猛暑の中、63回目の原爆の日を迎えた。広島、長崎の平和宣言は今年もまた「核兵器廃絶」への熱い願いを世界に向けて発信した。恒例の行事にすぎないようにみえるが、今年は核廃絶をめぐる情勢に歓迎すべき変化が生じてきた。広島平和宣言が強調したように地球上で「核廃絶は多数派の意思となった」のである。同時に長崎平和宣言がうたっているように米国核政策推進派の中枢から提言「非核の世界へ」が飛び出してきた。核廃絶に追い風が吹き始めたといえよう。核廃絶を確かなものにするには何が必要かを考える。
▽メディアはなぜ「米軍が原爆を投下した」と明示しないのか
今年2008年8月は、アジア・太平洋戦争の末期、1945(昭和20)年8月、米軍が広島(8月6日)、長崎(同月9日)に原爆を投下してから63年目を迎えた。米軍による原爆投下についてメディアは何を論じ、主張したか。
まず大手6紙の社説・主張(08年8月6日付)の見出しを紹介する。 *朝日新聞=被爆63年 核廃絶は夢物語ではない *毎日新聞=原爆の日 世界は核廃絶の頂を目指せ *読売新聞=原爆忌 核拡散を止めねばならない *日経新聞=核拡散への監視を緩めるな *産経新聞=原爆の日 北の核許さぬ決意新たに *東京新聞=原爆忌に考える 伝えたい、語りたい
焦点はこれまで通りの核拡散重視にこだわるか、それとも核廃絶を主張するかである。上記の見出しから分かるように朝日、毎日両紙は核廃絶を掲げた。一方、読売、日経、産経は核拡散にこだわっている。とくに産経は北朝鮮の核保有に焦点を絞っている。 東京新聞は核廃絶、核拡散という表現こそ出てこないが、社説全体は、反原爆・反戦・平和の基調で貫かれている。 核廃絶こそが焦点であるべきなのに、いまだに核拡散に視野を限定するのは時代感覚がずれている。福田首相も本音はともかくとして、平和記念式典での挨拶で「核兵器廃絶」を誓っているではないか。
さてここ数年気にかかっていることに触れておきたい。それは新聞に限らずテレビも含めて、誰が原爆を投下したのか、その主語のない表現・記事があふれていることである。社説も例外ではない。「ヒロシマへの原爆投下」、「原爆投下から〇〇年」などの表現がそれである。なぜ主語を明記しないのか。誰かに遠慮しているのか、それとも主語が米軍であることは、周知のことで、今さら指摘する必要はないと考えているのか。
もし後者だとしたら、それはおかしい。というのは60歳までの現役世代は、戦争体験のない人びとである。特に若い世代には主語が米軍であることを知らない者が少なくないはずである。日本がかつて米国と無謀な戦争をしたことさえ知らない者がいるのである。
敗戦の1945年夏、私(安原)は小学5年生で広島県の片田舎で過ごしていた。戦争末期には毎日のように米軍のB29爆撃機が、日本の高射砲弾が届かないはるか上空をゆうゆうと飛行しているのを見上げていた。広島への原爆投下から数日後に「新型爆弾」と新聞が大きな活字で報じたことも覚えている。さらに敗戦後まもなく、被爆者に直接会う機会があり、そのケロイド症状に胸がふさがる思いであったことも記憶に残っている。
その程度の戦争体験でしかないが、それでも原爆といえば、つねに米軍とつながっている。戦後世界での核兵器開発・保有競争の引き金を引いたのは米国であり、しかもその米国は現在世界最強の核保有国であり、これまで何度も核による脅迫を行ってきた。核廃絶を進めていく上で最大の責任を担うべきは米国であることを見逃してはならない。そのためにも「広島、長崎に原爆を投下したのは米軍」というこの一点を凝視する必要がある。
▽「広島平和宣言」― 市民を守る唯一の手段は核兵器廃絶
秋葉忠利・広島市長が08年8月6日の平和記念式典で述べた「広島平和宣言」を紹介する。「市民を守る唯一の手段は核兵器廃絶」、「多数派の意思である核兵器の廃絶」― などと核廃絶を正面に据えて、その現実性を強調している。宣言要旨はつぎの通り。
核攻撃から市民を守る唯一の手段は核兵器の廃絶です。だからこそ、核不拡散条約や国際司法裁判所の勧告的意見は、核軍縮に向けて誠実に交渉する義務を全(すべ)ての国家が負うことを明言しているのです。さらに、米国の核政策の中枢を担ってきた指導者たちさえ、核兵器のない世界の実現を繰り返し求めるまでになったのです。
核兵器の廃絶を求める私たちが多数派であることは、様々な事実が示しています。地球人口の過半数を擁する自治体組織、「都市・自治体連合」が平和市長会議の活動を支持しているだけでなく、核不拡散条約は190か国が批准、非核兵器地帯条約は113か国・地域が署名、昨年我が国が国連に提出した核廃絶決議は170か国が支持し、反対は米国を含む3か国だけです。 今年11月には、人類の生存を最優先する多数派の声に耳を傾ける米国新大統領が誕生することを期待します。
多数派の意思である核兵器の廃絶を2020年までに実現するため、世界の2368都市が加盟する平和市長会議では、本年4月、核不拡散条約を補完する「ヒロシマ・ナガサキ議定書」を発表しました。核保有国による核兵器取得・配備の即時停止、核兵器の取得・使用につながる行為を禁止する条約の2015年までの締結など、議定書は核兵器廃絶に至る道筋を具体的に提示しています。 目指すべき方向と道筋が明らかになった今、必要なのは子どもたちの未来を守るという強い意志と行動力です。
日本国憲法は、こうした都市間関係をモデルとして世界を考える「パラダイム転換」の出発点とも言えます。我が国政府には、その憲法を遵守し、「ヒロシマ・ナガサキ議定書」の採択のために各国政府へ働き掛けるなど核兵器廃絶に向けて主導的な役割を果すことを求めます。(以上)
広島平和宣言の特色は、市民を守るためには核廃絶しかないことを力説した上で、「核廃絶への意志は今や多数派となった」という認識を示している点である。06年平和宣言では「核廃絶をめざして私たちが目覚め起つときが来た」とし、さらに07年宣言では「市民の力で解決できる時代」と核廃絶の可能性を指摘した。08年宣言ではさらに大きく前へ進めて「核廃絶への意志は多数派になった」と実現の現実性をうたっている。可能性から現実性へと核廃絶の展望が開けてきていることを強調したものといえよう。しかも11月に誕生する米国新大統領に「多数派の声に耳を傾けよ」とまで呼びかけている。
▽「長崎平和宣言」―核政策推進者たちによる核削減アピールを評価
田上富久・長崎市長が08年8月9日の平和記念式典で述べた「長崎平和宣言」の要旨はつぎの通り。
長崎市最初の名誉市民、永井隆博士は長崎医科大学で被爆して重傷を負いながらも、医師として被災者の救護に奔走し、「原子病」に苦しみつつ「長崎の鐘」などの著書を通じて、原子爆弾の恐ろしさを広く伝えました。「戦争に勝ちも負けもない。あるのは滅びだけである」という博士の言葉は、時を超えて平和の尊さを世界に訴え、今も人類に警鐘を鳴らし続けています。
「核兵器のない世界に向けて 」と題するアピールが、世界に反響を広げています。執筆者はアメリカの歴代大統領のもとで、核政策を推進してきた、キッシンジャー元国務長官、シュルツ元国務長官、ペリー元国防長官、ナン元上院軍事委員長の4人です。 4人は自国のアメリカに包括的核実験禁止条約(CTBT)の批准を促し、核不拡散条約(NPT)再検討会議で合意された約束を守るよう求め、すべての核保有国の指導者たちに、核兵器のない世界を共同の目的として、核兵器削減に集中して取り組むことを呼びかけています。
これらは被爆地から私たちが繰り返してきた訴えと重なります。 私たちはさらに強く核保有国に求めます。まず、アメリカがロシアとともに、核兵器廃絶の努力を率先して始めなければなりません。世界の核弾頭の95%を保有しているといわれる両国は、ヨーロッパへのミサイル防衛システムの導入などを巡って対立を深めるのではなく、核兵器の大幅な削減に着手すべきです。英国、フランス、中国も、核軍縮の責務を真摯に果たしていくべきです。
我が国には、被爆国として核兵器廃絶のリーダーシップをとる使命と責務があります。日本政府は朝鮮半島の非核化のために、国際社会と協力して北朝鮮の核兵器の完全な廃棄を強く求めていくべきです。また、日本国憲法の不戦と平和の理念にもとづき、非核三原則の法制化を実現し、「北東アジア非核兵器地帯」創設を真剣に検討すべきです。
来年、私たちは広島市と協力して、世界の2,300を超える都市が加盟している平和市長会議の総会を長崎で開催します。 核兵器の使用と戦争は、地球全体の環境をも破壊します。核兵器の廃絶なくして人類の未来はありません。世界のみなさん、若い世代やNGOのみなさん、核兵器に「NO!」の意志を明確に示そうではありませんか。(以上)
長崎平和宣言の最大の特色は、キッシンジャー元米国務長官らかつての米国核政策推進者たち4人の核廃絶アピールに言及し、高く評価していることである。4人はまず昨年1月米紙ウオールストリート・ジャーナルに提言「核兵器のない世界を」、さらに今08年1月にも提言「非核の世界へ」を寄稿した。4氏のこれら提言は核推進の中枢を担ってきた当事者による「内部反乱」とでもいうべき事態で、核政策が行き詰まりに直面していることを浮き彫りしている。
▽核廃絶への願いにどう答えるか ― 福田首相と潘基文国連事務総長
以上の広島、長崎両市長の核廃絶への願いに福田首相はどう答えたか。首相は広島、長崎の平和記念式典でつぎのように挨拶(要旨)した。
先の北海道洞爺湖サミットのG8首脳宣言では、初めて、現在進行中の核兵器削減を歓迎し、すべての核兵器国に透明な形での核兵器削減を求めた。 本日、ここ広島の地で、改めて我が国が、今後も非核三原則を堅持し、核兵器の廃絶と恒久平和の実現に向けて、国際社会の先頭に立っていくことをお誓い申し上げる―と。
なるほど後段部分の「今後も非核三原則を堅持し、核兵器の廃絶と恒久平和の実現に向けて、国際社会の先頭に立っていく」とは、その言やよし、である。しかしその後の記者会見(6日)で首相は「核抑止力」を肯定する発言をしたと伝えられる。これは何を意味するのか。目標としての「核廃絶」と現実の核保有の口実となっている「核抑止力」とは明らかに矛盾している。両立はありえない。核廃絶のためには核抑止力への信仰を棄てなければならない。
ここで潘基文(バンギムン)国連事務総長のメッセージ(要点)を以下に紹介する。
核軍縮を進める必要性に対する世界の認識は、何年ぶりかに高まっている。これを支持する声は、全世界のさまざまな人々から幅広く寄せられている。教育者、宗教指導者、新旧の政府高官、非政府組織(NGO)、ジャーナリスト、市長、議員その他の数限りない人々が、単に軍縮を言葉で主張するだけでなく、この目標達成に向けて積極的に取り組んでいる。 国連人口基金は最近、都市人口が史上初めて、世界の多数派を占めるようになったことを発表した。核兵器が二度と使われないようにすることは、全世界の市長にとっても当然の利益となるはずである。この目標を達成する最も確かな方法が、核兵器の廃絶であるという理解も広がっている。(以上)
このメッセージ冒頭の「核軍縮を進める必要性に対する世界の認識は、何年ぶりかに高まっている」という指摘に注目したい。何気ないメッセージのようにみえるが、核廃絶への機運がこれまでと異質の良い方向に向かいつつあることを示唆している。しかも核廃絶への姿勢には福田首相よりもはるかに誠意を感じさせるものがある。
▽核兵器廃絶のための必要不可欠な条件は何か
私(安原)は核廃絶のための必要条件として、ブログ「安原和雄の仏教経済塾」掲載の「あくまでも核廃絶をめざして」(昨07年8月9日付)でつぎの3点を挙げた。
1)米国の時代遅れの誤った政策に「ノー」と言うとき 「核の力による支配」を万能視し、その呪縛から逃れられない「核の奴隷」と化した哀れな、しかし危険きわまりない群れには明確な「ノー」を突きつける必要がある。 2)核大国の核軍縮を最優先にすること 核5大国(米、ロシア、英、仏、中国)が正当性を欠く身勝手な「核覇権主義」に執着したまま、核大国以外への核拡散を非難するのは公正とはいえない。 3)日米安保=軍事同盟を解体し、「非核兵器地帯」結成に努力すること 核抑止力に依存する日米安保=軍事同盟が存在する限り、アジアにおける核廃絶は困難であろう。日米安保=軍事同盟は長期展望として解体するほかない。
1年後の現在、これら3条件をどう考えるか。 1)について 最近の情勢変化を考慮に入れる必要があるのではないか。米国4人の核削減アピールに象徴される核推進派内部の足並みの乱れ、さらに広島市長の「核廃絶への意思は多数派となった」という認識 ― などはこれまでみられなかった新しい情勢である。核廃絶に追い風が吹き始めていることをうかがわせる。
2)について 長崎市長は「アメリカがロシアとともに、核兵器廃絶の努力を率先して始めなければなりません」と強調した。これは核不拡散のためにも、いくら強調してもよい視点である。
3)について 長崎市長は「非核三原則の法制化を実現し、〈北東アジア非核兵器地帯〉創設を真剣に検討すべきです」と昨年同様に訴えた。福田首相は「今後も非核三原則を堅持」と挨拶した。 しかし現実には非核三原則(核兵器をつくらず、持たず、持ち込ませず)の一部(持ち込ませず)は日本列島に在日米軍基地がある限り、事実上ないがしろになっている。米国が核戦略を放棄しない限り、この事実は変わらないだろう。まして日本政府に三原則の法制化は念頭にないし、「核の傘」、つまり米国の核抑止力に依存する日米安保=軍事同盟が存続する状況下では、北東アジア非核兵器地帯の創設も困難であろう。 とはいえ主張し続けることは不可欠であり、同時に日米安保=軍事同盟解体も視野におく必要があるだろう。
*本稿は「安原和雄の仏教経済塾」からの転載です
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