・読者登録
・団体購読のご案内
・「編集委員会会員」を募集
橋本勝21世紀風刺絵日記
記事スタイル
・コラム
・みる・よむ・きく
・インタビュー
・解説
・こぼれ話
特集
・アジア
・農と食
・人権/反差別/司法
・国際
・イスラエル/パレスチナ
・入管
・地域
・文化
・欧州
・市民活動
・検証・メディア
・核・原子力
・環境
・難民
・中東
提携・契約メディア
・AIニュース


・司法
・マニラ新聞

・TUP速報



・じゃかるた新聞
・Agence Global
・Japan Focus

・Foreign Policy In Focus
・星日報
Time Line
・2025年04月01日
・2025年03月31日
・2025年03月30日
・2025年03月29日
・2025年03月28日
・2025年03月27日
・2025年03月26日
・2025年03月23日
・2025年03月22日
・2025年03月21日
|
|
2008年07月19日17時31分掲載
無料記事
印刷用
ブラジル農業にかけた一日本人の戦い
<10>真綿で首を絞めるような米国の食糧戦略 和田秀子(フリーライター)
■開拓団地を買い戻したものの…
横田さんが、融資先を求めて日本で奔走していた約40日の間に、整地されていたバヘイラスの「戦後移住者開拓団地」には雑草が生え、無残な姿に変わりつつあった。
5,000万円の資金を携えてブラジルに戻った横田さんは、さっそくコチア産業組合の上層部たちと交渉し、「戦後移住者開拓団地」の買い戻しを進めていった。その結果、「組合側から借り受けている一切の資材や耕具を返却すれば、借金を帳消しにし、土地の売却に応ずる」という契約を取り付けたのだ。1992年の夏のことだった。
横田さんは、開拓団地に残っている12家族を集めてこう言った。 「トラクターから何から、今俺らが持っているものは全部組合に引き渡そう。そしたら借金はゼロになる。ただし、植え付けはもうちょっと待ってくれ。こんなに金利が高くては、作れば作るほど損になる。時期がくるまでは、自給自足の生活をして耐えてくれ」 当時の金利は20%。とても、新たに資金を借り受け、植え付けできる余裕はなかったのだ。
しかし、こうした横田さんの呼びかけに応じたのは、12家族中4家族のみだった。せっかく日本から資金を調達してきたものの、あとの8家族は、開拓の夢をあきらめて出て行った。それも無理はなかった。 「みんな、膨らむばかりの借金と八方ふさがりの状況に、精も根も尽き果てていたんでしょう」と横田さんは言う。
■日本への“デカセギ”
「農業の神様」「緑の魔術師」とまで呼ばれた彼らが、すべての財産を失ったあとに向かったのは、日本であった。1980年代後半の日本では、ブラジルから “デカセギ”にやってくる日系ブラジル人が増え始めていたが、これは、ブラジル農業が打撃を受けたことが大きな要因だったのだ。 日本語が分からない日系2世や3世たちも多く、日本人との間にトラブルが頻発し、問題となっていたことは記憶に新しいところだろう。
横田さん自身も、例外ではなかった。バヘイラスの「戦後移住者開拓団地」は守ったものの、サンパウロ州の土地を売り払った横田さんには、ほとんど財産が残っていなかった。しかし、5人の子どもは育てていかねばならない。横田さんの奥さまは、その生活費を稼ぐため、たったひとりで日本へと“デカセギ”に出かけていたのだ。残念なことに、横田一家は崩壊へと向かっていた。
■コチア産業組合の崩壊と、恐るべきアメリカの食糧戦略
一方、 “中南米で最大の農業組合”という名声を欲しいままにしていたコチア産業組合も、借金が莫大に膨れあがり、経営は悪化の一途をたどっていた。バヘイラスの「戦後移住者開拓団地」も売却し、その他の事業も縮小したが、すべて焼け石に水。日本政府からの融資の取り付けにも失敗したうえ、銀行からの取引も停止され、1994年9月、ついに自主解散となった。早い話、潰れてしまったのである。コチア産業組合の創立から、67年目の出来事であった。
ちょうどこの頃、ブラジル社会で衰退してゆく日系農家を尻目に、ブラジルへ進出しはじめていたのがアメリカであった。アメリカは1960年代より、“緑の革命”と呼ばれる世界規模での食糧増産戦略を展開しており、発展途上国を中心に、大量の農薬や肥料、大型の灌漑設備、そして生産性の高い種子などをバラ撒くことで、食糧生産高の拡大をはかっていた。
こうしたアメリカの食糧戦略は、ブラジルでも実を結びつつあった。かつては、セラード開発の先陣を切ったコチア産業組合も、アメリカ式農業を取り入れて、不毛の地を“豊穣の大地”へと作りかえていったのだから…。 しかし、機が熟すのを待っていたアメリカは、やがてその果実を収穫しにやってきたのだ。
横田さんは言う。 「俺たちが10年以上かけて開発していたセラードを、じっと横目で狙っていたのがアメリカですよ。“穀物メジャー”がやって来て、組合が潰れたことで、融資が受けられなくなった俺たちの弱みにつけこんで、札束でほっぺたをブン殴るように土地を買い上げていったんです」
1990年代に入り、いわゆる“穀物メジャー”と呼ばれる穀物多国籍商社が、ブラジルでも力を付けはじめていた。少し補足説明しておくと、現在、世界の穀物のほとんどは、2大穀物メジャーと呼ばれるアメリカの「カーギル社」と、「アーチャー・ダニエルズ・ミッドランド社」によって支配されている。アメリカ政府官僚の天下り先としても知られた企業だ。
この“穀物メジャー”がブラジルに進出し、それまで中南米の穀物を仕切っていたコチア産業組合に変わって、穀物市場を支配しはじめていたのだ。彼らとしてみれば、言うことを聞かない農家は追い出して、生産物をスムーズに手中に収めたかったのだろう。あの手この手を使って、横田さんらに圧力をかけはじめた。その手口はこうだ。
「穀物メジャーの奴らがやってきて、『今なら、一俵7ドルで先物買いしてやる』と言ううんです。俺たちは植え付けの資金もないし、仕方なく一万俵、二万俵と先売りするわけです。だけど、収穫時の国際相場は、その倍の一俵14ドルになる。 俺たちにとっちゃ大損だけど、契約した手前、一俵7ドルで引き渡すしかないんです。『あまりにもヒドイじゃないか!』と俺たちが文句を言うと、翌年は『じゃあ融資をしてやる』と言ってくる。その代わり、利子は27%。これも仕方なく契約すると、なかなか融資が下りないんです。作物には、“植え付け時期”というものがあって、1ヶ月も遅れると収穫量は半分に減ってしまう。こうなれば、当然大損です。 奴らはこれを狙って、生かさぬように殺さぬように、真綿で首を絞めるようにジワジワと、俺たちを追い込んでいったんですよ。どれほど苦しく、悔しかったことか…。でも、植え付け資金の調達をするためは、奴らの言いなりになるほかなかったんです」
地上げ屋のような輩がやってきて、横田さんにピストルを突きつけ「今すぐここから出て行け!」と脅されたこともあったというが、どんな目に合っても、横田さんは決して首を縦にふらなかった。しかし、たいていの人たちは、こうした状況に疲れ果て、土地を捨てて出て行ったのだ。
この時期のことを思い出すと、横田さんは今でも胸が張り裂けそうになると言う。しかし、アメリカの戦略は、これにとどまらなかった。 (つづく)
|
転載について
日刊ベリタに掲載された記事を転載される場合は、有料・無料を問わず、編集部にご連絡ください。ただし、見出しとリード文につきましてはその限りでありません。
印刷媒体向けの記事配信も行っておりますので、記事を利用したい場合は事務局までご連絡下さい。
|
|





|