名古屋高裁は08年4月17日の判決で「航空自衛隊がイラクの首都バグダッドに武装した多国籍軍兵士を空輸していることは、憲法9条違反」との判断を示した。これは「空輸は多国籍軍の戦闘行為にとって必要不可欠な軍事上の後方支援」という認識に立っている。最前線の戦闘行為を支える後方支援(兵員、石油などの輸送補給)についてわが国では戦闘行為とは異質という認識が多いが、実は両者は表裏一体の関係にある。この判決をきっかけに「後方支援は事実上の参戦」という認識を広く共有する必要があると考える。そうでなければ反戦・平和、憲法9条の理念を確かなものにしていくこともおぼつかなくなるだろう。
▽大手新聞はどう論じたか ― 明快な東京新聞の社説
大手各紙の社説(4月18日付)はどう論じたか。まず各紙の見出しを以下に紹介する。
東京新聞=イラク空自違憲 『派兵』への歯止めだ 朝日新聞=イラク判決 違憲とされた自衛隊派遣 毎日新聞=イラク空自違憲 あいまいな説明は許されない 読売新聞=イラク空自判決 兵輸送は武力行使ではない 日経新聞=違憲判断を機に集団的自衛権論議を
以上の見出しをみるだけで、その主張の方向は明らかだが、もう少し要点を紹介する。
*東京新聞 航空自衛隊のイラク派遣は憲法九条に違反している。名古屋高裁が示した司法判断は、空自の早期撤退を促すもので、さらには自衛隊の海外「派兵」への歯止めとして受け止めることができる。 もう一つ、今回の違憲判決が明確にしたのは、自衛隊海外派遣と憲法九条の関係である。与党の中には、自衛隊の海外派遣を恒久法化しようという動きがある。しかし、九条が派遣でなく「派兵」への歯止めとなることを憲法判断は教えた。
〈コメント〉一番すっきりした主張である。事実上の「派兵」を「派遣」、つまり「人道的支援」と言いくるめてきた政府見解に平和憲法の精神から批判を加え、判決を「派兵への歯止め」と評価している。
*朝日新聞 あのイラクに「非戦闘地域」などあり得るのか。武装した米兵を輸送しているのに、なお武力行使にかかわっていないと言い張れるのか。戦闘が続くイラクへの航空自衛隊の派遣をめぐって、こんな素朴な疑問に裁判所が答えてくれた。いずれも「ノー」である。 日本の裁判所は憲法判断を避ける傾向が強く、行政追認との批判がある。それだけにこの判決に新鮮な驚きを感じた人も少なくあるまい。 本来、政府や国会をチェックするのは裁判所の仕事だ。その役割を果たそうとした高裁判決が国民の驚きを呼ぶという現実を、憲法の番人であるはずの最高裁は重く受け止めるべきだ。
〈コメント〉一読して判決に好意的な印象がある。ただ読み直してみると、「判決が国民の驚きを呼ぶという現実」という認識が気になる。司法の判断の多くがゆがんでいると言いたいのだろうが、素直に喜んでいる国民も少なくないことを指摘しておきたい。
*毎日新聞 重要なのは、判決がイラク国内の紛争は多国籍軍と武装勢力による「国際的な武力紛争」であるとの判断に基づき、バグダッドを「戦闘地域」と認定したことだ。政府がイラクでの自衛隊の活動を合憲だと主張してきた根拠を根底から覆すものだからだ。 政府は判決を真摯(しんし)に受け止め、活動地域が非戦闘地域であると主張するなら、その根拠を国民にていねいに説明する責務がある。 さらに、判決が輸送対象を「武装兵員」と認定したことも注目に値する。政府はこれまで、空自の具体的な輸送人員・物資の内容を明らかにしてこなかった。 政府は、輸送の具体的な内容についても国民に明らかにすべきである。
〈コメント〉政府に「説明を求める」ことが主張の軸になっている。しかし判決は「戦闘地域」、「武装兵員」と認定し、政府のごまかし答弁を覆した。政府が「判決の通り」と説明するはずはないのだから、判決を素直に評価したい。
*読売新聞 イラクでの自衛隊の活動などに対する事実誤認や、法解釈の誤りがある。極めて問題の多い判決文である。 市民団体メンバーらが空自のイラク派遣の違憲確認と差し止め、損害賠償を国に求めていた。判決は、原告の請求をいずれも退けた。違憲確認の請求についても「利益を欠き、不適法」と判断している。それなのに、わざわざ傍論で「違憲」との見解を加える必要があったのだろうか。 国は、訴訟上は勝訴したため、上告できない。原告側も上告しないため、この判決が確定する。こうした形の判例が残るのは、好ましいことではない。
〈コメント〉読売の社説は、二人三脚の姿勢で政府擁護論に立ってから久しいが、改めてそれを感じさせる。社説の主張、「傍論で違憲との見解を加える必要があったのか」について町村信孝内閣官房長官は早速記者会見で、「私もそういう印象を受けた」という趣旨の発言をした。
*日本経済新聞 私たちは国連平和維持活動(PKO)や多国籍軍の平和構築活動に対し自衛隊が協力をするに当たり、戦闘活動には参加すべきでないが、後方支援には幅広く参加すべきであると考えてきた。このためには集団的自衛権をめぐる憲法解釈の変更が必要となると指摘してきた。 福田首相は、自衛隊の海外派遣を随時可能にする恒久法(一般法)案をまとめ、今国会提出に向けて与党内調整を進めるよう指示している。 集団的自衛権の解釈変更をめぐる議論に目をつぶったままで恒久法を制定すれば、いま起きている混乱は続く。名古屋高裁の判断は、福田政権のちぐはぐな姿勢に対する批判のようにも見える。
〈コメント〉後方支援を奨励する主張である。そのためには米国の戦争を支援するための「集団的自衛権の行使」ができるように憲法解釈を転換せよ、と論じている。こういう受け止め方には当の裁判官は目をぱちくりさせるのではないか。
▽弁護団声明 ― 「憲法と良心にしたがった歴史的判決」
判決を受けて出された弁護団の声明(趣旨)を以下に紹介する。これは一般メディアではほとんど報じられていない。
(1)画期的な違憲判決である 2008年4月17日、名古屋高等裁判所民事第3部(青山邦夫裁判長、坪井宣幸裁判官、上杉英司裁判官)は、自衛隊のイラクへの派兵差し止めを求めた事件の判決で、「自衛隊の活動、特に航空自衛隊がイラクで現在行っている米兵等の輸送活動は、他国による武力行使と一体化したものであり、イラク特措法、憲法9条1項(注・安原)に違反する」との判断を下した。 加えて、判決では、平和的生存権は全ての基本的人権の基礎にあってその享受を可能ならしめる基底的権利であり、単に憲法の基本的精神や理念を表明したにとどまるものではないとし、平和的生存権の具体的権利性を正面から認めた。 この違憲判決は、日本国憲法制定以来、日本国憲法の根本原理である平和主義の意味を正確に捉え、それを政府の行為に適用したもので、憲政史上最も優れた、画期的な判決 である。判決は、結論として控訴人の請求を退けたものの、原告ら全ての人々にとって、極めて価値の高い実質的な勝訴判決と評価できる。
(注)憲法9条1項(戦争放棄)はつぎのとおり。 「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇または武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」
(2)自衛隊イラク派兵差し止め訴訟の意義 1990年の湾岸戦争への自衛隊掃海艇派遣以来、自衛隊の海外活動が次々に拡大され、 その間、全国各地で絶えることなく自衛隊の海外派兵が違憲であるとする訴えを市民は提 起し続けてきた。しかし、裁判所は一貫して司法判断を避け、門前払いの判決を示し、憲法判断に踏み込もうとしなかった。 しかし、今回のイラクへの自衛隊の派兵は、これまでの海外派兵とは質的に大きく異なる。 第一は、アメリカ、ブッシュ政権が引き起こしたイラク戦争が明らかに違法な侵略戦争であり、自衛隊のイラク派兵はその違法な侵略戦争に加担するものだということ。 第二は、自衛隊のイラク派兵は、日本国憲法下においてはじめて「戦闘地域」に自衛 隊が展開し、米軍の武力行使と一体化する軍事活動を行ったこと。これは日本がイラク戦争に実質的に参戦したことを意味している。 この裁判は、このような自衛隊のイラク派兵が、日本国憲法9条に違反し、日本国憲法が全世界の国民に保障している平和的生存権を侵害していると原告らが日本政府を相手に訴えたものである。
日本政府は国会でもイラクで自衛隊が行っている活動の詳細を明らかにせず、実際には参戦と評価できる活動をしている事実を覆い隠し、本訴訟においても事実関係については全く認否すら行わない異常な態度を最後まで貫いた。国民には秘密の内に憲法違反の自衛隊派兵の既成事実を積み重ねようとする許しがたい態度である。 私たちはこの裁判で、自衛隊の活動の実態を明らかにするとともに、日本政府が国民を欺いたままイラク戦争に参戦していることを主張、立証してきた。そして、行政府が立法府にも国民にも情報を開示しないまま、米軍と海外で戦争をし続ける国作りを着々と進めている現実の危険性を繰り返し主張してきた。 今、行政府のこの暴走を食い止めるのは、憲法を守る最後の砦としての役割が課せられている司法府の責任であることを強く主張してきた。
(3)憲法と良心にしたがった歴史的判決 判決は、原告の主張を正面から受け止め、イラク派兵が持つ歴史的な問題点を正確に理解し、憲法を守る裁判所の役割から逃げることなく、憲法判断を行った。 判決は、憲法9条の規範的意味を正確に示した上で、航空自衛隊が現実に行っている米兵の輸送活動を、憲法9条が禁止する「武力行使」と認定し、明らかに憲法に違反していると判断した。 自衛隊の違憲性については、過去に長沼ナイキ基地訴訟第一審判決(札幌地裁、昭和48・9・7)で、自衛隊を違憲とした判断が唯一見られるだけで、それ以後、自衛隊及びその活動の違憲性を正面から判断した判決は一つとして見られない。高裁段階の判断としては、本日の名古屋高裁民事第3部の判決が戦後唯一のものである。憲法と良心に従い、憲法を守り、平和と人権を守るという裁判所の役割を認識し、勇気をもって裁判官の職責を全うした裁判官に敬意を表する。
本判決は、我が国の憲法裁判史上、高く評価される歴史的判決として長く記憶されるこ とになるであろう。 また、この判決は、この裁判の原告となった3000名を越える市民(全国の同種訴訟に立ち上がった5000名を越える市民)が声を上げ続けた結果、生み出されたものである。日本国憲法の価値を示す画期的な判決として、この判決を平和を願う全ての市民とともに喜びたい。
(4)自衛隊はイラクからの撤兵を 我が国は三権分立を統治原理とし、かつ法の支配を統治原理としている立憲民主主義国家である。 三権の一つであり、かつ高等裁判所が下した司法判断は、法の支配の下では最大限尊重されるべきである。行政府は、立憲民主主義国家の統治機関として、自衛隊のイラク派兵が違憲であると示したこの司法判断に従う憲政上の義務がある。 私たちは、今日このときから、この違憲判決を力に、自衛隊のイラクからの撤退を求め る新たな行動を開始する。同時に「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることの ないやうにすることを決意」し、「全世界の国民がひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認」した日本国憲法の理念を実現するための行動を続ける。
2008年4月17日 自衛隊イラク派兵差止訴訟の会 自衛隊イラク派兵差止訴訟弁護団
▽「後方支援は参戦」という認識を共有するとき
私(安原)が今回の判決文で特に注目したのはつぎの一節である。 「現代戦において輸送等の補給活動もまた戦闘行為の重要な要素である」と。 これは現代戦に関する捉え方としては欧米では常識とされている理解である。要するに「戦闘の最前線での殺傷行為」と「後方からの補給支援」(兵員、石油、弾丸、食糧、医薬品などの補給)とは切っても切れない表裏一体の関係にあるという事実である。兵員、石油などの補給がなければ、前線での戦闘行為は不可能である。
この認識を土台にして、判決はイラクの首都バグダッドは戦闘地域であること、さらにそのバグダッド空港へ武装した多国籍軍兵士を航空自衛隊が空輸していることは、多国籍軍の戦闘行為にとって必要不可欠な軍事上の後方支援であり、他国による武力行使と一体化した行動である、という判断を下している。いいかえれば後方支援は、すなわち事実上の参戦(判決では参戦という文言は見当たらない)を意味している。 この点は、上記の弁護団声明にあるように弁護団は「自衛隊は、米軍の武力行使と一体化する軍事活動を行い、日本がイラク戦争に実質的に参戦したことを意味している」と主張してきた。その趣旨が判決で受け容れられた。その意味では判決は後方支援について憲法違反という的確な判断を下したといえるのではないか。
私は戦争にからむ後方支援問題にいささかこだわりたい。その理由は以下のようである。 第一に平和・反戦に関心のある人たちの間でも後方支援は戦闘行為にはつながらないという認識が多いからである。だから日本はまだ戦闘行為で他国の人を殺傷したことがないという安心感、責任回避論に逃げ込む。しかし事実上の参戦によって殺傷に手を貸しているとなれば、話は違ってくる。罪名はともかく有罪であることは免れない。
第二に在日米軍基地を足場に米軍は先制攻撃論に基づいて出撃している。ベトナム戦争、湾岸戦争、そして今回のイラク攻撃は在日米軍基地が存在しなければ米軍の戦争遂行は困難を極めたであろう。日米軍事同盟下での後方支援の典型である。
第三に憲法9条のお陰で日本は外国で殺傷行為に走ったことはない、という考え方が根強い。しかし後方支援も同時に戦闘行為であるとすれば、9条の条文は健在だが、その理念は事実上骨抜きになっていることを意味する。 従って9条の理念を取り戻し、どう生かしていくかが課題となる。いいかえれば、平和は「守る」ものではなく、いまや「つくっていく」ものに変化している。「憲法を守れ」「平和を守ろう」という受身の発想では肩すかしを食わされる懸念がある。
私は法律解釈論では素人だが、今回の判決が画期的だと考えるのは以上のような文脈からである。海上自衛隊による給油活動も後方支援である。だからこそ日本政府も米軍もこだわっている。「日本は戦争に参加している」という批判を海外から浴びないようにするためにも、後方支援に目を光らせよう!
*本稿は「安原和雄の仏教経済塾」からの転載です。
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