小泉政権時代に本格化した新自由主義路線の行き詰まりが顕著になってきた。新自由主義路線それ自体が経済そのものを、さらに人間、命をも壊していく現象が目立ってきたのだ。当時の小泉首相は「改革なくして成長なし」、「自民党をぶっ壊す」と叫んで、それなりの国民的支持を得たが、いまやその昔日の面影は消え失せた。もともと新自由主義路線に期待を抱くのは錯覚にすぎなかった。しかし今の福田政権にその打開策と新しい路線を期待することはできない。行き詰まった新自由主義路線に代わる路線をどう発見し、設定していくか。これは残された大きな課題である。
▽最近の悪しき国内ニュースから見えてくるもの
ここ1週間ほどの間に伝えられたいくつかの悪しき国内ニュース、悲惨な事件を以下に再録し、紹介する。そこから見えてくるものは何か。
*正社員削減と非正規雇用拡大が労働生産性を停滞させ、労働意欲を低下させる 厚生労働省の08年版「労働経済白書」(7月22日発表)によると、もともと労働生産性(就業者一人当たりの〈付加価値額=賃金プラス利益〉)が低いサービス業での非正規雇用が急増し、就業者に占める非正規労働者の割合は24.6%(92年)から39.4%(07年)に拡大した結果、生産性上昇率は年1.9%から0.5%に低下した。
一方生産性が高い製造業では正社員が削減された結果、製造業全体の就業者に占める非正規労働者の割合は17.7%から22.9%に増えた。しかし製造業全体の就業者数減少が加速したため、製造業の生産性上昇率は若干伸びた。白書は「(就業者一人当たりの)生産性上昇は就業者の削減により実現したもので、こういう生産性上昇は評価できない」としている。
サービス業と製造業を含む全体の労働生産性の伸び(年率換算)は70年代4%、80年代3.4%、に対し90年代1%、00年代1.7%と低迷している。 また「バブル崩壊後、企業が導入した業績・成果主義的賃金制度は正社員の働く意欲を低下させている」とも指摘した。
*景気回復の主因は輸出で、家計への波及はない 08年度版「経済財政白書」(7月22日閣議に提出)は、02年2月に始まった景気拡大局面での実質GDP(国内総生産)の成長のうち6割強が輸出増加によると分析している。この6割強という輸出依存度は戦後の景気拡大局面では最も高い。このことは国内需要の大部分を占める個人消費の低迷を意味している。これは大企業が中心になって景気拡大の果実を手にしたが、一方で家計を左右する賃金は抑制された結果である。
*ライブドア社の元社長、2審も実刑 ライブドア社の粉飾決算で証券取引法違反(有価証券報告書の虚偽記載など)に問われた元社長、堀江貴文被告(35歳)の控訴審判決で、東京高裁は7月25日、懲役2年6月の実刑を言い渡した1審を支持し、弁護側の控訴を棄却した。粉飾額は計53億円余にのぼる。無罪を主張していた元社長側は上告した。
裁判長は判決で次の諸点を指摘した。 ・「ライブドアは収益を実際の業績以上に誇示し、有望で躍進しつつあると社会向けに印象付け、自社の企業利益を追求しており、その戦略的意図には賛同できない。投資家保護に有用な有価証券報告書やディスクロージャー(情報開示)制度を根底から揺るがしかねない」 ・「(粉飾行為について)監査法人や公認会計士を巻き込み、巧妙な仕組みを構築しており、悪質だ」 ・「自己の犯行についての反省の情はうかがわれない。被告人の規範意識は薄弱で、潔さに欠ける」 堀江元社長自身は、「悪いことをやったとは思っていない。なぜ悪いと言われるのか理解できない」と語っているという。
*相次ぐ無差別殺傷事件 最近、悲惨な出来事が多すぎる。東京・秋葉原での17人無差別殺傷事件をはじめ、「相手は誰でもよかった」という殺傷事件が日本列島上で相次ぎ、日常茶飯事となっている。
*防衛利権パイプ役、ついに逮捕 東京地検特捜部は7月24日、防衛関連企業から受け取ったコンサルタント料などを隠していた秋山直紀容疑者(58歳)を所得税法違反(脱税)容疑で逮捕した。同容疑者は社団法人「日米平和・文化交流協会」専務理事で、日米軍需関連企業や国防族議員らと緊密な関連をもつ「パイプ役」といわれる。調べによると、秋山容疑者は05年までの3年間に約2億3200万円のコンサルタント料(個人所得)などを申告せず、所得税約7400万円を脱税した疑い。
日米平和・文化交流協会は、主に日本の国会議員、防衛省幹部らと、米国の国防関係者らの交流事業に携わっている。会長は瓦力・元防衛庁長官。 前防衛事務次官、守屋武昌被告(63歳)の汚職(収賄)事件をきっかけに東京地検特捜部は防衛利権にメスを入れようとしてきた。今回の逮捕で防衛利権の解明がどこまで進むかが焦点である。
▽経済、人間、命を破壊する市場原理主義路線
さて以上の数々のニュースは、相互に何の関係もないようにも見えるが、実はそうではない。相互に深く関連しあっており、その底に共通項として新自由主義路線(=市場原理主義と軍事力中心主義)を発見できるのではないか。この新自由主義路線の政治、経済、社会における具体的な現れ方は多様である。多くの場合、市場原理主義が猛威を振るうが、ときには軍事力が主役となる。
例えば市場原理主義は、政治権力(政府)、経済権力(大企業)による無慈悲な弱肉強食のごり押し、さらに埋めようのない大きな格差(機会、職業、所得、いのちをめぐる格差、差別)をもたらす。それがどれほど大きな負の影響を招いているか。結論からいえば、いまや人間を単なるコストとして、あるいは利益稼ぎの手段としてしかみない市場原理主義によって経済はもちろん、人間を、そしていのちも壊わしつつある。
その具体例が08年版「労働経済白書」の「正社員削減と非正規雇用拡大が労働生産性の上昇を停滞」、「働く意欲の低下」という事実である。正社員削減と非正規雇用拡大こそが市場原理主義の産物であり、それが経済の根幹をなす生産性を停滞させ、同時に労働意欲をも低下させていることは、経済の土台を破壊しつつあることを意味している。 もう一つの具体例は、08年度版「経済財政白書」が分析している「景気回復の主因は輸出で、家計への波及はない」という現実である。いいかえれば「大企業は巨額の利益を貯え、法人税などの優遇策で肥え太り、一方、大多数の家計は、税・保険料負担増、物価高、収入低迷で痩(や)せ細る」という構図の定着である。このような多様な格差拡大をもたらしているのがほかならぬ市場原理主義であり、それが経済の姿を著しく歪め、経済を弱体化させている。
市場原理主義の代表選手よろしく登場したのがライブドア社の堀江社長であった。その当時、「この世にカネで買えないモノはない」とうそぶいていたことはまだ記憶に新しい。拝金主義の典型といえる。私(安原)は「自分のいのちも両親からカネで買ったのか」と当時批判した。いくらカネを積んでもカネでは買えない貴重な価値がこの世に沢山あることを忘れてはならない。実刑判決の後も「悪いことをしたとは思っていない」と言い張っているところをみると、拝金主義と表裏一体の関係にある倫理観の喪失も際立っている。
以上のような市場原理主義が横行し、その路線に組み敷かれて人間性を失ったとき、その被害者は何を思い、どういう挙動に出るか。その悪しき結末の一つの現れが現世に絶望し、憎しみ、怨みを引きづりながら刃を振るうという殺傷事件であり、それが日常化していく。秋葉原での無差別殺傷事件はその一例である。市場原理主義が起点となって、決して許されることではないが、被害者転じて加害者となった者とは縁もゆかりもない新たな命の犠牲者が累積し、墓標が立ち並んでいく。
▽防衛利権に群がる軍産政官複合体
新自由主義の特質として市場原理主義と並んでもう一つ、軍事力中心主義を挙げることができる。軍事力をめぐる巨額の資金(日本の年間防衛費は約5兆円)、すなわち国防(防衛)利権に群がる軍産政官複合体(注)の存在が秋山容疑者の逮捕で浮かび上がってきた。この複合体の住人たちは、日頃、「小さな政府」、「増税による財政再建」を唱えながら、国民大衆の生活の土台である社会保障費を削減し、一方自らの利権がらみの防衛財源を確保することには余念がない。さらに自由、民主主義、法による統治などを語りながら、その実、これら現代社会の基本原理を足蹴にしてはばからない輩(やから)である。
(注)ここでの軍産政官複合体とは、米国版軍産複合体の日本版として私(安原)が名づけた。軍=自衛隊、産=兵器関連産業など、政=国防族などの政治家、官=防衛省などの官僚群 ― を中心に相互に癒着した複合体を指している。 古典的な米国版軍産複合体は、軍人出身のアイゼンハワー米大統領が1961年、大統領の座を去るに当たって告別演説で初めて言及したことで知られる。同大統領は「軍産複合体(巨大な軍事組織と大軍需産業の結合体)という新しい現象が定着してきて、経済的、政治的、精神的に強力かつ不当な影響力を発揮し、米国の自由と民主主義を破綻させる重大な脅威となっている」と警告を発した。
「防衛利権めぐるカネの解明を」と題する朝日新聞投書欄の「声」(08年7月29日付)を紹介する。 「秋山専務理事が逮捕された。(中略)日本の軍事費は436億ドル(約5兆円)で世界5位とされる。巨額であり、様々な利権が絡むことは想像に難くない。軍事機密という壁もあり、解明は難しいだろう。それでも今回の事件を機会にどんな不正が隠されているのか、防衛費には無駄はないのかなどを明らかにしてほしい。現在、国の財政危機の中、社会保障の財源をめぐって無駄の排除や消費税増税という議論が浮上している。(中略)そのためにも納得のいく解明を強く要望したい」(調理師 東京都 74歳)と。
日本の軍産政官複合体という一種の闇の世界に鋭いメスを入れて、巨額の血税を食い物にしている構造汚職を解明して欲しいというのが、この投書に限らず、多くの国民の声であるにちがいない。
私(安原)は30年ほど前に毎日新聞「記者の目」(1980年8月13日付)で「軍拡大合唱の背後に 産軍複合体形成の芽を見た」という大見出しで次のように書いた。 「青年の保守化、戦争体験の風化、軍拡への動き―など、右旋回への波が広がる懸念さえある。私は右旋回への底流として産軍複合体成長への危険な側面を軽視してはならないと考える。しかも最近の軍拡への動きは、国の安全、自由の擁護という大義名分のもとに自由を阻みかねない要素が大きいことにも目をつむってはならない」と。 そして結びの言葉としてアイゼンハワー大統領の告別演説のつぎの一節を引用した。 「分別ある敏感な市民のみが、巨大な軍産複合体に対し、安全と自由を守ることができるのだ」と。
それから約30年、日本版軍産複合体は日米安保体制下で米国版軍産複合体と連携を深めながら、逮捕者が出るほどに肥大化し、腐朽が進んでいる。
▽新自由主義路線からどう転換を図っていくか
米国が主導し、日本が追随している新自由主義なるものの2本柱は市場原理主義と軍事力中心主義である。 市場原理主義はグローバル化を背景に貿易・金融・資本の自由化、公営企業の民営化などを進めて多国籍企業を中心とする大企業の利益稼ぎの領域を広げていく。公的部門(政府、地方自治体)が主として担うべき社会保障、教育、環境などの分野を民間企業に開放し、効率第一で経営していく。「自由な市場メカニズムに任せれば、万事うまく運ぶ」という根拠なき市場万能主義的考えに支えられている。
一方、軍事力中心主義は、米国主導の先制攻撃論と単独行動主義、その実戦体制としての日米安保体制、さらにそれを支え、操る日米連携の軍産複合体―からなっている。兵器の調達では市場メカニズムよる自由競争よりもむしろ馴れ合いの談合に依存しており、無駄な軍事費の増大によって「大きな政府」、増税へと傾斜していく。
このような新自由主義は日本では1982年発足の中曽根政権時代に導入され、2001年の小泉政権時代からその負の多様な現象が顕著になってきた。目下その行き詰まりが多くの人の目にも明らかになっている。新自由主義そのものの内部崩壊、自壊作用が進行しつつあるともいえるのではないか。
とはいえ、新自由主義路線が自動的に崩壊し、新たな体制、秩序にその席を譲るわけではないだろう。新自由主義をしっかりと封じ込め、そこからどう転換を図っていくかが課題である。ここで米国版軍産複合体の脅威を警告したアイゼンハワー米大統領の告別演説の一節にあやかり、つぎのように言い直したい。 「分別ある敏感な市民のみが、悪しき新自由主義路線を撃退し、生活と自由といのちを守ることができるのだ」と。
*本稿は「安原和雄の仏教経済塾」からの転載です。
http://kyasuhara.blog14.fc2.com/
|