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橋本勝21世紀風刺絵日記
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2008年04月21日15時17分掲載
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野村進ジャーナリスト講座
ノンフィクションを書く 最終回 あとがき
私の手元に、故人の手になる3冊のサイン本がある。
一冊は見返しに相合い傘が描かれており、傘の右側には「アラカン」、左側には「竹中労」としてある。サインの主は竹中労その人、書名は評伝文学のすでに古典と言える『聞き書きアラカン一代 鞍馬天狗のおじさんは』である。「一九七八年二月八日 浅草木馬亭にて」という私の添え書きを見ていると、眼前にはたちまち、古びた浅草の寄席の片隅で、坊主頭をうつむき加減にペンを走らせていた竹中労の姿が蘇る。
若い読者はご存知ないかもしれない。竹中労とは、1960年代から70年代にかけて、『逆桃源行』や『汎アジア幻視行』などの作品でアジア・ルポルタージュの荒野を切り開いていった、草創期のルポライターにして稀代の名文家である。そのころ彼は毎月、「巷談の会」と題するトーク・ライブを浅草で開いており、大学生だった私はほとんど欠かさず客席に足を運んでいたのだった。
2冊目のサイン本は、厚手の箱入り、700ページになんなんとする大著で、内表紙に『レイテ戦記』、その横に達筆で「大岡昇平」とある。大岡昇平自筆の日付は、「一九八二年一〇月二二日」──。
その日、友人のお供で東京・成城の大岡邸を訪ねた私がおそるおそるデビュー作の『フィリピン新人民軍従軍記』を差し出すと、痩身の老大家は、
「あ、それ持ってるから」
歯切れのいい東京言葉で答え、「お読みいただけたんですか」と喜ぶ私に、黙って首肯しただけで、あとに何の感想も続かず、私は内心ひどく落胆したことを覚えている。
振り返れば、この2冊のサイン本のあいだに、私はノンフィクションライターとしての歩みを、おぼつかない足取りながらも始めたのだった。つまり、竹中労と会ってまもなく私はフィリピンへと旅立ち、2年後帰国して『フィリピン新人民軍従軍記』を上梓してから一年余りのちに、フィリピン戦線を舞台にした『野火』や『俘虜記』などの作品で私が文章の師表と仰いできた大岡昇平と対面するのである。
プロのライターになると、逆にサインとは縁遠くなるものだ。ビートたけし、勝新太郎からフランシス・コッポラ、レナード・バーンスタインまで、著名人に会えるのはこの仕事のいわば“役得”だが、こちらも取材である以上、サインを求めたりは決してしない。
考えてみれば、私が学生時代からその作品を愛読していた鎌田慧、沢木耕太郎、澤地久枝、立花隆、本多勝一、本田靖春、山崎朋子、柳田邦男といったノンフィクションの書き手たちにも私は何度か会うようになっているのだが、彼らの著作にサインを求めたことはない。
私がサイン本を再び入手するのは、この世界に入って10数年後、取材でひと月のほぼ半分をアジアで過ごしていたときのことだ。
タイのバンコクで親しくなったある在留邦人から、
「これ、野村さんが持っていたほうが、著者の方も喜ぶでしょうから」
そう言って手渡されたのが、ハードカバーの『バンコクの妻と娘』だったのである。わくわくしながらページを開くと、そこには端正な文字で、
「近藤紘一 一九八二年一月二二日」
とあった。
ベトナム報道で知られ、哀切きわまりない名著『サイゴンから来た妻と娘』を書いた近藤紘一は、この4年後に胃がんのため45歳の若さで亡くなっている。弔辞を読んだのは、司馬遼太郎であった。
近藤が海外特派員として最後に赴任したバンコクの地で、その10数年後に彼の直筆が残る著書を手にしたのも、何かの縁にちがいない。近藤には遠く及ばずとも、アジア報道をきちんと継承していこうと思ったことだった。
アラン・シリトーの『長距離走者の孤独』は学生時代の愛読書で、ノンフィクションライターの孤立無援さをそれに擬してきた私だったが、近年とみに「長距離走者」であっても、むしろ「駅伝ランナー」に近いのではないかと自身をみなすようになっている。
前のランナーから襷(たすき)を引き継ぎ、与えられた区間を全力で走りきったあと、次のランナーに襷を手渡す。私は実に頼りない走者だが、足をふらつかせながらも、襷だけは後続の走者に届けたい。
いま手元にある3冊のサイン本も、私にとっては襷そのものなのである。
ただし、この走者は、あきらめが悪い。襷をひとまず手渡したあとも、まだ長距離走をやめないつもりなのだ。性懲りもなく、近々(ちかぢか)またアジアを走りに出掛けようとしているのである。(完)
長期にわたるご愛読、ありがとうございました。中断もたびたびで、たいへんご迷惑をおかけしたことを、お詫び申し上げます。
なお、本連載を大幅に加筆した『調べる技術・書く技術』が、まもなく講談社現代新書から刊行されます。ご笑覧ください。
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