「選挙管理内閣」などと揶揄される麻生政権は何をめざそうとしているのか。所信表明からみる限り、掲げるスローガンは「強く明るい日本」である。しかしそのスローガンにひそむ意図は決して歓迎できる性質のものではない。「日米同盟」にこだわりつづける姿勢は頑迷でさえある。しかも所信表明にうかがえるのは、あの悪名高き「新自由主義路線」への執着ともいえる。これでは仮につぎの総選挙で勝利したとしても、短期政権に終わるほかないだろう。賞味期限はすでに切れていることを知るべきである。
▽所信表明(1)― その見逃せないところ
首相の所信表明演説(08年9月29日)は何を意図しているのか。演説全文を繰り返し読んでみた。そこから読みとるべきものは何か。見逃せないのは以下の諸点である。
*「強く明るい日本」をめざして 日本は強くあらねばならない。強い日本とは、難局に臨んで動じず、むしろこれを好機として、一層の飛躍を成し遂げる国である。 日本は明るくなければならない。幕末、我が国を訪れた外国人が、驚嘆とともに書きつけた記録の数々を通じて、わたしども日本人とは、決して豊かでないにもかかわらず、実によく笑い、ほほ笑む国民だったことを知っている。この性質は、今に脈々と受け継がれているはずである。よみがえらせなくてはならない。
*日本経済の立て直し3段階論 緊急の課題は、日本経済の立て直しであり、これに3段階を踏んで臨む。第1段階は当面の景気対策、第2段階は財政再建、第3段階は改革による成長を追求する。改革による成長を阻むものは何か、改革すべきものは何か。それは規制にあり、税制にある。 3段階のめどをつけるには、大体3年。日本経済は全治3年で、脱皮できる。
*暮らしの不安 不満は行動のバネになる。不安は人をしてうつむかせ、立ちすくませる。実に忌むべきは、不安である。 ・「消えた年金」や「消された年金」という不安がある。 ・医療に信を置けない場合、不安もまた募る。 ・次代の日本を担う若者に希望を持ってもらわなくては、国の土台が揺らぐ。 ・学校への信頼が揺らぎ、教育に不安が生じている。 ・いわゆる事故米を見逃した行政に対する国民の深い憤りは、当然至極である。
*外交は日米同盟の強化が第一 外交について、日米同盟の強化。これが常に第一である。 日米同盟から国連に軸足を移すといった発言が、民主党の幹部諸氏から聞こえてくる。わたしは日米同盟は、今日いささかもその重要性を失わないと考える。日米同盟と、国連と。両者をどう優先劣後させようとしているのか、民主党に伺いたい。 海上自衛隊によるインド洋での補給支援活動は、国際社会の一員たる日本が、活動から手を引く選択はあり得ない。
▽所信表明(2)― 国民の声にどこまで応えているのか
以上の所信表明演説(要点)をどう読み解くか。有り体にいえば、自民党は政権担当能力があるのか、それとももはや政権担当能力を失っているのかである。いいかえれば多くの国民の声に果たして応えているのか、である。 大手新聞社説は「異例ずくめ」、「異色の所信表明」、「総選挙“果たし状”」、「野党の代表質問のよう」などと形容しているが、そういう所信表明しかできないところに自民党政権が政権の座から転落する瀬戸際に追いつめられている、その心境を首相自ら告白したものともいえよう。
さて、第一に「強く明るい日本」とは何を含意しているのか。結論からいえば、そこにひそむ意図はとうてい歓迎できるものではない。
「明るい日本」は、暗すぎる日本の現状を心理的に打ち消すためのレトリック(修辞)だろう。幕末の日本人のように、「豊かでないにもかかわらず、実によく笑い、ほほ笑む国民」であれ、といいたいのか。現状は豊かさとは180度異なる貧困が広がっている。それは所信表明でも「暮らしの不安」として指摘されているように、「消された年金」への不安など日本列島は無数の不安に覆われている。 レトリックは小説家にはふさわしい。しかし政治家には偽装のための手法でしかないことを強調したい。例えば後期高齢者医療制度(所信表明では長寿医療制度と言い換えている)の弊害について「制度をなくせば解決するものではない」と早くも抜本的な打開策は拒否している。どこに明るい日本を期待できるのか。
もう1つの「強い日本」とは何をめざしているのか。 私(安原)は、この「強い日本」と「日米同盟の強化」とを連結させてとらえたい。所信表明では日米同盟の強化に関連して2つを指摘している。1つは国連よりも日米同盟を優先させること、もうひとつは「インド洋での補給支援活動から手を引く選択はあり得ない」と言い切っていることである。これでは「身も心も日米同盟に預けた首相」というイメージだけが浮き上がってくる。日米同盟の基本的価値観は「自由、民主主義、人権、法による支配」と従来言い張ってきたが、これでは自由をはじめ基本的価値観とは縁遠い。
第二に日本経済の立て直し3段階論で、注目すべき点は、3段階論の現実的妥当性よりも、つぎの指摘である。 「改革による成長を阻むものは何か、改革すべきものは何か。それは規制にあり、税制にある」と。これは「規制、税制の改革なくして成長なし」といいたいのだろう。さり気ない表現にみえるが、その含意するところは重要である。あの悪名高い新自由主義路線を大筋では転換しない腹づもりであることを示したものと読み解きたい。
新自由主義路線は小泉政権以来、弱肉強食をめざす市場原理主義の下に民営化、規制緩和・廃止を実施してきた。その結果、経済苦を理由とする自殺の増加、失業・貧困・不公平の異常な拡大をもたらした。一方、大企業、資産家などに有利な税制改革も実施された。この路線を継続するのであれば、いくら幕末の日本人のように「ほほ笑み」を取り戻そうと演説で強調されても、多くの国民にとっては冗談がすぎる、というほかない。
▽Webアンケート調査 ― 「政治」「経済」「生活の質」などすべてが悪化
ここではほほ笑みを忘れた日本の現状を示す民間の調査データを紹介したい。 ノルド社会環境研究所(本社:東京都中央区、代表取締役:久米谷弘光)は、このほど全国の20歳以上の男女2000人(有効回収)を対象にWebアンケート調査を実施(08年7月)した。
その1つは、「社会環境変化」に対する一般生活者の評価を把握するため、2006年、07年に引き続き、「社会」「環境」「政治」「経済」「生活の質」の5つの項目について行った。
調査結果によると、5つすべての項目で評価は過去3年間悪化し続けた。 特に「経済」への評価が今年急落した。サブプライムローン問題(米国の低信用者層向け高金利住宅ローンの破綻)に端を発したマクロ的な景気の後退と、ガソリンの値上げなど家計を直接圧迫するミクロ的な要素が重なったためと分析している。
「経済」の次に下げ幅が大きいのは、「生活の質」と「社会」に対する評価で、治安や災害対策への不安、食の安心・安全に対する信頼の低下、格差社会の問題など様々な要因から、個人の生活と社会の両面で質の低下を感じている人が多いとしている。 昨年大きく評価を落とした「政治」は、今年はさらに悪くなった。山積する問題の解決に強力なリーダーシップを発揮できずにいた調査当時の福田政権に対する失望感がうかがえる。
*月収が最低限度の必要額を下回っている人が3割超も 同研究所のもう一つの「日本の財政・社会保障制度に関する調査」(08年7月実施)では月収が最低限度の必要額を下回っているという人が3割超にも達していることが分かった。 調査によると、「あなたの世帯が、いま健康で文化的な最低限度の生活をするのに必要な月々の収入」を尋ねたところ、平均29.6万円(平均世帯人員は3.1人)との回答を得た。その上で、「いまの実際の月収は、その最低限度額に比べてどうか」には、全体の31%が「最低限度額を下回っている」と回答している。
*老後生活の最低必要額のうち公的年金でまかなえるのは「半分以下」の人が7割弱も 「あなたが老後を迎えたとき、健康で文化的な最低限度の生活をするのに必要な1人あたりの月収」を尋ねたところ、その額は平均で月20.7万円。さらに「自分が老後を迎えたとき、公的年金でまかなえる額はそのうち何%だと思うか」については、「25%未満」(36%)が最も多く、「25%以上〜50%未満」(31%)と回答した人と合わせると、67%の人は、公的年金だけでは老後の生活に最低必要な額の半分もまかなえないと考えている。
〈安原の感想〉 首相の感覚と現実との落差が大きすぎる このWebアンケート調査は質問が具体的であるためもあり、国民生活の実相をかなり的確にとらえているのではないか。 2つの調査のうち「社会環境変化」の調査結果が「社会」「環境」「政治」「経済」「生活の質」の5つの項目すべてについて「ますます悪化」となっている点は、よほど恵まれている人は別にして、日常感覚によって誰にでもかなり実感できている。 だから「やはり」という思いが強いが、もう1つの調査には改めて驚くほかない。質問に出てくる「健康で文化的な最低限度の生活」とは、いうまでもなく憲法25条(生存権、国の生存権保障義務)の文言である。この25条の規定を国は保障する義務があるのだ。ところが現実はどうか。
*月収が最低限度の必要額を下回っている人が3割超も *老後生活の最低必要額のうち公的年金でまかなえるのは「半分以下」の人が7割弱も
上記の2つの事実は麻生首相が所信表明で語った「明るい日本」とは180度逆の現実である。貧困という以外に言いようがないではないか。世界第2の経済大国の看板が号泣している。首相の感覚と日本の現実との落差がいかにも大きすぎる。
▽真の意味で「明るい日本」を築くには
「強い日本」はともかくとして、真の意味で「明るい日本」を築くことは必要である。そのためには何が求められるのか。 私(安原)はブログ「安原和雄の仏教経済塾」に「もし私が新首相に選ばれたら」(08年9月10日付)と題して、望ましい必要な政策課題を以下のように列挙した。これはもはや麻生首相には期待できないことが明確になったので、「麻生後の首相」に期待したい。以下を断行すれば、長期政権は間違いない。しかしこの政策課題に背を向けるようでは短期政権に終わるほかないだろう。
第一に日本国憲法9条改正の誘惑を排して、9条を堅持する。 第二に安全保障、財政・税制のあり方について抜本的な見直しが不可欠である。その主な柱はつぎのようである。
*防衛費(年間約5兆円)の大幅な削減に着手する。軍事力によって平和を確立できる時代ではもはやない。 *新テロ特措法(有効期限は09年1月15日)にもとづく米軍などへのインド洋での給油活動を中止する。無条件の対米協力は人心から離れている。 *血税浪費の典型である巨費を要する高速道路づくりを凍結する。 *社会保障費削減の中止、後期高齢者医療制度の廃止に踏み切る。 *食料自給率(40%、先進国で最低)を高める一環としてコメの輸入(最低輸入量)を中止する。 *再生不能なエネルギー(石油、石炭、天然ガス、原子力)を減らして、再生可能な自然エネルギー(水力、太陽光、風力、バイオマスなど)への転換に重点を置く。自然エネルギーに必要な大規模投資を実行する。 *地球温暖化防止の一助として環境税を導入する。消費税は引き上げない。 *法人税優遇税制の見直しをすすめる。 *小泉政権以来実施された新自由主義路線(市場原理主義にもとづく弱肉強食路線)は国民の生活・福祉の向上と相反する面もあり、顕著に見直していく。
*本稿は「安原和雄の仏教経済塾」からの転載です。
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