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橋本勝21世紀風刺絵日記
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2008年11月24日14時59分掲載
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山は泣いている
<最終回>大自然の逆襲 焼岳、伯耆大山に見る堰堤工事の無意味さ 山川陽一
第10章 山の大衆化がもたらしたもの・7
「何かおかしいゾ」と思われることが、しばしば大手を振ってまかり通っている。国や自治体のお墨付きでやっていることだから間違いは無いだろう、そう思って見過ごしてきたことが、実は大きな過ちを犯していることもある。難しい専門知識はなくても、経験則に照らして納得できないものや、素人の素朴な疑問に明快な答えが得られないものは、そこに何か問題が潜んでいると思ってまちがいないだろう。
戦後60数年の間に、日本全土の川という川を覆いつくししまった砂防堰堤やダム湖について検証してみよう。
川釣りが趣味の人なら誰でも知っているが、渓流魚は頭を上流に向けて流れてくるえさを待ち構えている。だから、釣り師は、魚に気づかれないよう川下から上流につりのぼっていくのが常道なのだが、いまや、よほどの奥山でない限り、大抵の川は歩き始めるとすぐに砂防堰堤にぶち当たる。 川は、瀞、浅瀬、落ち込み、ぶつかり、ザラ瀬、滝などが千変万化に組み合わさり、周囲の樹木や岩石と相まって明媚な風景を構成し、魚のつき場を作っているが、人工の堰堤上流は、しばらく魚の住めない平瀬が続いて、面白くないことおびただしい。どこまで釣り上がっても、堰堤をひとつ越えるとまた次の堰堤が現れて辟易とする。
最初に作られた堰堤は時が経てば堆砂で埋まる。埋まったら更に上流に堰堤を作る。そうやって工事が繰り返され、川の最上流まで幾十の堰堤が作られていった。このようにして作られた堰堤も、やがてすべて土砂で埋め尽くされてしまう。その後も山からの土砂は容赦なく供給し続けられることはわかっているのに、埋め尽くされた後の対応は用意されていない。
日本中に作られた大小のダム湖も、時とともに堆砂で埋まっていく運命にあるが、作るときに埋まった後の処方箋が用意されているわけではなかった。先が見え始めた今、あわてて堆砂の除去対策がドロナワで検討されているが、基本矛盾があるものが簡単に解決するとは思えない。
一方で、土木建築用に下流の川砂や川石が採取され、それが枯渇すると、ついには海砂にまで手をつけてきた。供給源のバルブを閉めておいて、有限の産物を取り続ければ何が起きるかは最初から自明なのに、今になって全国で砂浜が消えたと慌てふためいている。
上高地に行くと、今でも噴煙をあげる焼岳に、多くの砂防工事が施されているのを見ることができるが、次から次に崩壊する谷に砂防堰堤を作ってどれほどの意味があったのだろう。過日、山陰の伯耆大山(ほうきだいせん)でも同じ光景を目の当たりにした。山頂からの崩壊がやまない谷筋に大堰堤を築き、それがあっという間に埋め尽くされてしまったため、かさ上げ工事の真最中であった。わたしの目には、それはただの土建業を潤すだけの公共工事にしか映らなかった。
梓川では50年来河床の上昇が著しい。その対策として、流入する多くの支流にバリケードのように砂防堰堤を築き、人目に触れる本流では、帯工と呼ばれる隠し堰堤を作ったり、護岸の強化を繰り返しているが、本質的な対策になっているとは思えない。帯工など作ってもあっという間に埋まって、その上流はいっそうの天井川と化し、更なる護岸のかさ上げが必要になる。
一時しのぎの対策を繰り返していても、少し長いスパンで見れば、結果として自然破壊の上塗りをしているに過ぎない。自然の摂理に逆らって、穂高連峰や槍ヶ岳など四囲の山々から供給されつづける土石を力ずくで封じ込めるという考え方は、もうそろそろ卒業して、土石を下流にやり過ごす、川の氾濫もある程度許容するという考え方に変えていかないと、問題の基本的解決にならない。大自然に勝ち目の無いケンカを挑むのではなく、大自然とうまく折り合いをつけながら共存していく考え方への大転換が必要だと思う。
(付) 都立大の岩田教授は、梓川の氾濫を前提にして、登山道の付け替えや宿泊施設の上部への移設や高床式への建てかえを提案している。 (おわり)
(やまかわ よういち=日本山岳会理事・自然保護委員会担当)
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