福田康夫首相の主導のもとで消費者庁を新設する動きが進んでいる。商品の安全にからむ事故が多発し、その犠牲者も少なくない。消費者は怒り心頭に発し、不安の中の生活を余儀なくされている。安全だけではない。「生活の質」をめぐる多様な問題が山積している。消費者庁の新設でこれらの課題に十分応えることができるのだろうか。消費者庁ではなく、生活者庁の新設こそ真剣に検討すべき時だと考える。 消費者が主役の時代はすでに終わった。今や「生活者」こそが主役を担う時代である。消費者庁にこだわるようでは時代感覚がずれている。
▽注目に値する一つの新聞投書
私(安原)は一つの新聞投書に注目した。「生活者の視点 新組織に望む」と題したつぎのような投書(大要)である。(08年6月19日付朝日新聞「声」欄から)
総理肝いりの消費者庁設置の検討が進んでいる。この新しい組織を、例えば毒入りギョーザのような問題が起きたら対処する、というだけの機関として位置づけてはいけない。「消費者」ではなく「生活者」のためを考える、という視点で取り組んで頂きたい。
1960年代より、わが国は官民一体となって工業化の道を歩み、経済大国になった。しかしこの15年余り、陰りが見られるようになった。これまでの「生産、消費、繁栄」という図式が受け入れられなくなり、代わりに「安全、安心、幸福」という言葉がキーワードになってきた。この流れを受けての新組織の実現を期待している。
国語辞典にも、消費は「使ってなくすること」とあり、生産の対語である。生活は「生きて、活動すること」と載っている。たかが用語の話ではない。ぜひ次の時代の安全、安心そして幸福の推進役を果たす「生活者庁」に改名して頂きたい。(相模原市 会社役員 福山忠彦・63歳)
以上の趣旨は、目下進行中の消費者庁新設についての注文である。21世紀の今日は、「生産、消費、繁栄」をめざす消費者ではなく、「安全、安心、幸福」を期待する生活者が主役の時代である。だから「消費者庁」ではなく、「生活者庁」の新設でなければならない。それを多くの国民は期待している、という主張と理解できる。同感である。 どちらでも大差ないだろうと考える人もいるに違いないが、消費者か、それとも生活者かは投書者も指摘しているように「たかが用語の話ではない」のである。
▽消費者と生活者はどう違うか
福田首相は経済財政諮問会議(08年6月17日)で「生活者が真に求める重要施策に予算配分を変えていくことが重要な課題」と強調したと伝えられる。首相は年頭記者会見(08年1月4日)でも「生活者、消費者重視」を強調した。同首相は小泉、安倍首相時代とは異なって「生活者、消費者重視」を売り物にしたいらしい。しかし消費者と生活者は異質のはずだが、それを明示しない首相発言の含意は今ひとつ不明である。それでは消費者と生活者とはどう違うのか。
消費者という用語は、消費者主権と並んで既存の現代経済学の教科書に載っているが、生活者、生活者主権という表現は教科書に登場してこない。なぜだろうか。生活者、生活者主権は現代経済学(市場価値=貨幣価値のみを視野に置いている)をはみ出した概念といえるからである。
私(安原)は消費者、生活者の違い、特質をつぎのようにとらえたい。 *消費者=市場でお金と交換に財・サービス(市場価値=貨幣価値)を入手し、消費する人々を指している。広い意味の消費者には個人(家計)に限らず、企業、政府も含まれるが、消費者主権という場合の消費者には購買力の裏付けのある個人消費者に限るのが普通である。
*生活者=消費者よりも広い概念で、国民一人ひとりすべてを指す。だから購買力をもつ消費者はもちろん、それ以外の購買力をもたない老若男女、さらに赤ん坊も含めて、いのちある人間はすべて生活者といえよう。 このような生活者は、お金をいくら出しても市場では入手できないが、「生活の質」を豊かにするために不可欠の非市場価値=非貨幣価値(いのち、地球環境、自然の恵み、生態系、利他的行動、慈悲、ゆとり、生きがい、働きがい、連帯感など)を重視するところが消費者とは質的に異なる。経済学教科書に登場する消費者には、こういう視点、感覚はない。 高度成長時代には「消費は美徳」を追求し、ほとんどの人が消費者として行動したが、今日のような地球環境保全が重視される時代にはむしろ「簡素こそ美徳」をスローガンに掲げて、生活者として行動することが期待される。
▽消費者と生活者の「4つの権利」
さて消費者には消費者主権があるように、生活者には生活者主権が考えられる。これは具体的になにを指しているのか。まず消費者主権については、後に暗殺されたあのケネディ米大統領が1962年(昭和37年)、「消費者の利益保護に関する教書」の中で、つぎのような「消費者の4つの権利」を提起した。 (1)安全の権利 (2)情報を得る権利 (3)選択の権利 (4)意見を述べる権利
このうち(1)安全の権利は、「健康や生命に関して危険な商品販売から保護される権利」で、その具体化の一例がPL(Product Liability・製造物責任=商品の欠陥が原因で消費者が生命、身体、財産上の損害を被った場合の製造業者の責任のこと)制度である。欧米の多くの先進国に著しく遅れて、日本では1994年6月、やっとPL法が成立し、95年夏から施行された。 「消費者の4つの権利」の提唱が日本の消費者保護基本法の制定(1968年)に大きな影響を及ぼしたことは間違いない。消費者運動の活性化にも寄与した。
しかしいのちが粗末に扱われ、貧困層が増え、労働者の権利が軽視され、ニセ物が横行し、その上地球環境の汚染・破壊が進みつつある21世紀初頭の今日、この「消費者の4つの権利」ではもはや不十分である。だから生活者主権の確立という視点からこれを発展させる必要がある。私は、つぎのような「生活者の4つの権利」を提案してきた。
(1)生活の質を確保する権利(いのち尊重のほか、非暴力=平和を含む生活の質的充実を図る権利、消費しないことも含む真の選択権など) (2)ゆとりを享受する権利(時間、所得、空間、環境、精神の5つのゆとりの享受権) (3)地球環境と共生する権利(「持続可能な経済社会」づくりへの積極的な関与権) (4)参加・参画する権利(望ましい生産・供給のあり方、さらに地方自治体も含む政府レベルの政策決定への参加・参画権)
以上、「生活者の4つの権利」の行使は、現行の平和憲法のつぎの条項の理念を具体化させようとする実践でもある。 *前文の平和共存権 *9条の「戦争放棄、軍備および交戦権の否認」 *13条の「個人の尊重、生命・自由・幸福追求の権利の尊重」 *18条の「奴隷的拘束および苦役からの自由」 *25条の「生存権、国の生存権保障義務」 *27条の「労働の権利・義務、労働条件の基準、児童酷使の禁止」
▽消費者よりも生活者こそが主役の時代
以上のように消費者と消費者主権、生活者と生活者主権をそれぞれとらえると、消費者と生活者とでは、日常の消費、生活のあり方としてどう異なってくるのか。いいかえれば消費者と生活者とは一体どちらが時代の主役なのか、主役であるべきなのかである。
消費者、消費者主権という用語にイメージできるものは、時代への対応力に限界がある。生産者(企業など)の身勝手な横暴(品質、安全、表示の軽視、偽装など)へのそれなりの摘発力は期待できるが、それ以上ではない。消費者は事後的に怒りや注文を突きつけるだけで、事前に抑止力を発揮することはなかなか困難である。 また消費者は一つの商品やサースについて選択する場合、品質、価格で有利なものを選択することになる。これは「消費は美徳」を前提に「賢い消費者」として消費行動をするわけで、いかに消費をすすめるかに重点があり、消費を抑制するという観念は薄い。
さらに消費者が経済成長主義や消費主義に立つ限り、むしろ〈大量生産 ― 大量消費 ― 大量廃棄 ― 資源エネルギーの浪費 ― 地球環境の汚染・破壊〉という悪しき構造を担う一員として従来通りの消費行動を続けて、環境の汚染・破壊に無意識のうちに手を貸す行動に駆り立てられることが少なくない。 いずれにしても1980年代後半のバブル経済が1990年代初めに崩壊し、1992年第一回地球サミット(国連主催)が開催された頃を境に「消費者が主役の時代」は終わりを告げた。いまや生活者こそが主役であるべきなのである。
生活者が主役の時代とは、何よりも豊かさの再定義が必要な時代である。それは消費の量的増大を豊かさの尺度としていた従来型「浪費のすすめ」から転換して、「生活の質の充実」、「消費しないことも含む真の選択」、「地球環境との共生」、「行政への参加・参画権の行使」(上記の「生活者の4つの権利」参照)を実践していくことを意味している。
しかし誤解を避けるためにつけ加えると、「浪費からの転換」は決して「貧困大国ニッポン」への道のすすめではない。その道への転落に歯止めをかけるためには少なくとも適切なセーフティ・ネット(社会保障制度)のほかに憲法9条(戦争放棄、軍備及び交戦権の否認)、18条(奴隷的拘束及び苦役からの自由)、25条(生存権の保障)、27条(労働者の権利、義務など)の理念を具体的に実現していくことが不可欠である。
問題はそれを誰が担うかである。市場メカニズムと貨幣価値(=市場価値)の枠内での行動を余儀なくされる消費者に求めるのは、限界があり、市場メカニズムと貨幣価値の枠に縛られない生活者が担うほかないだろう。 従来の消費者行政の枠を超えるためにも、生活者庁の新設こそが望ましい。
〈参考〉:ブログ「安原和雄の仏教経済塾」(08年1月10日付)に「今こそ生活者主権の確立を 生活者、消費者が主役とは」と題する記事が掲載してある。
*本稿は「安原和雄の仏教経済塾」からの転載です。
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