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橋本勝21世紀風刺絵日記
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2008年06月14日14時22分掲載
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ブラジル農業にかけた一日本人の戦い
<4>10年目のリベンジ、“バタタ成金”になるが… 和田秀子(フリーライター)
横田さんは、移住6年目で独立を果たす。こつこつ貯めた資金で、30ヘクタールの土地を購入し、晴れて農場主となったのだ。と、同時に、日系二世の女性と結婚して家庭を築き、順調に歩みを進めていった。 「先生、10年間だけ元気で生きとってください。10年たったら、必ず成功して帰ってきますから」。そういってブラジルに渡った横田さんは、約束どおり、移住から10年目の春、故郷に錦を飾る。18歳でブラジルに渡って以来、「成功するまでは」という気持ちから、一度も日本の土を踏んだことはなかった。
「おまえさん、日焼けして真っ黒だなぁ。目ばかりギョロギョロして恐ろしいよ」 10年ぶりに息子と再会した母は、すっかり逞しく、ブラジル人のような風貌になった横田さんを見て怖がった。しかし、それも無理はない。環境が人をつくると言うが、ブラジルで農場主ともなれば、気性の荒い現地人たちに仕事を教え、育てていかなければならない。日本を飛び出した18歳の頃のように、ひ弱で蒼白い青年のままでは、太刀打ちできなかったのだ。
10年ぶりに帰国した横田さんは、英語教師との約束を果たすため、すぐに母校を訪れた。 「横田くんか!ようがんばったなぁ。あと10年若けりゃ、私もブラジルに連れて行ってもらうんだが」 英語の教師は、そういって、かつての教え子の成功を喜んだ。
「その言葉を聞いたらね、10年間抱え続けていた悔しさは消えました。本当は、先生に嫌みのひとつもいってやろうと思っていたんですけどね」(笑) 横田さんの口をついて出てきたのは、嫌みの言葉ではなく、 「先生のおかげです、ありがとうございました」という感謝の言葉であった。悔しさをバネにかえ、リベンジを果たした瞬間だった。
高校時代のリベンジを果たし、再びブラジルに戻った横田さんは、さらに農業に精を出し順調に農地を拡大していった。そしてブラジル移住18年目には、サンパウロ州に5つの農場を所有するまでになる。 当時、馬鈴薯の栽培に力を入れていたコチア産業組合では、“バタタ成金”(バタタとは、ポルトガル語で馬鈴薯の意味)と揶揄されるほど、成功を収める農業主が増えていたのだが、横田さんもその一人であった。
ブラジルの農業は、日本とはケタ違いに規模が大きいぶん、うまくいけば利益も莫大となる。しかし、ちょっとした天候の変化に左右されて穀物が全滅したり、不安定な政府の農業政策によって資金難に陥ったりと、ギャンブル的な側面が強いのも、また事実であった。そのため、莫大な利益を手にしては失敗する、という浮き沈みの激しい人生を送る農家主も少なくなかった。 しかし、幸いなことに横田さんは、こと“栽培”に関して、大きな失敗をしたことがないという。 「私の場合、農場主の元で働いていた6年の間に、イモと話をする術を身につけていたんです」
“イモと話をする”というのは、つまり、作物のどんな小さな異変も見逃がさず、大きな被害につながる前に対処できた、という意味だ。 馬鈴薯のなかでも、横田さんが栽培していたオランダ種は、とくに栽培が難しく、疫病にかかると一夜にしてすべての葉っぱが真っ黒になり全滅してしまう。そうなれば、農家は大損害を被る。しかし横田さんは、イモと話をすることができたため、これを事前に食い止めることができたというのだ。
不作が続けば、出来の良い横田さんの馬鈴薯は高値がつき、飛ぶように売れる。横田さんは、こうして築いた財産で土地を買い足し、さらに生産量を増やし、億万長者の道をひた走っていった。
農場主ともなれば、農作業全般は支配人に任せ、横田さん自身はそれをチェックするのみだ。農場主である横田さんが下手に口だしすると、支配人の面目をつぶすことになり、かえってうまく回らなくなってしまうからだ。 「やることがないんですよ。毎朝、農場を見てまわったら、それで一日の仕事は終わり。十分なお金を手にした代わりに、当時の私は人生の目標を見失っていたのかもしれません」
横田さんはこの頃、使い道に困るほどの一財産を築いたが、目的を達成した虚無感からか、 酒や女性におぼれていたという。 (つづく)
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