食を海外に依存する「食のグローバル化」とともに食の安全にかかわる疑惑が広がっている。汚染米から冷凍ギョウザ、冷凍インゲンに至るまで昨今の食料輸入品の増大は食卓を豊かにするどころか、逆に不安をかき立てている。その根本的な対策は何か。 この際、注目し、再評価すべきことは、以前から一本の太い線としてつづいている「水田こそ世界に誇るべき日本の宝」という主張である。この主張は「緑と土と水」に関して「日本は資源大国」という事実の上に成り立っている。いうまでもなく食はいのちにかかわる。今こそ「食」と「農」の根本に立ち返って出直す時ではないのか。
元参院議員、故小島慶三氏(去る8月末日逝去、91歳)の「しのぶ会」(呼びかけ人代表・山本克郎氏)が10月19日、東京・千代田区一ツ橋の如水会館で開かれた。小島氏は経済官僚を経て、日本精工専務、芙蓉石油開発社長などを歴任、同時に農業問題に深い関心を抱き、特に「水田」の重要性を訴えてきた。その足場となったのが東京をはじめ、全国各地に設けられた「小島塾」(のちに「小島志塾」に改称)である。 上智大学、成蹊大学、名古屋大学、一橋大学で講師として経済政策を講じ、特に成長本位の経済政策に批判的な立場から「ヒューマノミックス」(小島氏の造語で、ヒューマニズムとエコノミックスの合成語。「人間復興の経済学」の意)の確立に熱情を注いだ。
著書も多く、その一部に農業に関する3部作、『文明としての農業―生命産業コンプレックスの提唱』(ダイヤモンド社刊、1990年)、『農に還る時代―いま日本が選択すべき道』(同、1992年)、『農業が輝く―“新しい社会の創造”』(同、1994年)がある。またドイツ生まれの経済思想家、E.F.シューマッハーの著昨『スモール イズ ビューティフル―人間中心の経済学』(講談社学術文庫)の訳者としても知られる。
この小島氏こそが「水田は日本の宝」の主唱者である。「しのぶ会」には全国から「小島志塾」の面々など約100名が駆けつけた。「水田こそ宝」は何を含意しているのか。上記の農業3部作を手がかりに考えたい。まず小島氏の主張を紹介し、それに〈安原の感想〉を付記する。
▽世界に誇るべき日本民族の宝 ― 水田
日本が世界に誇れるものは何か。民族の宝として子孫に残せるものは何か。それこそ水田ではないか。水田こそは、長い長い時間をかけて祖先が築き上げてきた、世界に誇るべき日本の宝である。 「日本には資源がない」という人々に私はいつも反論する。「日本にはすばらしい資源があるじゃないですか。豊かな水と緑。これ以上の天然資源がほかにありますか」と。 たしかに日本には化石資源は少ない。しかし石油や石炭などの化石資源は、無限に使えるものではない。掘り尽くし、使い尽くしてしまえばそれまでだ。これに対して、水や緑は無限の恵みである。知恵と工夫次第でいくらでもリサイクル可能な、循環系の天然資源である。
こうした風土的条件のもとにあって、水田はまさに絶妙な農業システムといえる。 水田の役割はイネを育てることだけではない。まず日本各地にある無数の水田は、ダムの3倍もの貯水能力をもっている。森林に次ぐ第2のダムである。水田に貯えられた大量の水は、洪水を防ぐばかりではなく、土壌を保温することによって冷害を防ぐ効果もある。土中に有害物質や塩類を蓄積するのも防ぐ。土砂流出も防ぐ。微生物の活動を促進し、土の生命を守る。他の作物と比べて連作性が強いのはそのためである。何年も同じ土地にコメをつくり続け、狭い耕地で人口を養ってこれたのも、そのためである。
コメは壮大な水循環、国土保全システムのもうひとつの恩恵としてもたらされる。だから水田が単なる「コメ工場」でないのと同様に、コメも単なる食物ではない。日本人にとってのコメとは、そういうものである。
〈安原の感想〉― 憲法九条と並ぶ日本の宝
日本の水田は世界に誇るべき宝、という認識には同感である。憲法9条(戦争放棄、非武装、交戦権の否認)が世界に誇るべき日本の宝、という意識はすでに広がってきている(ブログ「安原和雄の仏教経済塾」掲載の〈憲法9条を「世界の宝」に〉=08年7月23日付=参照)。水田は憲法9条と並ぶもう一つの「日本の宝」と認識したい。
その理由としてまず水田の持つ多面的機能をあげることができる。水田は単にイネ(お米)を生産する場にとどまらない。貯水能力を持つダム機能、洪水防止、有害物質や土砂流出の防止、微生物の活性化と生態系の維持など多面的な機能を持っている。いいかえれば壮大な水循環、国土保全システムの軸として機能しているのが水田である。 もう一つ、水田、田園を核にして成り立っている豊かな緑、水そして土が日本を資源大国に育て上げているという特質を指摘できる。石油などの化石エネルギー源に恵まれないため、「資源小国・日本」という認識が多数説である。しかし視点を変えて、有限の化石エネルギーではなく、無限の天然資源である緑、水、土に着目すれば、「資源大国・日本」というイメージが浮かび上がってくる。 こうしてこれまで見えなかったものが観えてくるわけで、水田はたしかに単なる「コメ工場」ではないし、日本の宝として誇るに値する存在というべきである。
▽日本農業は「スモールの思想」で対応を
大農化という方向で日本農業の国際競争力を高めたい、という願いは、農政の悲願らしい。それをぎりぎりまで農業土木的に充たそうという試みがある。一枚数ヘクタールの耕圃、給排水の自動化、ラジコンヘリによる直播方式など画期的である。これで立派に自由化に対抗できる、という説明である。 しかしこれが可能な条件を持つ土地はごく限られる。例えば耕地の42%を占める中山間部では不可能であろう。それが減産となっても、平地の大規模田で増産し、カバーできるというかもしれない。しかしそれは経済的合理性からのみ水田の機能を考えるという発想を一歩も出ていない。
国土の保全、水サイクルの維持、生態系への影響など農業の多面的機能はどうなるのか。 私の考えの柱にスモールの思想がある。それはシューマッハー(注)との出会いからきている。日本農業にはスモールの思想が適合すると思う。日本の水田などは国土、地勢、森林、水サイクル、生態系のいずれの面でもスモールであるべくしてあるのであり、自然環境と見合う最適な社会システムとして存在する。 自由化によって大規模化の道が開かれるというものではない。
(注)シューマッハー著『スモール イズ ビューティフル』は、1970年代になってつぎのような変化がうかがえると指摘している。 ・加速度的な経済成長の結果、化石系の資源・エネルギーの行き詰まりと環境汚染の進行 ・歯止めのきかない巨大技術への不安 ・産業社会の機械化、情報化、組織化のため、人間の生きがい喪失 ・都市の過密と農村の過疎のアンバランス ・価値観の多様化、ヒューマンサービスの重視など従来の市場機能や企業の対応を超えるものが生まれてきたこと シューマッハーはこれらの変化の背後にある物質至上主義と科学技術信仰に支えられている巨大企業の危険性を指摘し、望ましい姿として最適規模の技術・企業を提案した。「スモール イズ ビューティフル、」つまりそれぞれの身丈に合った小さいことは素晴らしい、というわけである。
〈安原の感想〉― 大規模農業化への批判
農政による大農化路線の推進は、今に始まったことではない。「コメの生産調整」という名の本格的な減反政策が実施されたのは1971年からである。水田面積の4割にも及ぶとされる。さらに宅地などに違反転用された農地が07年までの3年間に全国で2万4002件あり、総面積が東京都新宿区に匹敵する1795ヘクタールに上る(08年10月19日付毎日新聞)。 このような田んぼの削減と農業離れが進む一方、いわゆるミニマムアクセス(最低輸入量)米として毎年77万トン輸入している。最近の国内コメ消費量は年間850万トン前後だから、全体の9%程度を輸入している。ともかく日本の宝であるはずの水田は寒風にさらされている。その背景には国際競争力強化、経済的合理性の追求がある。
こういう現実に対し、異議を申し立て、日本農業は米国型模倣の大農化をめざすのではなく、個々の農家のたゆまぬ努力と協調しながら、「スモール思想」で中山間部の耕地なども生かす方向で水田の再生を図ろうというのが小島説である。
▽化石系産業中心から生命系産業中心へ転換を
私たち日本人は、どんな方法で「地球の復活」すなわち「持続可能な社会つくるための方策」に貢献できるのか。その道は、現在の経済・社会構造を環境に適したものに変革する道である。日本の伝統的、歴史的な社会システム、そして長い時間をかけて蓄積されてきた民族の知恵は、必ず役立つはずである。その第一が「水田」だ。 日本には森林が多い。雨が多く、日光にも恵まれている。だから森林が発達した。日本の国土面積の68%が森林である。こんな国は世界でも珍しい。 その森林が雨をプールして、川に流す。日本人はその途中に「水田」というダムをつくった。全国津々浦々に無数の水田をつくった。すなわち豊かな森林と水田をもつという形で、日本社会はこれまで自然や環境との調和を保ってきた。
この事実は、世界の危機(化石資源の枯渇と環境の汚染・破壊)の回避にも、ヒントになるのではないか。日本では、緑と土と水のミックス・システムを中心に生命系の産業コンプレックスをつくり、化石系産業から生命系産業へと重心をシフトしていけば、地球にやさしい産業社会をつくることができる。
〈安原の感想〉―すべてのいのちを大切にする持続型社会に
21世紀最大のテーマは「持続可能な社会」をどうつくっていくか、いいかえれば地球環境保全と経済社会のあり方とをどう両立させるかである。その中心軸に据えられるのがやはり日本の水田である。つぎの2つの提案が行われている。 *緑と土と水のミックス・システムとしての「生命系産業コンプレックス」をつくっていくこと *現在の石油依存型の化石系産業から「いのち尊重」型の生命系産業へと重心をシフトしていくこと
ここでの「いのち尊重」型の生命系産業の中心に位置するのが水田である。「しのぶ会」の席上、私(安原)は司会者から一言発言を求められて、つぎの趣旨を指摘した。 シューマッハーの著作では「いのち」に言及しているところがほとんどない。また欧米思想では「人間の命」は重視するが、仏教思想は、地球上の生きとし生けるすべてのいのち、すなわち人間に限らず、自然、動植物すべてのいのちを平等対等に尊重する立場である。小島先生の「生命系産業コンプレックス」論はすべてのいのちを含んでいるはずであり、そこがシューマッハーや欧米の思想を超えており、質的な相違点でもある。今後追求すべき持続可能な社会は「すべてのいのち」を視野に収める必要がある―と。
このような「いのち尊重」型の豊かな持続可能な社会ができるとともに、日本の水田も真の意味で「世界の宝」になっていくだろう。水田を粗末にしか扱わない現状に歯止めをかけ、流れを好循環に逆転させない限り、水田すなわち「世界の宝」は見果てぬ夢に終わるほかない。
*本稿は「安原和雄の仏教経済塾」からの転載です。
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