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橋本勝21世紀風刺絵日記
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2008年09月29日09時40分掲載
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中国
「鳥の巣」は誰のもの――デザイン面から見た北京五輪新建築物の存在意味 李欧梵(香港・中文大学教授)
北京オリンピックが閉会し、平静を取り戻した今、多くの人が感慨に浸っているだろう。私もテレビで競技や開会式、閉会式を見て心を躍らせた。
私が気になっているのはあの数々の斬新な建築物の今後のことだ。セレモニーと陸上競技に使われたメインスタジアム「鳥の巣」(国家体育場)、水泳や飛び込みの会場となった「水立方」(国家水泳センター)は、夜にはライトアップされて実に美しい。空から俯瞰した映像では、鳥の巣はダークレッド、水立方はディープブルーに輝き、互いを引き立てあっている。白昼の陽光の下で見ると、鳥の巣のベースカラーはグレーとレッドで、整った楕円形を呈している。 見事なコントラストをなす二つの競技場は、まさに「天円地方」(天は円く、地は方形という中国の世界観)の思想を具現するものだ。将来、建築史の一ページに記されることだろう。
二つの競技場はいずれも外国人の設計によるものだ。鳥の巣はスイスのヘルツォーク&ド・ムーロンの設計、水立方はオーストラリアの建築設計事務所PTWの設計によるものでジョン・ポーリンが指揮を執った。
一般の観戦客にはなじみが薄いかも知れないが、近くにはもうひとつ、オリンピックの運営と通信業務を行う「デジタル北京」のビルがある。この建物には窓がまったくなく、風を通さない造りになっていて、夜には流れる水を模した照明が輝く。設計は中国の建築士、朱◆[金へん、倍のつくり]、米国バークレー大学で建築と都市計画の修士号を取得した「海帰派」(海外留学からの帰国者)である。
これら三つの建物はすべて国際的に公募を行ったもので、それぞれ趣が異なっている。北京オリンピック公園の中心にそびえ立ち、周囲の北京の街の建物とはまったく関連性がなく、まるで意図的に「不調和」に造り、しかし「言いたいことを言う」とでも主張しているような斬新的建築「物体」だ。
私は三つの分かりやすい「キーワード」を使った。すなわち「不調和」、「自己主張」、「物体」(私にとって初めてとなる建築解釈学の試みかも知れない)であり、それらの背景となる文化の意味を探求するためだ。十年後に建築学を学ぶ学生達がこれらの建物を見たらどのような解釈をするだろうか?
私は「不調和」という形容が最も鳥の巣の設計に合っていると感じる。その外観こそ楕円形だが、無数の弧を描く鉄筋コンクリートが網状に組まれた構造は、躍動感にあふれ、競技場のイメージにぴったりである。私は思わず近代建築学の「形態は機能に従う」という有名な言葉を思い出した。実は逆もまた真で「機能は形態に従う」だ。 しかし西洋建築学上、モダニズム建築の傑作とされる建物のほとんどは真四角或いは長方形で、外側はガラスが張りめぐらされ、天を突くばかりに高くそびえている。私がシカゴにいた当時住んでいたマンションもまさにそのような建築で、ミース・ファン・デル・ローエの設計によるものだった。この伝統と異なる、ヘルツォーク&ド・ムーロンの設計は「ポストモダニズム」と称することができるだろうか?
しかしすべての資材・原料は現地のものでなく、ポストモダン建築に一般的な風土性や遊びの要素もない。建築業界の人が見れば直ぐ分かるが、この建物の建築難易度は非常に高い。支柱となるような柱は一本もなく、幾層にも折り重なった網状の鉄筋によって支えられている。なるほど、台湾の雑誌『芸術収蔵+設計』にも『北京新建築』(林美慧著)と題した記事が掲載され、大いに賞賛されるわけだ。これは明らかに21世紀の展望性と創意を示す作品で、新たな風潮とビジョンをもたらしている。
私は以前書いた文で、この競技場は観客のために設計されたもので、その躍動感は観客によって生まれ、観客の歓声と喧噪が最高潮に達した時に最も強い「エネルギー」を発し、最初の「不調和」な感覚は砕け散り、人々の興奮の渦の中に熔けていくのだと述べた。
この作用は金銭あるいは営利といった実益のために造られたものではない(香港の大多数の建築物がそうであるのとは異なる)。この文章に記したところでは、総工費は当初39億元に達する予定であったが、その後2004年になって北京政府がオリンピック予算の削減を打ち出し、工費は13億元まで減らされた。その際、鳥の巣では当初の設計にあった可動式天井がなくなり、中央の開口部を拡張して、鉄筋の使用量を減らした。幸い、変更前のデザインに比べて、大きく見劣りすることはなかったものの、やはり「建築作品」としての完成度は低くなってしまった。
鳥の巣は今後どのように使われるのだろうか。もちろん競技場として使われるのだろうが、屋根がないので雨期や、冬期の降雪の際にはどうするのだろうか。もともとは全天候型に設計されていたのだが変更されたのである。競技場は使用率が下がれば当然機能性も減少する。とは言え、オリンピックの本来の目的はスポーツによって気風を高めることであり、ナショナリズムの高揚や消費の促進を狙うものではない。競技場は不可欠だが、国民すべてに開放されていなければならない。 もしオリンピックと中国のナショナリズムを無理に結びつけようとするのであれば、私は清朝末期の「東アジアの弱小国」のイメージが数十個の金メダルで変わることは決してないと考える。国際的なスポーツ大会は競技会であると同時に、一つの世界観と風格を育くむものである。「一つの世界、一つの夢」のスローガンに言う夢とは平和であり、民主であろう。どちらもすべての国民の参与を必要とするものだ。
私はヘルツォーク&ド・ムーロンが設計した鳥の巣も本来このようなことを意図していると思うが、それは建築物自体の雄大さや独立性、自主性と反するものではない。開放的な構造に人々の「気」が満ちるようになっているのも設計で意図されたことである。さらに外観に付加されている象徴にも解釈が加えられている。たとえば赤はかつての紫禁城である故宮の色、灰色は北京の土の色、また、波打つようにカーブを描く鉄筋の形状は、民間の糸巻き玉や陶器の模様などというものだがいささか強引なこじつけだ。 どうして鳥の巣は「いろいろな鳥が飛んで来る場所」と言わないのだろうか。飛んでくるのは各国の選手だけではなく、観客もいる。
私は以前の文でも述べたが、欧米の建築士は新しい建築設計によってもとの生活環境を変え、社会を変革しようとする。このような遠大な計画が北京にも通用するのがどうか、先行きを見守りたい。
原文=『亜洲週刊』08/9/14号「天馬行空」 翻訳=椙田雅美
李欧梵=台北、中央研究院院士、香港科学技術大学名誉博士。ハーバード大学退官後、現在、中文大学人文学科教授。著書に『西潮的彼岸』『浪漫之余』『上海摩登』、小説『東方狩手』などがある。
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