剰投資の浪費を背景に批判が高まってきた。目先の税制問題を超えて長期的視野から、脱「車」、脱「道路」の設計図をどう描くかを急ぐときである。日本列島各地の動向にも目を配りながら、新しい設計図を描いてみる。
▽ 増えてきた自転車通勤
東京新聞の地球温暖化に関する連載企画「地球発熱」の一つに「自転車通勤 企業が応援 浸透加速」(3月25日付)と題する記事がある。そのポイントを紹介しよう。
*自動車部品メーカーが奨励 自動車部品製造会社、デンソー本社(愛知県刈谷市)は06年12月にエコポイント制「DECOポン」を導入し、それが社員の環境意識に変化をもたらした。この制度は自転車で2.5キロ以上を通勤すると、月に20点、自主的なごみ拾いは1回5点とポイントがたまり、有機農産物などと交換できる仕組み。費用は会社側が負担する。
*駐車場確保の困難がきっかけに デンソーの場合、社員用の駐車場を確保できなくなり、マイカー通勤を減らそうとしたのがきっかけだった。自転車通勤者は現在、約1千人。マイカー通勤の約2万5千人と比べるとわずかだが、試算によると、「DECOポン」利用の自転車通勤だけでCO2(二酸化炭素)の発生を年間2万4千キロ抑制できたという。
*自転車通勤の手当て倍増に 奨励制度や手当によって自転車通勤を応援する企業や自治体が目立ってきた。例えば名古屋市役所は01年春、自転車通勤手当を2倍の4千円に増額する一方、5キロ未満のマイカー通勤者の手当を半額の1千円にした。その結果、自転車で通勤する職員は約1千800人と2.2倍に増えた。
〈安原のコメント〉― 地球環境優先時代に生き残る企業 デンソー本社の場合、当初社内で「自動車関連の会社が自転車利用を奨励するのはどうか」という冷ややかな反応もあったらしい。この発想は従来型の会社人間、― つまり自社の目先の小利しか念頭になく、社会全体、まして地球への広い視野に欠けるため、結果として自社に損失と不評を招くサラリーマン像 ― の域を出ない哀れな群像である。 こういう発想に執着している限り、企業の将来性は期待できない。その視野の狭さを克服した企業こそ、21世紀の地球環境保全優先時代に生き残ることのできる優良企業であろう。そういう企業に拍手を送りたい。
もっとも最近、自転車の暴走による死傷事故が増えている。環境保全の観点からいえば、排ガスと縁を切れない自動車よりも、排ガスとは無縁の自転車がいいにきまっているが、「いのちの尊重」という点では、凶器と化しつつある自転車暴走をどう食い止めるかが大きな課題となってきた。
▽進みはじめた「車離れ」
朝日新聞の連載企画「道路を問う」(上、中、下)は示唆に富んだ記事である。その中の「車減る社会 見据える時」(3月26日付)の要点を以下に紹介する。
*「乗り合いタクシー」の試み 鹿児島県曽於(そお)市が運行する乗り合いタクシー。県内最大のバスグループ「岩崎グループ」が06年に路線バス160系統を廃止して以来、同市内では高齢者の最大の移動手段となってきた。1日延べ約80台を運行し、年間延べ約5万人が利用。運行経費は年に5千万円近く、市財政には負担だが「お年寄りには移動のすべがあってこその『命の道』」と担当者は言う。
*広がるバス路線廃止 2002年の道路運送法改正による規制緩和を機に全国各地で赤字バス路線廃止の動きが広がっている。02年以降4年間の廃止路線は全国で計3万1千キロ余り。一方でお年寄りは次々とマイカーの運転から引退し、道路があっても利用できない人が増えていく。特に地方は深刻だ。
*車をもたない若者たち 高齢化だけではない。全国の新車販売台数は07年、ピークの90年より3割少ない535万台に落ち込み、20代前半の男性で免許はあるが車をもたない人は、01年の21%から05年は32%に増えた。所得格差などもあり、「車離れ」がじわりと進む。都内の出版社で働く男性(24)は「車を持つ友達はほとんどいない。もっとほかのことにお金は使いたい」と話す。
〈安原のコメント〉― 交通事故死傷者数は年間100万人を超える この記事は最後にこう訴えている。「ポスト車社会」を見据えた道路のあり方を考えるべき時ではないか ― と。同感である。 一見便利な車社会だが、その半面、交通事故の多発、環境悪化など弊害が多すぎる。ここでは交通事故について考えてみる。 「交通死54年ぶり5000人台 7年連続の減少」(朝日新聞08年1月3日付)という見出しのニュースが報じられた。「07年1年間の交通事故死者は5743人で1958年以来54年ぶりに6千人を下回った」という記事である。しかしこれを見て、「事態は改善」と評価することには「待った」と言いたい。
第一にいまなお年間6千人に近い人が犠牲になっている。この犠牲者数はあの阪神大震災の犠牲者に近い数字であり、毎年阪神大震災級の大災厄に見舞われているに等しい。 第二にこの犠牲者数は修正を要する。というのはこの死者数は事故発生から24時間以内に死亡が確認された場合の数字で、実際にはもっと沢山の人が死んでいる。例えば03年の事故死者数は7702人とされているが、事故後1年以内の死者総数は1万人を超えている。 第三に交通事故死傷者数は近年増えている。04年には約119万人が死傷し、負傷者の中には後遺障害(植物状態など)に苦しむ被害者が増える傾向にある。
▽地方議会にみる「車社会」への批判発言
ここでは地方議会からの発言の一つを紹介したい。3月14日愛媛県議会で阿部悦子県会議員(環境政党をめざす「みどりのテーブル」会員)が平成20年度(2008年度)愛媛県一般会計予算への反対討論として以下のような意見(要旨)を表明した。 冒頭に「今議会の議論では道路のプラス面ばかりが強調され、社会にとってマイナスの側面に光を当てた議論がなかっのは残念」と指摘した。(発言内容は「みどりのテーブル」会員のMLから)
*道路と車社会の負の遺産 環境問題では、CO2などの排出による地球温暖化とそれに伴う気候変動、窒素酸化物(NOx)などによる大気汚染、水質汚染、酸性雨、騒音問題、振動や低周波被害、さらに地域の分断から来る伝統や文化の喪失、地方の人口が都会に吸い上げられて、過疎化を進めたこと、景観破壊などが道路と車社会の負の遺産として挙げられる。
*子どもと高齢者が車社会の犠牲に 厚生労働省の統計によると、平成17年、愛媛県内で喘息にかかり医療機関で治療を受けている人数は1万1千人、そのうち0歳から14歳までの子どもが4千人、65歳以上の高齢者も4千人となっている。子どもと高齢者が車社会の犠牲になっている。
*多額に上る社会的費用 以上のように道路を作ったことから支出しなければならない社会的費用、つまり外部費用は多額に上るとされ、例えば全国で年間に大気汚染に8兆円、気候変動に2兆円、交通事故に5兆円などの試算もある。従って、私は暫定税率はそのままにして道路特定財源の一般財源化をはかり、深刻さの増す医療、福祉、環境、教育、交通取締りなどに当てることが妥当だと思う。
*最近の原油価格高騰が示唆するもの 近い将来、自家用車の需要がなくなる時代が到来する。原油価格の高騰にみられるように、終りのない第三次石油ショックにより、人々が車を自由に使えなくなるピークオイル問題である。 さらに、今後の少子高齢化社会の進展により、交通弱者が増加する。交通弱者とは、自ら車を運転できない高齢者、病者、障がい者そして低所得者の方々である。 道路を作った結果、日本中に過疎地を生み出したが、これら過疎地では同時に超高齢化も進んでいる。そこで一般財源化した予算は、乗り合いタクシー事業など、公共交通の充実のために使うべきである。 誰もが低料金で自由に移動することができ、CO2の排出も少ない公共交通にこそ、将来の公共事業費つまり現在の道路予算を使うべきではないか。
〈安原のコメント〉石油資源が不足する「ピークオイル問題」 阿部議員が指摘している「ピークオイル問題」とは何か。「車が自由に使えなくなる」という表現は分かりやすい。世界の石油需要が拡大し、それに対し供給が著しく不足する状態のことで、最近の原油価格の高騰がそれを示唆している。 原油生産量はすでにピークに達しているという説もある。石油資源が枯渇する数十年先のことではなく、世界の石油埋蔵量の半分を消費した時点を「ピーク」と捉える説もある。石油不足のため道路も車も「無用の長物」となる状態である。
そういう時代は近未来にやってくる。それを視野に収めて「ポスト車社会」の設計図を急いで考えるときである。
▽道路整備は交通渋滞や温暖化を加速する
現在の車社会を肯定している人々の多くが抱いている期待あるいは思い込み ― 例えば「道路整備は交通渋滞を緩和する」など ― はどこまで本当だろうか。 上岡直見(注)著『脱・道路の時代』(コモンズ、2007年10月刊)を手がかりに問答形式で考えてみる。 (注)著者の上岡氏は現在、法政大学非常勤講師(環境政策)など。主著は『新・鉄道は地球を救う』(交通新聞社)、『市民のための道路学』(緑風出版)、『クルマの不経済学』(北斗出版)など。
問い:道路整備は交通渋滞を緩和するか? 答え:1994〜2005年の間に日本全体で道路に投資された金額累計額は、全体で151兆690億円に達する。しかしこのような巨費を投じたにもかかわらず、渋滞緩和の効果はきわめて疑わしい。その理由は、約30年間で道路容量は約1.5倍増加したものの、自動車の走行量はそれを大きく上回り、約2.5倍に増えたからである。
問い:道路整備は環境を改善するか? 答え:現実には自動車交通に関して、地球温暖化の原因となる二酸化炭素(CO2)は増加し、大気汚染の改善も停滞している。これは自動車1台あたりの環境負荷物質の排出量が減っても、それを上回る形で自動車の総走行距離が増えているからである。道路が整備されて自動車が走りやすくなると、その分だけより多く自動車を使うという現象が起きるからでもある。つまり道路を整備すればするほど温暖化を加速するなど環境を悪化させることにもなる。
問い:道路整備は交通事故を防止するか? 答え:自動車の一定走行距離あたりの交通事故件数をみると、1970年後半以降急速に改善されたが、1980年代後半以降になると、ほぼ一定の水準で推移している。このことは80年代後半以降には自動車の総走行距離が増加すると、それに比例して事故の総件数が増えることを意味している。道路整備が自動車交通の増加をいっそう促すことを考慮すれば、道路整備は交通事故を減少どころかむしろ増加させている可能性もある。
〈安原のコメント〉既得権への執着がもたらすもの 以上のように道路や車が抱えている問題は、道路の整備によっては打開できない。にもかかわらずなぜ巨額の道路投資が相も変わらず行われようとしているのか。この疑問に答えるには著作『脱・道路の時代』の以下の指摘が参考になるだろう。
日本の道路関係者は「道路が足りない」という思い込みに囚われ、地理的、社会的状況に合わない、米国型の自動車交通体系を持ち込むことに熱中した。それでも1970年代までは、経済成長に合わせて道路を整備する必然性があったが、現在はさらなる道路整備の理由は失われている。 道路建設が政治面・経済面での既得権維持のために続けられてきた。合理的な道路計画 ― 例えば複数の案を検討して費用対効果の高い区間を優先することなど―について、誰が責任を有しているのか明確なルールもないまま、慣習的な手続きの繰り返しとして道路整備が行われているにすぎない ― と。
要するに民主的ルールなどとは無縁で、既得権維持に執着する結果、巨額の税金が浪費される。この狭い日本列島を縦横に走る高速道路は、将来、やがて車を走らせたくても、それができなくなったとき、どうなるか。 廃(すた)れた高速道路で休日を利用してマラソン大会でも試みるか、あるいはローマの古代遺跡のように海外からの観光客相手の観光資源にでもするか、などが考えられる。観光資源として有効活用する場合、「大いなる錯誤にもとづく貪欲な人間 ― つい最近までこの世に生存していた先輩たち ― が築いた世にも珍しい遺跡です」という観光ガイドの説明が必要かも知れない。
▽脱「車」、脱「道路」の設計図を提案する
さて「ポスト車社会」の設計図はどのように描いたらよいのだろうか。「車社会」とは 現在の車(=自家用乗用車)中心の社会を指している。この車社会をどのように変革していくか、いいかえれば新しい脱「車」、脱「道路」の交通体系をいかにして構築していくかがテーマである。 具体案はつぎのようで、公共交通が中心的役割を担うようになる。
(1)公共交通中心に転換を 鉄道、バス(路線バス、コミュニティ・バス)、路面電車、乗り合いタクシーなどの公共交通を主軸とする交通体系へ転換をめざす設計図を描くときである。 まず車はエネルギー多消費型であることに着目したい。環境省のデータによると、交通機関別のエネルギー消費比率(一定数の旅客を同じ距離で輸送する場合)は鉄道=1に対し、バス=2、車=6となっており、車が一番エネルギー多消費型である。そのうえ地球温暖化の原因であるCO2の排出量も車が一番多い。交通機関の中では車が環境汚染の主役という不名誉を担っている。しかも交通事故による死傷者が年間100万人を超えるというマイナスの影響が大きすぎる。
負担のあり方として公共交通利用者には低負担、一方、車依存症の利用者には高負担という方向に転換する必要がある。 特に高齢者のために、地方自治体運営による小回りの利くコミュニティ・バスを各地に低負担(あるいは無料)で普及させることが不可欠である。
(2)自転車、歩行のすすめ 石油エネルギーを使わない自転車や歩行は環境保全型の移動のあり方である。しかも運動にもなって健康にプラスである。運転中の車からは見えにくい四季折々の豊かな自然の変化なども感得できる。 自転車利用をすすめる場合、自転車専用レーンを設ける必要がある。これは従来の車中心の道路づくりの変革につながる道である。
(3)道路づくりの一時凍結を 利権がらみの惰性にもとづく道路づくりは、この際一時凍結して出直してはどうか。 具体的には「道路整備の中期計画」(注)を一時凍結し、民主的な手続きを経て、利権を排除し、費用対効果、環境保全、ピークオイル問題などを十分考慮・検討した上で、公共交通中心の交通体系実現に必要な限りで着手する。
(注)政府・与党合意にもとづく中期計画で、08年度から10年間、道路整備に59兆円という巨費を投じる計画。この財源確保のためにもガソリン税など道路特定財源の暫定税率の延長が必要としている。福田首相は3月27日の記者会見で中期計画期間の「10年間」を「5年間」に短縮する旨を表明した。
(4)環境税(=炭素税)の導入に踏み切れ 道路特定財源の一般財源化(教育、医療、福祉、環境などにも税収を転用できる)は世論調査でも多くの人が望んでおり、実現すべきである。問題は暫定税率をどうするかである。福田首相は3月29日官邸で内閣記者会のインタビューに応じ、暫定税率についてつぎのように述べた。これは環境目的税などに転用することを念頭に置いたもの、という解説がある。(毎日新聞3月30日付)
「廃止すれば、年間2兆6000億円の税収不足となる。今の税率水準は維持しなければならない。今の税率は西欧の先進国と比べれば、非常に安い。先進国の環境問題への取り組みと逆行する」
7月の北海道・洞爺湖サミット(地球温暖化防止が最大テーマの主要国首脳会議)の議長役を果たす福田首相の念頭に環境対策が大きな比重を占めていることは当然であろう。この際、暫定税率分をそのまま環境税(=炭素税)に振り替えることに踏み切ってはどうか。 西欧先進国は1990年代はじめから環境税などの導入をすすめており、今なお踏み切れない日本の存在感は薄らぐ一方である。このままでは福田首相はみじめなサミット議長役に甘んじる結果となるだろう。
*本稿は「安原和雄の仏教経済塾」からの転載です。
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