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橋本勝21世紀風刺絵日記
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2008年08月07日14時40分掲載
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ブラジル農業にかけた一日本人の戦い
<13>食糧の安全とアマゾンの森林を守る 新しい夢への挑戦が始まった 和田秀子(フリーライター)
■横田さんの同志を訪ねて…
今年の5月下旬、筆者は、横田さんとともに「株式会社コチア青年セラード開発」を興した中沢宏一さん(64歳)、蛸井喜作さん(72歳)に会うためサンパウロを訪れた。 彼らのオフィスは、サンパウロ市内の中心部に位置する “リベルダージ”(日本人街)にあるマンションの一室だ。
かつてこの地区には、日本人移民が多く住んでいたが、現在は日系人をはるかに上回る数の中国人や韓国人が居住するようになったため、“日本人街”改め“東洋人街”と呼ばれるようになっているという。少し廃れた印象はぬぐえないが、日本食を扱う乾物店や土産物店が軒をつらねており、ちょうちん型の街灯が設置されるなど、風情が感じられる街並だった。
筆者が訪れると、中沢さん、蛸井さんはもとより、この街に住むたくさんの日系人の方々が温かく歓迎してくれた。
蛸井さんは、“白髪の紳士”といった印象で、筆者の重い荷物を持ってくれるなど、とても72歳とは思えないほど元気ハツラツだ。 20歳でブラジルに渡り、横田さんと同じくセラード開発に携わっていたが、ブラジル経済がハイパーインフレで混乱に陥った際、早々に見切りをつけて農地を手放したため、借金が膨らまずにすんだのだという。現在は植林事業を手がけており、森林破壊が進むアマゾンを中心に植林を進めている。
いっぽう中沢さんは、“ファゼンデーロ”(大農場主)に憧れ、高校卒業後にブラジルに渡った。その後、横田さん、蛸井さんとともにセラード開発に携わるが、ハイパーインフレで大損を被る。その後、セラード開発から手を引き、本業であった“花作り”に専念。次々と生み出した新種の“ミニバラ”(スプレーバラ)が人気を集め、経済的にも復活できたのだという。 現在はすでに引退しているが、「ブラジル宮城県人会* 」の会長を務めるなど、幅広い人脈を持ち公私にわたって活躍中だ。
■日系人の誇りをかけて戦いたい
まずは蛸井さんに、横田さんとともに会社を興そうと思った動機を問うてみた。 「60歳も過ぎれば、ふつうなら色んなことを諦めていくでしょう。だけど、バカだと言われても粘り続けている横田を、応援したいと思ったんです。僕自身72歳になりますが、まだまだ新しいことにチャレンジしたい。同世代の友人からは、『まだそんなことやってるのか?』なんて言われることもありますが、ただボンヤリと余生を過ごすなんて、僕にとっては耐えられないんです。それよりも、命ある限り精一杯戦いたいじゃないですか」
いっぽう中沢さんは言う。 「戦前から戦後にかけて、多くの日本人が南米に移り住み、それぞれの地で新たな生活を切り開いてきました。しかし残念ながら、100年あまり経った現在でも、他国に誇れるようなコロニア(移住地)を築くことができていません。一時は、日本政府も巨額の資金を投じて、我々を後押ししてくれましたが、残念ながらそれも中途半端な形で終わってしまいました。未だ、我々のコロニアは完成していないのです。 ブラジルには各国からたくさんの移住者が集まっていますから、この国のなかで、 “日本人”として何かを成し遂げたい。街や緑を豊かにし、農業を活性化させ、そして後継者を育てる―。これが我々の使命だと思っています」
■実を結びつつある“3本柱”
このように、熱い思いを持った彼ら3人が、事業の柱として掲げているのは次の3つだ。 『1.安全な食糧を生産する』
『2.アマゾンの森林を守る』
『3.未来を担う農営者を育成する』
これらをひとつずつ説明していこう。 まず、『1.安全な食糧を生産する』についてだが、これはすでに述べたように、遺伝子組み換えでない種子を使い、有機栽培による“安全な食糧”の生産を目指すというものだ。
つぎに、『2.アマゾンの森林を守る』についてだが、すでに多くの報道がなされている通り、“地球の肺”と呼ばれるアマゾンは乱開発が進み、このままのペースで伐採が続くと、あと十数年でアマゾンの森林は消失してしまうと言われている。そのため、森林を保護し、植林を進めることで、アマゾンを守ろうという計画だ。
そして最後に、『3.未来を担う農営者を育成する』についてだが、ブラジルに移住した日本人たちは、“緑の魔術師”“農業の神様”と呼ばれるほど、すばらしい農業技術で大きな成果をあげてきた。しかし残念なことに、その技術を継承するはずの若者たちは、日本にデカセギに行ったっきり戻らない。もちろん、受け皿となる農地もないというのが現状だ。 現に横田さんの長男も、ブラジルで一流農業大学を卒業したにもかかわらず、現在は日本の家電器具製造工場で働いている。そのため、未来の農業を担う若者を育て、彼らが活躍できる場をブラジル国内に作りたいと横田さんらは考えている。 そして後々は、アフリカ等の飢餓国からも若者を招き、農業技術の移転をおこないたいということだ。
こうした事業の構想は、非常に素晴らしい。しかし、果たしてこれらは実現可能なのだろうか―。
「“食糧の安全性”や“アマゾン森林破壊”に関してもそうですが、私が日本に戻った3年前と比べると、あきらかに世の中の関心が高まっています。ですから、最近になってやっと、協力者が現れつつあるんですよ」 と横田さんはいう。
そのひとつとして、横田さんらの事業理念に賛同したある日本企業が、伐採の進むアマゾンの一部に植林をはじめている。さらには日本国内でも、「食糧の安全」と「アマゾンの森林保全」を掲げ、横田さんらの活動を支援するNPOが設立される動きがあるという。
■たんなる苦労話では済まされない
これまで、この連載で綴ってきたような横田さんらのエピソードを、たんなる移民の苦労話で片付けてはいけない、と筆者は思う。前章でも述べたように、アメリカによる世界的な食糧戦略と、食糧増産を目的として進められた「緑の革命」の結果、生活が豊かになるどころが、唯一の糧であった農業そのものを続けられなくなった人たちが、第3世界を中心に多数いたはずだからだ。
横田さんが言うように、大国の戦略を変えることは不可能だろう。しかし、世界的な食糧危機や、食糧の安全性、そして環境破壊など、すべてが臨界点に達している今だからこそ、横田さんらの意見に耳を傾けるべき必要がある。そして我々ひとりひとりが、現実を正しく理解し、考え、少しでも行動を変えることができれば、横田さんが起こした小さな波を、ビッグウェーブにしていくことは不可能ではない。
横田さんは現在「日本の皆さんが安心して参加していただけるように」と、日本での協力者とともに、受け皿となる組織固めを行っている。公式に発表できる段階になれば、またこの場を借りてご紹介していこうと思う。
いよいよ最終章となる次章は、ブラジルの大豆生産量の推移ご紹介するとともに、ブラジル農業において「日本人の果たした役割」を総括していきたい。 (つづく)
*宮城県人会 約100万人の日系人が暮らすブラジルでは、出身地ごとに県人会がある。中沢さんは宮城県出身で、現在「宮城県人会」の会長を務めている。
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コチア青年セラード開発社のオフィスがあるサンパウロのリベルタージ(写真:k.koiso)
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