私は先日、「平和をどうつくっていくか」をテーマに講話する機会があった。その講話の眼目は「日米安保体制解体を提言する―安保後の日本をどう築くか」である。日米安保体制は軍事・経済2つの同盟の土台となっており、この日米同盟が「諸悪の根源」ともいうべき存在となっている。 軍事面では日本列島は米軍の出撃基地になって、世界の平和を破壊しており、一方、経済面では市場原理主義路線によるいのち軽視、貧困、格差、偽装が日本列島上を覆っている。いずれも多くの国民にとっては巨大な「負の効果」であり、その元凶が日米安保体制である。今こそ安保解体を視野に入れるときである。安保解体に必要な条件は何か、安保後の日本の設計図をどう描くのか。
▽「守る平和」から「つくる平和」へ ― 日本列島はすでに戦場である!
私の講話は、東京・足立区内で開かれた「足立・三反の会」(事務局長・矢内信悟さん)で、〈「守る平和」から「つくる平和」へ ― 日本列島はすでに戦場である!〉と題して行った。「足立・三反の会」は足立区内を足場に平和・労働組合運動にかかわってきた市民の集まりで、三反とは、反戦、、反核、反差別の3つを指している。
講話の主な柱は以下の通り。 (1)終戦記念日「8.15」と大手紙の「平和」に関する社説 (2)ノルウェーのヨハン・ガルトゥング教授の平和論 ― 「構造的暴力」に着目 (3)平和観の再定義 ― 「平和=非暴力」・「つくる平和」へ転換を (4)日本列島は「構造的暴力」に満ちて、すでに「戦場」である (5)「平和=非暴力」の日本をつくっていくための必要条件
(1)〜(4)は、ほぼ同じ内容の記事(タイトルは〈日本列島はすでに戦場である! 脱出策は「つくる平和」へ転換を〉)がブログ「安原和雄の仏教経済塾」に掲載(08年8月15日付)されているので、詳細は省く。ただ趣旨を紹介すれば、以下の通り。
「日本は平和だ」という認識は依然として少なくないが、これは「平和=非戦」という旧型の平和観にとどまっている。この平和観では「憲法9条を守り、平和を守ろう」という受動・消極的姿勢につながる。しかし真の意味での平和を実現させるためには「平和=非暴力」という認識で、「平和をつくっていく」という能動・積極的な平和観が必要だ。これが21世紀型の新しい平和観である。
この「平和=非暴力」という新しい平和観に立って日本列島を見渡すと、政治、経済、社会に組み込まれた以下のような「構造的暴力」に満ちていることが分かる。 ・日米安保体制下で日本列島は米軍の不沈空母、出撃基地化しており、インド洋での米軍への給油支援などで日本は事実上参戦している。 ・大型地震・異常気象などに伴う人災(地震と原発事故、集中豪雨による犠牲者など)、多発する凶悪犯罪(秋葉原での17人の無差別殺傷事件など)、年間3万人を超える自殺、年間6000人近い交通事故死(多いときは年間1万7000人の死者を出した。累計の犠牲者数は50万人を超えている。まさに交通戦争死)、生活習慣病など病気の増加、300万人前後の失業と雇用不安、企業倒産の増加、貧困・格差拡大、人権抑圧など「構造的暴力」は後を絶たないどころか、むしろ顕著になってきている。
軍事力行使によって戦死者を出す修羅場のみが戦場ではない。多様な「構造的暴力」のためいのち、安心、安全、平穏が破壊されている日本列島上の地獄のような現実も、すでに「戦場」となっている、という以外に適切な表現を知らない。
▽「平和=非暴力」の日本をつくっていくための必要条件
ここでは(5)「平和=非暴力」の日本をつくっていくための必要条件 ― について述べる。その主な柱は以下の通り。
1)憲法の空洞化している平和理念を取り戻し、生かし、実現させていくこと *憲法前文の「平和共存権」と9条の「戦力不保持と交戦権の否認」 *13条の「個人の尊重、生命・自由・幸福追求の権利の尊重」 *25条の「生存権、国の生存権保障義務」 *27条の「労働の権利・義務」
2)日米安保体制(=軍事・経済同盟)から日米友好条約へ転換を *日米安保体制の解体を長期的視野に入れること。 *「軍事同盟」としての安保体制 *「経済同盟」としての安保体制 *互恵平等を原則とする「日米友好条約」へ切り替えること
3)安保解体後の変革課題 *非武装中立・日本への道を目指すこと(参考:中米コスタリカの非武装中立路線) *防衛省を平和省へ、自衛隊を非武装「地球救援隊」(仮称)へ全面的に改組 *軍産複合体の解体、平和産業・経済への転換 *新自由主義路線からの完全な離脱
以上のうち、1)憲法の空洞化している平和理念を取り戻し、生かし、実現させていくこと ― は、現在「憲法九条の会」(ノーベル文学賞受賞作家、大江健三郎さんらが呼びかけ人)が日本全国各地で沢山誕生しており、憲法学習も相当進んでいるので、詳説は省く。 しかし強調しておきたいのは、「9条を守る」ではなく、「9条の平和理念を取り戻し、生かし、実現させていくこと」という視点が重要だということ。なぜなら9条の平和理念は日米安保体制によって事実上骨抜きになっているからである。
つぎの2本柱はこれまでになくかなり踏み込んだ提言なので、以下で説明したい。 2)日米安保体制(=軍事・経済同盟)から日米友好条約へ転換を 3)安保解体後の変革課題
▽日米安保体制は「諸悪の根源」である
日米安保体制は諸悪の根源といえる。なぜそういえるのか。 まず日米安保体制は、日米間の軍事同盟と経済同盟の2つの同盟の土台となっていることを強調したい。この2つの同盟が「車の両輪」となって新自由主義路線(軍事力による覇権主義と経済面での市場原理主義)という名の「構造的暴力」の根拠地となっている。諸悪の根源というほかないだろう。
*「軍事同盟」としての安保体制 軍事同盟は安保条約3条「自衛力の維持発展」、5条「共同防衛」、6条「基地の許与」などから規定されている。 特に3条の「自衛力の維持発展」を日本政府は忠実に守り、いまや米国に次いで世界有数の強力な軍事力を保有している。これが憲法9条の「戦力不保持」を骨抜きにしている元凶である。
しかも1960年、旧安保から現在の新安保に改定された当初は対象区域が「極東」に限定されていたが、今では変質し、「世界の中の安保」をめざすに至った。そのきっかけとなったのが1996年4月の日米首脳会談(橋本龍太郎首相とクリントン大統領との会談)で合意した「日米安保共同宣言―二十一世紀に向けての同盟」で、「地球規模の日米協力」をうたった。 これは「安保の再定義」ともいわれ、解釈改憲と同様に条文は何一つ変更しないで、実質的な内容を大幅に変えていく手法である。この再定義が地球規模での「テロとの戦い」に日本が参加していく布石となった。米国の覇権主義にもとづくイラク攻撃になりふり構わず同調し、自衛隊を派兵したのも、この安保の再定義が背景にある。 こうして軍事同盟としての安保体制は、米国の軍事力による覇権主義を行使するために「日米の軍事一体化」の下で日本が対米協力に勤(いそ)しむ巨大な軍事的暴力装置となっている。
*「経済同盟」としての安保体制 安保条約2条(経済的協力の促進)は、「自由な諸制度を強化する」、「両国の国際経済政策における食い違いを除く」、「経済的協力を促進する」などを規定している。「自由な諸制度の強化」とは新自由主義(経済面での市場原理主義)の実行を意味しており、また「両国の国際経済政策における食い違いを除く」は米国主導の政策実施にほかならない。毎年米国が日本政府に示す「改革要望書」はその1つである。 だから経済同盟としての安保体制は、米国主導の新自由主義(金融・資本の自由化、郵政の民営化など市場原理主義の実施)を強要し、貧困、格差、差別、疎外の拡大などをもたらす米日共同の経済的暴力装置となっている。これが憲法13条の「個人の尊重、生命・自由・幸福追求の権利の尊重」、25条の「生存権、国の生存権保障義務」、27条の「労働の権利・義務」を蔑(ないがし)ろにしている元凶といえる。
こういう暴力装置としての日米同盟、すなわち日米安保体制が諸悪の根源と化している以上、その解体を長期的視野に入れることが不可欠であり、やがて互恵平等を原則とする「非軍事・日米友好条約」へ切り替えるべきであることを展望する必要がある。
▽日米安保解体とともに取り組むべき日本の針路 ― 非武装中立
安保解体とともに浮上してくるのは、日本が新たに選択すべき針路である。2つの選択肢が考えられる。有力なのは「非武装中立・日本への道」であり、もう1つは日本独自の軍備保有(核武装も含めて)という相反する路線選択が考えられる。
しかし後者の独自の軍備保有は憲法9条を改悪し、アメリカとの同盟も手を切ることを意味するわけで、保守勢力が自ら進んで日米同盟を解体するという展望は考えにくい。 むしろ日米同盟擁護の政権が行き詰まり、それを批判する国民多数の意志として新しい路線を選択する可能性がある。つまり「安保体制が諸悪の根源」という認識が国民の間に広がり、共有され、日米安保破棄(注1)を国民の多数意志として選択するケースである。 (注1)現行安保条約10条は「いずれの締約国も、他方の締約国に条約を終了させる意思を通告することができ、条約はその通告後1年で終了する」と規定している。これは国民の多数意志として一方的な条約破棄を可能にする規定である。事実上の米軍占領下で締結された旧安保にはこの規定はなかった。安保破棄は、この規定を生かす新しい政権が国民の多数意志を代表する形で誕生することが必要条件である。
この安保破棄の場合、憲法前文と9条の平和理念を生かす方向で「非武装中立」が新しい路線として浮かび上がってくる。コスタリカ(注2)に学ぼう!という声も一段と高まってくるだろう。現在、すでにそういう声は日本国内でも次第に広がりつつあるからである。さらに現在、南米(ベネズエラ、ボリビアなど)での反「米」・反「新自由主義」路線への波が高まりつつある新しい潮流にも注目したい。 (注2)中米の小国・コスタリカは1949年の憲法改正で軍隊を廃棄し、さらに80年代に中立宣言を行い、いまや非武装中立の旗を高く掲げており、世界の心ある人々、平和を願う人々から注目されている。非武装の面では日本国憲法9条の「非武装」理念を当の日本が空洞化させたのと違って、コスタリカが実践してきたともいえる。
日本が非武装中立路線へ舵を切り替えることになれば、当然つぎの3つが大きな課題として浮上してくる。 *防衛省を平和省へ、自衛隊を非武装「地球救援隊」(仮称)へ全面的に改組 *軍産複合体の解体、平和産業・経済への転換 *新自由主義路線(軍事力による覇権主義、経済面での市場原理主義)からの完全な離脱
これは21世紀版「非軍事・民主化」路線すなわち「平和=非暴力」路線と呼ぶこともできる。 敗戦(1945年)直後の日本の非軍事・民主化(平和憲法制定、軍隊・兵器生産の解体、財閥解体、農地解放、労働組合の結成、教育の民主化など)は主として占領軍主導で進められた。しかし近未来の「平和=非暴力」路線が実現すれば、日本歴史上、日本国民多数の意志による初めての自主的、民主的な変革となる。
▽安保解体論を促す条件は何か?
以上の私(安原)の問題提起を素材にして、2時間余りに及ぶ活発な意見交換が行われた。その一部を紹介する。
問い:安保解体が重要であることは個人としては考えているが、多くの人々の意識にどこまで共有されているかは、いささか疑問とはいえないか。例えば「60年安保世代」(注3)の生存者の多くは、今では現体制の一員に組み込まれてしまって、安保解体という問題意識は薄いだろう。安保解体まで進むことの現実性をどう考えるか? (注3)1960年の安保反対闘争に参加した世代のこと。旧安保条約を改定した現行安保条約(正式名称は「日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約」)をめぐって全国規模で反対闘争が何度も繰り広げられ、多いときは全国で1日に600万人参加の反対デモが行われた。しかし当時の岸信介(昨07年突如退陣して話題となった安倍晋三元首相の祖父)政権は国会に警官隊を導入するなどして強行成立させ、間もなく退陣した。
安原:安保解体へ向かう現実性は、客観的な内外の外交・政治・経済・社会情勢の推移と主体としての国民意識の変化に依存する。まずつぎのような内外の新しい情勢の進展が重要である。
・米国主導のイラク、アフガン攻撃は、民間人を多数殺傷し、何のための戦争か、という疑問が世界中に広がり、破綻している。 ・ヨーロッパ主要国での世論調査では世界の平和にとって最大の脅威は「ブッシュ米大統領」であり、北朝鮮はそれほど不人気ではない。 ・特に米国の裏庭といわれる中南米で反戦、反米、反新自由主義の新しい動きが顕著に広がってきている。 ・日本国内では特に小泉政権以来の新自由主義路線の強行によって、いのち軽視、貧困、格差、腐敗、偽装が多様な形で日本列島上を覆っており、その批判が国民の間に高まっている。 ・昨07年8月以来の米国サブプライム・ローン(低信用層向けの高金利住宅ローン)の破綻は、08年9月、米大手証券会社リーマン・ブラザーズなどの破産にまで波及し、日本、ヨーロッパを含む地球規模の金融危機を招いている。これも金融・資本の野放図な賭博的自由化を追求する新自由主義の行き詰まりを示している。
以上は、一見したところバラバラで相互に無関係の現実にみえるが、実は大なり小なり、陰に陽に日米同盟とかかわっていることを見逃すべきではないだろう。 例えば米国のイラク、アフガン攻撃は日米軍事同盟による在日米軍基地の存在なくしては不可能である。その失敗がブッシュ大統領の世界的な不人気をもたらしている。行き詰まり顕著な経済面での新自由主義路線は、日米経済同盟の行き詰まりをも示している。いいかえれば日米同盟そのものが世界の中で孤立しつつある。
▽「安保を考え直す会」をつくって安保学習を始めよう
問い:これだけ日米同盟にかかわる弊害が吹き出してくると、座視しているわけにもいかない。現実問題としてどういう手が身近にあるだろうか?
安原:安保解体論が意識に上って来にくいのは、日米安保体制とその悪しき「負の効果」との相互依存関係が見えにくいという現実があるためかも知れない。一般メディアが日米同盟を批判せず、聖域視していることも大きい。権力批判の意識が弱いジャーナリズムの怠慢というべきだろう。
そういう目を曇らせる現実があることは、軽視できない。ただ私は「今は当事者の予測を超えて事態が急変する時代」と認識している。 1988年暮れ、当時の西独を訪ねる機会があり、政府要人と会ったとき、質問した。「ベルリンの壁が壊れ、東西ドイツが統一する見通しはどうか」と。「近い将来、そういう可能性はあり得ない」が答えであった。しかし現実にはその1年後の89年暮れ、ベルリンの壁は壊れ、その後周知のように東西ドイツの統一は急速に進んだ。これは顕著な事例だが、私の「急変する時代」という認識はここから来ている。
とはいえ今のところ安保解体論への弾みがつきにくいのは、端的に言って安保条約の条文を読んで、理解している人が少なすぎるためではないか。例えば10条の「一方的破棄」の規定(前出の注1参照)である。私が10条の話をすると、「えっ、そうなの?」という驚きの反応が圧倒的に多い。これでは前へ進めない。
「憲法九条の会」は全国規模で沢山あるが、この際「安保を考え直す会」(仮称)もつくって安保学習を始めるときではないか。憲法の平和理念を空洞化させているのは、すでに指摘したように日米安保体制なのだから、憲法と安保との矛盾・対立を学習し、把握しなければならない。 率直に言って安保破棄によって初めて平和憲法の理念が生かされてくることを強調したい。今こそ憲法を安保からいかに解放するかを考えるときである。日米安保に抱きすくめられた憲法はひ弱であり、安保を脱ぎ捨てた憲法こそが雄々しく羽ばたくだろう。 目先き悲観材料が山積しているとしても、ここは「短期悲観、長期楽観」説に立ちたい。
〈参考:平和と安保関連の記事〉 ・軍事同盟と環境対策は両立しない サミットに場違いな日米首脳会談=ブログ「安原和雄の仏教経済塾」に08年7月7日掲載 ・国家破産に瀕するアメリカ帝国 軍事ケインズ主義の成れの果て=同ブログに08年3月13日掲載 ・常備軍は廃止されるべきだ! カントの平和論を今読み解く=同ブログに07年12月6日掲載 ・肥大化する日本版「軍産複合体」 消費税引き上げで拍車がかかる=同ブログに07年11月23日掲載 ・「ごまかし」満載の日本列島 根因は憲法と日米安保との矛盾=同ブログに07年10月28日掲載 ・日米安保体制は時代遅れだ アメリカからの内部告発=同ブログに07年5月18日掲載
*本稿は「安原和雄の仏教経済塾」からの転載です。
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