・読者登録
・団体購読のご案内
・「編集委員会会員」を募集
橋本勝21世紀風刺絵日記
記事スタイル
・コラム
・みる・よむ・きく
・インタビュー
・解説
・こぼれ話
特集
・国際
・農と食
・教育
・文化
・アジア
・入管
・中国
・市民活動
・米国
・欧州
・みる・よむ・きく
・核・原子力
・検証・メディア
・反戦・平和
・外国人労働者
・司法
・国際
・イスラエル/パレスチナ
・市民活動告知板
・人権/反差別/司法
・沖縄/日米安保
・難民
・医療/健康
・環境
・中東
提携・契約メディア
・AIニュース
・司法
・マニラ新聞
・TUP速報
・じゃかるた新聞
・Agence Global
・Japan Focus
・Foreign Policy In Focus
・星日報
Time Line
・2024年11月22日
・2024年11月21日
・2024年11月20日
・2024年11月18日
・2024年11月17日
・2024年11月16日
・2024年11月15日
・2024年11月14日
・2024年11月13日
・2024年11月12日
|
|
2008年07月19日17時31分掲載
無料記事
印刷用
ブラジル農業にかけた一日本人の戦い
<10>真綿で首を絞めるような米国の食糧戦略 和田秀子(フリーライター)
■開拓団地を買い戻したものの…
横田さんが、融資先を求めて日本で奔走していた約40日の間に、整地されていたバヘイラスの「戦後移住者開拓団地」には雑草が生え、無残な姿に変わりつつあった。
5,000万円の資金を携えてブラジルに戻った横田さんは、さっそくコチア産業組合の上層部たちと交渉し、「戦後移住者開拓団地」の買い戻しを進めていった。その結果、「組合側から借り受けている一切の資材や耕具を返却すれば、借金を帳消しにし、土地の売却に応ずる」という契約を取り付けたのだ。1992年の夏のことだった。
横田さんは、開拓団地に残っている12家族を集めてこう言った。 「トラクターから何から、今俺らが持っているものは全部組合に引き渡そう。そしたら借金はゼロになる。ただし、植え付けはもうちょっと待ってくれ。こんなに金利が高くては、作れば作るほど損になる。時期がくるまでは、自給自足の生活をして耐えてくれ」 当時の金利は20%。とても、新たに資金を借り受け、植え付けできる余裕はなかったのだ。
しかし、こうした横田さんの呼びかけに応じたのは、12家族中4家族のみだった。せっかく日本から資金を調達してきたものの、あとの8家族は、開拓の夢をあきらめて出て行った。それも無理はなかった。 「みんな、膨らむばかりの借金と八方ふさがりの状況に、精も根も尽き果てていたんでしょう」と横田さんは言う。
■日本への“デカセギ”
「農業の神様」「緑の魔術師」とまで呼ばれた彼らが、すべての財産を失ったあとに向かったのは、日本であった。1980年代後半の日本では、ブラジルから “デカセギ”にやってくる日系ブラジル人が増え始めていたが、これは、ブラジル農業が打撃を受けたことが大きな要因だったのだ。 日本語が分からない日系2世や3世たちも多く、日本人との間にトラブルが頻発し、問題となっていたことは記憶に新しいところだろう。
横田さん自身も、例外ではなかった。バヘイラスの「戦後移住者開拓団地」は守ったものの、サンパウロ州の土地を売り払った横田さんには、ほとんど財産が残っていなかった。しかし、5人の子どもは育てていかねばならない。横田さんの奥さまは、その生活費を稼ぐため、たったひとりで日本へと“デカセギ”に出かけていたのだ。残念なことに、横田一家は崩壊へと向かっていた。
■コチア産業組合の崩壊と、恐るべきアメリカの食糧戦略
一方、 “中南米で最大の農業組合”という名声を欲しいままにしていたコチア産業組合も、借金が莫大に膨れあがり、経営は悪化の一途をたどっていた。バヘイラスの「戦後移住者開拓団地」も売却し、その他の事業も縮小したが、すべて焼け石に水。日本政府からの融資の取り付けにも失敗したうえ、銀行からの取引も停止され、1994年9月、ついに自主解散となった。早い話、潰れてしまったのである。コチア産業組合の創立から、67年目の出来事であった。
ちょうどこの頃、ブラジル社会で衰退してゆく日系農家を尻目に、ブラジルへ進出しはじめていたのがアメリカであった。アメリカは1960年代より、“緑の革命”と呼ばれる世界規模での食糧増産戦略を展開しており、発展途上国を中心に、大量の農薬や肥料、大型の灌漑設備、そして生産性の高い種子などをバラ撒くことで、食糧生産高の拡大をはかっていた。
こうしたアメリカの食糧戦略は、ブラジルでも実を結びつつあった。かつては、セラード開発の先陣を切ったコチア産業組合も、アメリカ式農業を取り入れて、不毛の地を“豊穣の大地”へと作りかえていったのだから…。 しかし、機が熟すのを待っていたアメリカは、やがてその果実を収穫しにやってきたのだ。
横田さんは言う。 「俺たちが10年以上かけて開発していたセラードを、じっと横目で狙っていたのがアメリカですよ。“穀物メジャー”がやって来て、組合が潰れたことで、融資が受けられなくなった俺たちの弱みにつけこんで、札束でほっぺたをブン殴るように土地を買い上げていったんです」
1990年代に入り、いわゆる“穀物メジャー”と呼ばれる穀物多国籍商社が、ブラジルでも力を付けはじめていた。少し補足説明しておくと、現在、世界の穀物のほとんどは、2大穀物メジャーと呼ばれるアメリカの「カーギル社」と、「アーチャー・ダニエルズ・ミッドランド社」によって支配されている。アメリカ政府官僚の天下り先としても知られた企業だ。
この“穀物メジャー”がブラジルに進出し、それまで中南米の穀物を仕切っていたコチア産業組合に変わって、穀物市場を支配しはじめていたのだ。彼らとしてみれば、言うことを聞かない農家は追い出して、生産物をスムーズに手中に収めたかったのだろう。あの手この手を使って、横田さんらに圧力をかけはじめた。その手口はこうだ。
「穀物メジャーの奴らがやってきて、『今なら、一俵7ドルで先物買いしてやる』と言ううんです。俺たちは植え付けの資金もないし、仕方なく一万俵、二万俵と先売りするわけです。だけど、収穫時の国際相場は、その倍の一俵14ドルになる。 俺たちにとっちゃ大損だけど、契約した手前、一俵7ドルで引き渡すしかないんです。『あまりにもヒドイじゃないか!』と俺たちが文句を言うと、翌年は『じゃあ融資をしてやる』と言ってくる。その代わり、利子は27%。これも仕方なく契約すると、なかなか融資が下りないんです。作物には、“植え付け時期”というものがあって、1ヶ月も遅れると収穫量は半分に減ってしまう。こうなれば、当然大損です。 奴らはこれを狙って、生かさぬように殺さぬように、真綿で首を絞めるようにジワジワと、俺たちを追い込んでいったんですよ。どれほど苦しく、悔しかったことか…。でも、植え付け資金の調達をするためは、奴らの言いなりになるほかなかったんです」
地上げ屋のような輩がやってきて、横田さんにピストルを突きつけ「今すぐここから出て行け!」と脅されたこともあったというが、どんな目に合っても、横田さんは決して首を縦にふらなかった。しかし、たいていの人たちは、こうした状況に疲れ果て、土地を捨てて出て行ったのだ。
この時期のことを思い出すと、横田さんは今でも胸が張り裂けそうになると言う。しかし、アメリカの戦略は、これにとどまらなかった。 (つづく)
|
転載について
日刊ベリタに掲載された記事を転載される場合は、有料・無料を問わず、編集部にご連絡ください。ただし、見出しとリード文につきましてはその限りでありません。
印刷媒体向けの記事配信も行っておりますので、記事を利用したい場合は事務局までご連絡下さい。
|
|
|